弔いの鐘と秘密の欠片




  【3】



 それから一月は、まさに時間が飛ぶように過ぎた。
 新政権樹立の祝い事関係の催事は全て春以降に回される事になったものの、とりあえずは内乱とリオロッツの独裁でぐちゃぐちゃになっていた国内機関の機能を早急に回復させ、新政権の体制を整えるだけで、王宮まわりの者達は忙しく走り回る日々が続いた。

 そんな中、新政権の中心であるロージェンティやその身内達が忙しいのは勿論としても、黒の傭兵団の関係者達はある意味内戦中よりも忙しい日々を過ごす事になった。……なにせセイネリアが将軍に就くのはいいとしても、この傭兵団の人間が将軍府という国家機関に取り込まれるというのは問題が多く存在するからだ。

 将軍府というのは今回新しく設立されたセイネリアを軍事方面の最高権力者とした国の軍隊を統べる機関であって、立場的には当然王より下となるのだが、それが王に準ずる程の絶大な権力を持つ事は誰の目にも明らかだった。
 元々の国の軍隊の中心である騎士団は分けられ、首都の守備隊の一部は近衛兵団として王直属となり、残りは全てが『騎士団』という名称はそのままで将軍府の下に付く事になった。実は王直属の部隊はかつて親衛隊と呼ばれていたのだが、あまりにもリオロッツ時代の悪名が高い為に解散となり『近衛兵団』という名前で作り直したといういきさつがある。
 ちなみに、シーグルの元部下達や特にシーグルと親交のあった者達等、ロージェンティが指名した者については、王族のプライベートを含めた身辺警護をする護衛官という役職が与えられた。彼らも一応所属は近衛兵団にはなるのだが、命令系統が近衛兵団の上層部を通さず王(現在は代理のロージェンティ)直下という、ある意味王の私兵のような扱いになっていた。

「近衛兵団の団長がファンレーンなのか」

 セイネリアが渡してくれた新体制の役職のリストを見て、シーグルは少し驚いて、それから安堵したように表情をやわらげた。

「トップが女なら同性の方がいいだろうという話になってな。最終的には摂政殿下の指名だが」
「そうか……だがファンレーンならロージェの心強い味方になってくれると思う」

 頼もしい女騎士の姿を思い出い出して、シーグルは思わず破願する。確かに彼女は騎士団でも有名であったし、きちんとした貴族の出であることから他から文句を言われる事もないだろう。実は、騎士団は将軍府についた事で貴族特権が近々廃止される事が決まっていた。つまり、貴族しか役職を持てないという部分を撤廃する訳だが、その分近衛兵団では役職に家柄が優先される事を織り込む事で貴族達に納得させたという事情があった。

「護衛官のリストを見たか? お前の知っている名ばかりだったろう」

 シーグルが笑っている所為なのか、そう言って来たセイネリアの声もまた機嫌が良さそうだった。

「あぁ、騎士団の部下や知人達ばかりで……信用出来るのは間違いない。ただ、リストの中に見つからない名前もあったが……無事だろうか」
「辞退した者もいたからな。団でのお前の部下で誰かが死んだという報告はきていないが……お前が投獄された直後に騎士団を辞めた者がいた、という話は聞いている」
「そうか……ならいいんだ。無事なら、いい」

 見てすぐになかった名前の内、年齢や家の事情で辞退したと思われる者達を抜かせば見つからないのはアウドの名だ。おそらく彼が騎士団を辞めた者ではないかとシーグルは思う。後はロウの名もないが……彼は騎士団を辞めて田舎へ帰った事をシーグルは知っていた。どちらにしろ、いくら事情があったとはいえ一度王の軍に自ら所属した彼は部下達のように重要な役職に置く訳にはいかない。実際は能力的にも信用的にも一番頼りになるだろうと分っていても、対外的に彼を護衛官には出来なかった。それを分っていたからこそ彼も騎士団を辞めたのだろう。

「お前がどうしてもというなら、人探しくらいはさせてもいいが」

 考えて黙っていればセイネリアがそう言ってきて、シーグルは急いで彼の顔を見返した。

「いや、そこまでは……」

 ただ否定したものの、セイネリアの優し気な笑顔を見てしまったことでシーグルは少し考えて言い直した。

「そう、だな。今は忙しいから少し落ち着いてから……消息が分らなかったら頼む、かもしれない」

 そうすればセイネリアも嬉しそうに笑う。

「確かに、今この時点での人探しは難しいな。落ち着いたら探させよう」
「あぁ、完全に俺の私情によるものだ、後回しでいい」

 いくらセイネリアが自分を優先したがったとしても、現状の忙しさを知っているからにはここで団の人間の手を煩わせる事はしたくなかった。だからあっさりセイネリアが今は無理だと言ってくれたことにシーグルは安堵する。何があっても自分の頼みを優先する、と言われた方がシーグルとしては嬉しくない。
 それで再びリストに目を戻したシーグルは、今度は少し意外な名を見つけて眉を寄せた。

「ところでセイネリア、ロージェの護衛官だが、ラナはともかく、バン家のネーヤ嬢は……」
「あぁ、ヴネービクデに滞在した時、彼女がお前の妻の身の回りの世話役だったらしい。その時からずっと傍についていたぞ、気づかなかったのか?」
「あぁ、あの女性騎士がネーヤ嬢だったのか……」

 確かにヴネービクデの街以降、ロージェンティの傍には護衛の女騎士がついていた覚えがある。シーグルとしては気にはなっていたが、ロージェンティがとても親しそうに話しかけていたので彼女自身の知人なのかと思っていた。ついでにいえば女騎士を見た時はいつでも甲冑姿だったため顔が見れなかったというのもある。

「何か特別の知り合いなのか?」
「そういうのではないが……、祖父が、結婚相手を選べと言ってきた時、選択肢の中にネーヤ嬢もいただけだ」
「ほう」

 セイネリアが少し意外そうな顔をしたのでシーグルは笑う。

「まったく……運命とは不思議なものだ」
「そうだな。お前を見ていると俺もそう思う」

 呟きのような言葉にセイネリアが答えてきて、彼の顔を見ようとすれば目の前に本人がいた。次の瞬間には唇を塞がれて、シーグルは抗議するのを諦めて彼の舌を口腔内に受け入れた。
 彼とはもう、何度キスをしたのだろう。そう呆れるくらいに暇さえあればキスしてくる彼の普段の行動を思い出して、シーグルは思わず口が笑ってしまうのを止められなかった。キスをして、舌を絡ませて、でもやはり笑ってしまう口元が隠し切れなくて、抑えきれなくて、鼻でくすりと息を漏らしてしまえば、合せ直そうとして離れたセイネリアの唇が直前で止まった。

「どうした?」

 少し不機嫌そうにそう言ってきたのはこちらが笑ったからか、それとも聞く為にキスを止めたからか。どちらにしろキスを続けたかった彼の気持ちが分ってしまって、シーグルは彼の頬に両手を添えて、笑って言う。

「何でもない、気にするな」

 そうして自分から唇を彼に押し付ければ、セイネリアは当然キスに応えてくれて、互いに深く相手の口腔内を探る事になる。キスが深くなっていけば、唇だけでなく体までもがいつの間にかぴったりとくっついて、セイネリアの手が背から腰を撫ぜてくる。
 けれどその手が装備を脱がそうとしてきたから、シーグルは彼の肩を押して唇を外した。

「これ以上はだめだ、今日はこれからまた会議があるんだろ?」

 セイネリアの顔が思い切り不機嫌になっているが、その理由が分っているだけにシーグルは少しも怖くはない。

「会議までに終わらせればいいだけだろ」
「生憎、そちらの会議中、俺は団の者達の勉強会に付き合わなくてはならないんだ」
「それがどうした」
「……直後の状態で皆の前に出たくはない」

 そうすればセイネリアは不機嫌そうに体を離すから、シーグルは思わずくすくすと笑ってしまった。

「俺もお前も暫くは休みなしだろ。当分は我慢してくれ」
「まったく、だから面倒な地位など放棄したかったんだ」

 セイネリアが忙しいのは当然だが、シーグルもこのところ、主につかなくていい時間にも予定がぴっちりと塞がっている程に忙しかった。なにせ少しでも時間があれば、傭兵団の人間に最低限のマナーやら騎士団式の礼やら規則を教える勉強会に呼ばれるのだ。ただ、まだそちらは騎士資格を持っている者や貴族出身の者がいるからシーグルはその補助に行く程度だが、問題はもっと別方面で……いわゆる事務処理である。何せ騎士団や国の公式文書を読み書き出来るのが当たり前だが団ではシーグルしかいないため、その手の書類は全部シーグルのところにくる事になっていた。勿論、文官が何人もこちらに来て実処理は彼らが行ってはくれるのだが、重要書類に問題がないかをチェックするのはシーグルの役目になる。そこから一部の確認が必要な書類をセイネリアに渡し、修正して……という事をやっているだけで一日が終わる、というのが毎日の事だ。

「俺だって、事務仕事なんて本当は大嫌いなんだ。まさか騎士団を辞めてからこんな事態になるとはな」

 セイネリアの愚痴にこちらも愚痴で返してみせれば、最強と呼ばれた男は苦笑をしながらシーグルの髪に手を入れてくしゃくしゃと撫ぜてくる。

「まぁいい、代わりに暇になったらその分込みで思い切り楽しませて貰うさ」

 本気を冗談に乗せたその言葉は、さすがに実現したら怖すぎてシーグルの顔が引きつった。

「……どれだけ暇になってお前の『思い切り』は止めてくれ……考えるだけで怖くなる」
「なら俺が溜め過ぎない為にも、出来るだけ寝る時間をちゃんとつくれ」

 そこでシーグルは、どうやら昨夜、仕事を途中で止めて寝るぞとセイネリアが言い出したのに寝なかった事を根に持たれていたらしいというのが分って、ため息と共に返事をした。

「……分った」
「絶対だぞ」
「あぁ、昨夜は悪かった」
「昨夜だけじゃないだろ、ここ数日はお前は仕事中に寝るか、ベッドに入って即寝るかで俺が愉しむ暇がない」
「……分かった、今日は少しは付きあう、それでいいだろ」

 なんというか、自分以上にあちこちに行って睡眠時間も自分以下な筈なのに、どれだけこの男の体力は化け物なんだろう、とシーグルは頭が痛くなってくる。
 そうすればセイネリアはにやりと笑って、シーグルの目元にキスすると同時に耳元に囁いてきた。

「もし今日もベッドに入った途端寝たりしたら、寝てるお前を好きにさせて貰うからな」

 シーグルは顔を赤くして、分かった、と答えるしかなかった。




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  楽しそうですねセイネリア……。


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