弔いの鐘と秘密の欠片




  【1】



 リシェの街に弔いの鐘が鳴る。
 しんと静まり返った街の中に響くその音を聞いて、全ての街人が頭を下げる。仕事中の者、雑談をしていた者、歩いていた者、皆が一旦していた事を止めて、鐘の音に頭を垂れて偉大なる二人のシルバスピナ卿に哀悼の意を表す。

 新政権が樹立されて一週間後、二人の元シルバスピナ卿、アルスオード・シルバスピナとシーグルの祖父であるトレイドー・シルバスピナの葬儀が行われた。葬儀自体はリシェではなく首都で行われたものの、二人の遺体は代々のシルバスピナ家当主と同じく、リシェにあるリパ神殿の地下霊廟に移される事になった。鐘の音は首都からの棺がリシェに到着したことを知らせるものであり、街の門からリパ神殿に至る道の両端には二人を出迎えようと集まった人々が犇めきあって、けれども皆静かに鐘の音に頭をさげていた。

――まさか、自分の葬儀に参列する事になるとはな。

 雪がちらつく灰色の空の下、道の両脇にいる下を向く人々を馬から見下ろしながら、シーグルは兜の下で苦笑する。祖父の棺はいいとしても自分の棺の中には何が入っているか知れない事を考えれば、道脇を埋める人々に申し訳なくて居たたまれない。

――もうここは俺が帰る場所ではないんだ。

 リパ神殿に向かう列の先導部隊にいるシーグルは、複雑な思いでかつての自分の街を見つめていた。
 何もかも見覚えがある、懐かしい街、愛しい記憶達。けれども今見えるこの風景は、かつてと何も変わっていないのに心に重りを積み重ねていく。自分はもうこの街とは無縁の存在なのだと思うだけで寂しさと罪悪感がこみ上げてくる。

 新政府軍は首都に入る前、一度リシェにより、そこで初めてシーグルは祖父の死を知った。リシェから逃げてきたロージェンティ達と共に祖父がいない事にはシーグルも気づいていたが、てっきり祖父は逃げるのを拒絶して館に残り、屋敷にそのまま軟禁されているか、あるいは王によって城に連れていかれたのかと思っていた。

 祖父の死を知った時、シーグルの瞳から涙は出なかった。

 けれども、悲しくない訳ではなかった。とはいえそれは単純な『悲しい』という感情とも違っていた。ただ知ってすぐは頭が何も考えられず真っ白になって、呆然とする事しか出来なかった。あれは恐らく、言葉にするなら喪失感とでもいうのだろうか。自分の中の祖父という存在が思った以上に大きくて、それが失われた事に頭と心が追いつかなかったという状態だったのだろう。
 ただし、シーグルが泣けなかった理由としては、状況的な事も大きかったのは確かだった。
 リパ神殿で祖父の棺と対面した時、そこにはセイネリアの他にロージェンティ達がいた。だからその時のシーグルがシルバスピナ家とは関係のない人間という立場である以上、ヘタに何らかの反応をしてはならなかったという事情がある。
 だがその後、ロージェンティ達と別れてから。
 部屋で二人になった時に、セイネリアは自分が祖父の最期に立ち会った事を打ち合けてくれた。……そうして、その時の事を教えてくれた。

『お前が生きてると告げたら、笑って満足げに死んでいったぞ』

 それを聞いた時に初めて涙が溢れて、セイネリアに抱き寄せられるまま彼の胸で泣いた。それ以後、葬儀の準備からここに至るまではシーグルは一度も泣いていない。

 祖父が死んだ状況が状況であるから当然葬儀など出来ている筈がなく、そしてシーグルも罪人として葬られた立場上きちんとした葬儀が出来なかった事もあって、新政府関連の祝い行事よりも先に、まず二人の葬儀を行いたいと言い出したのはロージェンティだった。どちらにしろ大規模な式典は今から冬に入るこの時期にやるわけにもいかないからという事情もあって、それは会議でも全員一致で可決された。ただ当初はリシェで行う方向で進めていた葬儀の準備は、途中から今回の内乱における戦死者の弔いも兼ねて首都でおこなう事になってしまった。これは政治的な理由によるのが大きく……つまるところは、死んだ人間の英雄化である。リオロッツを悪しき王とし、その王に逆らった所為で死んだ悲劇の騎士――二人のシルバスピナ卿と内乱の戦いで犠牲になった者達を、新政権を生んだ英雄として盛大な国葬にすべきだとの結論となったのだ。
 シーグルとしては自分の英雄化など冗談ではないという心境だが、新政府が民に支持される為――それがシグネットやロージェンティの為になると言われれば黙るしかない。

 ゆっくりと、間隔を空けて鳴らされる鐘の音の中、棺を運ぶ葬儀の列はリパ神殿へと向かって進む。
 道の両側は項垂れた人々の群が途切れる事なく続いていた。彼らの前に一定の間隔を空けて立っている兵達の中には知っている顔が多くいて、その顔を見つける度にシーグルは彼らの名を心の中で思い出して呟いた。若い見知らぬ顔は新人だろうが、見覚えのある顔はシルバスピナの警備兵としてずっと仕えてくれていた者達ばかりで、彼らが無事であった事を安堵すると同時に、彼らが皆泣くか、泣くのを堪えて真っ赤な顔をしている様を見るのがシーグルにとっては辛かった。
 実のところ、首都での葬儀中もそれが一番シーグルにとってきつい試練だった。
 自分を慕ってくれた部下、友人、付きあいのある貴族当主達、冒険者時代に共に仕事をしたことがある顔に、良く利用していた食堂の主人、仕事を受けた事がある依頼人まで……知った顔を見つける度に辛くて仕方なかった。誰もが皆、自分の死を悲しんでいるというのが苦しかった。何度も彼らに向かって、本当は生きているのだと言いたくなった。
 そうして、そう思う度にシーグルは自分に言い聞かせた。

 アルスオード・シーグル・アゼル・リシェ・シルバスピナは死んだのだ。
 少なくとももうそう呼ばれるべき人物はもうこの世にいない。
 ――『彼』を殺したのはこの自分自身。
 自分の判断の甘さが、自分の力の足りなさが、アルスオード・シルバスピナという存在を殺したのだ、と。

 葬儀の列の先に、目的地であるリパ神殿が見えてくる。
 神殿前には多くの兵と神官達が並び、傍までいけば一斉にこちらに礼を向けてくる。
 シーグルを含めた先導隊の兵士達は同じく礼を返し、左右に別れて迎えの兵達の列に加わる。そこで一旦葬儀の列は止まり、棺は台車から下されて運ぶ係の者達に持ち上げられる。それからロージェンティ達身内の人間や、セイネリアや招待された旧貴族の当主達も馬車から降り、運ばれて行く棺について神殿の中に入っていく。
 参列者が全て神殿に入れば、神殿の大扉が閉められる。
 それと同時に鐘の音が止まった。
 所詮セイネリアの部下の一人でしかないレイリース・リッパーには、参列者達について中へ入る権利はない。後はただ、棺が安置されて彼らがここから出てくるまでただ待つ事だけが仕事である。

 ここからシルバスピナ家の地下霊廟に棺を納めるだけなら然程時間が掛かる事ではないと、父の葬儀を経験しているシーグルには分かっている。あの時は祖父の後ろについて、霊廟へと続く階段を黙って降りた。祖父はその間中一度も口を開く事はなく、周りの者も何故か棺を納めて神殿を出るまで祖父に話しかけるどころか顔もあわせようとしなかった。……だが、その理由は最中に一度だけ祖父の顔を覗き見してシーグルにもわかってしまった。いつも通りの厳しい顔はそのままで目を赤くしていた祖父の顔を見て、父の死にどれほど祖父が哀しんでいるのかを理解できてしまった。
 けれどもその時のシーグルはそれに逆に怒りを覚えた……ならなぜ、さっさと父を許さなかったのだと。
 ただ、今になれば、その言葉は自分がいうまでもなく祖父自身があの時思っていたのではないか、とも思う。

 祖父は父を愛していた、裏切られて憎む程に。ならば祖父にとって、自分とはどんな存在だったのだろう。

 シーグルは祖父に優しくされたことも、優しい言葉一つ掛けられた事もない。それでも今、祖父に関して悪く言う気は欠片も起こらなかった。嫌い、ではなかった。憎んだ事はあっても、許せない事があっても、彼自身は立派な人物であると思っていたし、実際、騎士として、シルバスピナ家当主として尊敬もしていた。
 ただ、多分、寂しかった。
 優しくして欲しかったのではなく、ただ、もう少し自分を見て、気にかけて欲しかった。認めて貰いたかった。
 思えばシルバスピナを名乗る意味を知ってからは、自分はずっとなにをするにしても祖父の顔を見ていたとシーグルは思う。見ていてくれているかと、気にかけてくれているかと、自分がこれだけの成果をあげたのを認めてくれるだろうかと、祖父の顔を確認して、その度に彼が全く興味を示していない事に落胆したものだ。
 だからこそ、20歳前に騎士になれたらとしてくれた約束は、初めて祖父が自分を認めてくれたようでうれしかった。……それが、本当に純粋にただ自分を認めてくれたという訳ではないことは後で知って……それ以後、祖父に何かを期待するのはやめてしまったが。
 それでも祖父が、自分に対してまったく愛情をもっていなかったとは思いたくない。ただの家の血を繋ぐ為の人形だと思っていたとしても、血縁だからこその情もあったと思いたかった。

『お前が生きてると告げたら、笑って満足げに死んでいったぞ』

 その笑みが何に対してのものだったのか、それは分からなくとも。




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 このエピソードは内乱が終わったものの判明した事実がいろいろと出てくる……という展開です。
 



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