悲劇と野望の終着点




  【11】



 富める街、リシェ。
 そう呼ばれるくらい、国内でも裕福な商人達の大抵がここに集まっている首都から近いこの港町は、いつでも活気に溢れているクリュースの海の玄関口であった。

――あいつが今のこの街を見たら、どう思うのだろうな。

 戒厳令の下、外に誰もいないこの街のメイン通りをセイネリアの馬が行く。街の警備をしていた者達は今はほぼ全て高台のシルバスピナの屋敷の方へ行っているから、街人の代わりにあちこちに立っていた首都の警備隊の姿はこの辺りに見えない。ただ廃墟のような人のいない街の風景が続くだけだ。

「マスター、無事シーグルさんの家族は船まで送ったって」

 後ろに乗っていたラストの言葉に、セイネリアは、そうか、とだけ返した。

「それで、ともかく身を隠す場所まではこっちの提案に乗るってさ」
「ならそちらは問題ないな」
「すごく……泣いてたって……」
「だろうな」

 それで黙ってしまったラストに、抑揚のないセイネリアの声が告げる。

「ラスト、それくらいで気にしていたら俺の傍にはいられんぞ。これからもっと大勢の人間が泣くし、大勢死ぬ」
「うん……」

 背中で少年……というにはもうかなり大きくなった双子の神官の一人が、ごしごしと目を擦っているのを気配で察すると、それを慰めるでもなくやはり感情のない声でセイネリアは聞いた。

「それで、シルバスピナの家の計画に関わった者の被害報告は?」

 そうすればラストは泣きそうになっていたのを飲み込んで、強い声で返してきた。

「シーグルさんの救出作戦に関わった人間、あと使用人さん達とかに被害は出てないだろうって。各自何処かへ逃げられたみたい。勿論ウチの方の被害者も出てない。向うの……親衛隊の方は、屋敷にいた分は全滅させたって」

 勿論怪我人は出ているのだろうが、魔法で怪我を治せるクリュースにおいては相当の重傷者以外は被害として数えない。
 親衛隊の方は最初から全員殺せと命じて、増援がこれないようにさせていたから予定通りの結果だろう。なにせシーグルを助けようとした連中は、後々のためにも出来るだけ無事でいてもらわなくてはならない。彼らの為にも襲撃を見た敵側の人間は始末してしておいた方がいい。

「商人共の方はどうだ?」
「そちらも特に被害は出てないって……ただ、シーグルさんの家の方だけど、お爺さんの偉い人が……」

 威勢よく報告していたラストの声が、そこでまた弱くなる。

「前シルバスピナ卿か? 一緒に逃げていなかったのか」
「酷い怪我で……なのに治癒を受けないんだって」

 それには僅かにセイネリアの声に苛立ちが混じる。

「何を考えてるんだ、あのクソジジイは」
「ただ、マスターに会わせろって言ってるって」

 これだから年寄りという奴は――セイネリアの口から思わず舌打ちが出る。

「ジジイはこっちの合流場所にいるのか?」
「うん、ソフィアが転送でそっちまで運んでる」

 聞いてセイネリアは馬の腹を蹴る。
 驚いたラストがぎゅっと後ろから抱き付いてくる中、セイネリアの馬はリシェの通りを駆け抜けていった。






 シルバスピナ卿、若く美しい、将来を期待されていた貴族騎士の青年の死は、首都に住む人々にも暗い影を落とした。
 ノウムネズ砦での一般兵達を救った英雄としての話から、冒険者時代の真面目で報酬に拘らない仕事ぶりまで、現シルバスピナ卿であるシーグルの噂は人々にとって好意的に話される内容ばかりだった。特に西の下区ではかつてのナレドの母親への行いが噂となっている為、彼が将来国の偉い地位につけば貧民街である下区の人間の生活ももっと良くなるのではないかと期待されていた。
 その青年が処刑されたのだ。しかも、罪状は誰もが疑問を持つだろう無茶苦茶な理由で。
 これで王宮の勢力事情など知らなかった民達も、現王が気に入らない者を粛清して独裁政治を始めようとしているという事を実感する事になった。旧貴族の青年の死によって、民衆が国の行く末に不安を抱き始めていた。それは、いずれ首都だけではなく、地方にも広がっていくことだろう。

――こんな場末の酒場でさえ、影響があるのだから。

 カリンはいつになく静かな店の中を見回して、ぼそぼそと話す人々の会話に耳を傾けていた。今回、彼女の率いる情報屋連中にとっての最優先事項は、とにかくシーグルの居場所をつきとめる事であった。その為に実行部隊の方には関与せず、彼女とフユを除く彼女の部下達は、それぞれシーグルがいるだろう候補になっている場所の近くへと散って情報を集めていた。
 カリンの担当は首都で、部下達からの報告をまとめて主へ連絡する事と、城内の情報を集めるのが仕事であった。

 ここまでは現状、全てセイネリアの予定通りに進んでいた。これで後はシーグルを無事救い出せさえすれば彼の計画はほぼ完了する。一向に主の最愛の青年の行方の掴めない現状に苛立ちつつも、今のカリンは彼の無事を祈る事しか出来なかった。

 けれどもその日、彼女はやっと求める情報のその欠片を探し当てることができた。

「なぁ、バッディ、『最強の樵の弟子』ってのは誰ン事だろうな。手紙だったとしても、ちゃんと名前書かなきゃ届かねぇだろうによ」

 聞こえてきたその声に、カリンは席を立つ。
 フードに顔は隠したまま、ゆっくりと今の会話をしていた樵らしい男達のテーブルに向かって歩いてゆく。

「貴方達、ちょっと聞きたいんだけど、その『最強の樵の弟子』って何の話かしら?」

 顔は見せなくてもフード下から見える赤い唇を鮮やかに釣り上げて、マントを片方だけ肌蹴てみせれば、現れた白い撓やかな腕と大きく膨らんだ胸元に男達の視線が集まる。

「あぁ、何、最近樵連中のトコに、拾ったって紙がよく持ってこられるんだけどよ……」

 そうしてカリンは、気の良さそうな男が空けてくれた席に座ると、渡されたその『紙』を読んだ。それにはこう書かれていた。

『最強の樵の弟子殿へ。薪割りの苦手な騎士より。次はぜひ弓を教えて貰いたい』

 その殴り書きのはずなのに綺麗に整った文字を見て、カリンの口元が喜びに綻んだ。







 黒の剣傭兵団は現在、リシェの大商人達を何人か逃がしてやった事で、彼らがリシェ内に持っていた隠し部屋や倉庫を自由に使う事が出来るようになっていた。その中でも比較的港に近い繁華街の一角にある地下倉庫の中に、現在リシェに留まっている者達は集まっている筈だった。
 安酒場に見える建物から入って地下へ下りていけば、セイネリアの姿を見た途端、そこに待機していた者達が立ち上がって姿勢を正す。

「ご無事で、マスター」
「当然だ、シルバスピナのジジィがいるだろ、何処だ」

 すぐに出迎えた大柄な男ラダーにセイネリアが言うと、彼が返事をするより早く、奥からソフィアが走ってきた。

「マスターこちらです、早くっ」

 セイネリアは舌打ちする。だがそれでも、焦って前をいくソフィアに何も言わず大股で付いていく。
 元シルバスピナ卿――シーグルの祖父は、領主部屋の前で敵だろうアッテラ神官と相打ちのように倒れていたのを傭兵団の者が見つけたという。まだ息があった彼に団のリパ神官が治癒を掛けたが、気付いた途端にそれを止めさせられたらしい。その後も治癒を拒否した為、その場に残すわけにもいかず、ソフィアが呼ばれてここまで彼を転送で連れてきたという事だった。
 彼が治癒を拒否する理由を――セイネリアは大体は察していた。

――本当に老人というのは、自分が満足する死に場所を欲しがる。

 過去に自分の師であった老騎士を思い出し、セイネリアは忌々しげに口元を歪める。
 他の者から隔離されるように別室となっている場所に、かつてこの街の領主であった老騎士は寝かされていた。

「お前が……セイネリア・クロッセスか。確かにいい面構えだ、一度お前に会っておきたかった」

 その言葉にピクリと目元を細めて、セイネリアは死期の近付いた老人を見下ろした。

「死に場所を決めたから助かりたくはないという事か」
「そうだ。それに、あの子のためにはもう私はいない方が良いだろう」

 それにはセイネリアは何も返さない。そうすれば老人がセイネリアの顔をじっと見つめてから聞いてきた。

「あの子は……生きているのだろう?」

 それにセイネリアの全く感情のない声が返る。

「シーグルの処刑は今日、執行された」
「あぁ、それは聞いた。だが生きてる、違うか?」
「何故そう思う」
「お前が、あの子を見捨てるはずはない」

 それにもセイネリアは返事を返さない。そうすればこちらをずっと見ていた老騎士が軽く顔に笑みを浮かべた。

「私はあの子に酷いことばかりをしてきた。……最初は、あまりにもあの子が私を裏切ったアルフレートに似ていたからな、正直顔見ているだけで憎しみが湧いた。ただ家には必要な子供だったから、家の為だけに生きるように育てようと思った。独りにさせて、あの子を追い詰めて、絶望させて……意志さえ必要ない、ただ家を継ぐだけの人形であればいいと思った事さえある」
「ふん、老人の昔話か、何故俺にそんな事を話す」

 面白くもなさそうにセイネリアが言えば、老人はまたセイネリアの顔を見て緩く笑う。

「……それなのにな、あの子はどれだけ無茶を言われても弱音を吐かずどうにかするんだ。辛いだろうに、苦しいだろうに、私に逆らわず、そしていつもこちらの思った以上の成果を出してみせる。本当に……私が思っていなかったほど、気づけばあの子は立派に育っていた。他人に関わらせずに育てた筈なのに、たくさんの良い友人と部下と人々に愛されて……羨ましいくらいに、いい騎士であり領主になった」

 思い出すように老人は目を瞑った。もしかしたら、そろそろ目を開けているのが辛くなっているのかもしれない。

「貴様に一つだけ俺が感謝する事といえば、シーグルという存在を育てあげたという事だ。貴様のお蔭で今のシーグルがあるのは確かだからな」

 言えば老人は、目を瞑ったまま喉をくくくと小さく鳴らした。
 もう体を動かすのも厳しい筈なのに、楽しそうに肩さえ震わせて老騎士は笑う。

「今のシーグルがある、か。お前にしては失言だな――生きてるのだろう、あの子は?」

 笑みを収め、死にゆく老人が薄く目を開けてセイネリアを見つめてくる。
 だからセイネリアもとうとう返した――そうだ、と。未だシーグルの居場所は分からなくても、彼が生きている事が確実である事だけはセイネリアには指輪の所為で分かっていたから。

「そうか……ならいい、なら私はもう役目を終えた」

 今度は満足そうな息を吐いて目を閉じた老人の顔を、セイネリアはじっと見つめる。

「あいつに会って、あいつを認めていると言ってやればいい。そうすればあいつは救われる。その為に生きようとは思わないのか?」
「その必要はないだろう、もう、あの子は子どもじゃない。それに今更、あの子に許して貰おうとも思わんし、そんな資格もない。非道(ひど)い祖父……あの子にとっては最後までそれでいい。それにお前なら分かっている筈だ、私が生きていればあの子の枷になる……私は、ここで消えるべきだと」

 本当に満足した……恐らくシーグルが見た事もないだろう満面の笑みを浮かべて老騎士は呟く。既に返す声は大分力がなくなっていた。

「老人というのはいつも勝手だ。自己満足をして勝手にくたばる」

 それには、もう殆ど何の力も残っていないだろう老人の体が、笑い声と共に少しだけ揺れた。

「当然だ、この歳になると後は死に場所を探す……だけだからな。だから、今くらい満足して死ねる最高の状況を……逃したくはない」

 軽く咳をしながら苦しそうにそれだけを言い切ると、大きく息を吐いて、最後の時を待つように老人は黙った。

「あいつに伝える事はあるか?」
「ない。あの子に私はいらぬ」

 きっぱりと言い切った老人の口元が、だが直後に僅かに自嘲に歪んだ。

「ただ一つ……心残りがあるなら、一度くらいはあの子を……抱きしめておけば良かった、か……」

 それでも老人はまた笑う。
 満足そうに微笑んで死に行く老騎士の顔を忌々しげに見つめながら、それでも彼が息を引き取るその最後まで、セイネリアはその場に立っていた。



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 じーちゃん回でした。



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