旅立ちと別れの歌




  【8】



 会場中を埋め尽くす人々を見回してから、一番目立つ王族の席とその横のセイネリアを見て、シーグルは兜の下で大きく息を吐いた。
 黙っていたのを怒るだろうかと思っていたのはどうやら杞憂らしく、傍にいるカリンとエルの様子を見たところではセイネリアの機嫌は悪そうではない。それでも負けたら怒られそうだなと思って……負ける訳にはいかないと自分に言い聞かせる。自分は最強の男に勝つためにここまできたのだ、彼以外の人間に負ければ彼と戦う資格さえない。だらか絶対に優勝しなければならない。
 とはいえ、自信があるかと言えばそうとも言い切れない。なにせ剣はいいとしても、馬上槍試合の方は慣れてない分そこまで自信があるとはいえない。優勝するために必ず倒さなくてはならない人物の事を考えれば、槍であの男に勝つのは正直難しいと言えた。

「レイリース殿っ、どうやら私達が対戦するのは決勝のようです」

 入場式が終わって控えの部屋にきてから、掛けられた声にシーグルは振り向いた。
 この競技会の連続優勝者にしてバージステ砦の勇者、チュリアン卿が大きく手を振りながらやってくるのを見て、シーグルは思わず苦笑する。
 いつか勝負を――とレイリースとしてもシルバスピナ卿としても約束をしていたチュリアン卿はまだ予選のうちからこちらの出場を知ったらしく、途中からずっと応援に来てくれていて正直目立ちたくなかったシーグルとしては困ることになった。決勝戦の入場前からもやたらと嬉しそうに話しかけられてしまって、シーグルとしては他の選手達からじろじろ見られてやはり気まずい事になった。

――まぁ、それは今更か。

 なにせあの将軍セイネリアの紋章を背負ってここにいるのだ、しかも悪目立ちしすぎる真っ黒な鎧を着て目立ちたくないなどと言うのは冗談にしか聞こえないだろう。だからあとはこの外見に見合っただけの強さを見せつけて周りを納得させなくてはならない。

――なるほど、セイネリアがまずは見かけで脅しを掛けると言っていたのは、それに見合うだけの力を見せねばならないと自分を追い込む意味もあるのか。

 シーグルはいつも目立つ事を嫌っていたが、外見を盛って自分を追い詰めるという手はそれはそれでありなんだろうと今は思う。競技会に出る選手達が派手なパフォーマンスをして目立とうとするのも、それで無様な姿を見せる訳にいかないと自分を追い込んでいるのもあるのだろう。

「では必ず、決勝まで行って貴方との約束を果たしましょう」

 言えば、この競技会の絶対王者である騎士団の勇者は嬉しそうに笑った。

「えぇ、必ず」

 それから互いに拳を突き出し、軽く当ててすれ違う。シード枠であるチュリアン卿の試合はまだだがシーグルの試合は近い。そのままシーグルがアウドを連れて試合の待機場所へと向かえば、チュリアン卿は片手を上げて選手用の観戦場所へと向かって行った。






 トーナメントは馬上槍試合と剣の試合部門で行われ、上位者に順位にあったポイントが与えられて優勝は双方のポイントを足した数値で競う。この手の競技会では他国だと馬上槍試合が重要視されることが多いが、クリュースでは剣の試合も同等に扱われ人気も高かった。何せこの国の場合、公式の場での剣の試合は基本『術あり』となる。馬を使ったぶつかり合いの馬上槍の試合は迫力があるが、術を駆使した剣の戦いもなかなかの派手さがあった。しかも違う神の信徒同士で戦う場合は選手と同じ神の信徒達の応援合戦になったりするという別の楽しみ方もあった。ただ大抵の場合、選手はアッテラかリパ信徒であるから、応援合戦を楽しみにしているのは主にその二つの神の信徒達であったが。

 そんな訳で、本来ならそこではしゃげるはずだった人物は、現在ちょっと複雑な顔をしていた。

――俺の耳がおかしくないなら、今レイリースの紹介で守護神はアッテラって言ったよな。シーグルならリパだろ、いくら正体を隠すためだっていっても信じる神様を偽るってのはないよな。そもそもシグネットは光の術使ったのを見たっていったんだし。まさか改宗した? ……いやいやそらないだろー。

 じっとおそらくシーグルだろう黒い戦士を凝視してウィアは唸った。
 先に行われるのは剣の試合で、馬上槍試合はその後に行われる。レイリースが出て来たのは一回戦の最終試合だったのだが、この戦いでは相手もアッテラ神官ということで口上通りならアッテラ信徒同士の戦いになる。そうなれば大いに盛り上がるのはたたでさえお祭り騒ぎ好きが多いアッテラ信徒達で、それぞれ贔屓の選手の名前を叫んで会場を沸かせた。

――よし、アッテラ信徒っていうならアッテラの術使うだろ。もし術使ったらあれはシーグルじゃないか、あいつが改宗したってことになるよな。

 ウィアの思惑の中、開始の太鼓が鳴らされる。
 ただ、レイリースが術を使うのをじっと待っていたウィアは結果として肩透かしを食らうことになった。
 開始と共に、わっと会場が盛り上がった直後。それこそあっという間に勝負がついてしまったのである。
 あまりの事に一瞬、静まり返る観客たち。
 だが審判役が焦って勝者の名を告げれば、今度は一気に歓声が膨れ上がる。

「あぁ、そういうことか……」

 思わずウィアは呟いてしまったが、早い話はあれだ――そもそも術を使わない、使う必要がないなら自分の神様なんてどう申告したっていいのだ。そうであるなら、兄がアッテラ神官であるレイリース・リッパーはアッテラ信徒という事にしておいた方がいいということなのだろう。

「そりゃそーだろ、っていやそらそーだけどさ」

 また呟いてしまえば、今度は隣にいたフェゼントがこちらの耳元にこそっと話しかけてきた。

「どうかしましたか、ウィア」
「あー、いやなんでもないんだけどさ。あ、レイリースが出ることって勿論将軍様も分かってたんだよな?」

 明らかに後ろ姿からでも分かるくらい機嫌が良さそうなセイネリアをちらとみつつ、ウィアはフェゼントにこそっと聞いてみる。実を言えば入場の時は自分の方が驚いてしまってセイネリアの方を見る余裕がなかったのだ。

「あぁそれがですね、どうも先ほどの入場の時の感じでは将軍閣下は知らなかった模様ですよ」
「え? そうなのか?」
「驚いて身を乗り出した後に、お付きの人たちに何かいってましたから。多分、驚いてたんだと思います」
「へー」

 レイリース・リッパーが主であるセイネリアに鍛えなおしたいと申し出て暫く首都を離れている……というのは城の関係者ならほぼ皆知っている事である。帰ってきたという話を聞かないでこの事態ということはつまり主に報告もなしでいきなり競技会に出て来たということでそれはつまり……シーグルがセイネリアを驚かせたくてやったという事だろうか。

――うーん、サプライズ演出なんてあいつらしくないよなぁ。

 これでもし今の試合、レイリースがアッテラの術を使っていたら、本気でウィアは彼がシーグルであるという確信を撤回するところだった。
 シーグル……だと思う黒い戦士が歓声に応えて手を上げる中、はしゃいで手を叩きながらセイネリアに何か言っているらしいシグネットと、それを聞く為に少し体を傾けたセイネリアの後ろ姿を見ながらウィアは唸って考える。けれどふと、隣にいるフェゼントがやたらと嬉しそうに手を叩いているのを見て、ウィアはつい聞いてしまった。

「フェズはレイリースを応援してんのか?」

 そうすればウィアの最愛の恋人は、にっこりと綺麗な笑みを浮かべてくれたから、思わず少しウィアは見とれそうになった。

「当然じゃないですか、彼もシグネットの先生になる人ですし」
「あ……あぁ、そうか、そうだな」
「えぇ、そうですよ」

 そうしてやたらと嬉しそうにレイリースを見つめるフェゼントの顔を、ウィアは見とれつつも少し不思議な気もして見つめていた。






 剣の試合の準決勝、そこで起こった誰もが予想しなかった結果に会場は騒然となっていた。
 ただその番狂わせを起こした人物はシーグルではない。シーグルの元部下であったシェルサ・ビスがチュリアン卿を破ったのである。
 ……とはいえ、試合が終わって待機場所に帰ってきたチュリアン卿はかなりの上機嫌であったが。

「いやぁ、流石に私もそろそろ世代交代の時期らしい。やはり若者の伸びしろという奴は恐ろしいものです。レイリース殿、偉そうに約束しておいてこんな体たらくで申し訳ない」
「油断しましたか?」
「とんでもない、なにせ彼もシルバスピナ卿に鍛えられてきた人物ですからね、実力ですよ、押し切られました。ですが槍ではまだ負けません、そちらでは必ず約束を果たしましょう」
「了解しました」

 負けたとは思えないくらい楽しそうに顔に皺を作って笑う騎士団の勇者と再び拳を交わし、シーグルは競技場へ向かう通路へと進む。
 ずっと連勝を続けて来た彼が、手ごたえのある相手と戦いたがっていたのをシーグルは知っている。その所為で少々強引な手段で彼との特別対戦をする事になってしまったこともある身としては彼の気持ちが簡単に想像できた。チュリアン卿としては負けを悔しいと思う気持ちより、いい試合が出来たという満足感と、次の為に鍛える張り合いが出来たというところなのだろう。

「シェルサの奴、大金星ですね。すごい歓声ですよ」

 通路に入り、他の人間がいないことを確認してからアウドが言った。

「……ただあいつも運が悪い。去年だったらこのまま剣の部で優勝できたでしょうに」

 通路の先、会場の光が近くなる。人々の興奮の声が波のようにだんだんと強く押し寄せてくる。シーグルは兜の中から近づく光に目を細め、大きく息を吸い込んだ。

「俺も今のあいつの実力を知らない、そう簡単には勝てないかもしれないぞ」
「まさか、謙遜しすぎじゃないですか? ですが、まぁ……」

 会場に黒い甲冑姿が現れる。降り注ぐような人々の声がすべての音を飲みこむ。そんな中でも、こっそり呟いたアウドの声はシーグルにちゃんと届いていた。

「どっちにしろ、あいつは幸せでしょうよ」

 シーグルは笑う。かつての部下だった青年が自分でも驚いた顔をして歓声に応える姿を見ながら。



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 シェルサが競技会出てるってのはWEB拍手の小話でしか書いてなかったので本編でもちょこっと入れとけばよかったなーと後悔(==;;
 



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