旅立ちと別れの歌




  【4】



 そうしてまた冬が来て、春が来ればシグネットは四歳になる。ロージェンティが当初から言っていた通り、シーグルがシルバスピナ家に連れてこられた歳である四歳から、シグネットへ国王としての教育が始まる事になった。
 それと……。

「シグネット様、これはだめです、危ないです」

 このところよく聞く、声変わり前の少年のちょっと神経質な声が城の中庭で響く。

「うー、メルセンずるいー、おれもけんつかいたい」
「だめです、シグネット様はまだ当分は木刀だとフェゼント様が言ったじゃないですかっ」
「おれもうけんもてる、かして」
「危ないです、フェゼント様の許可があるまでは貸せません」
「けちー」
「うん、にーちゃんはけちだぞ」
「アルヴァン、お前も止めないとだめだろっ」

 小さなシグネットと一緒に座り込む、少しだけ年上の少年を、5つ以上年上の少年がどなりつける。
 こういうのを微笑ましいというのだろうなと、その光景を城壁の上から見ているセイネリアは思う。

 シグネットが四歳になり即位記念式典が終わってすぐ、冬の間に決めていたいろいろな分野の勉強を教える先生達がまず集められてシグネットと顔合わせをした。ただそれでいきなり勉強がスタートとなる前に、シグネットには将来の側近候補として二人の従者見習いがつく事になったのだ。
 ロージェンティの話によれば、これも生前シーグルが本人たちと約束したことらしい。シーグルの部下であったエッシェドラン・イーネスの二人の息子がこれからは従者としてシグネットと行動を共にし、一緒に勉強していく事になっていた。

「いいなー、メルセンはもうけんをおしえてもらえてー」
「俺はシグネット様より年上ですから。それに俺はあなたを守るために強くならなくてはなりませんから」
「おれもつよくなる、ははうえまもるからっ」
「それはご立派なこころざしだと思います。ですがシグネット様は俺より強くならなくてよいです」
「えー、おれすっごくつよくなるよ、ちちうえみたいにっ」
「……アルスオード様は誰よりもお強かったからこそ、守る側だった父は大変苦労したと聞いています」
「そうなの? なんで?」

 やりとりを聞いていたセイネリアは思わず喉を震わせて笑ってしまう。イーネスの上の息子であるメルセンはかなり真面目な性格で、年上らしくシグネットにいろいろ教えては質問攻めにあう事が多い。ただその性格的にも年齢的にも、お目付役も兼ねた友人としてはとても優秀だと言えた。

「――……なためアルスオード様はいつも部下に頼るより先に自分が戦いに行ってしまって……」
「にーちゃんいつも話長いっ、めんどくさいっ、難しいっ」
「アルヴァン、お前はいつも話は最後まで聞けって言ってるだろ」
「だってにーちゃんの説明長いよ、むずかしーし、なっ」
「うん、メルセンはせつめいがながーい」
「だよなぁっ」
「だなっ」

 下の息子のアルヴァンはシグネットより一、二歳上なだけのため、今はまだ同年代のただの友人か相棒といった関係のようだった。まだ小さいからではあるだろうが兄にくらべて大ざっぱな性格であることは確かで、シグネットにとっては気の置けない良い友人になれる未来が予想出来た。

「まったく……本当にお前は良い人間にばかり好かれる。お前が息子に残した人間だけはどれだけ威張ってもいいと思うくらいだ」

 そんなことを呟きながらも、シーグルが威張る姿など想像できないなとセイネリアは思う。ただ彼の事だから、自分の事は威張らなくても他の人間――彼が愛する者達がどれだけ素晴らしいかという話ならいくらでも誇らしげに語ってはくれそうだが。
 セイネリアは分かっている。こうしてリオロッツを倒し、新政権を立ち上げてこの国が改革されているのはほとんどが自分の力ではないと。確かにセイネリア・クロッセスという最強と恐れられた男の名が果たした役割は大きいが、改革のための状況と土台の殆どはシーグル自身が積み上げきたものだ。セイネリアはそれを最大限に利用しただけに過ぎない。
 シーグルが積み重ねて来た名声と彼を慕う人々がいたからこそ、ここまであっさりとセイネリアの計画は成功した。政権をひっくり返すような改革をしても、それを実行できるだけの優秀で良い人間が集まった。

「まったく、ボスは最近暇さえあれば王様を観察してるんスね」

 気配もなくやってきた部下は足音も立てず傍までくると、自分も城壁に腕をついて下の子供たちを見つめる。

「そうだな。……だが別にお前を信用してない訳ではないぞ」
「そら分かってまスよ、そもそも信用されてなきゃこンな役目を命じられないでしょ」
「その通りだ」

 セイネリアがそこでにやりと笑えば、フユは逆にそのいつも笑みを浮かべている顔から笑みを消した。

「しかし人生ってのは面白いものスね。俺はものごころついた時から人の殺し方ばかり教わってきた筈なんスけど……ここ数年ずっと人を守ることばかりが仕事なんスから」
「文句か愚痴があるなら言ってもいいぞ」

 それにフユは笑う。それはいつもの張り付かせたような笑みではなく、思わず出てしまった苦笑のようで。けれど彼はその細めた灰色の瞳を今の守護対象の少年に向けると、今度は柔らかく唇に笑みを浮かべた。

「そうっスね、なにせ護衛対象が面倒な人物ばかりでえらい大変だったと愚痴りたいとこスけど、まぁ文句を言うのは止めておきまス」
「なんだ、今なら多少の暴言も聞いてやるぞ」
「ボスのそのセリフは後が怖いっスね」

 今度は声を出して笑ったフユは、それでも視線は現在の彼の守るべき小さな少年王を見たままだった。

「そういや、殺す仕事から守る仕事になって分かった事があるンスけどね」

 呟きのように言ったその言葉に、それはなんだ、とセイネリアがやはり呟きのように聞き返せば、優秀な暗殺者だった男は自嘲気味に口元にまた笑みを引いた。

「殺すことしか考えてない時は俺自身死にたくないなんて思ったことがなかったんスけどね、守ることが仕事になったらまず自分が死ぬ訳にいかないって考えるようになりまして……考えりゃ、そら殺すなら殺せばそこでお仕事が終わりっスけど、守ることが仕事なら守る対象が無事な限りは仕事は終わらない訳で、終わらないからには死ねない……まったく、守るってのは面倒な仕事っスね」

 幼い頃から人としての感情を殺して生きて来たこの男は、初めて他人を大切だと思ったことから組織を逃げて自分に頭を下げた。そんな彼と自分が似ている事をセイネリアは分かっていた。だからこそ彼にはいつもセイネリアが大切な者を守る役目を命じて来た。

「そうだな、守るというのは面倒だ。だが守ろうと思うからこそ自分も生きられる。生きる意味と価値を自分に見つけられる」
「そうっスね。面白いモノっスね」
「あぁ、面白いさ」

 そうして二人で黙ってそのまま下の子供たちを眺めていれば、そこに小柄だが偉そうな神官がやってきて彼らを怒鳴りつけ出した。

「こっらお前ら、もう休憩時間終わりだろ。シグネットは部屋いけ、せんせー待ってンぞ。お前ら二人はフェズが待ってンぞ、さっさと行け」
「ずるーい、おれもけんのれんしゅーしたいっ」

 じたばたと暴れるシグネットの襟首をつかんで、筆頭家庭教師、という肩書になった小柄な神官が国王陛下を引きずって行く。ほかの二人はそれを見届けてからばたばたと裏庭へと走って行った。

「国王陛下をひきずって歩けるのはおそらくこの国じゃあのガキ神官くらいでしょうっスかね」
「そうだな、俺だと抱き上げるだろうしな」
「確かにそうっスね」

 言いながらフユは背伸びをしてから、軽くセイネリアに向けて頭を下げる。それにセイネリアが手を上げて応えるのと同時に、彼の姿はそこから消えた。







 それからまた暫く後のある日の事。

「ねーしょーぐん、しょーぐん、おれつよくなったんだ、みてっ、きょうはちゃんとみてっ」

 いつも通りの朝の謁見――ただし今は子供部屋ではなく勉強部屋となったそこへ入った途端飛びついてきたシグネットのおかげで、その日のセイネリアの予定は大幅に変更が必要になってしまった。

「えいっ、えいっ、やぁっ」

 真剣な顔で木刀を振り下ろす少年王を見ていたセイネリアは、その姿を『彼』に重ねないようにするのに苦労した。ただでさえ彼の子供のころと思えるくらいに似ている彼の息子は、真剣な顔や拗ねた顔をしていると特に似ていた。
 実は剣の練習をするにようになってからずっとセイネリアはシグネットにその練習を見に来て欲しいといわれていた。だがそのたびに、そのうちな、と言ってやんわり躱していたのには理由があった。おそらくこの子が剣を振るその姿を見たら絶対に彼と剣を合わせている時のあの感覚を思い出してしまって無性に彼を感じたくなってしまう。流石に小さなシグネットを彼と思って手を出す事はないとしても、彼に触れられないそのことが無性に辛くて堪らなくなりそうだからだ。

「ねー、しょーぐん、みたみた? おれすごい?」
「あぁ、その歳でそれだけできればすごいな」

 だがそこでセイネリアの目は、満面の笑みを浮かべるシグネットの傍で複雑な顔をしている少年のほうに行く。嬉しそうなシグネットと対照的にため息さえついているメルセンは、それでも小さな少年王の一挙一動を真剣な目で追っていた。どうやらこの真面目な少年はシグネットが心配で堪らないらしい。シグネットが剣を振る度にはらはらした顔で見ていたかと思えば、木刀を投げ捨ててセイネリアに突進していくのを見てすぐ追いかけてくる。子供どころか大人でさえまず恐れて近づこうとしないセイネリアに、シグネットを守ろうとぴったりついてくる少年には正直かなり感心した。
 だから少しだけ、セイネリアもその少年に協力してやることにする。

「だがシグネット、たしかにお前はすじがいいが、これからいくら強くなったとしても実践では出来るだけ自分が戦わないで済むよう心がけろ」

 出来るだけかみ砕いて言ってみたつもりだがやはりその言葉は少し難しかったようで、シグネットはそこで頭を傾げた。

「なんで?」
「おまえは国王だ。お前が負けたらこの国が負けたことになる」
「おれまけないよっ」
「それでもだ。どんな時でも絶対に勝てると言い切れる者などいない。ほんの少しでも負ける可能性があるならお前は戦ってはいけない。お前が自ら戦う時は、もう敵が目の前にきてお前しか戦えない時だけだ。お前は自分が戦わなくてもいい方法……もっと言えばそもそも戦いが始まる前に勝っているくらいの状況にするよう考えなければならない、それが王というものだ」

 小さな少年王は思い切り顔を顰める。

「……わかんないよ」
「その内分かる。だからメルセンの言う事もちゃんと聞いてやれ」

 そこで少しだけ視線をずらして後ろの少年を見てみれば、すこしほっとした顔をしたメルセンがぺこりとお辞儀をしてくる。

「シグネット様、シグネット様が戦う前にまず俺が戦います。どんなにあなたが強くなってもそれは変わりません。忘れないでください」
「おれもっ」

 アルヴァンはセイネリアが怖いのか近づいてはこないものの、そう叫んで主張するように向こうで飛び跳ねていた。
 そうすれば、その傍にいた優しい容姿の騎士が笑いながら穏やかに呼びかけてくる。

「そうですよシグネット、約束通り、まずは私が教えた通りのことが出来るまで本物の剣は使えませんからね」
「はいっ」

 現在のシグネットの剣の師匠であるフェゼントが言えば、シグネットは背筋を正して返事をする。それから幼い少年王はセイネリアに手を振って、パタパタと子供らしい足取りで師匠に向かって走っていった。

――まったく、お前が部下より強かった事は奴らにとっては相当に厄介事だったらしいぞ。

 確かに主が部下を守るために突っ込んでいくようでは困ったろうなと思いながらも、だからこそ部下たちも命を懸けても守りたかったのだろうとも思う。あの容姿といい、性格といい、あれだけ守りたくなる上官もいなかったろうと考えて……だからこそ守れなかった事が後悔となって彼らの息子にまで伝わってしまったのだろうとも考える。特にメルセンの父――シーグルがランと呼んでいた大男は、その体格を生かしてアウドと共にシーグルの護衛役だった。あの子供はきっと、父親の後悔する姿を見てきたからこそ自分は絶対に父が守れなかった人の忘れ形見を守るのだと必要以上に気負っているのもあるのだろう。

 セイネリアは立ち上がると、いつも通りシグネットの頭を撫でて、それから軽くメルセンの頭にも手を置いてから城内へと歩いていく。

「お前達が強くなったら、ぜひ俺の相手をしてくれ」

 それに、うん、と元気いっぱいに答えたシグネットはいいとして、その後に聞こえたメルセンの少年らしい興奮した声にセイネリアは笑う。

「し、将軍様のお相手なんてっ、出来るまでにどどど、どれくらい掛かるかわかりませんっ」
「うん、しょーぐんつよいからねっ」
「陛下っ、将軍様といえばこの国っ、いえ世界一強い方ですっ」
「しょーぐんはさいきょーだってみないってるよね」
「ですからそれはあの方以上に強い方はいないという事ですっ」

 そのまま去ろうとしたセイネリアだが、最後に聞こえたシグネットの言葉に一瞬足を止め、そしてそこで自嘲する。

「でもね、レイリ―スもすっごいつよいんだよっ」




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 シグネットにとってセイネリアの次に強くて憧れなのはレイリース。
 



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