旅立ちと別れの歌




  【21】



 空は晴れ渡っていた。
 風は心地よく頬を撫ぜ、全身に光を感じてシーグルは背伸びをする。

「まだ兜を脱ぐには早いだろ」

 黒い兜を被ったままのセイネリアに言われて、シーグルは少しだけ唇を尖らせた。

「少しくらいいいだろ、どうせ人はこないし、くればお前は分かるんだし」

 ここはクリュースとアウグの国境の街、ウィズロンに近い草原の中。魔法使いの転送でここまで送ってもらった二人はこのあとウィズロンの総監督官をやっているラタの屋敷へ向かう事になっていた。そこでいろいろ準備をして、アウグへ行くのが最初の旅の予定だった。

 旅に出るならまず最初にアウグに行こうといったのはシーグルだった。

 前の時はあの国をちゃんと見る事は出来なかったし、クリュースとの国交を始めて変わったというアウグをちゃんと見てみたいと思ったのだ。アウグなら言葉はシーグルが分かるし、いくら冒険者制度が使えるようになったと言ってまだクリュースからの冒険者がくる事は少なく、あの広い国土内なら顔を見られても問題ない筈だった。それについでなら約束通り、レザ男爵にも顔を出しておきたいと思ったのもある。セイネリアはあまりそれにはいい顔をしなかったが、シーグルが行きたいと言ったのを反対はしなかった。
 そもそも彼は二人で出発の日を決めてからずっと、普段以上にやらたと機嫌がいい。
 更に実際こうして首都を旅立つ日になれば、出発前の待ち合わせで城壁に行った途端抱きしめられるわ人前で濃厚なキスをしてくるわと、なんだか浮かれすぎているのかテンションがおかしい。

 シーグルはその時の事を思い出してまた頬が赤くなった。
 特にフユの、『ボス、サカるなら今夜からいくらでもご自由にしていいスからもう少し我慢して下さい』には参ったと思い出す。
 その所為か、送り出す言葉は『それではお二人さんお幸せに〜』なんて揶揄われるし、セイネリアも調子に乗って抱き上げようとするしと思い出せば赤くなることしかない。

 だがそうして考え込んでいたシーグルは、唐突に後ろから抱きしめられて驚いた。
 しかも彼は自分もちゃっかり兜を外して、耳たぶを甘噛みしてくるのだからたまらない。

「おいっ、セイネリアっお前なぁっ」

 文句を言おうとすれば、やたら機嫌が良さそうな声が耳に直積囁いてくる。

「どうせ人はこないなら少しくらいはいいんだろ?」
「……いや、それでも二人して顔を晒して抱きついてるのは流石に……」
「人がこないなら、別にここで素顔だろうが裸だろうが、抱きついてようがそのままヤろうが問題はないな」

 さすがにそれには突っ込む以前に頭が痛くなって、シーグルは力なく呟いた。

「お願いだ、ここでいきなり始めようとするのだけは勘弁してくれ、今夜ちゃんとベッドの中でなら付き合うから」

 そうすればセイネリアはは返事をせず、その場で笑い始めた。

「セイネリア? ……って、おい待てっ」

 やっぱりこいつどこか浮かれすぎておかしい、と思ってシーグルが不審そうに名を呼んだと同時に、彼はこちらを抱きしめたまま軽く持ち上げて、そこからこちらを地面に倒して圧し掛かってきた。

「待てセイネリアっ、まさか本当にこのままやる気か?」

 大きな彼の身体の下でシーグルはもがいたが、さすがにこの状態で本気で捕まれば自力脱出は難しい。いくら浮かれすぎているといってもいきなり外でやるのはないだろうと思っていたが、なんだか今日のセイネリアは様子がおかしすぎて行動の予想が出来なかった。
 顔を見れば彼は嬉しそうに笑っていて、こちらに対して悪ふざけをするつもりはあってもまさか本気はないだろうと思って……それでもどうしても不気味すぎて身構えてしまう。

「シーグル」

 呟いて、彼の顔が下りてくる。
 これはキスだろうかと薄く目を閉じたシーグルは、彼の顔が少し逸れて耳元に顔を埋めたことで疑問を持つ……そして。

「全部お前のおかげだ。お前がいたから全てが始まった……有難う、シーグル」

 呟かれた言葉に目を開き、その後に続けられた彼の話に疑問の言葉を返すのを忘れた。

 ――それは、魔法ギルドから知らされた彼が黒の剣から救われる可能性の話。シーグルを通して多くのリパ信徒達に魔力が流れていき、いつか魔剣が力を失って彼が開放されるだろうというその報告についての話だった。

「お前を……救える、のか?」

 顔を離した彼ののその頬に手を伸ばせば、彼はそれを愛おし気に手で押さえて頬擦りして、本当に嬉しそうに返してくれた。

「あぁ、お前さえいれば、黒の剣に押し込められた魔力はいつか全て開放される。そうすればこの世界に魔力が戻る。魔法使い達の悲願も叶うからな、お前を守る為ならどれだけの協力も惜しまないと魔法ギルドも約束してきた」
「そうか……」

 よかった。

 最初は本当にそれだけで、それ以外何も思いつかなかった。
 けれどセイネリアが目を閉じて震える息を吐き出したから、それでシーグルも実感する。
 あぁ本当に彼を救う事が出来るのだと思えば、シーグルの顔にもゆっくり笑みが浮かんでくる。

「全部お前がいてくれたからだ。愛している……お前を愛したから俺は救われるんだ」

 そうしてもう一度顔をこちらの肩に埋めた彼は、そこで喉を震わせて笑う。けれどその笑い声は押し付けられたせいかくぐもって、それがまるで嗚咽のように聞こえたからシーグルは彼の体を下から抱きしめてやるとそのまま青い空を眺めた。

 空はどこまでも澄んでいて風は清々しい。
 ずっと兜を被って日の下で顔を晒すのも久しぶりだったから、なんだかやけにその感覚が心地よかった。
 心がこんなに心地よくて軽いのは、もう自分たちを縛るものはないのだというその感覚の所為だろうか。そうして、この絶望しかなかった最強の男の希望となれたというその喜びの所為だろうか。
 耳元で嗚咽のような声を上げて笑う男の髪に触れて、彼がよくやってくれるように指で梳いてみる。ただ彼の髪は首の後ろできっちり縛られているから指はどうしてもそこで止まってしまうのは仕方ない。

「……そういえば、そうしていつか剣の魔力が抜けるとして……それにはどれくらい掛かりそうなんだ?」

 それはふとした疑問で、それが自分たちの旅する期間だと思ったから聞いたのだが。

「あぁ……魔法使いの計算だと、ほんの2,3百年程度というところだそうだ」
「そうか2,3……って、まてっ」

 セイネリアが顔を上げる、人にいつも恐れられていた琥珀の瞳が楽しそうに細められている。

「この俺をたびたび二年も三年も待たせていたんだ、それくらいは付き合え」
「二年三年と、二百年三百年は違い過ぎるだろ。お前とそんなに長く付き合う事になるのか……」

 シーグルの声が明らかにうんざりとしているのに対し、セイネリアの声はどこまでも楽しそうだった。

「いつまで続くか分からない永遠と比べれば短いものだろ。それに嫌になったら逃げてもいいぞ、ただその場合は魔法使い共に守って貰えよ。……安心しろ、やつらはお前が死ぬのだけは絶対に阻止しようとするが、俺の傍に置く事にはこだわってない。お前が俺から逃げたいといえば手伝ってくれるだろうよ」

 それを真顔で言う彼には呆れてしまって、シーグルは眉を寄せて彼に聞く。

「逃がしてくれる気なのか、お前」

 そうすればセイネリアは彼らしく口角を吊り上げて、やたらと偉そうに言った。

「勿論、そうしたら俺はお前を追いかけるさ。追いかけて、捕まえて、お前に傍にいてくれとそのためなら何でもしてやる」

 偉そうにそんな事をいう彼にシーグルは最初呆れて、それから吹き出して笑った。

「なんだそれは。自信があるのか情けないのかよく分からないぞ」
「まぁな。お前に関しては俺は自信がないといつも言っているじゃないか」
「その割りには偉そうなところがな」
「それが俺らしいだろ?」

 くすくすと二人して顔を見合わせて笑い会えば、セイネリアは額にキスをしてくる。それから、何度も何度も聞いた、そしてこれからも呆れるくらい言ってくれるだろう言葉を口にした。

「愛してる、シーグル」

 呟いて、今度は目を閉じて近づいてくる彼の顔に、シーグルも目を閉じながら呟いた。

「あぁ……俺も……」

 愛してる、という言葉を言い切る前に唇は彼に塞がれてしまったが、それはそれで構わないかとシーグルは思う。どうせこれからいくらでも言える、いくらでも時間はあるし、少しくらい言うのを勿体ぶってやった方が彼も言う事を聞いてくれるかもしれない。そんな事を考えればキスしながらも楽しくなってしまって、口元は自然と笑ってしまう。

 飽きる事なく唇を求めてくる彼を感じて、心地よい風と、草原の草たちが揺れる風景の中、シーグルは笑いながら、自分勝手で偉そうで、自信家なくせに自信がないという、この面倒で愛しい最強の男の頭を抱いた。



END.



---------------------------------------------


 この後まだ長いエピローグがありますが、ともかく長ーいこのお話もこれで完結です。
 ここまでずっと読んでくださってありがとうございます。



Back  

Menu   Top