夕暮れと夜の間の闇




  【7】



 来たか。
 森全体に感じる他人の魔法の気配に、魔法使いは術から意識を引き上げて自分に術をかけていてくれていた者を止めると、そこに集まる仲間達に告げた。

「どうやらギルドの連中が来たらしい、ならば予定通り皆は逃げてくれないか」

 途端、その場にいた他の魔法使い達は立ち上がって、一人座ったままの魔法使いに頭を下げる。

「あとは頼む」
「幸運を」

 口々に呟いては姿を消していく仲間達がその場からすべていなくなると、魔法使いもまた立ち上がって術を唱えた。程なくして、洞窟のような場所から彼の居場所は森の中へと移る。

――まったく、役たたずめ。

 辺りで騒ぐアウグ兵達に向けて彼は僅かに眉を寄せた。さっさと彼らが始末していれば自分が出てこないで済んだのに、と。とはいえ魔法使いも、もとからそこまで彼らに期待していた訳ではなかった。ただ、ここまでお膳立てしてやったのに始末出来ない馬鹿者達に呆れただけだ。
 魔法使いはもうすっかり暗い森の中でじっとある方向――正確にはそこにある大木を見つめると、腕を上げてまずは杖の先で触れた。ギルドに捕まった段階で杖を破壊されてしまった為急ごしらえの杖は小さく、呪文は一つしか入っていない。ただし、その一つは杖無しでは使うのがまず困難というくらい手順の多い面倒なもので、彼だけしか使えない特殊な魔法だった。元から空間魔法使いとしては大して魔力が高い訳でもない彼が、その少ない魔力でも大きな効果を出せるように工夫を凝らして作り上げた魔法である。
 だから本音を言えば、この術で決着をつけたかったという思いもあった。

 魔法使いは杖で木の表面へ丸い輪を描き、呪文を唱えると木に手を当てた。直後に響くばりばりと木を裂く音と共に、魔法使いの触れていた木は倒れていく。
 唯一彼だけが使える魔法、空間の断層を作ってどんなものでも引き裂く能力。対象の強度や重さに関わらず引き裂けるこの術の唯一の欠点は彼自身が触れなくてはならない事だった。ただし、引き裂く対象が同じものならそれ同士が触れる事で術を伝えていく事が出来る。つまり、引き裂かれて倒れた木が別の木に触れればその木も引き裂かれて倒れ、更にその木が触れた木もまた術を伝えて倒れ行く。

 時間は掛かるが、気づいた時には逃げ道はないだろう。
 倒れていく木のその方向、ずっと先では、今まさにシーグルがアウグ兵と戦っていた。







 何かが起こっている。
 そうシーグルが気づいたのは、森の方で騒ぎが起こっているらしい音が聞こえた事と、それ以後次の敵が現れなくなったからであった。とはいえ、それで助かったと言える程の状況でもない。
 現在、シーグルが相手にしている敵は五人。しかも我先にと手柄を焦る蛮族達のような馬鹿ではなく、ちゃんと訓練と実践を重ねている戦い慣れしたアウグ兵だ。味方同士で連携をとってじわじわとこちらを追い詰めようとしてくるそのやり方に、シーグルはなかなか相手を減らせずにいた。
 ちなみにここに来て彼らを間近で見る事になってから、シーグルは彼らの右腕にぐるぐる巻きにされている布と、それに十字と丸が重なったような印が描かれていいるのに気付いていた。その特徴はレザから聞いた事がある――アウグの国教であるデラ教の神殿兵だ。確かにデラ神殿側がクリュースとの国交を許さず今回の式典を潰そうとしてきたというのは分かる話だが、それにしてもその為に魔法使いを許せない神殿が魔法使いと手を組むとはあまりにも馬鹿げた話だ。

――いや、魔法使いと知らず手を組んだと考えた方が妥当か。

 じり、じり、と左右から少しづつ間を詰めてくる五人の敵全てにシーグルは意識を集中する。その中の一人の気配が乱れてこちらに斬りかかってくるのに気付けば、即シーグルは反応してそちら側に踏み込んだ。だが、それとほぼ同時か一呼吸程遅れたタイミングで反対側にいた敵もまた突っこんでくる。ただしシーグルが反応して踏み込む速さは相手の予想を大きく上回っていたようで、向うが剣が当たると思っていた距離より早くシーグルはその目前まで迫って相手の剣を弾いた。そこから即座に振り返ったシーグルは、剣を受けた隙を狙おうと迫っていた敵の、腕を振り上げた所為で間抜けにも空いた腹に剣を伸ばす。

――あと、四人。

 後続が来そうにないのなら、ここで『光』の術を使って一気に倒すか、ともシーグルは考えた。ただしそれをすれば敵に自分の居所を知らせる事にもなる、どうしても処理しきれない人数の敵が来た時でもなければ使うデメリットの方が大きい。それに一番の問題として、ここからまたシグネットを抱えて走るのは厳しいと言わざる得なかった。それこそ確実に逃れるなら、運を天にまかせてシグネットを抱えて川に飛び込むしかないだろう。だが当然それは本当に最後の手段である。
 ……もし、ここで敵に起こっている異変の理由をシーグルが知っていたなら、来ている味方に居場所を知らせる為にも術を使うのはありだと考えたかもしれなかった。だが知る由もないシーグルにとっては、やはり術を使った場合の危険の方が致命的だと思えた。
 息を整え、一度また引いた敵に向き直る。
 構えを取る一瞬くらいは呼吸を落ち着かせられても、それがずっと続く訳もない。既に肩で息をしている為剣先がぴたりと止められず、敵を睨んでいても視界が僅かに呼吸に合わせて上下する。
 それを見てこちらの限界がそろそろだと思ったのか、残った敵は今度は互いに合図を送ってから一斉に向かってきた。
 シーグルはそれぞれが向かってくる僅かな差を見極めて、一番遅くこちらへ届くだろう相手に向かって走った。そこから相手の剣を避けてその後ろに回り込めば、他の敵の剣がその相手に向かう。

「うわぁぁっ」

 盾替わりにした男に、止めきれなかった者の剣が刺さる。腹を押さえて身を屈めたその男の後ろから飛び出し、慌てている敵の一人をシーグルは刺そうとした……がそこで足がもつれて膝をつき、剣は相手に届かなかった。

――まずいな、流石に足にきたか。

 シーグルの予想以上にもたなかったのは鎧の重さ分か。いくら大分慣れたとはいえ実践でこの格好での本気の限界までは動いた事がなかった。魔法鍛冶の鎧のままなら恐らくまだ持っただろうが――と考えながらも、ないものに対して仮定する事に意味などないと自嘲する。もっと良い道具であれば、なんていうのはただの甘えだ。
 それでもすぐに立ち上がって一度距離を取り、シーグルは敵に向き直った。

 だが――そこで敵の後ろに唐突に表れた黒い影を見た途端、シーグルは張り詰めていた緊張の糸が緩んで思わず全身から力が抜けていくのが分かった。

「があぁっ」

 後ろから一瞬でなぎ倒された男の悲鳴に、残った二人は驚いて飛び退く。そこに現れた漆黒を纏った騎士の姿に、シーグルは荒い息をつきながらも思わず笑みが湧いて、剣を地面に刺してそれに体重を預けながら崩れるように膝をついた。

「しょーぐんっ」

 シグネットが叫んで駆け寄ろうとするのが見える。それを制して少し待てと言われれば、少年は立ち止まってからシーグルの方に駆け寄ってくる。

「れいりぃ、だいじょうぶ? だいじょうぶ?」

 一度気を緩めてしまえば疲労に一気に潰されて、声を返す事が出来ずにシーグルはその場で膝をついたままただ荒い息を吐く。それでもどうにか顔を上げて、一言だけでもと思ったシーグルはそこで遠い地響きのような音に気付いた。しかもそれはよく聞けばゆっくり、だんだんとこちらへと近づいてきているように思えた。
 セイネリアもそれには気付いたらしく、彼は剣から右手を離し突然空に向かって上げた。程なくしてその手の中に黒い剣が現れると、彼は左手で持っていた剣の方を捨てる。そうして黒い剣を抜き、鞘を投げ捨てたセイネリアだったが、彼が剣を構えた方向を見てシーグルは焦って叫んだ。

「だめだセイネリアっ、まだが森にはアウドがいるっ」

 今ではシーグルも音から何が起こっているかを大方理解していた。どうしているのか分らないが、木が倒れてきているのだ……おそらくは何本もの木が。地響きだけでなく、先ほどからはメキメキと木の割れる音もセットになって聞こえてきている。だんだんと、音が近くなっているのも分かる。
 それを纏めて吹き飛ばすつもりでセイネリアは黒の剣を呼んだのだろう。
 だが、森ごと吹き飛ばせばまだそこにアウドがいる可能性が高い。黒の剣の威力が分っているシーグルとしてはセイネリアがその力を放てばどれだけの破壊を起こすか想像出来る。確実に、森にいる者は助からない。

 シーグルの声が届いたのか、セイネリアはそこで黒の剣を振ったもののその方向を修正した。

 目の前の敵ごと森全体を吹き飛ばそうとした剣を上に向けて横に薙ぐよう振りぬき、森の上方だけを吹き飛ばす。記憶にある凄まじい風と、魔力が弾けるような音が響いて思わず目を細めたシーグルだったが、その魔力が去った後、吹き飛ばされているのが森の上方だけで下方にまで力が及んでいないのを見る事が出来た。ヴネービクデの時より威力も抑えられているようだとも思う。
 だがそれで一度安堵した直後、シーグルは近くで木が割れる一際高い音を聞いた。それからふと上を見あげ、満月に近い明るい夜空をさえぎって近づいてくる黒い影をその目に映した。
 咄嗟に、傍にいたシグネットを庇うようにシーグルは抱きしめる。
 後は必死に盾の呪文を唱える。間に合うかどうかは分からない、防ぎきれるのかもわからない。だが今出来るのはそれくらいしかなかった。
 だが、衝撃は来なかった。
 ただドン、ドン、と落ちた音と振動だけは鈍く響いて何度も耳に届いた。それでも思っていた直接の衝撃は来なくて、ぎゅっと身を固くしてシグネットを抱きしめていたシーグルは、音が止まってからおそるおそる目を開いた。傍には倒れている数本の木、ならば運よく木はすべて逸れたのかと安堵する。だが地面に映る影に気付いてそうっと顔を上げてみれば。

「セイ、ネリア……」

 目の前にあったのは、黒い壁のように立つ黒い騎士の姿。
 彼はその肩に大木を受け止めていた。剣で吹き飛ばしたせいで上半分がなくなっていたとはいえ相当に重いだろうその大木を、肩に担いで止めた状態で立っていた。
 それでシーグルは状況を察する。おそらく、倒れてきた木をセイネリアが逸らしてくれて、間に合わなかった一本は彼自身が受け止めたのだろう、と。





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 シーグルさんの困ったところ……咄嗟につい人を庇う。まぁ息子じゃ仕方ないですが。
 



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