世界の鼓動と心の希望




  【プロローグ】



 その部屋は丸く、天井は高く、けれども部屋の中に出入り口と思われる扉は見当たらなかった。
 ランプ台は部屋の4箇所、高い天井に近い場所に置かれていて、青白い魔法粉による熱のない炎が、台の仕掛けで更に明るく部屋を照らしていた。ただ、台による光の増量は最小限に抑えられているらしく、部屋はどちらかといえば薄暗く、そこにいる者達の顔は少し離れれば肉眼では相当に見難い。もっとも、何も見難いのは明かりの所為だけでもなく、参加者の大抵が頭からフードをすっぽりと被り、フードの影で目元が見えないというのもあったが。

 ここは魔法都市クストノーム、地下の会議室。
 丸い部屋には、壁に背を付ける形で一定間隔に椅子が並んでいる。椅子によって丸く囲まれた中央には発言者の為の場所だけあって、部屋の隅よりも明るく照らされるようになっていた。
 現在、その中央には一人、大きな杖を持った老人が立っていた。

「ソラスティアV世も、もう、さほどもたない。王の交代は時間の問題だろう」

 男が言えば、ざわり、と部屋の空気が揺れる。
 部屋の隅に並べられた椅子は、空きがあるものの殆どは人が座っていて、彼らは思い思いに現状に対しての感想を呟いている。

「現状、次期国王候補はウォールト王子とグスターク王子に絞られる訳だが……皆も知っている通り、ヴィド卿が死んだ時点でウォールト王子派はほぼ消滅したに近い。事実上、グスターク王子に決まっている、と言っていいだろう」

 中央に立つ男は、この場においての最年長者であり、だからこそ議論のまとめ役でもあった。

「グスターク王子というのはどんな人物だ?」
「王として交渉の余地があるだけの人物なのか?」
「いや、別に頭はよくなくてもいい、単に現状維持を大人しく引き継げる人物であれば……」

 口々に出る発言を暫く聞いてから、中央の老人は杖を一度上げ、それから落として、ドンと大きな音を鳴らす。それで好き勝手にしゃべっていた者達の声がぴたりと止み、部屋にはまた静寂が訪れた。

「知っての通り、我々の予定では次期王はウォールト王子の筈であった。彼は気が弱いものの現状維持をするには十分な資質を持っていて、魔法学校に通ってもいた為、魔法使いに対する理解もあった」

 それに対して、そうだ、という声がまばらに聞こえてくる。

「対して、グスターク王子だが、彼は本来なら候補3人の中でも一番後ろ盾が弱く、実際は王になる筈がないと言われていた人物だ。ただ、そんな立場でも生き残ってきただけあって、かなり用心深く、疑り深い。我々にとっては、あまり好ましくない人物だと言えるだろう」

 部屋の中がざわつく、各自が不安を口に出す。
 実際、彼らにとっては、現状は非常に困った状況と言えた。グスターク王子は幼少の内に母親を暗殺され、後ろ立ての貴族もあまり力がなかったため、生き残る為にひたすら回りの者を疑うように教育されていたという人物だった。本人も、まさか本当に王になれるとは思っていなかったろうに、回りが勝手に潰れて王位が転がり込む事になってしまった。
 彼の育った状況的に、王になれば、彼の疑り深さは更に悪化するのは目に見えている事で、そんな人物が、魔法使いなどという胡散臭い連中を大人しく認めていてくれるかは甚だ疑問である。いや、利用する為に認めたとしても、いつまた手の平を返してくるか分からない。

「かといって、グスターク王子を亡き者としたとしても……その下のランクに候補者を落とせば、数がい過ぎて国が荒れる可能性が高い」
「嫡子以下になれば、各旧貴族の当主まで候補に入ってきますからね……ほぼ確実に内乱が起こるでしょう」
「まったく建国王は、面倒な法を作ったものだ」

 各自の不安を一通り言わせて、それをじっと目を閉じて聞いていた中央の老人は、目を開くと同時に再び杖で床を叩くと、不安そうに見つめてくる他の者達の顔を見まわした。

「ここはやはり、あの男が王になるべきだと私は思う」

 老人の通る声が力強くそういえば、不安そうであった他の者達の表情が幾分か安堵したように見えた。

「初代クリュース王と誓約を交わしてから約200年、彼は自分の血筋が王になる事には拘ってはいなかった。だからこそ、旧貴族に王族と然程変わらない継承権を与えてきたのだ。我々が彼と約束したのは国を守り、平和で良き姿でいる為に協力する事のみ。彼が残した血筋ではなくとも、『王になるべき者』を王につける事は誓約を破る事にはなるまい」

 それには次々と賛同の声が上がる。
 一部では拍手さえする者もいる。
 だが、顔を高揚させる者達の中、不安そうに回りを見まわす男が一人、手を挙げて、怯えるように発言をした。

「だが、あの男はずっとその話を断り続けている。我々の協力も、王になる事にも、あの男は何の興味も示さなかったではないか」

 歓喜の声を上げていた者達が、それで一斉に静まりかえる。
 男がいった言葉は、彼らもまた、分かっている事ではあるのだ。
 だが、中央に立つ老人は、また杖で床を叩き、歳を経た分のその威厳に相応しい声で、笑みを浮かべて発言者へと返した。

「なに、あの男が、王にならなければならない状況になればいい。なにせそもそも、こんな事態になったのもあの男が原因だ、責任をとって貰おうではないか」

 老人の発言を肯定しながらも、だが皆は口々に不安そうに呟いた。なら、どうするのだ、と。
 老人の口元が更に歪み、喉さえ震わせて彼は笑う。
 そして。

「確かに、剣を手に入れた当初なら、あの男に付け入る部分は隙間もなかった。だが……今のあの男には、致命的な弱みがあるではないか」








「シーグルです、入ります」

 部屋の主の趣向でいつでも少し暗い部屋の中、久しぶりに会う祖父に向けて、シーグルは頭を下げる。

「ふむ、顔色がいいな、セニエティでの生活は性に合っているようだな」
「はい」

 正確には、それは兄のお蔭である、とシーグルは付け加えたくなったが、祖父は兄の名を出すと機嫌を損ねる事があるため、余計な言葉はつけられない。

「騎士団での生活はどうだ?」
「良い部下に恵まれて、日々充実した時間を過ごしております」
「それは何より。だが、騎士団全体としてはどうだ? 現在は不甲斐ない貴族騎士ばかりで規律も乱れ、ろくでもない状況と聞くが?」
「それは……否定は出来ません。貴族騎士の大半は、訓練にも出ずに自室で怠け、上層部は決まった予定を読み上げるだけという状況です」
「……噂通り酷いものだ」
「はい、国境周辺で戦闘を続けている者達に申し訳ない思いです」

 シーグルの祖父、現シルバスピナ卿は、それで思うところがあったのか、静かに目を閉じて考え込む。シーグルは無言で、祖父の次の言葉を待っていた。

「時に、来月、樹海の調査に行く事になったそうだな」

 唐突な話題は、だがもともと今日来たついでに報告するつもりだった内容の為、シーグルとしては都合がいい。

「はい、上質の魔法石の鉱脈がが見つかったという事で、その確認と調査に行く事になりました」
「確か、お前の誕生日も来月だったな。今年で21か」
「はい」

 その質問が示す意味から、シーグルの声は僅かに緊張を帯びる。

「なら今年こそ、その調査から帰ってきたところで、お前にシルバスピナの家を渡そう」

 さらりと、いつも厳しい祖父にしてはあまりにも軽い口調で言われたその言葉に、シーグルは表情を一瞬強張らせた。だが、何時言われるかと覚悟してはいたため、それに動揺を見せる事はしない。

 シーグルが成人を迎えたのは去年の事であった。
 ただし、それで即座に当主の座を継がせる気は、祖父には最初からなかったらしい。元々シーグルは、二十歳で騎士団に入る事になっていた為、騎士団での状況が一段落してからというのがその理由であったそうだ。だが、本来は早く継がせたかったらしく、『お前が19で騎士団に入るのなら、成人と同時に継がせたのに』と去年の誕生日に愚痴のようにシーグルは祖父に言われていた。
 だからこそ、祖父側の準備が出来れば何時言われてもおかしくないと分かっていた為、シーグルの心の準備は出来てはいた。
 とはいえ、それに続く言葉には、僅かに返事に驚きの色が入る。

「それと同時に婚約だな。相手はこの中から選べ」
「選べ、ですか?」

 家を継ぐ段階で、婚約についても言われるとは思っていた為、それ自体はシーグルとしても驚くべき事ではなかった。ただ、婚約者は祖父が勝手に決めるものだと思っていた分、選べ、と言われた事がかなり意外であったのだ。
 シルバスピナ卿が傍に控えている使用人に合図をすれば、使用人は恭しく3つの包みを持ってシーグルの傍にやってくる。

「まず最初は、ヴァネッタ・ラン・フォーリ嬢。西ディタル地方にあるローデナ・アルの一帯の領主、アル・フォーリ卿の次女だ。歳はお前の2つ下、貴族院主催のパーティであっている筈だ、覚えがあるか?」
「はい」

 使用人は、シルバスピナ卿の説明に合わせて包みを開け、掌程のサイズの女性の肖像画をシーグルに渡した。つまり、最初に渡されたこの肖像画に描かれた人物がヴァネッタ嬢なのだろう。確かに彼女は、前に行われたパーティで踊った覚えがシーグルにはあった。

「次が、ネーヤ・ナ・サラヤ・バン嬢。お前より3つ上だな。元ファサンとの国境地帯になるシシア地方の領主であるバン家の長女だ。勿論、長女とは言っても跡継ぎではない。ただ場所柄、バン家も代々騎士らしい気質を残した家で、彼女も騎士だという事だ」

 次に渡されたネーヤ嬢の肖像画には、確かに言われた通り、気の強そうな顔をした甲冑を着た女性が描かれていた。女性ながら騎士になっているのであれば、話は合わせやすいだろうかとシーグルは思う。
 渡された肖像画の人物は二人とも銀髪で、跡取りとして銀髪の子供が欲しいという祖父の狙いがすぐに分かる。だから次に渡された肖像画の女性も勿論銀髪で、中々豪奢なドレスを着た気の強そうな顔をシーグルは見つめる。
 だが、その肖像画を見ていたシーグルは、そこに描かれている女性の姿に、何故か妙な違和感を覚えた。しかも、見覚えはあると感じながらも、それが何処であったかまで思い出せないという、シーグルとしては珍しい事態であった。

「最後の彼女だが――……」

 その名を聞いて、シーグルの表情が凍り付いた。







 穏やかな緑がかった青い海と、どこまでも澄んだ青い空を眺めて、黒一色で身を固めた長身の男は、自嘲らしい笑みを唇に浮かべる。

「どうだい、ここからの眺めはいいものだろ」

 近づいてきた男を振り向く事なく、セイネリアはただ、鮮やかな青で彩られた風景を見ていた。

「眺めはいいが……良すぎて、俺がここにいるのに酷く違和感を感じるな」

 返せば、男は大口を開けて豪快に笑った。

「確かに、あんたにこの風景は似合わないな」

 笑いながら、バルコニーのセイネリアより少し離れた位置によりかかった男は、ここアッシセグの街の現領主である、ネデ・クード・カテリヤだった。彼は笑いながらも手に持っていたグラスを呷ると、さも美味そうにごっごっと喉を鳴らして中身を飲んだ。それから腕で口を拭い、大口でぷはーと息を吐くと、空を見上げてまた口を開いた。

「それでも、もうここに来て2年も経つんだ、今更あんたがそんな事言うとは思わなかったな」

 浅黒い肌に生命力に溢れた黒い瞳、前髪は撫で付けてはいるものの不揃いな長さの赤茶色の髪の毛。貴族というにはどう贔屓めに見ても上品さとは縁遠そうな彼の風貌には理由がある。彼の生まれはここよりももう少し南へと下った樹海に近い村で、領主が一時期、樹海調査へと通っていた頃に恋仲であった女が一人で生んで一人で育て、ずっと領主自身その存在を知らなかったという事情があった。
 二十歳になって初めて自分の父親を聞いた彼はこの町へやってきた訳だが、丁度子に恵まれず、諦めて養子を取っていた領主は大喜びで彼を跡継ぎにしたのだった。

「お前も最近までは、母親に森が恋しいと手紙を書いていたんだろ?」
「……なんでそんな事をしってるんだ?」
「この間、ザラに行かせた者が、お前の母親に直接聞いた」

 照れ隠しにか、残っている酒を飲み干そうとしていた彼は、それで急に咳き込んだ。

「……てぇ……何時の間に?」

 セイネリアは喉を揺らして笑う。それに肩を竦めた後、ネデも彼らしく豪快に笑う。
 二人とも、互いに顔を合わせないながらも、笑い合う。

 セイネリアがネデと知り合ったのは、まだ騎士になる前、樹海に行く仕事を請け負った時の事だ。ネデは樹海に行く人間のガイドを仕事としていて、雇い主が彼を雇った。勿論、樹海は未だ未知の場所が多く、ガイドといっても樹海のすべてを熟知しているとは言えなかったものの、それでも彼は樹海に慣れている分、相当に役に立った。
 だからその後、セイネリアは樹海にいく度に彼に声を掛けたし、知り合いや部下にも、樹海に行けばまず彼に樹海の様子を聞いていくように言っていた。
 とはいえ、彼はセイネリアにとっては、あくまで『役に立つ人物』という認識だけで、別に友人だと思った事は一度もなかった。だが、商売柄社交的すぎるネデの方は、セイネリアを怖がる事もなく、すっかり友人のつもりでいたらしい。領主になった後、どうやら首都でのセイネリアの噂を聞いたらしく、何かあったらこっちに引っ越してこいと、何度も手紙を寄越してくるようになった。
 セイネリアはずっとそれを適当に流していたのだが、一度首都を離れるべきだとの判断をした後、首都から遠いアッシセグは都合がいいかとここへくる事を決めたのだった。
 ただ、来てみて思ったのは、ここの明るい日差しと温暖な気候の、穏やかで鮮やかな風景が余りにも自分に似合っていないという事で、正直それには今でも慣れないとセイネリアは思う。傭兵団の連中も、セイネリアに倣って黒い服装をしている者が多い為、街に出ると悪目立ちをして当初は困った。それでも今では、街の人間も慣れたし、特にこちらも問題を起こした事もない為、奇異の目で見られる事はなくなった。更に言うと、黒の剣傭兵団がここに来てから、他所から来て問題を起こす連中や、周辺の盗賊の被害が激減したというのもあって、今では傭兵団に対する街人の目は概ね好意的であった。

「まぁ、あんたのとこには、いろいろ便利な能力持ちもいるし、隠密行動が得意な連中も多いからな。こっちが知らなくても不思議はないか」
「それでも最近、お前のところでもそっち方面の連中を増やしたんだろ」
「あぁ、なにやら随分首都の方から不穏な話が入ってくるからな。ただまぁ、ウチの連中はどうにも首都じゃ勝手が分からなくてだめでな、だから今回の条件って訳だ」
「成程」
 
 セイネリアは口元だけで僅かに笑う。ただ、それが多分に自嘲を含んでいるという事は、ネデには分からない。

「と言うか、まさかあんたから頼み事なんかされるとは夢にも思わなかったがな。あんたは人に貸しを作るのが嫌いだったろう」
「……そうだな」

 セイネリアはネデの顔を見ない。ネデもセイネリアに向けて話してはいても、特に顔を見ようとしてくる事もない。彼は樹海のガイド時代から、仕事相手の事情には必要以上に聞かない、関わらないというスタンスを取っていた。彼について、セイネリアが気に入っているところはそいうところで、だからこそ今回の話を持ちかける気にもなった。
 それに……。

「まぁ俺としては嬉しかったがね。あんたのとことは是非イイ関係を築いておきたいと思ってるからな。あんたって存在は不気味な部分もあるが、約束は守ってくれるし嘘は言わないから信用は出来る。戦力的には申し分ないしな、味方に出来るならこれ以上心強い相手はいない」

 セイネリアは、それにはわざと馬鹿にしたように鼻で笑ってやる。

「そうだな、俺もお前は嘘を言わないところが気に入っている。何か企もうとしても、正直すぎて絶対に自分からバラすようなところもな」
「あぁそうさ、俺には腹芸は無理だ。だからあんたと組みたいってのがあるんだがな」

 ネデの性格は分かりやすく、だからこそ『彼』に対してもきっと好意を持つだろう事は予想出来た。何かあれば、『彼』の為に動いてくれるだろう事まで予想出来るからこそ……セイネリアは今回ネデにこの話を持ち掛けたのだ。

「首都の方じゃ何企んでるのか分からないが、今回の件に関しては俺は連中に礼を言っとくべきだな。おかげであんたの大事なシーグルって存在に会う事が出来て、あんたに貸しを作ることが出来る」
「言ってろ」

 セイネリアは青く明るいアッシセグの風景を見つめる。シーグルならば、さぞ、この白と青の風景が似合うだろうと思いながら、もうすぐ彼に会えるのだと思えば、それだけで胸が痛む程に感情が昂ぶるのを抑えられない。

――あいつは怒るだろうがな。

 自嘲に唇を歪ませたセイネリアは、だが、彼を知るものなら驚くに違いない、柔らかい、本心から嬉しそうな笑みをその直後に浮かべた。





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続編のプロローグです。
今回の話の軸になる部分をなんとなく感じ取れましたでしょうか。



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