微笑みとぬくもりを交わして




  【6】



「れいりぃ、もうだいじょうぶ?」

 子供部屋に入った途端、今回は走り寄ってきたものの飛びつかずに足を止めたシグネットは、そう言って心配そうにシーグルを見あげてきた。

「はい、陛下にはご心配をお掛けしてまことに申し訳ございませんでした、もう体の方は大丈夫ですのでご安心下さい」

 跪いてそう答えれば、シグネットは少し唇を尖らせて顔をぶんぶんと横に振る。

「れいりぃはわるくないの、おれがわるいの」

 しゅんとして自分を気遣ってくれる我が子が愛しくて、シーグルはもう少しで伸びそうになった手をぎゅっと握り締めた。

「まぁ病み上がりの人間に飛びついたり抱き上げてもらったからな、ちょっとはしゃぎすぎたって反省してるんだよ」

 そこでウィアがやってきてシグネットの頭を撫でれば、幼い国王はウィアの神官服の裾を握ってぺこりと頭を下げた。

「ごめんね、れぃりぃ」

 それには本当に泣きそうになってしまって、シーグルはぐっと耐えて息を整えてから膝跪いた体勢のままで答えた。

「あまりにも勿体ないお言葉です、どうかご自分を責めないでくださいませ。今回は私が自分の体調を見誤った事が原因です、陛下がお気になさる事ではありません。自己管理を怠った私がすべて悪いのです」

 どうにか声が震えないようにしてそれだけを告げれば、セイネリアの手がシーグルの兜を軽く小突いてきた。

「子供にそんな事いっても難しくて分らんぞ。いいかシグネット、この間のことはレイリースがちょっと無理をしすぎたせいだからお前が気にすることはない。ただレイリースはそれでお前に悪い事をしてしまったと思っているからな、お前がレイリースを許してやればそれでいい話だ」
「おれが、ゆるせばいいの?」
「そうだ、許す、と言ってやればいい」

 そうすればシグネットはシーグルに向かって神妙な面持ちで、許す、と元気よく言って周りの者達を笑顔にする。

「良く出来たな、謝れる事、許せる事はいい王の条件だ。きっとお前の母上も喜ぶだろう」

 セイネリアがそういって抱き上げれば、シグネットは満面の笑顔で嬉しそうに足だけをパタパタと動かす。それからセイネリアにもう立つように言われて、やっとシーグルもずっと跪いていた姿勢から立ちあがった。

「ちちうぇもよろこぶ? ほめてくれる?」

 セイネリアのマントをいつも通りぎゅっと握り締めてシグネットが言えば、セイネリアもこの子供以外にはシーグルにしか見せない優しい笑顔で答える。

「あぁ、きっとお前の父上もお前がいい子に育ったと喜んでる」

 撫でられれば嬉しそうに王とはいえまだ幼い少年は笑う。けれど護衛官達からはすすり泣きの声さえ聞こえてきて、それにつられて泣かないようにシーグルは相当の努力をしなければならなかった。

「シグネット、今日こそはもうこいつは大丈夫だからな、ちゃんと大きくなったのを確認してもらえ」
「うんっ」

 そう言ってセイネリアが手を出すようにいってくる。期待一杯でこちらを見てくる我が子と目が合えば自然とシーグルは手を伸ばしていて、腕に与えられたしっかりした子供の体重を確かめながら抱き上げた。

「ねぇ、れぃりぃ、おれおっきくなったー?」
「はい、本当に……また、陛下は大きくなられました」
「はやくけんがつかえるように、またすぐおっきくなるからね」
「はい……楽しみにしております」

 笑う我が子の顔が近い。あまりに愛しいのその顔に、シーグルはついキスしてしまいたくなる。幸いな事に登城時は口元まで覆っている為行動に起こしてしまう事はなかったが、それでも暫く黙ってシグネットの顔をただ見つめていた所為で子供の顔が疑問を浮かべた。

「れぃりぃ?」

 それで自覚した途端、どう返せばいいかと悩んだシーグルだったが、そこでウィアから声が掛かる。

「よーしシグネットいい事を教えてやろー。レイリースはなぁ、だいたい父上と同じくらいの背なんだぞー、だからその高さが父上に抱いて貰った時の高さだぞー」

 そうすれば子供はシーグルではなく、その高さとそこから見える風景を確認するかのようにぐるりと周りを見渡す。小さな、澄んだ青い目が、まるで初めてのものを見るように見開かれて辺りを見つめる。
 そうして一通り周りを見つめたシグネットは、最後にシーグルの方を向いてキョトンとした顔で聞いて来た。

「ほんと?」
「はい」

 子供の顔が満面の笑顔にかわる。その顔のまままた辺りをきょろきょろと見渡す我が子を、シーグルは兜の下で目を細めて見つめていた。







 将軍府に帰って、当然のように用意されていた昼食のセッティングにはもう文句を言う気力もなくなっていたものの、正面でセイネリアの食事を見てふざけ合っていればなんだかシーグルも彼につられていつも以上に食べてしまう。それは自分にとっては確実にいい事ではあるのだが、慣れない量を食べるとその後に腹一杯過ぎて動きたくなくなるのは問題だった。

「さて、俺はこの後カカーナ地区の工事を見に行ってくるが、お前は来なくていいぞ」
「何故だ? 別に体調は問題ないが」

 セニエティでは、西区や下区を当然のように蔑称として使う者が多い事から、新政府は西の下区の改革と共にもっと地区を細分化してそれぞれに名前を付ける計画を進めていた。カカーナ地区は前で言えば東の下区の方で、ここには古くて誰も住んでいない住宅がかなり残っていた為それらを取り壊す工事が現在行われていた。

「お前には後で客人がくる事になっている。……別に腹が一杯で動きたくなさそうだから仕事から外した、という訳ではないからな」

 それを笑って言われれば思わず少し顔が赤くなるが、客人、という言葉には疑問が残る。なにせシーグルを訪ねてくる人物でセイネリアが傍についていなくてもいいというなら確実にそれはレイリース・リッパーの正体を知っている人物で、それでこの将軍府の外から来る人間と言えば思い切り数が絞られる。というかシーグルとしては魔法使い以外は思いつかなかった。

 だが、実際その人物が客室に入って来てすぐ、シーグルはセイネリアがわざわざ名前を告げずにいったのと、自分がいなくてもいいと判断したその理由を理解した。

「レイリース、客人を連れてきたぞ」

 そう言ってあまり機嫌が良くなさそうに部屋に入って来たのはエルで、将軍補佐である彼がわざわざ連れてくるなんて一体どんな要人なのかと思ったシーグルは……その姿を見て思わず笑ってしまった。

「お久しぶりですレザ男爵、その人物はもしかして貴方のご子息でしょうか?」

 彼と彼の副官である人物の姿まではいいとして、見慣れない若い兵士がついていたのを見てシーグルはそう聞いてみる。なにせ青年はただの一般兵というには装備がそれなりに立派で、どことなくレザに似ている気もしたからだ。そうすれば満面の笑みを浮かべたレザが、少し姿勢を正して息子を自分の横に立たせた。

「おう、うちの跡継ぎのゼッテン・サス・レザだ」
「ゼッテンとお呼び下さい、シーグル様」

 いかにも戦士といった精悍な顔つきの青年はそう言って頭を下げたが、それにシーグルが返事を躊躇する間に横にいたレザが付け足した。

「将来俺を継ぐ男だからな、こいつだけにはお前の事は話してる。勿論ちゃんとあの男に許可も取ってるし、他言しない事も約束させてる。俺の一番の息子だ、信用してくれんかな」

 それでシーグルも納得して、ぴしりと背筋を伸ばしたその青年に手を出した。

「よろしく、ゼッテン。俺の事も様は付けないで欲しい。あと表ではレイリースで通しているから出来れば普段からレイリースの方で呼んで貰えたほうが有難いんだが」

 青年は伸ばされた手を掴み、その引き締まった顔の筋肉を少し緩めた。

「失礼致しました。そちらの名でお呼びしたのは実は貴方の反応を見たかった事もあるのです。試すようなマネをして二重にお詫びいたします。ですがレイリース様とお呼びする事はお許し下さい。我が父の大切な方を呼び捨てになど出来ません」

 それに思わず顔が引きつるものの、満足そうに腕を組んで頷いているレザを見るとそれ以上文句も言えなくなる。レザがこうして自分に紹介するというのだから、相当に優秀な自慢の息子なのだろう。

「でだ、お前が納得したというならな〜その頭の被り物を取って顔を見せてくれんか? そうでなければ何の為にここに来たのか分からなくなる」

 握手が終わると同時にレザが割り込んできて、シーグルは呆れたが笑いもする。相変わらずブレない男だと思いながら、その正直さというか分かり易さがやはり憎めないと思う。



---------------------------------------------


 レザさんとのドタバタ話は次回。
 



Back   Next


Menu   Top