愚かさと間違いの代わりに




  【9】



「黒の剣を持った者が暴走するのはね、ギネルセラによって負の感情を増幅された結果なんだよ。クリムゾンに聞いた事があるんだけど、自分の中の負の感情が膨れ上がって少しでも思った事がすぐ魔法となって何倍にも増幅されて発動される感じだったってさ。今まで貴方が剣に引きずられなかったのはそこまで強い負の感情を持たなかった所為なんじゃないかな。けどその坊やと会って、愛情や喜びといった強い正の感情をたくさん手にいれたからこそ、貴方の中にそれだけ強い負の感情も生まれてしまったんじゃないかな。実際、彼と会う前の貴方は黒の剣を使っても平然としていたじゃない。その坊やへの感情を自覚してからでしょ、黒の剣を使うのがきつくなったのさは」
「……確かに、理論的には分かる気は……するが」

 そうであるなら簡単な事だ、彼に対して負の感情を感じた時は彼に触れないようにすればいい。ただ彼を愛しいと感じている時だけ彼に触れていればいい……それだけでいいならそれは難しい事じゃない。

「その程度の自分のコントロールはまだ出来るんでしょ、今の貴方でもさ」

 セイネリアは自嘲じみた笑みを唇に乗せ、眠るシーグルの髪の撫ぜながら言う。

「そうだな、それなら出来ない事じゃない」
「それが出来ないとその坊やはまたそんな事になるよ、この先ずっとね。その坊やは貴方が思う以上に貴方の事を愛してる、って僕は思うんだけどね」

 眠るシーグルの顔はやつれていても、その表情には安堵がある。それこそが彼が自分を愛してくれている証であると、彼と眠る度、その寝顔を見る事が例えようもなく幸せだった。愛されているとそれを感じたくて……けれども彼はことあるごとに部下という壁を作ってしまうから――結局、自分はそんな事にも不安を積み上げてしまったということだろうか。

「医者として言っとくと、今の坊やの症状は確かに暗示魔法の後遺症もあると思うんだけど、本人も言ってた通りいろいろな事が重なって精神的に弱っていたというのが大きいとは思うんだ。だから暫くは出来る限り貴方が傍にいて彼を安心させる事が重要かな。一人でいるのが不安ってことだし……この機会にその甘えるのが苦手な坊やを甘える事に慣れさせちゃえばいいんじゃない?」

 それには自嘲ではない笑みが湧いて、セイネリアは普段なら人を威圧する金茶色の瞳を薄く細めた。

「そうだな」

 医者の魔法使いはそれにはにっこりと、いっそ芝居じみたように見える程の笑顔を作って笑うと、こほん、とやはりわざとらしく咳払いをして両腕を前で組んだ。

「さて、ここで提案なんだけどね、この機会にその坊やの食べられない病も治しちゃおうと思わない?」
「……出来るのか?」

 ずっとシーグルを見ていた瞳をサーフェスに向ければ、彼は腕を組んだまま少し含みがある笑みを浮かべて口を開いた。

「うん、多分ね。前にも言ってたけど、彼が食べられないのは精神的なストレスが原因なんだよ。実際、兄弟と仲直りして随分彼は食べられるようになってたけど……やっぱり、今回みたいにすごい精神的ストレスが掛かるとまた悪化して食べられなくなる訳。で、考えた訳なんだけど、結局彼がそうやってすぐ食べられなくなる根本的な問題は、単純に愛情不足だと思うんだよね」
「どういう事だ?」

 紫の髪の魔法使いはそこで軽く両肩を上げる。

「だから愛情不足、子供の頃からずっとね、彼は愛情に飢えてたんだよ。だからね、彼が愛されてるって事を自覚してちゃんと満たされて不安を感じなくなれば食べられない……食べる事を体が拒絶するってのはなくなると思うんだよね」

 セイネリアはそれには自嘲するように唇を歪めて呟いた。

「俺だけではあいつを満たせなかった、ということか」

 セイネリアとしては言葉で出せない分、彼と距離を置く前は出来得る限りの愛情表現を行動で示したつもりだった。確かにその頃のシーグルは前より大分食べられるようになっていたが、普通に、とはとてもではないが言える程までいかなかった。

「貴方の愛情不足というより、貴方の愛情の注ぎ方が彼を不安にさせていたんじゃない? 貴方自身の不安な感情の影響もあると思うし、もっと全面的に彼に不安を抱かせないくらいちゃんと愛してあげないと」
「愛して……か」

 呟いたセイネリアにサーフェスは軽く咳払いをしてみせると、まるで教師のような話し方でその先を続ける。

「そもそも、貴方の愛し方のだめなところはトコトン勝手なとこだよ。自分の愛情をひたすら押し付けて、かと思えば勝手に距離を置いてさ。それって自分の都合と気分に合わせて相手に愛情を注いでるだけってとられても仕方ないでしょ。いーい、愛されてる事に不安になるっていうのは相手を信頼出来ないって事でもあるんだよ。貴方がいつも勝手に決めて重要な時に彼の意見を聞かないから彼は不安になるの、当然でしょ」

 それは自覚した今だからこそ分る。確かにセイネリアは自分の事しか考えなかった所為で彼を苦しめた。耳が痛いとはまさにこのことかと自覚するセイネリアだったが、それで気づいた事もあった。

――俺は、あいつに与えてやりたいと思っていた筈だったのにな。

 彼への気持ちが分って、自分が人を愛せるのだと分かった時、彼を愛しているのだと認めた時……セイネリアは大切な彼の為になら何でもしてやりたいと思った。彼が彼である為になら、例え自分がどれだけ辛くても構わないとそう思っていた筈だった。
 それが自分本位な考え方に変わっていったのは、彼が自分と共に生きてくれるとそれを自覚してからだろう。彼が自分を愛してくれて、手放さなくてもいいのだとそう思ってからは――彼を手放したくなくて、彼を失いたくなくて、その恐怖が肥大して本当に大切な事を見失っていた。
 セイネリアは喉を震わせて、自嘲に歪めた唇のまま笑い声を上げる。

「いつの間にか俺は『あいつの為』という言葉の意味を取り違えていたのか」
「そうだね、今の貴方の彼へ愛情ははっきりいってエゴにしか見えない」
「酷いな」
「事実じゃないの? しかも一番性質が悪い、相手の為だって理由で勝手に相手を縛るエゴ、割と最低な人間だよね」

 セイネリアにはその酷い言いようにも笑うしかない。

「……まぁ最低の人間、という部分は否定できないだろうな」
「でもこの坊やは、貴方がどれだけ酷い人間か分かってて、それでも貴方を愛してるんだよ」

 それには思わず自嘲の笑みさえ消えて、セイネリアはサーフェスを見つめた。

「だから貴方は間違わないでよ、後悔しなくて済むように、ちゃんと彼を愛してあげて」

 何処か苦しそうな顔の魔法使いは、暫くただ見つめてくるセイネリアの目を見つめ返していた。けれども唐突に、大きく息を吸うと、表情をわざとらしい程思い切りの笑顔に変えた。

「いーい、すぐに伝わらなくてもいいから、じっくり時間を掛けて、ちゃんと話して意志の疎通をとって互いに安心できるだけの信頼を築くんだよ。そんな簡単にはいかないのは当然だから焦らずに、彼の心の足りない部分を埋めようって気持ちが大事なんだよ。とりあえず何かする時は彼に聞く事、何でも言う通りにしろとはいわないけど意見は確認する、意見があわなかったら喧嘩したっていい、ちゃんと話したって事実が重要なんだよ。その上で思い切り彼に愛情を注いで彼にそれを慣れさせる事」

 一気にまくし立てると、すっきりした顔をしてサーフェスは腕を組んだ。
 どこか呆気にとられながらも、セイネリアは腕の中のシーグルに目を落す。

「慣れさせる事、か」
「そう、慣れってのは重要なんだよ。慣れてそれが当たり前の事になれば安心につながるんだから。貴方の愛情が当然あるものだって思えるようになれば、彼の心の奥底にある愛情に飢えている部分が解消されていくと思うんだけど」

 ずっと自嘲にを浮かべていた口元に、シーグルなら『お前らしい』というだろう笑みを浮かべて、セイネリアは顔を上げると真っ直ぐ医者の魔法使いを見た。

「つまり俺は、こいつに疑う余地がないくらい俺の気持ちを分らせてやればいいという事だな」

 それは自分で自分にストップをかけるなという事でもある。我ながらそれを自分に許してしまったらどこまでも彼優先の行動になるのが分っていたが、それはそれでいいではないかと今なら思える。

「そう、彼が貴方の愛情を疑う余地がないくらいにたっぷりとね。貴方も後を怖がらないで彼に依存しちゃってもいいじゃない。それくらいの気持ちがないと」

 それには笑ってしまって、セイネリアは眠る彼の顔を見つめて言う。

「……こいつは嫌がるだろうな」
「多分、急にやったら気味が悪いって言い出すんじゃない?」
「逃げようとしそうだ」
「命令だと言えば逃げないでしょ」
「横暴だな」
「今更貴方がいうの?」
「……まったくだ」

 セイネリアは笑って、シーグルを一時的にベッドに寝かせた後、自分もベッドに横になる事にする。幸い今日は鎧を脱いだ後だったからそのまま彼の隣にぴったり体がくっつくように寝て、そこからいつも彼と寝ていた時のようにその体を抱き寄せる。

「ドクター、カリンに明日一杯はとりあえず出かける仕事は全て取り消しておけと言っておいてくれないか」

 部屋から出ていこうとしていたサーフェスにそう声を掛ければ、紫髪の魔法使いは一度足を止めて呆れたように肩を竦めて見せた。

「はいはい、了解。あぁ、医者として最後に一つ忠告。たっぷりの愛情表現はいいけど、起きたら即ヤルのは禁止ね」
「それは……辛いな」
「その坊やをそこまで追い詰めた罰だと思って、彼の体が回復するまで、貴方も暫くは清い生活を送るといいんじゃない?」

 それに、言ってくれる、と呟けば、医者の魔法使いはにぃっと歯を見せて作った笑みを浮かべた。

「でもね、そもそもこの部屋でヤルのはだめじゃないかな? ドア壊れてるから声が外に筒抜けになるよ」

 語尾には笑い声が続いて、だからセイネリアも笑って、離れて行きながら後ろ手て手を振る男を見送った。



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 セイネリアさんドクターに説教されるの巻き、でした。次回はシーグルが目覚めてまた怒られます(==。



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