運命と決断の岐路




  【6】



 戦闘が始まったのはシーグルの隊が現地についてから四日後、前日の雨で足場が滑る状態でのことだった。
 総指揮官であるフスキスト卿はそれに「奴らは、汚れるような野蛮な戦い方が好きなんだろう」と笑ったが、その手の条件が悪ければ悪いだけ、確かに蛮族達の方が有利だろうとはシーグルも思う。だからこそそれを見越して彼らは攻めてきたのだとは思うが。

 雨が上がった直後から、ノウムネズ砦の様子がにわかに慌ただしくなっていたのはこちらでも確認出来ていた為、彼らがこちらの柵近くに部隊を展開した時には既に、クリュース側でも迎え撃つ準備は出来ていた。

――何故、彼らはわざわざ打って出てきたんだ。

 普通に考えれば、いくら半壊しているとはいえ砦に篭ってクリュース軍を迎え撃った方が楽だと思う筈だった。確かにクリュース側には砦を一方的に攻める手段もあるのだが、それを使う前に彼らが打って出てくるのは何かひっかかるものがある。クリュース軍の目的が砦の奪還であるのだから、普通ならどう考えても蛮族はクリュース側が動くのを待つ状況の筈だった。

 砦を落とした勢いのまま、本当は奴らは戦いたくてしかたないのだ――フスキスト卿はそう言って、ここに陣をはったまま彼らが出てくるのを待つという作戦を決定したが、最初からシーグルはそれには疑問を持っていた。だが、フスキスト卿の狙い通り彼らは出てきた訳で、総司令官である男は上機嫌で柵前に部隊を展開させた。
 疑問は残るものの、現状は作戦通りに進んでいる。この状態ではいくらシーグルでも何か意見する事は出来る訳がない。

 ただ、総司令官の計算外の事態は、身内の方で起こってはいた。

 広い場所での正面からぶつかり合いとなれば、当然ながら先陣はまず槍騎兵隊に任せるのがクリュース軍の伝統である。ところが今回の槍騎兵隊は、主力である筈のノウムネズ砦の槍騎兵部隊生き残りが予想より少なすぎて、付近の砦からきた者と合わせても最初の突撃を任せるには心もとない人数であった。
 判明した途端、更なる増援申請を近くの砦に送ったものの、今回の戦いに間に合う筈はない。だから仕方なく最初の戦いは、他国とほぼ同じ、ただの単純な部隊同士全軍でのぶつかり合いとなった。

 蛮族達の鳴らすドラの音が聞こえる。
 同時に、大勢の人々の声と、その駆ける振動が地響きとなって辺りを震わす。
 兵士達がぶつかる前に、まず弓矢の雨の応酬が始まるのだが、クリュースの強みはここでは一方的に優位を保てる事であった。

 かつて建国王アルスロッツは、魔法使いと手を組む事で周辺の小国家を征してクリュースという国を建てた。
 だが、当時悪魔と手を組んだ者と迫害されていた魔法使いの能力を戦闘に使うにあたって、アルスロッツは考えた。もし攻撃に魔法を組み込めば、相手にも自分側の兵士にも魔法に対して更なる恐怖を広めてしまう。そうなれば、国を建てた後は魔法使いと一般人が普通に暮らせる国にする――という魔法使い達との契約条件を果たせない。だから思い切ってアルスロッツは、魔法使いの能力を全て部隊の防御だけに使った。敵の矢を落とし、兵士を守れば、彼らは魔法にただ感謝する。当時まだ兵達が馴染めなかった三十月神教も、治療や、敵の攻撃を弾く術を掛けて貰える事で、その奇跡の技を単純に崇める事が出来るようになる。
 かくしてアルスロッツは、戦いを勝ち抜きながらも、兵達を魔法に馴染ませていったという逸話があるのだ。

 だから、自軍の周囲が魔法で守られているクリュース兵にとっては、相手の矢は恐れるものではなかった。悉く弾かれる敵の矢を見て突撃の士気が上がるのがいつものことだった。
 そして今回も、兵士達に届く事無く消えたり吹き飛ばされたりする矢を見て、彼らは歓喜の声に沸く。逆に自軍の矢が起こされた風を利用して遠くの敵にさえ届くのを見れば、兵士の士気はいやがおうにも上がるというものだった。クリュース軍がいざとなったら一方的に砦を攻められる理由もこれで、敵が篭ったとしても向こうからの遠距離攻撃が不可能な為、火矢等でこちらが一方的に攻めればいいというのがあった。

 矢の応酬が終わってから激突した前線辺りを見渡してみても、槍騎兵隊による最初の突撃がないとはいえ、現状ではこちらの優位は揺るぎが無いように見えた。
 だからシーグルは思う、どちらにしろ蛮族達は出てこなくてはならないのを分かっていたから出てきたのだ――それはおそらく、いつも小競り合いを仕掛けていた向う側では既に常識になっていたのかもしれない、と。ならば自分の考えが浅かったのだと素直に反省する。……例えまだ心に何かひっかかるモノがあったとしても、総指揮官であるフスキスト卿は信頼に値する判断を下せる人物だと考える事にした。

「今ンとこは問題ないようですねぇ」

 馬上にいるシーグルは、下から聞こえた声に目をやる。

「あぁ、このまま終ればいいんだがな」

 返しつつも、シーグルの目はずっと前線に向けられている。
 だが、下から笑い声が聞こえるに至って、シーグルは少し不機嫌そうに、いつでも気楽そうな空気を纏っている文官の魔法使いを睨みつけた。

「何を笑っているんだ」

 この状況に不謹慎だといいたかったのだが、キールはにっこりと笑ってシーグルの顔を見上げてくる。

「いやぁ、そんなに、自分が前線にいけないのが悔しいんですかねぇって」

 言われたシーグルは、一度目を見開いてから、不貞腐れるように彼から目を逸らした。

「仕方ない」

 現在シーグルがいる場所は前線からは離れた本営の櫓近くで、なのに隊の者達は前線近くにいる。だから今、シーグルの傍にいるのはキールと護衛に残ったラン、そして今は使いでこの場にいないナレドと、後は本営付きの護衛兵が数人というところだった。
 実はこれには戦闘前の各部隊配置時、シーグルには隊の者達と離れて後方へといくように上から命令が下ったという事情がある。
 部下達を危険な前線へ送り込んで自分が安全な後方待機など出来るか、とシーグルはその命令に怒っていたのだが、それは部下達皆に説得、というか散々宥められることになってシーグルは今こうして大人しくしているのだった。

『あのですね隊長、貴方がそのクソ目立つ鎧で前線なんか立ったら、敵は皆貴方目掛けてやってきますよ。どっちにしろ、前に出て指揮とるどこじゃなくなりますから後方で見ててください』
『そうです、我々下っ端に手柄立てる機会を与えてください。隊長がいたらこっちに敵が回ってきません』

 冗談交じりにそう言われれば、シーグルも頭を冷やすしかなかった。
 前線にいるクリュースの騎士は平民出ばかりだ、というのは他国にも知れ渡っている事で、だから捕まえても金になるヤツは少ないというのが彼らの認識だった。そうなれば金になるだろう貴族騎士を狙いたがるのは当然のことで、それが見ただけで分かる旧貴族の当主なら、確かに前線にいれば皆狙ってくるだろう事は想像に難くない。
 更に貴族法の面倒なところとして、軍での役職に関係なく、自分より身分の高い貴族を喪った場合はその部隊の者と上の者は地位にあった罰が課せられる事になっている。それを考えれば、確かに後方までもが危険になる場合以外、シーグルが前線に出るのは部下達の迷惑になる。大人しくするのは仕方なかった。
 それでも、感情的にはシーグルが納得出来ないのもまた仕方なかった。

「これでは、何の為に自分を鍛えたのか分からないじゃないか」

 愚痴には、即答でキールが答えた。

「ですからぁ、そもそも貴方の立場ではそこまで本人が強くなくてもいいんですよぉ」

 それを言われては何も返せない。
 ぐっと言葉を詰まらせたシ―グルは、遠い前線を見ながら溜め息をつく。
 現在のところ、前線の様子はクリュース軍の優勢に見えた。さすがに目がいいシーグルでも前線で戦っているだろう部下達の姿まで確認出来はしないので、全体的な状況をみる事しか出来ないが。
 とはいえ全体的な状況をみても、それを見て指示が出来る立場でもない。本営の櫓では、総指揮官であるフスキスト卿が千里眼を使えるクーア神官を傍に置いて状況を見ながら指示を出しているので、シーグルはただここで待機している以上のことは出来ない。
 もしもシーグルが勝手に動いていいのだとすれば、この近くまで敵がやってきた場合かフスキスト卿以下作戦本部の連中に何かあった時くらいで、現状ではそれは起こりそうには見えなかった。

「今日はこのまま押し合いをして終わりかぁ〜もしくは蛮族達が撤退するかで終わりそうですねぇ」

 キールの声に同意の返事を返しながらも、どうにもシーグルはまだ嫌な予感を拭えなかった。戦況を見ていれば杞憂かとも思うのだが、自然と表情は険しくなる。

 戦闘はそのままクリュース側がじりじりと押している状態が続き、蛮族側はノウムネズ砦から倒れた分の兵を少しづつ補充する形で戦線を保っているように見えた。どうやら本部の思っていたよりは、蛮族達の人数はいるようだった。
 それでも、こちらの優勢は揺るぎないように見え、やがては日も傾いてくる。この時期は明るい時間が長いとはいっても、そろそろ敵側も一旦撤退をするだろう。そのくらいにはこちらの勝利が見えている状況であった。

 だが、そうして楽観的な見通しで見ていられたのは、蛮族達が予想通りに撤退を始めるまでだった。

「敵の動きが違う」

 全体の陣形、というか前線のあたりの動きに違和感を感じたシーグルは思わず呟く。
 敵が撤退を始めた事でクリュース軍はそれを追っている訳だが、彼らには深追いをしないように命令が出ている筈なものの、一部追いかけすぎている者達がいる。それはそれで勝利を確信して興奮したあまりの事なのだろうと理解出来るが、そんな彼らを綺麗に倒して味方の撤退を助けている一群がいた。
 彼らは、砦へと逃げている味方とは逆に前に出て来ていて、蛮族達とは動きも装備も全く別物の部隊に見えた。揃った装備、揃った動き、整然とした職業軍人らしい動きはどうみてもどこかの国の正規軍のものだが、旗を上げていないせいで彼らの正体までは分からなかった。
 いや、シーグルにはそれですぐに思い至る名があったが。

「アウグの部隊だな」

 セイネリアの情報からすれば、それは確定だろう。
 明らかにその一群はクリュース軍を押していて、彼らが現れた右翼の陣形は乱れ始めていた。
 シーグルは目を細めてその様子を見つめながら僅かに舌打ちする。

「キール、お前は何か遠見の魔法か道具を持っていないか?」

 アウグ軍とぶつかっているあたりの混乱ぶりが酷い。だがここからでは現場が見えない分、何が起こっているのかをシーグルは正確に把握する事ができなかった。本部は見えている筈だが何か指示がいく事もない。敵が撤退しているのだから改めて指示を出す必要がないのかもしれないが、こんなところで味方に被害が出ているのをただ見ているのは辛かった。

「そうですねぇ〜私はないんですけど、ね」

 否定されるのは分かってていっていたのでそれ自体は問題ないが、妙に含みある言い方にシーグルが彼を見ると、何時の間にか魔法使いの傍には、まだ相当に若そうな傭兵だろう少年兵が立っていた。

「どうしたんだ?」

 その姿を見た途端、こんな子供が危険な戦場にいるのかと思ったシーグルだったが、ここにいるのなら後方の支援部隊所属なのだろうと思い直して安堵する。

「まぁ、『彼』はちょぉっと目がいいそうなんで、使ってやってくださいなぁ」
「そうか」

 それで少年はすぐ前線に目を向けようとしたが、シーグルは彼に手を伸ばした。

「馬上の方がよく見える、見えたらすぐに教えてくれ」

 キールに文句を言われるかと思ったシーグルだったが、意外にも彼は何もいってこない。ならかなり信用がおける人物なのだろうと思って更に彼に手を伸ばせば、下を向いて躊躇していた少年が顔を上げてシーグルを見た。

 それでシーグルは、思わず『彼女』の名を言いそうになった。

 伸ばされた手が握り返されて、シーグルはその少年兵を馬上に引き上げ、自分の前に座らせる。そうして、他の者に聞こえない小声で聞いた。

「ソフィア、何故君がここに」

 彼女の服には黒の剣傭兵団とは違うエンブレムが描かれ、黒い服を着てもいなかった。男のフリをしている事情は察せるのであえて聞かなかったが、そもそも何故彼女がここにいるのかが問題だった。

「勿論、シーグル様を助ける為です」

 それでシーグルはぎゅっと唇を噛み締めた。
 セイネリアがシーグルを生かす為にいろいろと手を打っているとは聞いていたものの、まだ若い彼女がこんな危険な場所にいる事に気が重くなる。

「シーグル様、左手を握って目を瞑っていただけますか? 私が見えているものを貴方にお伝えしますので」
「あ、あぁ」

 それで状況を思い出し、彼女の手を握る。そして。

「向こうの、明らかに甲冑を着ている敵の一群とぶつかっている辺りを見てくれ」

 指差してから目を閉じれば、彼女がビクリと手を震わせて、それから握り返してくると同時に、シーグルの頭の中には前線の光景が広がった。

――クーアの千里眼とは、こんな風に見えるのか。

 そう思ったのは見えた直後のことで、だがすぐに頭はその光景の内容に引き込まれる。
 倒れている動かない兵士達、それに躓いて転ぶ、逃げ惑うクリュース兵。装備から見ればバッセム卿の一般兵――恐らく普段は農民の――で、その恐怖に引き攣る顔を見て、シーグルは顔を顰めた。

「もう少し右を見てもらえるだろうか」

 彼らが逃げてきた方向を指示すれば、視界は動いて、今まさに切り捨てられた兵士が血を吐いて倒れたところだった。
 明らかに、見えた光景に前に座っている彼女の体がビクリと揺れる。

「……すまない。だが、今斬った相手の方が見たい、頼めるだろうか」

 震える彼女の肩に手を置き、手を更に強く握り締める。
 そうすれば視界がまた動き、そこには立派な体躯の騎士が現れた。
 部下だろう甲冑の一群に指示を出しているところを見ると、彼がその一群、つまりアウグの指揮官なのだろうと思われた。




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次回はシーグルさんの戦闘シーンあります。すみません、趣味に走ります……。



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