運命と決断の岐路




  【4】



 よく晴れた日の少しだけ暑い日、騎士団から東門へ抜ける沿道が多くの人々で埋めつくされる中、ノウムネズ砦へと派遣される部隊は華々しく首都を出発した。
 今回派兵されるのは、第二、五、六、七予備隊と、その下にそれぞれ組織された志願兵と傭兵の部隊である。数にすれば三百程度だが、現地の部隊と合流すればその倍以上にはなり、報告にある蛮族の部隊とほぼ同程度の人数となる。そうなれば装備と魔法補助の面を考えて、十分圧倒出来る戦力となる筈だった。

 移動中の隊の並びは部隊の順番通りとなる為、シーグルの隊は必然的に最後を行く事になる。と、それはいいのだが、何故か――恐らく貴族院の意向だろうが――一際派手に楽隊に見送られ、沿道の人々の歓声も一層大きくなった中歩く事になって、その騒ぎぶりにシーグルは勿論、隊員達も内心かなり複雑な思いだった。

「ま、旧貴族当主様の出兵ですからね。リシェの方からも相当来てるって噂ですよ」

 グスが途中で耳打ちしてきた言葉には、シーグルは重いため息と共に返した。

「あぁ、リシェの者だろうなという声が時折聞こえた」

 シーグルの事を呼ぶとき、一般人ならまず普通はシルバスピナ卿と声を掛ける。だからそうでなく親しみを込めてアルスオード様、もしくは我等が領主様と呼んでいたのは確実にリシェの民だろう。彼らの声がその後に『ご武運を』だけでなく、必ず『ご無事で』と続くのを聞いて、シーグルは馬上で何度か泣きたくなってしまったくらいだった。
 今、自分の命は自分だけの為の物ではない。
 それを強く意識して、シーグルは鎧の上から胸に手を置く。
 その下には、かつてセイネリアがお守り程度に持って行けと渡してくれた魔法の篭った短剣がある。『くやしかったら抜けるようになってみろ』と言っていたが、未だにシーグルはそれを抜けるようにはなっていなかった。だが、お守りとしてなら、鎧の下にずっと入れて持ち歩いていて、自分でも不思議に思う程、その短剣を持ち歩くのは既にクセのようになっていた。

 何があっても生きている事、例え死んだ方がマシという状態であっても――その意味をシーグルは正しく理解しているつもりだった。

 まず、シーグルの地位からして、戦場でもそうそうに殺される事はないと考えられる。どうにもならなかったら投降すれば、確実に高額な身代金と引き換え出来るリシェ領主のシーグルを殺す事はあり得ない筈だった。だから誇りに掛けて玉砕などと馬鹿な真似はするなという事と、文化レベルの低い蛮族達の捕虜としてどんな目にあったとしても自害はするなと、そういう意味だったのだろうと思う。
 例え、投降する時に部下は助からないと分かっていても……それでも自分の命が助かる事を最優先に選択しろと、あの男はそう言いたかったのだろう。
 自分の身に起こり得る苦難であれば耐えると約束は出来ても、部下を犠牲にして助かれという事は……その時になって本当に選べるか、シーグルに自信はなかった。

――それでも、投降せず最後まで戦ったとして皆助かる保証などない。それなら大人しく投降して、部下の分も命乞いをしたほうがいい可能性もある。

 そう考えるならば大丈夫だとシーグルは思う。
 どうせその選択を迫られる時は死を決意する程の絶望的状況でだろう。誇りを捨てる気はなかったが、人の命が掛かっているなら、生き残る為なら、どれだけ恥辱に塗れても諦めないと思える。どんな目にあっても生きていれば終わりではないと、あの男に言われた事は忘れていない。

「隊長、改めて言っときますけどね。俺ら全員が死んだとしても、貴方だけは生きて帰って下さい。前にもいいましたがその逆なんて誰も喜びませんから、それが俺達の総意です」

 だが、首都を抜けて街道に出た後、馬を並べていたグスがそう言ってきた事で、自分の考えを見透かされたのかとシーグルは驚いた。
 ふと隊の皆を見れば、皆待っていたかのようにシーグルを見ていて、彼らは一斉に剣を抜くとそれを自分の前に立てて見せた。
 今回の遠征中、正規騎士団員は馬に乗り、その後ろにそれぞれの隊に割り当てられた傭兵隊が徒歩で続く形になっている。だから馬上でそんなやりとりをしている彼らの姿も傭兵達にはあまりよく見えず、何かやっている程度にしか分からないので、特に不審に思われる事もない筈だった。

 微笑みさえ浮かべて、剣を立てた体勢のまま見詰めてくる彼らの強い瞳を見て、シーグルはまた零れそうになった涙をどうにか堪えて手を軽く上げると、彼らに感謝の言葉を告げた。






 夏のアッシセグははっきり言って蒸し暑い。それでも、街の中の高台にあるこの建物には海からの風がよく入って来て、窓の開いた部屋や廊下には、動く気もなく涼んでいる者達がのんびりと休憩をしてた。
 そんなのどかな風景の中、肌を刺すぴりぴりとした空気に包まれた部屋で、夏とは思えない黒づくめの男が汗ひとつかかずに書類を見て呟いた。

「それで、蛮族共はまだ動いていないのか?」

 その声を聞くだけで、締め切ったこの部屋の蒸し暑さなど吹き飛ぶ。更に彼の瞳を見たなら、背筋と腕に寒気を感じる程になる。
 この団の長であるセイネリアの言葉に、カリンは急いで肯定の返事を返した。

「はい、明らかにクリュースの増援部隊が合流したと分かっても、向うにはまだ動きがないという事です」
「……確か、あの砦のクリュース側もひらけた丘だったな」
「はい、なので戦力が揃った後は、クリュース側は蛮族共をおびき出してそこで戦闘が始まるようにしたいと思われます」
「そうすれば槍騎兵隊が使えるか」

 セイネリアが顎を擦りながら、面白くもなさそうに吐き捨てる。
 クリュースの槍騎兵隊は戦場において一番の花形であり、今まで彼らの最初の突撃だけで戦局をほぼ決めてきた程の実績がある。一番有名なのはバージステ砦のチュリアン卿が率いる部隊だが、ノウムネズ砦の槍騎兵隊も今まで多くの戦歴を上げていた。

「もし、蛮族共がそれに乗ってきたら――危険だな」

 セイネリアの声は呟きのように小さく、カリンに言っているようには思えなかった。

「そうなのですか?」

 思わず驚いてそう返してしまったカリンを一瞥して、セイネリアの表情は更に不機嫌そうになる。

「クリュースの槍騎兵隊は魔法による防御があってこそだ。そして絶対的な自信がある。それこそ効果的に断魔石を使う絶好の機会だと思わないか?」

 カリンはその予想にぞくりと背筋を震わせた。もしそれが本当なら、クリュース軍が喜んで敵に飛び込んで……そして無様に敗走する様まで想像出来る。

「ラタからの報告は?」
「あ……はい、やはりアウグ軍は砦に入らず、蛮族達とは離れてずっと後方に待機しているそうです」
「なら、クリュース側はそちらの戦力が見えていない可能性が高いな」
「……そう、ですね」
「奴らは蛮族共が優勢だと思ったら参加して、劣勢なら適当に敗走を助けて恩を売るつもりだろう」

 クリュース軍以上にセイネリアの元に正確な敵の情報が集まっているのは、アウグ出身であるラタがいる為に他ならない。彼は今アウグに傭兵として紛れこみ、定期的にこちらに報告をしていた。
 勿論、クリュース軍にもシーグルを助ける為、団の人間が数人参加していた。高額な魔法アイテムを惜しみなく使って連絡を取り、両方からの情報を照らし合わせているからこそ、セイネリアは遠くにあって戦場の状況を正しく判断できる。
 ……そして判断出来るからこそ、事態は彼の予想通り不穏な方へと傾いているのが見えていた。

 この状況に溜め息をついたカリンは、ふと、セイネリアが黙って考え込みながらも、まるで無意識のように指の背を唇でなぞっている事に気が付いた。正確にはそれは指というより指にはめられた指輪をなのだが、視線を何処か遠くに向けてそれが確かにそこにあるという事を確認するように唇で触れている姿を見ると、カリンは思わず祈らずにはいられなかった。

 どうか、あの青年が無事帰ってきますように、と。

 幼い頃にとうに祈る事など諦めてしまったカリンは、自分の為に祈らない。主の為にも祈らない。それは自分も彼も神など信じていないからで、神など信じていないのに頼る権利はないと思っているからだ。
 けれども、シーグル為であるなら彼の神に祈ってもいいだろう。
 自分は神を信じなくても、彼が信じている神が実在しているなら彼を救ってくれと、そうカリンは祈った。




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短かいですが、キリいいのでここまで。次回から戦場編です。



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