戦いと犠牲が生むモノ




  【7】



 敵のせいで一時的な足止めを余儀なくされたものの、セイネリアの命令下で兵達が速やかに動いた為、結局はさほど予定と違う事なく部隊はヴネービクデの街についた。
 強固な壁に囲まれたヴネービクデの街は、吟遊詩人達が歌うファサンとの大戦の歌によく出てくるものの、実際来たのはシーグルにとって初めての場所だ。高い壁は遠くからでもよく見えて、確かに歌通りだと感心したものだが、その壁の前にまでくれば更にその壁の高さや重圧感に圧倒される。

――確かに、ここを拠点に出来るというのは大きい。

 逆に言えば、もしこの街を攻める側だったなら、この壁を見ただけで絶望感が湧くだろう。実際のところ、セイネリアさえいればこの壁の有無でさえ大した問題ではないのかもしれないが、兵の心情的には大きいのは確かだ。
 鉄と木が軋む音が空気を震わせる。
 キリキリと、ゴウンゴウンと、耳に響く高く重い音に思わず顔をしかめそうになる中、正面門がゆっくりと開いていく。重いだけでなく二重扉になっている門は、開いていくと中扉が現れる。それもが開いていけば、この街の中心へと続くだろう広い大通りとその両側にずらりと並ぶ兵士の姿が目に入ってくる。見える兵の数だけで、こちらが当初予定していた人数には達している事が分かった。







 ヴィネービクデの街はかつてファサン戦の最前線基地となっていた事もあって、周辺の街へと続く道がよく整備されていて交通の便がいい。またその強固な街の守りと領主の騎士としての気質も相まって治安がいい事でも有名で、今では南部と北部を行き来する商人達は必ず立ち寄る流通の要所として商業的にも栄えていた。

「奴らが来るのは遅れそうだな」

 不機嫌そうに呟いたセイネリアの声に、シーグルはただ、そうなのか、と返した。ヴネービクデの領主の館にあるセイネリアに割り当てられたこの部屋には、今は彼とシーグルしかいない。シーグルの返事と同時に、セイネリアは乱暴に椅子に座ると、足を組んでテーブルの上にどかりと置いた。

「仕掛けてきた連中は、どうやらコルデ家の独断で派兵されたらしい。どうりで事前情報が入ってこなかった訳だ。余計な事をやって失敗した分、王が相当怒っているらしくてな、コルデ家内部は責任問題で揉めて兵をまともに出せるのかさえ怪しい状態だ」
「……なるほど。そうか、それでむこうが動くのが遅れるのか」
「そうなるだろう、まったく面倒だ」

 それでシーグルも彼が不機嫌な理由が分って、思わず軽く笑ってしまう。

「想定外が起こるのは仕方ない。何でも思い通りになるものでもないだろ」

 言えば、セイネリアは拗ねるようにシーグルを見てくる。……彼に『拗ねる』なんて言葉は似合わなさすぎるし、他の人間なら睨まれたとしか思わないだろうが、シーグルにはそう思えてしまったのだ。

「敵が思った以上に優秀で想定外が起こるなら面白味もあるが、敵が無能すぎて想定外が起こるのは腹が立つ。これ以上遅れれば戦闘が終わっても首都は雪に埋もれる、奴らに平和な冬越えをさせるつもりはない」
「ここで勝って、そのまま首都まで行く気か」
「当然だ」
「そんなうまく行くか?」
「勝てば、後は早いさ」

 自信満々に言う男に、シーグルは疑問を持ちながらもそこで口を閉ざした。彼が言うのだ、その自信を裏付けるだけの手回しをしてあるという事だろう、とそう思って納得する。

「しかし、コルデ卿は相当焦っているのか、やたらと小細工を仕掛けてくるな」

 話を変える事にしてシーグルが言えば、今度はセイネリアはつまらなそうな顔をして腕を組んだ。

「コルデ卿自身は病気でここ半年程はベッドの住人だ。それで現王軍が来る前に手柄を立ててみせようと、息子達が焦って勝手に動いているという訳さ」
「それは……コルデ卿に同情したくなるな」

 コルデ家が現状で後継者争いの真っ最中というなら、向こうの策のかみあわなさも納得できるとシーグルは思う。
 この街に入ってバン卿から聞いた話では、こちらへの森での待ち伏せだけではなく、事前にヴネービクデの街の方でも、コルデ家からの工作員によっていろいろと細かい被害があったらしい。
 井戸への毒投下やら、食料庫への放火、厩舎から馬を放つなどの手は、街を外から攻める場合の工作としてはお約束ではあるのだが、なにせこの街には部隊が着くより先行して魔法ギルドから直で魔法使いが送り込まれていた。井戸は水蔦が枯れただけで人々は飲むのを止めるし、その浄化や、火をすぐに消すのも馬を捕まえるのも優秀な魔法使いがいれば解決は難しい事ではない。食料が不足してクーア神殿からの転送が止められたとしても魔法ギルド側が代わりに転送を受け持ってくれる。一連の犯人も既に捕まっているそうで、バン卿も笑って、無駄な小細工ばかりする愚か者共だと言っていた。

「まぁ少なくとも、現コルデ卿が指揮をとれる状態だったらもっと計画通り行ったのは確かだ。そこが想定外ではある」

 それには思わずくすりとシーグルも笑う。

「……確かにそう考えれば、向こうのバカさ加減に腹が立つおまえの気持ちも分かるな……っ」

 笑いながら座っているセイネリアに近づいて行ったシーグルだったが、彼の椅子の横まで行った直後、腕を引かれて体勢を崩す事になった。

「……どういうことだ」

 座っている彼に向かって倒れ込んで、それをしっかり抱きとめられた体勢で、シーグルは少し怒った声で彼に言う。そうすれば返事の代わりに笑い声が返されて、シーグルはなんだかいろいろ諦めた。

「部屋は俺と一緒にしろといったのは、予定外にここが長くなりそうだからか」
「そうだ。すぐ戦闘が始まるなら部屋で過ごす暇などないが、待つ時間があるならお前と違う部屋で寝る気はないな」

 この街についてすぐ、まず第一に優先されるべきはロージェンティとシグネットなのは当然として、セイネリアも立場的にはその次になる。だから待遇としてそれにみあった部屋が用意され、もちろんそれは彼専用の個室で、当然専用の使用人達も用意されていた。だがセイネリアはそれを全部断って団の幹部連中と同じ並びの部屋にさせ、シーグルには部屋を用意させず自分の部屋に置いた。

「いわせてもらうが、それでもいつ戦闘になるか分からないんだ、その……夜のそういう相手は拒否したいんだが……」

 抱きしめたままシーグルの目元や首もとに唇を押し当ててくる相手に言えば、それにはやはり楽しそうな笑い声が返ってくる。

「分かっている、だが同じベッドで寝るのは命令だ」

 先ほどまでの不機嫌はどこにいったのかと思うほどの楽しそうな声に、シーグルは彼の好きなようにさせながらも盛大にため息をついた。

「本当だな、また触るだけだと言って……その、やりすぎは困る」
「そうだな、今回はちゃんと自重してやる。だから戦などさっさと終わらせてその手の煩わしい事を考えなくて済むようにしたいんじゃないか」
「いや、戦が終わってからでもそんないつでも好き勝手にされたら困るんだが」

 そうすればセイネリアは、耳元で軽く笑って返事を誤魔化してしまう。
 まぁ彼がどこまで自重してくれるかはおいておいても、これからクリュースの運命を決める戦いをしようという時にこの男はこういうところに拘るのだから、とシーグルとしては愚痴のひとつも言いたくなる。とはいえ彼にとってはそもそもこうして自分といる事の方が目的なのだから――それを考えれば、彼に抱きしめられながらも表情が強張るのを止められなかった。





 グネービクデの街の夜は今は静かで、静かすぎて、後数日の内にこの国の行く末を決定する大戦が起こる事など嘘のように思える。とはいえここの領主であるバン卿の屋敷では、普段にくらべて見てすぐ多いと分かる警備兵の数と、深夜に入るこの時間でも明かりのついた窓が多い事で、戦い前の緊張が見てとれた。

 部屋にノックの音が響いて、ロージェンティは書類から目を離した。
 音からそれが身内ではないというのが分かって、一瞬表情が固くなる。こんな夜更けに、と警戒して、だがそもそもドアの外には今はレガーがいる筈だから問題がある人間ならば通さないだろう、と思い直す。

「どうぞ、入ってきてください」

 そうすれば、深夜らしく静かにドアは開かれて、そうして顔を出した人物を見てロージェンティの表情が笑みに変わった。

「失礼致します、本当にまだ起きていらしたのですね」

 現れたのはこの館の主であるバン卿の長女、ネーヤ・ナ・サラヤ・バン嬢で、彼女はどうやら父親からロージェンティの身の回りについて任されているらしく、この街に来てからずっと、部屋の配置から必要なものなど事細かくこちらの要望を聞いていろいろ気遣ってくれていた。また彼女は女性ながらに騎士であり、その所為もあってかサバサバとした裏のない性格をロージェンティは好ましく思っていた。

「すみません、貴方に気を使わせてしまいましたね」
「あぁいえ、それは全く構わないのですが、何か問題があって眠れない、という事でしたらと思って……」
「それはありません、こちらでは本当によくして貰っていますし。単純に仕事があって起きているだけです」

 実はロージェンティが現状、彼女を信用できると直感で思ってしまうのは、こういう、少し不慣れで不器用で、それでも一生懸命にこちらを気遣おうとしてくれている彼女のその雰囲気の所為であった。それは少しシーグルに似ていて、騎士という事に拘った貴族の家――という似た環境で育った所為だろうかと思ってしまう。

「そうですか、でしたら私はお邪魔してしまったのですね、申し訳ありません」
「いえ、少し根を詰め過ぎてしまっていたので、丁度一息つけました。……もしかして、何か持ってきてくださったのですか?」

 手に持っていた小さな瓶を恥ずかしそうに隠そうとしたネーヤを見て、ロージェンティは微笑む。彼女は自分より2つ年下で、時折見せる少女めいた反応が微笑ましかった。人前での騎士らしい凛々しい姿とそんな表情のギャップもまた、シーグルを思い浮かべてしまうというのもある。

「あの、トルプルの実のハチミツ漬けをもってきたのですが……私が眠れない時に、よく母がこれをお茶に入れて飲ませてくれたので……」
「まぁ、それはありがとうございます。少し休憩を取りたいと思っていたところでしたので、丁度良かった、頂けますか?」
「あ、はい、ではすぐに……」

 そうしてお茶を入れようと慌て出す彼女をロージェンティは止めて座らせ、奥の部屋にいたターネイを呼んでお茶の準備を頼んだ。ネーヤは最初、向かい合って座ると緊張して表情を固くしていたが、一緒に茶を飲みだすと少しづつ表情がほぐれていき、言葉も多くなって他愛ない話に花が咲く。
 そこでふと、ロージェンティは思う。歳の近い女性との会話が楽しいと自分が思うのは珍しいと。
 ロージェンティは今まで貴族の娘達とのお茶会は何度も開いていたが、その時の会話を楽しいと思った事は実はなかった。考えればその原因はおそらく会話の内容で、お菓子や下世話な色恋話、あとは自分に対するおべっかなど、聞いていて楽しい筈がないと今更に思う。ネーヤの話はこの街の普段の様子や、兵達や彼女の兄達との訓練の話や失敗談などで、考えればその話題の選択もシーグルと似ているかもしれない。

「あぁ、もうこんな時間、私、つい話し込んでしまって……申し訳ございません」

 突然ベルが鳴り出した事で、ネーヤはそう言うと慌てて立ち上がった。それは時刻台が日付の変わった事を知らせる音で、ロージェンティが台から冒険者支援石を持ち上げると鳴り止んだが、ネーヤは既に帰り支度を整えてその場で深くお辞儀をしていた。

「いえ、とても楽しかったです。遠慮などせず、用事がなくともまた顔を見せて話し相手になってくださいね」
「あぁいえその……私など、女性が聞いて楽しい話など出来ませんし、その、退屈な話ばかりではなかったかと……」
「いいえ、とても楽しい話ばかりでした」

 そこで頬を染めてまで笑顔を浮かべる彼女に、ロージェンティも思わず微笑む。
 だがネーヤはそれから少し考えた様子を見せて、少し戸惑ったように苦笑する。それにロージェンティが顔を傾げて見せると、言い難そうに彼女は口を開いた。

「あの、実は……私も……シルバスピナ卿の花嫁候補として、話が進んでいたのですが……いえっ、それはもうっ、私など選ばれる筈がないのは分かっていたのですが、シルバスピナ卿はとても素晴らしい方で……存在しているのが不思議な程お綺麗で、私、見るだけで話す事も出来ませんでしたし、ロージェンティ様とは本当にお似合いだと……あぁぁすみません、私、何を言っているんでしょう。その、ですから……あの方が……あんな素晴らしい方がこんな事になって、本当に私許せなくて、ですから私……」

 顔を赤くして涙目になっているネーヤに、つられるようにしてロージェンティの瞳にも涙が浮かぶ。そうして思わず顔を下に向けて嗚咽を漏らす彼女に近づいて、ロージェンティはその肩を緩く抱きしめた。

「本当にあの人は、外見も中身も奇跡のように綺麗過ぎる人でした。だから、あの人の名誉を取り戻す為、そしてあの人の血を引くシグネットを助ける為、私に力を貸してくださいませんか?」
「はい……はい、勿論です」

 そうして彼女は涙を収めると姿勢を正し、ロージェンティに騎士として剣を捧げる事を誓ってくれた。




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 嵐の前の静けさというか、大戦前の状況説明回でした。



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