喜びと後悔の狭間で




  【1】



 アルスオード・シルバスピナが生きていた。
 そのニュースに、勿論リシェを中心としたシルバスピナ領の民は喜びに沸き返り、ノウムネズ砦の戦いに参加した兵士達や騎士団の一般兵達も口々に喜びの声を交わし合った。

「確かに、貴方の言う通り暫くは療養というカタチを取ってよかったと思います」

 子供の頃からのかかりつけの治療師でもあり植物系魔法使いの筆頭でもあるウォルキア・ウッドにシーグルがそういえば、肩書きの割りになかなかにお茶目な性格でもある魔法使いはウインクをしてからにっこりと笑った。

「元気だったら、忙しいどころじゃすまなかったろう?」
「えぇ本当に」

 部屋着にガウンを羽織っただけのシーグルは、力なく苦笑する。
 シーグルが帰ってすぐ、まずは体を心配したロージェンティが一番信用出来る治療師として彼を呼んでくれたのだが、体の事以外にいろいろと今後の相談役にもなってくれて、結果としてシーグルはとても助かった。
 シーグルの体調としては特に問題があるという程のところはないのだが、彼の薦めで暫くは『疲労と衰弱が酷くて療養が必要』という事にしておいた。そうしておかないと騎士団やら王への報告は勿論至急しなくてはならなくなるし、リシェに居ても祝いや挨拶の客で忙しいどころではなくなるからだ。
 だからこそ、そういう事にした所為で、首都方面への報告は代理で済ます事が出来たし、来客に関しても余程会わなくてはならない理由がある者以外は各方面からの使者に一目会うだけですませる事が出来た。

「まぁ、今は情勢的にもいろいろ難しいからね。何も知らずにすぐに王城に報告に行くのは避けた方が良かったというのもあるんだよ」

 それでアリエラが言っていた言葉を思い出して、シーグルはすかさず聞き返した。

「……帰って来る前にも少し聞いたのですが、そんなに状況に変化が?」

 ウォルキア・ウッド師は魔法使いとしての地位はあっても、政治的なことにはまったく関わらないし興味もないというタイプの人物である。そんな彼でさえ言うのだから余程の問題があるのだとシーグルは思ったのだが、魔法使いは途端に難しい顔をして考え込んだ。

「ふむ……奥方からはまだ何も聞いてないのかね?」
「えぇ、彼女はとても気を使ってくれているので、多少落ち着くまでは政治的な話はしないようにしているのだと思います」

 ロージェンティは現在のところ、帰ってきたばかりのシーグルに余計な心配はさせまいとしているのか、こちらを安心させるような明るい話題ばかりを話してくれる。ただ彼女のことであるから、緊急でどうにかしなくてはならない件なら話してくるだろうと思っているし、話してこないのなら彼女の判断で今はどうにか出来ているのだろうとシーグルは思っていた。政治的な話においてはシーグルよりも彼女の方が詳しいのは確実であるから、その方面での彼女の判断力を信頼しているというのがある。

「まぁそうだね、細かい状況は後でじっくり聞いた方がいいと思うが――……君がいない間にね、前王が崩御なされたんだよ」

 さすがにシーグルも聞いた瞬間に息を飲む。
 そしてその事実だけで、アリエラが言っていた――前よりも自分とこの家の立場がよくない、というその理由が理解出来た。

「前王の存在自体が現王の行動を抑えていたからね、君の立場としては出来る限り王宮に近付かないほうがいいんだ」

 シーグルは大きく息を吐く。
 セイネリアから前に貰った忠告を考えれば、現王はシーグルをよく思っていない。あわよくば消してやりたいと思う程に。
 となれば生きて帰ってきたシーグルに対して、内心心穏やかでないのは確実だろう。領地で生還を祝われるくらいはいいだろうが、これで騎士団に戻った後、兵達に英雄扱いされるような自体になぞなったら最悪だ。
 これは暫くは体調が思わしく無いことを理由として、いろいろ状況を整理する必要があるとシーグルは思う。

 だがふとそこで、本当は帰らない方が良かったのではないかという考えが頭をよぎる。シーグルが帰ってきた事でこの家や領民、部下達への風当たりは強くなるだろう。それくらいなら自分は死んだ事になったままだった方がマシだったのではないかと思える。あのままセイネリアといた方が、誰も傷つけず、余計な波風を立てずに済んだのではないか。

――何を今更。

 その考えを振り払ってシーグルは自分を叱咤する。今自分は既に、彼をまた傷つけてまでここにいるのだ、それを無駄にする事は許されない。ならば今自分が考えるべきことはこれからどうしていくかであって、選んでしまった選択が正しかったのか悩むなんて意味がない。
 自分の立場で出来得る最大限を尽くす事。シルバスピナを名乗るようになってから、シーグルはそうして生きてきたのだから。

「ところで一つ、尋ねてもいいかな?」

 考え事をしていたシーグルは、慌ててそれに返事を返した。

「はい、何でしょうか?」
「うん、君の中の魔法の流れだが……前と変ったね。黒の剣の影響ではなく――他に、何かあったのかな?」

 にこにこといつでも優しい笑みを浮かべている魔法使いの顔からは、言葉と同時に笑みが消えていた。

「……魔剣と契約しました」

 彼を信用しているからこそ、シーグルはそれを隠さなかった。どちらにしろ、魔法ギルド関係者にもいつかはバレる事である、ここで隠したところで意味はない。

「そうか……ならもう君は全てを知ってしまったのだね」
「いえ、全てという程いろいろ知った訳ではないと思いますが……黒の剣がどうやって作られたのかは分かりました」

 そこで真剣な顔だった魔法使いの顔に、いつも通りの柔らかい笑みが戻った。

「それはつまり、この世界の秘密の根本的な部分を知ってしまったという事かな」
「かつて、世界が魔法に溢れていた、という事でしょうか」
「……そう、だから我々の歴史はどうやって人々に一度失った魔法を受け入れてもらうかという試行錯誤の歴史なんだよ」

 言って遠くを見つめる魔法使いの瞳は、夢の中で会った魔剣の中にいる魔法使いの瞳とよく似ていた。

 そうして考えてみれば、クリュースに帰ってきてから――正確にはアウグを出てからは、シーグルは魔剣と記憶が繋がることが少なくなっている事に気付いた。というか、どうやら夢を見ないくらいぐっすりと眠ったり、魔剣を気にする余裕がないような状況では、あまり向こうからこちらに入り込んできたりはしないらしい。
 魔剣に意識を向けると返って来る感覚があるので繋がっているのは確かだろうが、覚悟していた程あれこれと魔剣の知識が入ってこないことに実はシーグルは正直ほっとしていた。

――結局、あいつに黒の剣のことは聞けなかったな。

 今聞いたらマズイ予感がして、そして聞くことが怖くて、シーグルは最後までセイネリアに聞けなかった――黒の剣を持った事で彼がどんな状況にいるのか――魔剣には黒の剣のことを聞きたいと、彼の苦しみを知りたいといっておいて、結局シーグルは真実を彼から聞けなかった。
 聞いたら、あの場で彼に別れを告げられなくなる――そう思ったから。

「君が魔剣の主となってしまったのなら、いずれ魔法ギルドの方から連絡がくるだろう。それより前に、何か聞きたい事があったりどうすればいいか分からなくなったら、私を呼んでくれてもいいからね」

 それで話は終ったとばかりに立ち上がりかけた魔法使いに、シーグルもまた見送るために立ち上がりながら返した。

「はい、ありがとうございます。ですが、まだそれ以上のことは私も分かっていません。魔剣の中の魔法使いは聞けば教えると言っていましたが、普段は……たまに断片的に彼の記憶が見える程度ですので」

 するとウォルキア・ウッドは僅かに眉を顰めて考え込み、それから表情を和らげて軽く笑った。

「成る程、君の魔剣は力に未練があって魔剣となった者ではないのだね。確かに君が契約するに相応しい魔剣だったようだ。なら、少し安心したよ」








 領主戦死の報を受けてから、秋から冬に掛けてずっと悲しみの中にあったリシェの街を救ったのは、その亡き領主の血を引く次期シルバスピナになるべき新しい命が生まれた事だったという。
 とはいえ領主訃報の直後という事で、さすがに街をあげてそれを祝う事まで出来はしなかった。だからこそシーグルが生還したのなら、その祝いを兼ねて領主の第一子誕生の祝いを盛大にすべきだと、街の有力者や議会からは即座に提案があがった。
 シーグルとしても迷惑を掛けた領民の為にとそれ自体はすぐに了承を返したのだが、問題は日程の方で、すぐにでもという彼らを止めて暫く待ってもらう事にするのは多少の苦労があった。

『確かに、アルスオード様の体調が落ち着くまでというなら仕方ありませんが、開催するという事だけは告知しておいていいですかな。でないと気の早い連中はもう勝手に祝いの品やら売り出しやら始めてしまっていますので』

 商人の街リシェであるからそこは了承するしかないが、彼らの商魂の逞しさというか、お祭り事の好きさ加減には苦笑を返す。そんな彼らの為に大いに楽しんでもらいたいとは思うものの、臣下として王に直接の報告に行く前に派出な祝いの式典など出来る訳がない。現在の情勢を把握して、王に報告に行って、それから日程を決めて、交流のある旧貴族当主と、有力者達に挨拶と招待の手紙を書く事になるだろう。

――騎士団の復帰はかなり遅れそうだな。

 騎士団の部下達に関しては代表してやってきたグスだけには会ったが、顔を見た途端に泣き出した彼は勿論、話を聞いた限りでは皆シーグルが生きている事を信じて待っていてくれたらしい。彼らに早く会いたいという気持ちは膨らむものの、慎重に行動しなくてはならない状況である事は承知していた。

「おーーいシーグル、入っていいよなっ」

 言いながら返事を返すより先に入ってきたウィアを見て、その相変わらずの行動にシーグルの口元に笑みが沸く。

「あぁ、ウォルキア・ウッド師はもう帰られた。ところでウィア、兄さんは?」

 彼が来ているのなら、兄も一緒なのは確実な筈だった。
 ウィアはウィンクをして親指を廊下に向けて立てる。

「あぁ、お前が来客中だったからな、フェズは先にシグネットのとこに行ってる」

 聞いた途端、シーグルの顔が完全に笑みを浮かべて和らいだ。

「そうか、なら俺もすぐにいこう」
「おー、早くいこーぜ。今日はフェズが菓子作ってきたからさ〜皆でお茶にしようってさ。ラークも来てるし賑やかになっ」
「ラークが?」

 シーグルがリシェに帰還してすぐにやってきて再会を喜び合った兄達は、その後もほぼ毎日首都からこちらに顔を出しに来てくれていた。聞けば、自分がいない間も兄とウィアはかなり頻繁にリシェに来てくれていたという事で、ロージェンティは大分彼らに励まされたと言っていた。
 とはいえ、弟のラークに関しては最初の日以降久しぶりで、兄弟皆が揃うとなればシーグルとしてはやはり嬉しい事だった。

「そそ、今日のクッキーはラークが選んだ体力回復にいいハーブが入ってるとかでさ、わざわざ解説したいんだろっ」
「そうか……ありがたいな」

 口では憎まれ口ばかりのラークだが、実際のところはいろいろ自分の為にしてくれているのをシーグルは分かっている。
 そして勉強と研究に忙しい彼が、あまり出かけたがらないのも知っていた。

「ラークが一緒だと、今日は馬車で来たのか?」
「おう、街間馬車になっ」
「ならこの時間からだと帰りは送らせた方がいいだろうな。それとも今日は泊まっていくのか?」
「あー泊まりもいいなぁ、兄貴もさすがにこっちに泊まりなら文句いわないだろうしっ」

 ウィアがなにげなく言っただろう言葉に、ふとシーグルは考えて尋ねる。

「テレイズ殿はお元気だろうか?」

 兄の事となれば自然と顔をしかめるウィアは、それにいつも通り軽く唇をとがらして答えた。

「おー、元気元気、相変わらず腹黒く大神殿で暗躍してるぜ」
「……なら今度、時間がある時に一度お会いしたいと伝えておいてくれないだろうか」

 だがシーグルがそう言えば、ウィアの茶色の瞳はまん丸くなってこちらを見返してくる。

「へ? まぁいーけど、兄貴に何の用が?」

 それにシーグルが返した笑みは、酷く苦々しい苦笑だった。

「『告白』したい事があるんだ」

 人の細かい感情変化に敏感な彼は、そのシーグルの顔をみただけでそれが何かを聞いてくるような事はしなかった。ただ代わりに背中を一度、音をたてる勢いで叩いてきてこう言ってくれた。

「一人で考え込むなよっ、俺は『告白』を聞く事は出来ないけど、『相談』ならいつでも聞くからなっ」

 彼の声はいつでも明るくて、裏がなくて、力強くて。だからその声を掛けて貰うだけでシーグルも気分が軽くなる。

「ありがとう、ウィア」
「おうっ、お礼の言葉も品物も、年中無休受付中だぜっ」

 のけ反る程胸をはって言ったウィアの言葉に、シーグルは笑いを抑えられなかった。




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 新エピソードは主にシーグルの帰還を祝う人々のお話。……と不穏な影。



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