選んだ未来と捨てた名前




  【7】



 目が覚めると、そこには白い朝の風景にもくっきりと浮かびあがる黒い髪の男の顔があった。背後から朝日を受けて、黒い筈の彼の髪が表面に光を纏う。白い光に縁取られた男の姿の中、色素の薄い琥珀の瞳がじっと自分を見つめていた。
 この瞳が、こんなに優しい笑みを浮かべられるのを知っているのは、きっと自分だけだろう。
 そう、思ってシーグルは思わずその顔に向けて手をのばす。彼の頬にふれれば、その琥珀の瞳は細められて、触れた手にそっと彼の手が重ねられて、その手首に口づけられた。

「おはよう」
「おはよう」

 言われて返せば、今度は彼の顔が近づいてくる。触れてすぐ離れたけれど、寝起きで乾いた唇に柔らい彼の唇を感じて、まだ少し寝惚けていたシーグルの意識ははっきりと覚醒した。
 途端、すさまじい勢いで恥ずかしさが込みあがってくる。
 熱くなる頬を自覚して、隠せないのに顔を手で覆って、シーグルは目の前の男から目を逸らした。
 そうすれば、顔の前に出した手を掴まれて強制的にどかされる。力では到底勝てないからそれに抵抗は出来なかったものの、なんだか意地になって目を逸らしたままでいれば、軽い溜め息の後に彼が言ってくる。

「こっちを向け」
「嫌だ」
「起きてるならちゃんと顔を見せろ」
「どうせずっと前から寝てる俺を見てたんだろ」
「そうだが、お前の目が俺を見ているのが見たい」

 なんか今、さらっととんでもないことをいったんじゃないかこの男は。
 ふと今の彼の台詞を冷静に考えてみれば、シーグルの顔はなんだかまた余計に熱くなってくる。どれくらい前から自分の顔を見ていたんだ、とか、お前の目が俺を見てるのが見たいってそれは相当恥ずかしい台詞じゃないか、とか。頭が冷静に考えれば考える程益々顔が熱くなってくる。しかもこっちはこんなに恥ずかしくて堪らないのに、向うは完全に真顔というか自然に言っているのだから、それも考えたらまた余計に恥ずかしくなる。

「こちらを向かないと、実力行使に出るぞ」

 だが結局そう言われたら、シーグルは降参するしかなかった。
 そろっと視線を彼に向けると、彼は機嫌の良さそうな笑みでこちらを見ている。いや、機嫌が良さそう、というよりも嬉しそうといった方がいいんだろうか。

「命令、すればよかったじゃないか」

 その顔が癪で嫌味をこめてそう言えば、彼は微妙に眉を寄せて苦笑した。

「こういうのは『命令』するより、『お願い』を聞いてもらった方が嬉しいだろ」

 その表情が彼らしくなくちょっと弱気に見えて、ズルイぞ、とシーグルは思わず心で罵った。こんな顔をしてみせて、しかも『お願い』だなんて、『命令』よりも強制力が高いじゃないかと思う。というかそもそも今のは『お願い』だったのか『脅し』だろ、とつっこみたくなったがそれは流石に言わなかった。

「お前……そんな前から起きてたのか?」

 とりあえず、お願い云々の話をこれ以上続けたらなんだか墓穴を掘りそうな気がして、シーグルは話を微妙に戻してみた。だがセイネリアはそれにもまた、さらっととんでもない事をいう。

「どうだったかな、外が明るくなりきる前には起きていたことは確かだが」

 なら相当前からじゃないか、というつっこみを飲み込んで、シーグルはため息をついた。

「お前にしては相当早起きじゃないか」
「そうだな、お前が動いて俺の腕をどけたから目が覚めたんだが、それでお前の顔を眺めていたら朝になっていた」

 いったい、どれくらいの間この男は自分の寝顔を見ていたのだろう。もう恥ずかしいを通り越してあきれるしかない。

「いつも思うんだが、よくそれだけ飽きずに俺の顔を見ていられるな」

 ため息とともに言えば、彼はまた楽しそうに笑ってくる。

「いつも言ってるだろ、俺が飽きる筈がないと。それにな、見ている間にだんだん部屋が明るくなってお前の顔がはっきり見えてくるのは楽しかったぞ。それこそ飽きる筈がない」
「楽しい……のか?」
「あぁ多分、こういうのが幸せだというのだろうな。こうして眺めているお前を離さなくていいと考えるだけで、楽しくて仕方がない」

 それを本気で嬉しそうに言ってくるのだから、シーグルにはもう返す言葉が見つからなかった。いや、嫌味の言葉だけならいくらでも思い浮かぶのだが、今の彼には自分がなにを言っても喜ばれるだけな気もしていう気がなくなった。……それに、この誰からもおそれられる最強の騎士が本心から嬉しそうな顔をしているのだ、これだけ貴重な彼をみれただけで十分ではないかという気持ちが自分の中にある。結局、自分も彼が嬉しそうな事が嬉しくて、彼が自分といる事を幸せだと言えば自分も幸せな気がするのだから仕方がない。
 ずっと髪を撫ぜていた彼の手が前髪を上げて、額から頬を撫でてくる。
 その手の上に自分の手を重ねたシーグルは、彼の指に感じた感触で思わずその手を掴んでまじまじと見つめてしまった。大人しく自分に手を任せたセイネリアの手の指には指輪があった。かつて自分の血を与えた愛の女神サネルの『知らせの指輪』だと分かったシーグルは、彼がいまでもずっとこんなものをしている事に苦笑する。

「らしくないな、まだこんなものをしていたのか」
「お前の事なら、信じてもいない神にさえ縋りたい気分だったからな」

 手を取り返したセイネリアがその手でまた頬を撫ぜてきて、そうして彼の顔が近づいてくる。
 口づけは、そっと触れただけですぐに離れた。

「もう、必要ないんじゃないか?」
「そうでもない、お前は無茶をするから、俺はいつでも不安でたまらない」
「人を逃げられなくしておいてまだ不安なのか?」

 真剣に見つめてくる琥珀の瞳の中に本気で彼らしくない不安の影を見つけてしまって、シーグルはワザと茶化して呆れたように言ってみる。
 それに彼は答えずに苦笑して見せただけだが、逆にシーグルは彼を引き寄せてその頬にキスをした。

「大丈夫だ、俺はもうお前のものだ」

 そうしてその後、またキスをしてきた彼に好きなままにさせたら、起きて朝食を取るまでの間にえらく時間が掛かってカリンが迎えにくるまでベッドから出られなかった……のは困るしかなかったが。







 その日は午後からセイネリアは領主の館にいくことになっていて、今日はシーグルもついてくるように命じられた。
 つまり、シーグルがレイリース・リッパーとして、初めて直にロージェンティの前に立たなくてはならないということだ。セイネリアの側近という立場上、今後避けて通れない道なのだから覚悟を決めるしかなかった。

 この街の領主であるネデの館は街の中心部にある。この街の建物のほとんどがそうであるように外壁は白一色に統一され、その分なのか中に入れば天井や床は色鮮やかな模様に覆われている。廊下を広くとった間取りと大きな窓は風をよく通し、どの部屋も明るく、開放的な雰囲気を持っている。冬の寒さ対策にどこもかしこもきっちり閉ざされているセニエティの建物の重苦しさとは正反対だ。
 この明るい雰囲気の中、ロージェンティや兄弟達も明るい気分で過ごせていればいいのだが……と思いながら、シーグルはセイネリアの後ろをついて長い廊下を歩いていた。

「あー……とぉ、俺は途中からネデとの打ち合わせで抜けるんだが……」

 大丈夫か、と心配そうな顔をしてエルがこちらの顔を見てきて、シーグルはそれに頷いて見せる。彼は、初回から一人だけでセイネリアについていけば注目されすぎて厳しいだろうと今回一緒についてきてくれていた。シーグルとしても確かに不安に思うところだったので、今回は彼の好意に大人しく甘える事にした。……セイネリアはそれに、過保護め、と言ったのだが、エルの、どっちがだよ、という反撃の言葉には黙って顔をしかめた……という事があったのだが。
 ともかく、エルにもセイネリアにも気を使わせている事を考えれば、シーグル自身が狼狽えて失敗する訳にはいかなかった。なにせおそらく、これからずっと、何度も……シーグルはセイネリアの部下として、かつての家族の前に姿を見せなくてはならないのだから。

「でさ、それでラークのやつが魔法にまた失敗してさ」
「なんだよ、ウィアがやたら急かしたからでしょっ」

 聞こえてきた懐かしい声に思わず足がすくむ。楽しそうな笑い声に、かつて自分も彼らの側にいた事を思い出して、心にずんと重いものが落ちる。
 すると、立ち止まりはしなかったものの歩みが遅れたシーグルの肩を、隣にいたエルがぽんと軽くたたいてきた。
 それでシーグルの意識も浮き上がる。
 暗い考えに沈みそうになっていた思考が止められた事で、自分の覚悟を思い出す――今更思い悩んでも意味がない、今はすべき役目に徹する事が家族の為であり、自分の、そしてセイネリアの為である。もうどこにも逃げ場はない。
 ドアの前にいた見張りの兵士が外扉を明けると、中扉はすでに開いていたらしく、白い壁と鮮やかな色彩のコントラストが目に入ってくる。部屋の中にいたリーメリとウルダの間を通る時は足が止まりそうになったが、それでも姿勢は崩さず、見た目は平静を保って通り過ぎる事が出来た。遅れないよう、一定の足取りを乱す事なく前を行くセイネリアとネデについていけば、バルコニーのある広い部屋に入ってすぐのところでその足は止まった。
 セイネリアが来たせいだろう、先ほど外にまで漏れていた楽しそうな声は止み、部屋の中には緊張感が漂っていた。

「悪いな、まだ茶の時間だったか?」

 セイネリアが言えば、ロージェンティが立ち上がる。
 それに合わせてウィアや兄弟達は、慌ただしくテーブルの上を片づけ出す。

「いえ、約束の時間ぴったりです」

 彼女の声は固い。
 ウィアやフェゼント、特にウィアは片づけながらもこちらをちらちらと見ていたが、やがて全てをティーワゴンに乗せると、リーメリに押されながら奥の部屋に行ってしまった。




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 セイネリアの幸せそうぶりを楽しみつつ、シーグルも気を引き締めて後1話で終わりです。



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