選んだ未来と捨てた名前




  【4】



 自分の事を違う声で『マスター』と呼ぶ最愛の青年を見下ろして、セイネリアが了承の返事を返せば、辺りの者達から息を飲む気配が返ってくる。それを軽く視線だけでぐるりと見回してから、セイネリアは口元だけに僅かに笑みを浮かべた。

 黒の剣傭兵団に入るだけの人間なら、入ってまず最初に思う事がある。
 噂のセイネリア・クロッセスはどれくらい強いのか。

 最強、と呼ばれるその実力が本当なのか、本当であればどれほど強いのか。腕に自信がある人間ならば誰もが思う。だからほぼ全員、入団したばかりの者は一度はセイネリアと剣を合せたいと言ってくる。それをセイネリアが拒んだ事はない。勿論、それがシーグルからの申し出なら、セイネリアに拒む理由などある筈がない。

 シーグルがセイネリアに手合せを申し込んだ段階で、だから自分にも覚えがある団の面々は皆、あぁやはりという顔をしていた。そしてその顔がどこか気の毒そうな、沈んだ表情になるのにも理由はあった。

 セイネリアは腰から通常使いの長剣を抜いて構えた。シーグルも剣を抜いて構える。互いに甲冑を着て、互いに長剣で、そして術なしとなれば条件は同じである。実を言えば、相手によってはセイネリアが最初から剣を抜かない場合もあるから、それだけでもセイネリア自身がレイリース・リッパーの実力を認めていると団の者達には伝わるだろう。
 始まりの合図の声が上がれば、ますシーグルが走り込んでくる。
 今の彼にとっては最速だろうその踏み込みにギャラリーは沸くが、セイネリアにはそれが僅かに彼が一番速かった時より劣っている事が分かっていた。それは鎧の重さの所為か、それとも昨夜の今で体調が万全でないせいか。おそらく前者だと思えば、彼の実力を完全に出させてやれない事を歯がゆく思う。

 最初の一撃はまずセイネリアが受けて、鉄同士のぶつかりが激しく火花を散らす。
 けれど当然、シーグルは受けられる事は想定済で、すぐに切り返して剣を絡めとろうとしてくる。それを力任せにセイネリアが払えば、シーグルは逆らわずに剣を引いて力を逸らし突き返してくる。
 セイネリアが体を逸らして避けながら剣で受ける。剣を下に向けた普通なら苦しい体勢で受けながらも、そこからセイネリアは刃を滑らせ、上から押し込むように鍔をぶつけてシーグルの剣を落とそうとした。
 気付いたシーグルは急いで剣を引く。セイネリアの剣が逃げようとするシーグルの剣を追って突き出される。そうなればシーグルは一度大きく引いて構え直すことになった。
 実際は一瞬の事だが、離れた途端、回りの者達は一斉に感嘆の息を吐いた。彼らは分かっている、セイネリアと剣を合せて最初の一撃で勝負が決まらなかったのが初めての事だと。

 次はセイネリアが動けば、シーグルは微妙に位置をずらしながら鎧の湾曲面で剣を滑らせ、そこから踏み込んできてすれ違いざまにこちらに剣を届かせようとする。ただそれはセイネリアの足が蹴ってきた事で叶わず、彼はこちらの左側に逃げこむしかなくなった。
 それにすぐセイネリアの追撃が飛ぶ。強引に振り回される剣を避けてシーグルは一歩引き、更に払った筈の剣が即返されて再び払われたことでシーグルはまた数歩下がる事になる。さすがにそこまで下がるのは想定外だった彼は、後ろを気にして次は横に逃げる。こちら側の左へ、左へ、回り込むように逃げていて、そこから突然、今度はこちらの右に回って強い踏み込みを仕掛けてくる。
 ガッと重い音を立てて剣の根本と根本がぶつかる。互いに力の入る位置で剣が当たれば、純粋な腕力がモノを言うのが当然である。シーグルはすぐに引こうとしたが、その前にセイネリアの圧倒的な力で体毎押し切られる。そうして、文字通りふっとばされた彼の体は地面に転がる事になった。
 見ていた者達のため息が聞こえる。
 あぁ、と落胆の声さえ上がる。
 それからゆっくりと立ち上がったシーグルに向けて、拍手さえする者もいる。
 セイネリアとこれだけ長く打ち合えた彼に対して、団員達は素直な賞賛の瞳を向けていた。

 だが、彼がセイネリアにとって『特別』なのは、彼のその実力の所為だけじゃない。
 彼だけが『特別』なのはここから。
 彼の場合は、これで終わりではないからだ。

「マスター、もう一度お願いできますか?」

 立ち上がったシーグルが言えば、回りには驚きとどよめきの声が広がる。彼らの声を心地よく聞きながら、唇を笑みにゆがませてセイネリアは答えた。

「勿論、いくらでもつきあってやる」

 今まで、入団してセイネリアと一度でも手合せをした人間で、二度目を申し出てきた者は一人もいない。
 皆が皆、一度剣を合わせれば絶対に勝てる相手ではないと理解して、二度と戦いたいとは言いださない。そうして後は大人しく膝を折るだけの存在となる。だからこそシーグルがセイネリアに手合せを申し出た段階で、彼らは『あぁ、また彼もか』と思ったに違いない。腕に自信のある者が圧倒的に強い相手に出会い、完全に屈服する――その光景がまた繰り返されるのだろうと。

 けれど、シーグルは違う。彼は諦めない、投げ捨てない。

 二度目は、やはりシーグルの疲れが出てきていたせいもあってか、一度目よりも早く決着はついた。それでもセイネリアの足を一歩引かせた時に、見ている者からは歓声が上がった。
 三度目になれば、シーグルの疲れはさらに濃く出て、速い踏み込みはほぼ出来なくなっていた。それでも剣を切り返し、受けるのではなく受け流して、出来るだけマトモに打ち合わないようにして彼はどうにかこちらのミスを誘おうとした。
 四度目はもう、明らかに彼は肩で息をしていて、それでもセイネリアの剣を一度は受けて逸らしてみせた。
 そうして、五度目の勝負がついた時、彼は倒れたまま立ち上がれなくなって、エルがやってきてそこで本当に終了となった。

「ったくがんばりすぎだ、手間のかかる弟だぜ」
「すまない……」
「ま、がんばったご褒美にだ、にーちゃんが直々に連れていってやるよ」

 そう言ってエルはまた自分に筋力向上の術を掛けると、鎧のせいで一人で持ち上げるにはきつい重さのシーグルを担ぎ上げた。
 心配する面々の中、皆に声を掛けられながらシーグルはエルに運ばれて去っていく。ぐったりしているものの、掛けられた声には手を上げているシーグルを見て、セイネリアは笑みを浮かべながらその場から背を向けた。








 シーグルは倒れた後、セイネリアと一緒に帰ってきたサーフェスの元へと運ばれた。そうしてその後、かなりの数の団員がこっそりサーフェスのもとへシーグルの状態を聞きにきたらしい。彼らは一様に容態を聞いた後、シーグルに向かって賞賛の言葉と、後でおごるから飲みにいこうと伝えていったという事で、それを聞いたセイネリアは、前者はともかく後者の誘いはあいつにとっては困るところだろう、と笑うしかなかった。
 当然ながらシーグルの倒れた原因は完全に体力切れで、特に怪我をしたという訳ではない。……のだが、サーフェスやエルが二人してあれこれと世話を焼いた上にロスクァールまで呼び出して、団の治癒役の主要メンバーが全員集まって大変な事になったらしいと、カリンも呆れて言っていた。

 そうして報告の最後に、カリンは笑って言ったのだ。

『ドクターやエルが気の済むまで『治療』したら、ちゃんと今日はここへ帰ると言ってらっしゃいました』

 それだけでこんなに気分が良くなるのだから自分も随分単純なものだ。そう、自嘲しながらも、セイネリアは今のこの時を楽しく思う。
 こういう気分なら、『待つ』のも悪くはない。
 確実に彼が来るのが分っていれば、こうして待っている時間もまた心地良い。
 外はもうとうに夜を迎え、窓から見える街の灯が揺れる様を見ていると、意識が僅かにまどろんでいく。夜が更けるにつれて、見える灯りがひとつ、またひとつと減っていくのを数えていれば、甲冑の擦れ合う音をさせた足音が廊下から聞こえてきて、セイネリアは口元に笑みを浮かべた。

「入ってこい」

 ノックが聞こえる前に、その足音が部屋の前に止まってすぐ声を掛ければ、やがて迷うだけの間が空いてドアが開かれる。
 セイネリアが椅子を動かしてそちらに顔を向ければ、黒い細身の甲冑に全身を包んだ青年が立っていた。

「自分で歩けるくらいまでは体力を戻したか?」

 聞けば、彼は兜を脱いで、確かに彼以外ではないその愛しい容貌を露わにする。

「あぁ……その、いろいろと……大変だったが」

 セイネリアはそれに喉を鳴らす。

「ドクターもエルも相当いろいろやったようだからな」
「怪我じゃないんだ、そんなあれこれしてもそうそうにどうにかなる訳がない」

 少し子供っぽい口調で拗ねるようにいう彼の顔にまた笑いながら、セイネリアは椅子に深く腰掛けた。

「疲労なら、アッテラの術は一番意味がないだろうにな、エルの奴はどうしても何かしたかったんだろう」
「エルは術じゃなくマッサージをしてくれた。ドクターはいろいろ疲労回復にいいという薬を調合してくれた」
「……まぁだが結局はロスクァールの治癒が一番効いた、というところか?」
「あぁ、彼のお陰で動けない状態から歩けるようにまでになった」

 疲労のような症状は、結局はリパの治癒が一番効く。リパの治癒術としてはその手の漠然とした症状は苦手であっても、他は栄養と睡眠くらいしか効果的な手段がないのだから仕方ない。ロスクァールは元リパの大神官だけあって治癒の力はかなり強い為、完全回復はなくともかなり楽にまでは出来ただろう。

「まだ慣れないから程度が分からんのだろう……まぁ、エルのは単にお前を構いたいだけだろうな」

 笑って言えば、シーグルは僅かに視線をすまなそうに下へ落とした。

「彼にはとても……迷惑を掛けている」
「奴は全く迷惑などと思ってないぞ、いっそもっと困らせてやれ、きっと喜ぶ」
「喜ぶ、のか?」

 今度は目を見開いて困惑ぎみにこちらを見た彼を、セイネリアは嬉しそうに見つめて、そうして呟くように返してやる。

「そうだ……俺もな」

 シーグルはそれにもやはり目を見開いて、けれどすぐ辛そうに表情を曇らせる。彼にそんな顔をさせたくなくてセイネリアは言葉を続けてやる。

「お前の事で掛かる迷惑も、困るのも、俺にとっては煩わしい事ではない、かえって嬉しいくらいだ。言いたい事があるなら、ただの愚痴でも文句でもお前はもっと俺に言っていい。たとえそれがどれだけ理不尽な内容でも最後まで聞いてやる」

 言ってセイネリアは立ち上がる。
 そうして、どう返せばいいか分からずに立ちすくむシーグルの前まで行って顔を上げさせ、その唇に唇を重ねた。






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次回はこのままいちゃつきまくります。
 



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