求めるモノと偽りの腕




  【10】



 リパの丸い月を眺めて、ターネイはまた、軽くため息をついた。
 港町リシェの夜景は、星空よりもずっと明るく色とりどりの明かりが街を覆っている。この街の領主であるシルバスピナ家の館は高台にある為、夜になれば港周辺の繁華街の明かりが眼下一杯に広がる。その美しい眺めを見る度、この部屋を割り当ててくれた、ターネイが仕える主――ロージェンティの夫シルバスピナ卿は、妻の故郷の館の事を考えて選んでくれたのではないかと彼女は思う。もっとも、この街はクォンクスよりも街の明かりが強すぎて、『星見の館』と言われたロージェンティの館に比べると星はあまりよく見えないのだが、より賑やかな街明かりの風景はまた違う美しさがあった。
 その風景は勿論主であるロージェンティも気に入っていて、夜になると彼女は夫の帰りを待ちながらこの窓から外を眺めるのを日課としていた。帰れない日は寂しそうであっても、ならば明日は必ず帰ってくるでしょうからと言って、ターネイと二人で、明日シルバスピナ卿が帰ったら何をすればいいだろうかと予定を立てて過ごすのがいつもの事だった。
 だが、今日はそんな事をする気力もなく、彼女はただ悲しそうにその風景を見つめているだけだった。そうしてまたターネイの目の前で、窓からの眺めを見つめながら、ロージェンティは今日だけで何度目になるのか数えきれないため息をついた。

「奥様、そろそろ礼拝にお出かけになるお時間です、御仕度をなさってくださいませ」

 言ってターネイが窓を閉めると、ロージェンティは椅子に座ったまままたため息をついた。

「旦那様が、ご心配ですか?」
「えぇ」

 主の夫であるシルバスピナ卿は、いくら忙しいと言っても今まで2晩連続でリシェに帰ってこないという事はまずなかった。一度だけどうしても連続で帰ってこれなかった時はあったものの、その後に本当に申し訳なさそうに彼女に謝って、代わりに週末にはロージェンティの好きなところに一緒に遠乗りに行こうと言ってくれた。そんな、生真面目な人物である。
 だから昨夜、帰ってこれないと聞いた時は、その分絶対に今夜は帰って来てくれるだろうと、主は前日からいろいろ計画を考えていた。なにしろ今宵はリパの月の夜で、共にリパの特別礼拝に行くのだから、その時のことを考えて準備をして……と本当にとても楽しみにしていたのだ。
 けれども、今日の昼間の内に、リシェの館にいるシルバスピナ卿の兄上から連絡があって、シルバスピナ卿は今日から当分リシェには帰れない事を伝えられた。理由としては、何か仕事上で魔法関係のトラブルがあったらしく、シルバスピナ卿はそれで受けてしまった魔法の後遺症がないかどうかの精密検査を受けなくてはならなくなったという事らしい。
 それを聞いた後の、ロージェンティのうろたえぶりはターネイが驚く程だった。
 たまたまその話を聞いてしまったターネイは急いで席を外そうとしたのだが、ロージェンティは震える手でターネイの服を掴んで、ここに一緒にいて、と不安そうに引き止めてきたのだ。蒼白な顔で侍女であるターネイを見上げる彼女は今にも倒れてしまいそうで、そんな弱々しい彼女はターネイがはじめて見る姿だった。
 シルバスピナ卿の詳しい状態は兄であるフェゼントもまだ分からないという事で、何か分かり次第すぐに連絡をしてくれるとは言っていた。

「騎士団の方に、こちらに直接連絡をしてくださるようにお願いは出来ませんか?」

 少しでも状況を知りたいロージェンティは義兄にそう言ったものの、彼は一応伝えておくが、向うも何も分かっていないらしいと言うだけだった。
 ただ現在、シルバスピナ卿の状況を確認する為に、親書を使って本人の声で現状を教えてくれるように頼んでいるという事で、来たらすぐにこちらに送る事を約束して一先ず話を終えた。
 その後もずっと、青白い顔のままロージェンティは考え込んでいたのだが、彼女が何を悩んでいるのかターネイにはすぐに分かった。
 少しでも早く、夫に関する情報が欲しい――そう思った彼女は今、首都のシルバスピナの館へ行くべきかどうかを悩んでいるのだ。本当なら今すぐにでも首都へ行きたいと思っているだろう彼女だが、首都からどんな思いでクォンクスに帰ったのかを思い出せば簡単に決断出来るものではないのだろう。幼い頃からずっと彼女に使えてきたターネイは、勿論その時も一緒だった、泣きそうな瞳からそれでも決して涙を流さず、遠ざかるセニエティの街を馬車から睨んでいた気丈な彼女の姿を知っている。

「奥様、どちらにしろ今夜はもう街を出るには遅うございます。とりあえず今夜は、リパの月に旦那様の無事をお祈りに行きましょう」

 言えば彼女は、苦しげに笑みを纏ってターネイに顔を向ける。

「えぇ、そうね、貴方の言う通りだわ」

 そうして彼女は、礼拝に出かけるためのヴェールを被ると、その場でそっと胸の聖石を握り締めた。









 騎士団の建物を出て、城壁を抜けた後、空を見た青年は思う。――そういえば今日は満月か、と。
 外はもうすっかり夜の風景で、丸く明るいリパの月が、まだこの時間は低い位置で街の上に浮かんでいた。『一応』リパ信徒として、本来なら今夜は大神殿に行って祈りの一つでも捧げてくるのが正しい姿なのだという事は分かっているのだが、生憎彼はそれほど真面目な信徒ではなかったし、今からとてもそんな気分にはなれなかった。それよりも、門の向うに見える街の明かりは、会議疲れの気分転換、ウサ晴らしにぱーっと遊びに行こうと誘っているようで、思わずふらふらとそちらへ向かいそうになる。
 騎士団の仕事が終わり、兵舎へと帰ろうとしていた青年は、そこでふと、支援石が呼び出しを示して光っているのに気付いてしまった。それを暫く見て軽く苦笑して、そうして彼はやれやれと兵舎とは別のほうへと足を向けた。

 定期連絡にはまだ早い筈だが、と思った彼は、いつも通りの連絡場所へ向かって、そこにいるのがいつも通りの連絡役でなかった事にとんでもなく驚いた。彼がそれだけ驚くのは無理もない話で、なにせそこに居たのは今この街にいる筈がない、遠い南の港町にいる筈のあの男本人だったのだから。

「なんで……あんたがここに」

 呆然と呟いた青年は、そこでふとその男の様子が少しおかしい事に気付く。

「なに、ちょっとしたヤボ用という奴だ……急の用件は無くなったしな」

 いつも余裕があって自信満々で、憎らしいくらいベッドの上でも平然としている男が、何か妙に、覇気がないというか……この男らしい、圧倒するような空気がない。
 そこで、この男の心を唯一動かせる人物の事を思い出して、彼は思ったままを口に出した。

「そういえば、シルバスピナ卿が暫く休暇をとるそうだが、あんたがいるって事は彼になにかあったのか?」

 聞いても相手は答えない。まぁ、この男が大人しく自分にそういう事を打ち明けてなどくれる筈はないかと思って、この話はもうしない方がいいのだろうと彼は判断する。

「それで、あんたがわざわざ俺を呼び出してくれたっていうのは……そういう事だと思っていいのかな?」

 黒い騎士は、いつもより力ない琥珀の瞳を下へ向けたまま、唇だけに笑みをうかべて答えた。

「あぁ、気が滅入る事があったんでな――少し、慰めろ」
「慰めろ……ってなんで命令口調なんだあんたは、だけど、まぁ……」

 悪い気はしない。
 何せ初めて、向うからこちらを求めてくれた訳だし。この街に他にもいるだろう相手の中から、自分を選んでくれたという訳だし。

 青年は別にこの男にとって情人と言えるような人物でもなかった。ただ単に、この黒い騎士に情報を渡してその代わりに寝るというだけの、おそらくは情報屋の一人程度の扱いでしかなかった。彼もそれは分かっていたし、それ以上を望めない事も分かっていた。なにせきっと、今彼のところにきたのもまた、彼がシルバスピナ卿と同じ銀髪だという理由だけなのだろうから――。




END
 >>>> 次のエピソードへ。


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ってことでこのエピソードはここで終了です。
最後に出てた青年は、騎士団編を読まれた方にはお分かりの彼です。名前が出てないのは……そこまで重要な役どこじゃないのでって事でそんな深読みしないでくださいね。セイネリアさんの落ち込みぶりは相当です。



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