揺れる心と喧騒の街




  【5】



 夜も遅い騎士団は、だが、時期が時期だけあってか、今日は遅くまで建物のあちこちの窓に明かりが見える。そんな窓の一つ、今だけではなく普段から遅い時間まで明るいこの部屋の主であるシーグルは、手に持っていたペンを置くとそのまま大きく背伸びをした。

「はい、お疲れ様です〜。これでも飲んで下さいねぇ〜」

 手元に置かれたカップと、妙に楽しそうなそれを置いた人物の姿を交互に見て、シーグルはカップに手を伸ばしながらも呟いた。

「随分上機嫌なんだな、キール」
「いや〜そりゃもう〜」

 普段からマイペースというかのんびりとした彼の歌うように音階つきの機嫌の良い返事に、シーグルは呆れながらも苦笑した。
 騎士団にいる貴族騎士は、基本すべて役職持ちである。その中でも予備隊と言われる、人手のない場所に回される為の隊の隊長は、入りたて貴族騎士が真っ先に任命される役職であった。シーグルも例にもれずそれでこの第七予備隊の隊長という肩書を貰ったわけで、こうしてその特権として専用の個室が与えられている。更に、役職持ちの騎士は、そのサポート用に文官を一人つけられる事になっていた。
 文官は自分で連れて来てもいいのだが、シーグルは特にそういう申請をしなかったので、貴族院から推薦されて、彼――キールが騎士団に入った時からずっと、シーグルの文官として働いてくれていた。

「これでぇ私のお仕事も楽になるなぁとぉ思えばぁ〜、そりゃ機嫌も良くなるものですよぉ〜」

 間延びした話し方をする彼だが、実は結構文官としての能力は高い。
 書類の整理や処理も完璧だし、こうしていつも丁度欲しいというタイミングで茶を入れてくれたりと気も利く。
 元々、騎士になるような者は、あまり書類整理や細かい頭を使う仕事が得意でないものが多い、というのは昔からのお約束で、それでこの文官制度が出来たそうなのだが、それについては有難い制度だと素直にシーグルも思っている。他の貴族騎士に比べれば、書類整理も、頭脳労働系も、それなりに真面目にこなすシーグルでも、キールがいなかったらと考えるだけで憂鬱になるくらいだ。

「そういえば、お前は前から俺に従者を取れと言っていたな」

 シーグルが言えば、キールはその場でにっかりと嬉しそうに笑った。

「そぅですよぉ、これでぇ、お茶を入れたりぃ、シーグル様に食事を届けに来たお兄様を案内したりぃ、部屋の掃除をしたりぃ、シーグル様の荷物を準備したりぃ〜という雑用は私がしなくてよくなりますからねぇ」

 カップに口をつけて茶を飲んでいたシーグルは、軽く眉を寄せる。

「そんなに負担だったなら、言えば自分でやったんだが」

 言えばキールは、長い杖をびしっとシーグルの目の前につきつけて、いつも通りのにへらっとした顔で言ってくる。

「貴方はぁご自分の立場を考えてくださいねぇ。そりゃ〜自分の事は自分でやるってぇのは貴方の美徳かもしれませんがぁ〜立場や能力が高い人はですねぇ、誰にでも出来る事は基本人にやらせて、自分は自分にしか出来ないお仕事をすべき〜ってのがお約束です」

 長い杖は彼が魔法使いである事を指す。
 文官は主に魔法使いや神官がなる事が多い為、それ自体は珍しい事ではなかった。

「一応、そのくらい自覚はある、が……」
「いいえぇぇ、貴方は分かってないんですよ、いいですかぁ、従者をとるなら言っときますけどねぇ、『自分でやった方が早い』はだめですよぉ〜。本人が仕事を覚えられませんしぃ、自分は必要ないのでは、とか思わせちゃいますからねぇ。従者になる彼の為に、積極的に、彼に頼める事は頼むようにする事です。それが彼の為でもあるのですよぉ〜」

 シーグルはそれに即答せずに少し考える。
 なにせ貴族騎士といっても冒険者時代が長いシーグルは、大抵の事は何でも一人で出来るようにしてきたという事情がある。意識していないと、おそらくついついさっさと自分でいつもの準備をしてしまいそうな気がした。

「鎧を着る時も脱ぐ時もぉ、ちゃんと彼に頼むんですよぉ。勿論磨くのもですよぉ、貴方はご自分で武具の手入れする時間があったらぁ、ちゃぁあああんと寝て下さいっ」

 のんびりとした魔法使いに笑顔の中睨まれて、シーグルの表情は硬くなる。

「あ、あぁ……分かった」
「本当ですねぇ?」
「あぁ、もしうっかりいつも通り自分でやろうとしたら注意してくれ」
「よぉろぉしい、その言葉を忘れないようにしてくださいねぇええ」

 立場的には彼はシーグルの部下であるのだが、彼はまったくそういうのを気にしない態度を取る。とはいえ、シーグルとしてはまず大抵彼の言う事は理に叶っているので、言葉遣いや態度程度でいちいち怒る気は全くなかった。それどころか、こうして何でも言ってくれる事は、未熟すぎる自分にとってはありがたい事だと思っていた。

「貴方が体調が悪そうだったりすると皆心配するのですからぁ、ちゃぁんと休む時はお休みになって下さい〜。従者を取ったらぁ貴方は彼の見本になるのですからぁ、ぶっ倒れて寝てる暇なんかあぁ〜りませんよぉ」
「……分かっている」

 言えば、魔法使いの青年は今度は柔らかく微笑む。
 こうして小言をいつでも細々言ってくる彼だが、彼の言葉が厳しくなる時程、シーグルの事を心配しての言葉であるのだ。だから素直に、感謝の言葉をシーグルは彼に言う。

「ありがとう、キール」

 言われたキールは、ゆったりと大仰な身振りで優雅な礼を返した。
 けれどもその後、少しだけ彼の表情が歪む一瞬がある事も、シーグルは気づいていた。







「つまるとこ、今度からこの帰り道ももう一人増えるって訳ですかね」

 夜の大通りに、二頭の馬の蹄が石畳を叩く音が響く。
 騎士団から、首都にあるシルバスピナの屋敷までの帰り道、シーグルの馬の後をついてくるのは、同じく馬に乗ったアウドだった。

「お前は反対じゃないのか?」
「……そうですね、貴方がちゃんと覚悟がおありなら賛成です、かね」
「覚悟か」
「えぇ、いざとなったら、あの子を見捨てて逃げる覚悟ですよ。あーゆーのは貴方の性格上助けてやりたくなるでしょうけどね、貴方はご自分の身の安全をなによりまず考えて下さい」

 何度も何度も彼から言われている言葉に、シーグルは苦笑する。足が悪い彼は、こうしてシーグルの護衛役をかって出ているが、いざとなったら自分を見捨てて逃げろというのが彼の口癖だ。
 アウドは元々、騎士団の中でも予備隊の上である守備隊に所属していた。怪我をして一度騎士団を辞めたものの、団に復帰し、予備隊の中でもさらに予備扱いである後期組の方にいたのを、シーグルが前期組へ移動をさせたのである。
 それを恩に思ってか……もしくは、後ろめたさがあるせいか。前期組へ移動してからのアウドは、シーグルの部下というよりも、僕のような態度を取るようになっていた。団にいる間でも、シーグルが一人で行動する時は極力影ながらついてきていて、こうしていつも、帰りが遅くなるシーグルの護衛として屋敷に帰るまでの供をする。彼がくる前から護衛役だったランがいる時はその補佐的に振舞ってはいる彼だが、ランがいちいち付いていられない、もしくはシーグルが断った場面では、必ずついてこようとする。
 そうして、毎回、彼は言うのだ。
 自分には家族も恋人もいない。足が悪いから逃げる時には足手まといになる。だから、いざという時には捨て駒として使ってくださいと。

「ただ……あの子を騎士にしてやりたいって事に関しては同感しますよ」

 静かな夜の大通りに馬の行く音だけが響く中、暫く黙っていたアウドが、思い切ったように、今度は明るめの声で言ってくる。

「ですから従者にしてやるって事を反対する理由はありません。……貴方に従者にしてもらえなかったら、あの子が無事に騎士になれるかは難しい話でしょうしね」

 明るいのに何処か影を感じる、その声にシーグルは言葉の意味の重さを受け取った。

「……やはり、一般人が従者になる騎士を見つけるのは難しいのか」
「えぇそりゃもう。金ある奴ならどうにでもなりますけどね、腕があっても金がない奴は相当運が必要です」
「そうか……」

 貴族騎士の中には、金を積めば従者をしたことにして許可証を出すような輩が少なからずいる。この腐りきった騎士団の貴族騎士達を見ていれば分かるが、従者として連れ歩いて、きちんと学ばせてくれるようなマトモな貴族騎士はかなり希少だ。

「金ない奴は……従者と言っても夜の相手というか……まぁそっち系の相手させられたり、酷い奴だと嬲るおもちゃが欲しかっただけだったり……ロクでもない目に会うのを我慢してやっと許可証を貰うってパターンが多いですよ。そういうのは、騎士になった時点で既に目が淀んじまってますからね。あの子をそういう目に会わせたくないでしょう?」
「……あぁ」

 確かに、そういう輩もいるだろうとは、言われてみればシーグルも想像出来た。
 沈んだ声で返事を返し、うつむいたシーグルをみて、アウドがくすりと笑う。

「ま、正直なとこ、俺みたいな奴には、あーゆーのは眩しくてですね」

 顔を上げたシーグルは、アウドの晴れやかとも思える程明るい声を聞いた。

「昔の自分を思い出して直視してられないんですよ。……だから、俺みたいに淀まないで、あのまま真っ直ぐいい騎士になってもらいたい……って思う訳でしてね」

 彼の言いたい事が分かったシーグルは、自分も思わず微笑みながら呟いた。

「確かに、眩しいな」

 そうすれば、はぁ、とアウドが素っ頓狂な声を返してきたので、シーグルは驚いて彼を振り返ってしまった。

「何いってるんですか、ソレは貴方が言っちゃならないでしょう」

 何故そこで抗議されるのか、シーグルには分からない。
 最初は大きく目を開いて驚いただけのシーグルだったが、そこまで言われればその言葉の理不尽さに眉を寄せる事態になる。

「いや、俺もあぁ言う純粋過ぎる目で見られると眩しい、と思うんだが」
「俺らもあの坊やも、貴方の事が眩しすぎて目が眩むくらいの状態なんですけれどね」
「なんだそれは」

 憮然とするシーグルに、今度はアウドは声を上げて笑った。
 けれども暫く笑った後、彼は急に真顔になって声を落とした。

「まぁ、貴方の言いたい事も分かってますよ。俺は貴方を汚した人間の一人ですからね。……でも、どんな目にあっても尚、貴方の輝きは失われていない、それが貴方の真に凄いところなんですよ」

 自嘲と後悔が混じった彼の口調に、シーグルは目を細めて人通りのない通りに目をやる。
 実を言えば、自分が他人にどう見えてるのか……なんて事はシーグルはあまり考えた事はなかった。この容姿を褒められてもそれが悪い方向にばかり働いていたから、素直に賞賛を受け取る気になれなかったというのもある。だがもし、アウドが言う輝いているという意味が、自分が出会った出来事を経ても尚こうしていられるという事を指すのなら、それは自分の力だけのものではないとシーグルは思うのだ。

「俺が、あの坊やを羨ましいって思うのはですね、まだあーゆーきらきらした希望を持ってるうちに貴方に会えたって事ですよ。年齢的に無理とは分かってますが、俺も怪我して腐る前の自分の内に貴方に会いたかったと、今でもまだ未練がましく思う事がありますから」

 彼に抗議したい言葉は多々あるものの、心底羨ましそうにそんな事を言う彼の声に、結局、シーグルは何もいえなくなる。

「多分、歳食ってる連中は皆そう思ってますよ。今、貴方の部下である幸運を喜びながらも、若い、腐って衰えるより前の、自分の体がピークの時に貴方に会えていたらってね」

 ふと振り向けば、くしゃりとした笑顔でウインクをしてきたアウドの顔に、つられるようにシーグルも口元を綻ばせた。
 だが、今の彼の言葉から先日のグスの言葉を思い出し、シーグルの口元の笑みはすぐに消える。――入った当初は希望や理想を持っていたのに、騎士団の腐りぶりに嫌気がさして自分も腐ってしまったと、そう言っていた彼の言葉を。

「俺は……皆にそこまで思ってもらえるような人間じゃない」

 グスはシーグルに、その存在自体でずっと自分達の希望を示して見せてくれと言っていた。けれどもシーグルには、彼らがそこまで夢見るように期待を寄せる程の理想や信念など自分にはないとしか言えなかった。掛けられた期待に足るだけの高尚な志など、シーグルは持ってはいないのだ。

「なんで貴方は、そこまで自分に自信がないんですか?」

 厳しい顔をして黙ってしまったシーグルに、アウドがため息と共に尋ねてくる。
 シーグルは明るい声を出して答えた。

「子供の頃からずっと……自分の弱さにうんざりしてきたから……かな」

 だが、冗談交じりではぐらかそうと思ったのに、その声は明らかに無理矢理だと分かるものになってしまって、仕方なくシーグルはそれを諦める。笑おうとして歪んだ口元は、そのまま苦笑を通り越して自嘲の笑みになっていた。

「俺は弱い人間だ。いつも自分の出来ない事にうんざりして、それをどうにかしたくて足掻くだけが精一杯で……自分の事だけで一杯一杯で生きてきたんだ。意地を張って何でも一人でやろうとしても、結局人に助けられて、やっと立ち上がれる……本当に弱い人間だ。皆が期待してくれるような大それた理想や信念なんて持ってないし、いつでも迷って、恐れて……自信がない。皆にそこまで言われるような人間じゃないんだ」

 震える声を抑えられなくて、シーグルは噛みしめるように呟く。
 そうすれば馬の蹄の音が一つ消えて、シーグルはアウドが馬を止めたのだと気付いた。

「あの……なんていいますかね、貴方は少し勘違いしてます」

 シーグルも馬を止めて、彼に振り返った。

「俺たちは別に、貴方に完璧な指導者としてこの状況を変えてくれって言ってる訳じゃないんですよ。俺達が何が辛くて何が嫌で何が許せないか、貴方はちゃんと分かっている。言葉だけの御大層な理想を掲げてくれるんじゃなく、貴方は心から俺たちの言いたい事を理解して、実感して共感してくれる。そういう人物が、偉くなれる位置にいてくれるってのがまず希望なんですよ」
「そんなの、ただ単に貴族として生まれただけだ」

 すぐにそう反論すれば、アウドはまたくしゃりと笑ってみせる。

「分からないですか、貴族として生まれたのに、俺達と同じ目線で感じて考えられる存在であるって事がまず奇跡なんですよ。回りの貴族騎士共をごらんなさい、皆、俺達の事を同じ人間とは思ってませんよ」

 シーグルが目を見開けば、隊で一番実践経験の多い男は、背を伸ばして真っ直ぐ視線を返してくる。

「迷いも恐れもない人間なんて信用できません。けれど貴方はそこから逃げない、心を痛めて、迷って、恐れて、それでも進んでいく。貴方が出した結論なら、例え死ねと言われても俺達は無条件で従えます。それは、貴方が充分に俺らの為に考えて、心を痛めて尚出した結論だと分かっているからです」

 何も言えずシーグルがアウドを見つめていれば、彼はまた笑って、再び馬をゆっくりと歩かせだす。けれどそうしてシーグルの隣にまでくると一度馬を止め、顔も声も、柔らかく優しい色を纏って呟くように言ってきた。

「それにですね、本当に弱い人間ってのは、他人に自分は弱いなんて言わないもんです。自分の弱さを自覚して尚、その責任から逃げようとしないのは強い人間にしか出来ない事です。――実をいうと俺もですね……前は自分の弱さが認められなかった、自分は強い人間だと思ってました。でも今考えるとですね、その頃の俺はなんて弱い人間だったんだと思うんですよ。今でもまだ弱いですが……そう自覚出来るだけ、あの頃よりも強くなったと思っています。弱さを気付かせてくれたのも、強くなれたのも、貴方のおかげです」

 そうしてまた馬を歩かせだしたアウドが通り過ぎるのを見つめてから、シーグルも彼に続くように馬に歩くよう促した。



「まぁ、貴方の目指す『強い』存在はあまりにも化け物じみてますからね」

 ――シーグルがついてくるのを確認した途端、そう呟いたアウドの言葉は、石畳を叩く蹄の音に吸い込まれた。




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キールとアウドのお話でした。次回はナレド君の話。




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