揺れる心と喧騒の街




  【3】



「こいつらどうします?」
「警備隊のところまで連れて行く程の暇はないからな、途中、西門の連中に引き渡していこう」
「んじゃちと急ぎましょうかね」

 そんなやりとりをしている予備隊の者達をぼうっと見ている少年と青年に、セリスクは出来るだけ穏やかな表情と声を努めて彼らに言う。

「今の時期は、この辺りでもあまり性質のよくない連中がうろついているからね、気をつけるんだよ」
「はい、騎士様、有難うございましたっ」

 瞳を憧れ一杯に開いて輝かせている少年を見ていると、セリスクも思わず、自分もこんな頃があったなぁと口元がほころぶ。
 少し前なら、そんな目で見られると罪悪感を感じたくらいだったのに、今はそれが嬉しくて仕方ない。シーグルの下についてからは、ちゃんと騎士として人に誇れるだけの自信がセリスクには出来たからだった。いや、それは、セリスクだけではなく、この隊の全員に言えるのだが。

「では、申し訳ないが我々は急いでいるんでね、これで失礼するよ」

 だがそう言って馬に乗ろうとしたセリスクは、少年の横にいて、ぼうっと隊の者達を眺めていたと思われる青年にいきなりマントを掴まれた。

「あ、あのっ、すいませんっ。あなた方はもしかして第7予備隊の方でしょうかっ」
「あ、あぁ、そうだけど……」

 勢いに少し引きながら答えれば、今度は青年はセリスクのマントを離してその場に蹲った。

「お願いしますっ、あなた方の隊長様、シルバスピナ卿とお話をさせてくださいっ。ほんの少しだけでいいんですっ、お願いしますっ」

 頭を地面につけてまで言われて、セリスクは驚きすぎてどうしようかと混乱して固まった。そんな事態になれば、さっさと行こうとしていた他の者達も足を止めて、まだ馬に乗っていない者達はぞろぞろとセリスクの元に集まってくる。

「おい、何あったんだ?」
「セリスク、お前権力をかさにして一般人をいじめたなぁ?」

 勿論マニクのその台詞は冗談だとしても、頭を下げて必死に頼む青年の姿は尋常ではなく、彼らも青年に注目する。

「お願いします、シルバスピナ卿とお話をさせてください」

 そしてその言葉を聞いて、皆、セリスク同様困惑する。
 彼らがここで、すぐにシーグルにどうするかと聞かなかったのは、シーグルなら青年の申し出を受けて話を聞くと言い出すのは分かっているからだった。それなのに、すぐに青年をシーグルの元に連れて行こうとしないのは、この青年がまだ本当に無害な人間かどうか確認が取れていないからだ。
 だから彼らは青年をじっと見た後、持ち物検査をしただろうセリスクに尋ねる。

「ヤバイ物は持ってないん、だよな?」
「見ての通り、剣だけだな」
「なら話す時は預かりゃいいか。身元確認は?」
「名前と、何処住んでるかだけだな。ココの西の下区出身だそうだ」
「下区か……」

 差別は良くないとは分かっていても、西の下区住まいの者と聞けば、自然、眉間に皺が寄るのは仕方ない。
 だが彼らがそれで少し考え込んでいる間に、彼らの後方でひと騒ぎが起こっていた。

「隊長、せめて安全を確認してからにしてください」
「時間がない。話を聞くだけだ、すぐ剣が届く程まで近づかなければいいんだろう」

 シーグルが馬を下りて、こちらへ向かってくるのを見て、セリスク以下、青年の近くにいた若手連中は顔を引き攣らせつつも苦笑する。アウドとランは最初は止めたもののシーグルが馬を下りた時点で諦めたようで、彼らもまた馬を下りて、こちらに向かってやってきた。

「話を聞こう。すまないが時間がないので手短に頼む。勿論、礼やら面倒な形式ばった言葉遣いもいらない。長くなるようなら後日にしてもらえるだろうか」

 やってきたシーグルの姿を見て、青年は大慌てて姿勢を正し、シーグルに向かって顔を真っ直ぐ上げた。

「は、はい。あの、俺、ナレドっていいます。昔、シルバスピナ卿が下区にいらした時に……あぁ、その5年くらい前です、その時に母が殺されて、それで貴方が警備隊に母をもっと丁寧に扱うようにいってくださって、祈ってくださったお蔭で俺……」

 急いで伝えようと焦っている青年は、逆に焦りすぎて文章が怪しくなって、更に言えばおまけにどもる。けれどもシーグルにはそれだけで、記憶の中から古い一場面と、もう一つの出来事を引き出す事が出来た。
 シーグルが兜を外す。ナレド青年の記憶にあった、少年騎士の姿のまま大人になった美しい銀髪の青年を見て、彼は我知らず両手をぎゅっと祈るように胸の上で組んだ。
 シーグルがその顔を見て、静かに微笑む。

「覚えている、ナレドという名だったのか。元気そうだな」
「あ、ぇ、はいっ、元気です。すごい元気でやってます。……俺、ずっと貴方に感謝してました、それで、俺も騎士になりたくて、がんばって……今、やっと冒険者になれて、仕事ももらえるようになって……」

 言いたい事がありすぎてうまく言葉に出来ないだろう青年は、それでも必死にシーグルに話そうとする。その光景があまりにも微笑ましくて、シーグルも、そして回りで見ている隊の者達も、自然と顔に笑みが湧いてしまっていた。

「そういえば、俺も礼を言わなくてはならない。俺のマントを拾ってわざわざ届けてくれたんだったな、ありがとう」

 言われた青年は顔を赤くして、そして目を潤ませたかと思うと、ごしごしと腕で目を拭き出す。

「そんな、勿体ないです。俺にとって貴方がしてくださった事は、そんな事の何倍も何倍もありがたくて……すいません、俺、貴方が覚えててくださったってだけで嬉しくて……ぅ……本当に、嬉しかったんです……」

 声が嗚咽交じりになりだして、皆が皆苦笑する。けれども、そこでシーグルの傍に立っていたランが何かを耳打ちをしてくると、美しい貴族騎士の青年の顔が僅かに曇った。

「ナレド、すまないが、我々は今急いでいるからゆっくり話を聞いている時間がないんだ。そうだな、君さえよければ、明後日ならば日が沈む頃には帰れる筈だから、その時に団まで来てくれないだろうか。受付の方には俺から言っておく」

 言われた青年は、一瞬、ぽかんと驚いたように目を大きく開いていたが、シーグルの言葉をはっきり理解すると、今度はこくこくと何度も上下に首を振った。

「はいっ、行きます。絶対に行きますっ」

 シーグルは周りの者に合図を送ると、兜を被る。
 それから、馬に戻りながら、青年に手を振った。

「では、楽しみにして待っている。今はこれで失礼するのを許してくれ」
「はいっ、とんでもないです、貴方が謝らないで下さいっ。俺っ、絶対行きますからっ」

 シーグルと隊員皆が馬に乗り、歩き出しても、青年ナレドは傍にいる少年と一緒にずっと手を振っていた。
 隊の者達はちらと離れていく彼らを見ながら、にやにや笑うというかにやけ顔で、隊列の中心でぴんと背を伸ばしているシーグルに目をやる。
 彼らの顔がにやけてしまう理由は単純で、ただ、嬉しかったのだ。
 彼らの愛すべき、誰よりも貴族らしい外見のくせに誰よりも貴族らしくない彼らの上官が、偉くもなんともない人々に対して感謝されるような行いをしているというその事自体が、彼らにとっては自分が褒められる以上に嬉しかった。そうしてまた、彼らは益々、この人の部下になれて良かったとの思いを強くして、シーグルへの期待を膨らませるのだ。

「いや〜ぜひ詳しい話を聞きたいですなぁ、あの坊やに何やってやったんですか、隊長?」

 陽気とも言える声でテスタがそう言ってシーグルに近づいていけば、回りの者達は興味津々に聞き耳を立てる。こういう時にも遠慮のないお気楽中年騎士は、聞き方もどこまでも直球で、回りはある意味尊敬して、ある意味呆れていたのだが。

「大した事はしてない、別に彼を助けた訳でもないんだ」

 けれども、返すシーグルの声は少し陰りがある。

「いやでも、とんでもなく感謝してたじゃないですか。騎士になりたいって、あそこまでがんばる程にねぇ〜いやいや、隊長がどんな格好いい姿を見せたのか俺は興味ありますがね」

 明るすぎる部下のテンションに、シーグルは苦笑しつつも困惑気味にため息をついた。

「そんな大げさな話じゃない。単に注意しただけだ」
「注意、ですか?」
「あぁ、死んだ母親に子供が泣いて縋っているのに、警備隊の者達は子供を引きはがして面倒そうにその遺体を足で転がしたんだ。だから、もう少し死者に敬意を払ってほしいと、そう言っただけだ」

 成程ね、と呟きながら、テスタはそれでもにやにやと笑いながら顎を擦る。
 シーグルの口調は、淡々と、しかしどこか憮然とした響きがあって、彼的にはあまり言いたい話でもないと思わせた。

「……その後、少し警備隊の者と揉めたが……向うの一人が俺の紋章を見て止めさせて、俺の言い分を聞いてくれた。……結局、貴族の名で無理に言う事を聞かせただけだ。本当に、大したことはしていない」

 聞いていたテスタは、それで少しだけ、この話においてシーグルの表情が曇る理由が理解出来た。つまり、結局解決したのが家の名のおかげであったから、本人的には不本意だったのだろう、と。

「ちなみに、祈ってやったっていうのは?」

 話を変えるようにテスタがやはり明るい声で聞いてきて、シーグルは軽く俯いて少し途切れがちに答える。

「俺の母親はリパ神官だったから、母親が昔言っていたのを思い出して、覚えている分だけ、弔いの祈りの言葉を彼の母親の遺体に掛けただけだ。それだけですぐ俺はそこから立ち去ったし……彼には何もしてやっていない、本当に、そこまで感謝される程の事はしていないんだ」

 やはりシーグルの声は沈んだままで、だからこそなのかテスタは、満面の笑顔で、ことさら明るく大きな声で彼に言った。

「いや、そりゃ違いますよ」

 声が大きかったせいか、俯いていたシーグルが顔を上げ、少し驚いた様子でテスタの方を向いた。

「なんて言いますかね。貴族様ってのは、平民……特に貧民街の人間の事なんて、人間とは思っていないくらいのが普通ですからなぁ。それが遺体をちゃんと扱ってやれってわざわざ警備隊に掛け合ってくれるだけでも驚く事なのに、わざわざ貴族様本人がお祈りまでしてくれたってぇのは、そりゃーあり得ないくらい有り難い事ですよ」
「そんな高尚なモノじゃない。ただ俺は……母親が死んでしまった彼に、自分と重ねて同情した……だけなんだ」

 シーグルは少し強い声で抗議のように言い返す。
 隊で一番あちこちへと行って、おそらく人との関わりも多いだろう通称不良中年は、今度は笑みを柔らかく、やさしい微笑みに変えて静かに答えた。

「隊長、貴方にとっては大した事ではなくてもですね、あの坊やにとっちゃきっと一生が変わるくらいの出来事だったんですよ。少なくとも、あの坊やがあんな真っ直ぐな目をしてあそこにいたのは、貴方のおかげでしょうさ」

 シーグルは反論の声を出す事もなく、暫くテスタの顔を見て、それからため息をつく。
 そうして気を取り直して顔をあげたシーグルは、感動に目を潤ませたり泣いたりしている他の部下達の様子を見て、一度驚くと、それから静かに笑った。




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シーグル崇拝のナレド青年と、隊長大好きな隊員達の話でした。




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