希望と罪悪感の契約




  【11】



 その日、ロージェンティ・シルバスピナ夫人を盟主として、反リオロッツ王政同盟が締結された。その場でセイネリアは反現王政軍の総指揮官に任命され、リオロッツ打倒のあかつきには最上位将軍として軍部の頂点に立つ事が宣言された。
 その場にいた貴族当主29名全員が合意書にサインをし、保留や辞退を申し出る者はいなかった。それどころか会議をあとにした貴族達の反応からすれば、今後、彼らが新しい協力者達を連れてくるだろう事は確実だと思われた。

 そうして、シグネットを抱くロージェンティに、全ての者が膝を折り会議は終了した。





「説明してもらおう」

 深夜近く、傭兵団の部屋に帰って二人きりになった途端、そうシーグルが聞いてきたのはセイネリアにとって予定通りの事だった。だからセイネリアは笑みさえ浮かべて、兜を外して睨みつけてくるシーグルの目を見つめて答えた。

「俺は目的を果たす為に、最善の方法を取っただけだ」

 言って椅子に座れば、シーグルは歯を噛み締める。

「何が最善だ。最善はお前自身が王になることではないのか?」

 それをセイネリアは鼻で笑う。ただし、瞳はシーグルの瞳を見つめたままから少しも動く事はない。

「最善だろ? お前も分かっている筈だ。俺が王になるといえば、南部の連中はともかく、旧貴族を筆頭とした北の貴族どもは反発する。彼らをすんなりこちら側につかせるには、王位継承権を持つ人物を立てる必要がある」

 勿論、それを理解出来ていないシーグルではないだろう。ただそれを理解出来ても、感情面で納得出来ないだけだとセイネリアは分かっていた。

「だが……いくらなんでも、シグネットは王族ではない。そこまで王位継承順位が高い訳でもない。どちらにしろ一部に反発する者は出るだろう」
「その程度の反発は力を見せれば大人しくなる。俺と違って旧貴族の当主であるなら、前例がないというだけで建国王が定めた法律上王位についていい訳だ、頭の固い貴族どもでもどうにか自分を納得させられる範囲内だな。……それにそもそも、お前は自分の息子が王位継承順位で何位にいるか分かっていないだろ?」

 聞けば一瞬怯んだように、シーグルの表情から力がなくなる。

「シルバスピナ家の……俺はそこまで高くなかった」

 シーグルのその台詞には理由がある。シルバスピナ家は元々血筋だけはいい家系で、基本当主の王位継承順位はそれなりに高い筈なのだが、シーグルは母親の血の所為で歴代シルバスピナ家当主の中では低い方になる。だから息子の順位が高いとは考えなかったのだろうが――シーグルの言葉尻を受けて、セイネリアがそれに続けた。

「だが、血筋で言うならお前の妻の潜在順位が高い。ただでさえヴィド家の血は高い上に、ロージェンティ・ヴィドの母親は王族だ。それになシーグル、お前が拘束されている間、とうとう現王はヴィド家を潰した。ヴィド家当主も、他の直系の男子も全て処刑されている」

 シーグルの息を飲む音が聞こえる。セイネリアは殊更唇に深い笑みを作った。

「分かるか? つまるところ現状、ヴィド家を継ぐ権利が一番あるのはお前の息子な訳だ。しかも許婚がウーネッグ家の跡取となれば、将来シグネット・シルバスピナは実質旧貴族三家分の貴族位を持つ事になる。クリュースの歴史にあって、二つはともかく三つの旧貴族位を持ったものはいない。王子と呼べるめぼしい王族がほぼ生きていない今、リオロッツ以外では王としてシグネット以上に相応しいものはいないだろう。少なくとも他の貴族が血筋や立場で『自分の方が相応しい』と騒げない段階で最善の選択だ」

 セイネリアは知っていた――だからこそ王は、シグネットを自分の下で育てようとした。忠実な家臣となるように育てあげ、将来貴族院を掌握させれば自分の地位は磐石だと考えた。
 ただしその思惑は、シグネットを自分の手から逃した事で逆に王にとって最悪の事態になってしまった。ヴィド家をつぶした事で、自らの手で自分の地位を脅かす最悪の存在を作ってしまったともいえる。

 下を向き、黙って両手を握り締めるシーグルを見つめて、更にセイネリアは言う。

「それに、残虐な王によって罪を着せられ非業の死を遂げたアルスオード・シルバスピナの息子となれば、リシェの民は勿論、国中から民衆の支持が得られるのは確かだ。お前はお前が思っている以上に人気がある。それが美談で飾られれば民衆は熱狂してシグネットを王として迎え入れるだろう。ついでに言うならお前の妻は、そもそもウォールト王子と結婚して王妃となる予定だった。彼女が王の母親となる為に育てられていたことは宮廷に近い貴族達ならば誰でも知っている、奴らも彼女なら安心して国政を任せられると思うだろうな」

 時折喉を震わせて、笑みを浮かべながらセイネリアが言えば、シーグルが顔を上げて目を大きく見開いて見つめてくる。セイネリアがその震える青の瞳をじっと見据えていれば、彼はやがてまた視線を落とした。

「シーグル、お前との契約を果たす為、どんな手段を使うかは俺の勝手だ」

 言えば、歯を噛み締めてシーグルは顔を背けた。
 何も言わず、セイネリアを見る事もなくただ黙る。

「シーグル、俺を見ろ」

 呼ぶセイネリアの声に僅かに苛立ちが混じる。
 だがシーグルはそれに従おうとはしなかった。
 だからセイネリアは立ち上がると、シーグルが反応する前に近付いて彼の顎に手を掛け、無理矢理自分の方を向かせて、泣きそうな顔で驚いている彼の唇に有無を言わさず口付けた。

「ウ、ウーッ」

 すぐにシーグルが体を押してきて離そうとしてくる、その手をセイネリアは掴む。そうすれば彼は今度は懸命に顔を左右に振って離そうとしてくるが、セイネリアは彼の体を引き寄せた後に自分の体で挟むようにして壁に押し付けた。

「やめろっ、今は……」

 壁にぶつかった衝撃で唇が僅かに外れた瞬間にシーグルは叫んだが、それもまたすぐセイネリアの唇にふさがれる。

「ンンッ、う、うぅっ」

 セイネリアは噛み付く勢いで彼の唇を覆い、無理矢理舌を絡ませようとする。だがシーグルはひたすら口内からセイネリアを追い出そうとするだけで、昼間のようにキスに応えてくれることはなかった。
 セイネリアは強く体を彼の体に押し付ける、更に膝をシーグルの足の間に押しこんで開かせようとする。腿で彼の股間を擦って体をも擦り付ける。
 唇を離した代わりに喉を舐めれば、彼が今にも泣きそうな声で叫んだ。

「離せっ、やめてくれ……いやだぁっ」

 それに思わず、セイネリアの動きが止まる。
 その隙に彼は、腕はつかまれたままでもセイネリアの体の下から逃れた。
 顔を出来るだけ背けて、こちらを見ようともしないシーグルの弱い声が紡がれる。

「……お前が正しいことは分かってる、分かってるんだ……だけど、今はお前に触れられたくない、お前の顔を見ていたくない」
「だめだ」

 即答で返せば、シーグルの声が更に震えて段々と小さくなっていく。

「お願いだ、一人にさせてくれ。今夜、だけでいいから……頭を冷やしたら明日は命令に従うから……頼む、どうしてもだ、許してくれ…………お願いです、マスター」

 絶対にこちらの顔を見ようとしない、泣きそうな顔のシーグルの横顔をセイネリアはただ見下ろす。歯を噛み締めて、顔を赤くして、それでも泣くのを耐えて震えている彼の顔を見つめる。

「……分かった」

 手を離せば、シーグルは倒れ込むように頼りない足取りでセイネリアから離れていった。






 アッシセグの夜は更けて、静けさだけが辺りをつつむ。窓から見える町の灯も殆ど消えて、世界は暗闇と静寂に支配される。
 ランプ台の明かりを落とした暗い部屋の中、セイネリアは部屋の中へ入ってきたカリンを一瞥だけして、窓の外の月に目を戻した。その手元には既に5杯目になった酒のグラスがあった。

「やけ酒ですか?」

 軽く笑って近づいてきた彼女に、セイネリアは月を見たまま、あぁ、とだけ返した。

「酔えないのに?」
「適度に喉が熱くなる、気を紛らわすくらいは出来るさ」

 そうすれば彼女はまた笑って、セイネリアの後ろに控えるように立つ。

「あいつは?」
「屋上に」

 聞いた直後、セイネリアの口元が一瞬、忌々しげにゆがんだ。

「今日は寝ないつもりか」

 我ながららしくない、と思いながらも声が明らかに苛立つのを抑えられない。

「かもしれませんね。一応厚手の上掛けは渡しておきましたが。今夜の見張りはロスターとラダーですので、注意するように言ってあります」
「剣を振ってるのか?」
「えぇ」
「まったくあいつは……」

 呟きながら舌打ちして、セイネリアは大きくため息をつくと椅子の背もたれに背を寄りかからせて天井を見た。

「俺は明日朝からネデのところへいく。そうしたら無理矢理でも寝室にひっぱってベッドに放り込め」

 言ってグラスの中身を飲み干すと、カリンは声を出して笑う。

「ボスも寝ないおつもりですか?」

 言いながら彼女は、瓶を持ってグラスに注ぐ。とぷとぷと注がれる液体は、わずかな月の光を受けて暗い部屋の中で光って揺れた。

「……気分じゃない。どうせそれでも俺は問題ない」

 カリンは今度は笑わずに、悲しげな瞳で黙ってセイネリアを見てくる。そんな彼女をみて苦笑すると、セイネリアは視線をまた窓の外に向けた。

「全部予想通りだ、あいつが怒る事も苦しむ事も分かっていた。……なのに実際、その状況になってみれば俺は何も出来ないで途方にくれる事しか出来なかったという訳だ」
「途方に、ですか?」
「あぁ、今のあいつを前にして、俺はどうすればいいか分からなかった。予想していても、何も出来ないなら無意味だ」

 確かに、状況は全部予定通りではあった。分かっていてやったのだから当然全て覚悟はしていた。
 シーグルがセイネリアの事を責めて、罵るか、殴ってくるか……その感情をこちらにぶつけてきてくれたなら、セイネリアはいくらでも彼の気の済むままにさせてやるつもりがあった。けれども彼は、やはりセイネリアのやり方に憤っていてもその怒りを自分自身に向けて傷つくだけだった。そうしてセイネリア自身といえば、伸ばした手を拒絶されただけで何も出来なくなってしまった。
 目の前にいるのに。手が届く程傍にいるのに。苦しむ彼の手を離して、結局何も出来なかったというその事実だけが今はある。……まったく、情けないとしかいいようがない。
 
「ボスが『分からない』なんて事を言うのはシーグル様の事だけですね」

 カリンが笑いながらセイネリアの座る椅子の隣にきてしゃがむ。そうすれば視線的に彼女は見上げてくる形になる。

「まったくだな。情けない話だ」

 見つめてくるカリンの頭に手を置けば、彼女は嬉しそうに目を閉じた。
 けれど暫くして、彼女は戸惑いがちにゆっくり目を開くと、その黒い瞳を悲しげに細めて聞いてきた。

「……本当に、良かったのですか? これで」

 セイネリアは唇を苦笑に歪める。

「良かったさ。少なくともあいつはもう、俺から離れることは出来ない。どれだけ嫌っても、どれだけ憎んでも、あいつは俺から離れない……馬鹿がつくほど真面目だからな、あいつは」

 彼が自らの望みとして自分を選ばないなら、選ばなければならない理由を作ればいい。愛する者としてその想いの為に自分のもとに留まってくれないなら、彼が一番優先するものをここに留まる為の理由にすればいいのだ。
 彼を襲うだろう罪悪感から、部下だと割り切ることで彼の心が救われるのならそれでいい。
 彼が二度と愛していると自分に言わないとしても、自分が言えないとしても、彼の心を守る為なら耐えられない事じゃない。
 シーグルに恨まれても憎まれても構わないから、ただ彼が自分のもとに彼のまま在る事だけをセイネリアは望んだ。その為に状況を作り上げ、全てを利用した。徹底的に彼の退路を断って、自分のもとにいる以外の選択肢を潰した。

 自分にとって唯一のあの青年を、何があっても傍に置いておきたかった……手遅れになる前に。
 彼が自分を愛していると知った時、彼だけは連れていくと、セイネリアはもう決めたのだから。





 END.
 >>>> 次のエピソードへ。
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 そんな訳でこのエピソードも終了です。
 次のエピソードはセイネリアとシーグルの仲直り(?)回となってます。エルが活躍する……かも!



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