勝利と歓喜の影




  【5】



「待てっ、俺と戦えっ、逃げるのかっ」

 だが立ち上がろうとしたロウを、シーグルは剣を突き出して止める。

「我が名はレイリース・リッパー。剣を拾え、お前の相手は俺がしてやる」

 魔法で変えた声で、抑揚を出来るだけ消して話す彼が出て来た理由を、あの男は分かるだろうか。セイネリアは振り返りもせず、男から離れながらも思う。

「お前なんか知るかっ、俺はあいつをぶん殴るか一太刀でもっ……」
「一太刀でもあびせられるなら死んでもいいという訳か。死にたいだけの人間の相手をする程我が主は暇ではない」
「――ッ」

 彼らの邪魔にならない位置まで下がって、セイネリアは振り向いた。
 言葉を詰まらせたまま何もいえない男は、剣を拾って立ち上がっていた。

 シーグルが出て来たのはロウを助ける為だ。あのままあの男が短剣でつっこんで来た場合、反射的に戻していたセイネリアの剣で腹を抉られて致命傷を受ける可能性が高かった。だからシーグルはあの男に体当たりをしてまで無理矢理止めたのだ。

――はたから見れば、主である俺を助けようとしたようには見えたろうがな。

 そうして多分、シーグルがわざわざ剣を合わせようとしているのは意図がある。
 最初から、あの男は死ぬ気だった。自分の腹を斬られるのを承知の上で、それでも一太刀、短剣がかすりでもすればいいという勢いで突っ込んできていた。セイネリアと戦いたがったのは、シーグルの死を責めて、そうして一太刀だけでも与えて死にたい、と最初から死ぬ事を前提としての行動だったのだ。

「邪魔すんじゃねぇっ」

 絶望に塗れた男の剣がシーグルに振り下ろされる。
 けれどシーグルは受けた後にすぐ剣同士をずらして逸らし、そのまま前に出てロウの腹を蹴る。その動作の流れるような速さは見ている周りが感嘆の声を漏らす程だった。

「威勢がいいだけか」

 挑発するようにシーグルが言えば、腹を蹴られて後ろに下がった男はどこか呆然としていた。

 気付いたか? 気付かなくてはならないだろう――口元の笑みを消してセイネリアは思う。お前が何度も手合わせをして、勝ちたいと思った相手だ。焦がれて、欲しいと願った相手の剣だ、分からないとは言わないだろう。
 笑わない代わりに琥珀の瞳を細めて、セイネリアはシーグルの幼馴染みだという男に心の中で話し掛ける。シーグルを本気で欲しいと願うなら、今ので気付かなくてはならない。そうでないなら、お前の気持ちなど認めてやらない、と。

「止めた方がよいのでは?」
「いや、いい」

 何時の間にか傍にきていたカリンの声は、らしくなく不安そうだった。
 セイネリアはちらと彼女を見て、問題ない、と言ってやる。
 万が一でも今のシーグルがあの男に負ける事はない。体調が万全の彼が『大切』な友を助ける為の戦いに負けるわけがない。

「それより何か分ったか?」

 すかさすそう聞いたのは、彼女には敵の部隊の事情を調べるように言ってあったからだ。今こうしてセイネリアの元に来たというは、報告するだけの事が分かったと思っていい筈だった。

「はい、どうやら今回の敵部隊は、投獄されていた者達で構成されているようです」
「……成程、解放してやる代わりに戦場へ行けという訳か」
「そうです」

 それなら確かにこのバラバラ具合にも納得がいく。ついでにそれなりに今までの現王軍の兵にくらべてマシな理由も。確かに捨て駒として使うには最適な連中だったろう。

――ならあのロウという男は、俺と戦う為に戦場に出る事を了承したのだろうな。

 鉄同士がぶつかって、合わさって、火花を飛ばす。
 シーグルに向かう、ロウの剣には迷いが見えた。
 先ほどまでのがむしゃらで自暴自棄な勢いはなく、確かめるようにシーグルに向かっていくその姿は、剣を弾かれる度、逸らされる度に、考え込むように一度止まる。セイネリアとの時はいいたいだけ喚いていたその口を閉じて、ただ何度もシーグルに向かって行っては離れる。
 そんなロウに暫くは付き合っていたシーグルだったが、何度目かの打ち合いでとうとうロウの剣を完全に彼の手から落とすと、その剣を蹴って遠ざける事でその戦いを終らせた。
 シーグルの剣の切っ先が、蹲っているロウの顔に突きつけられる。

「ここまでだ、投降しろ、そうすれば命は取らない。お前達は投獄されていた者のようだからな、大方、解放と引き換えにこの戦いに参加したというところだろ。一旦拘束はさせてもらうが、危険犯罪者でなければ後で解放してやる」

 どうやらシーグルもカリンから報告を聞いたらしい、とそう思いながらセイネリアはふと辺りを見回してみる。既に戦闘は大半終っていてきているようで、見たところ殆どの敵が投降して決着がついたようではあった。いつも通りのエル達の呼びかけは今回は特に効いたのだろうなとセイネリアは考える。

「なぁ、お前、本当はさ……」

 見上げたロウがシーグルに向かって口を開いた。
 聞いてもシーグルは答えないだろうと、セイネリアが見ている中――そこで異変は起こった。

 地面から足へと響く音がする。
 あらかた戦闘が終った状態で気を抜きかけていた兵士達が、不安の声を上げて下を見る。
 気付いて即、セイネリアはシーグルの元に走った。
 けれど地鳴りの音はすぐに大きくなる。音は足の裏に響き、やがて立っていられない程の地面の震えとなる。

 最初の叫び声は、何処で起こったのか。

 地面が割れて、地中から白い何かが飛び出した。それに兵達が混乱する中、次々と地面が割れて、そこから白い異形の化け物が飛び出してくる。
 だがセイネリアは、その化け物達を見ている余裕もなかった。
 目の前の地面に亀裂が走り、崩れだすまでは一瞬すぎて声を出す暇もない。まるで狙ったかのようにシーグルの足元周りに亀裂が走り、その場が崩れ落ちる。目の前で手を伸ばしてきた『友』を突き飛ばして、シーグルの体はセイネリアの視界から消えた。
 勿論、シーグルの元へたどり着く直前に足元から大きく開いた穴へ、セイネリアは迷いなく飛び込んだ。

 全身にぶつかって来る空気の壁。それから、ごう、と耳の中を激しい唸りで満たして、一際強い風が下から吹き上げてくる。
 その中心に落ちていくシーグルの姿と魔力の放出を認めて、この風がシーグルの持つ魔剣によるものである事をセイネリアは理解した。落下の速度を落とす為に、魔剣が主であるシーグルを守ろうと働いているのだと。

――これならば、届く。

 落ちていくシーグルの体に手を伸ばし、翻るそのマントを手繰り寄せて彼の腕を掴む。
 そのまま彼の体を抱き締めると、セイネリアは口元に安堵の笑みを浮かべた。







「シーグ……」

 声を出そうとした途端、後ろから口を塞がれてロウはその場にへたり込んだ。

「その名を口に出すな、それに今お前が見た光景を人に言ってもいけない」

 殺気を持って耳元で囁かれた言葉に、ロウはこくりと肯いた。そうすれば口は解放されて、後ろを振り向けば全身黒い格好の長い黒髪の女が立っていた。
 だがそこで、女の傍にいきなり人間が現れる。

「召喚術士の仕業でございましょう、化け物共はすぐこちらで対処いたします」

 ロウは一瞬驚いたが、見てすぐにそれが魔法使いだと分かると、あり得ない事じゃないかと息をついた。

「頼む、それと我が主が下に落ちた、助けに行って貰えるだろうか」
「下に、ですか?」

 不思議そうに地面の大穴を見た魔法使いは、だがすぐに事態を理解して顔を顰めた。

「つまり、かの者と一緒にという事でしょうか、分かりました」

 言ってすぐに魔法使いは消えたが、その会話を呆然と見ていたロウは、そこではっとして立ち上がり女につかみかかった。

「おい、どうするんだよっ、なぁ、助けられるのか?」

 女は抵抗せずにロウに服を掴まれたままでいたが、黒い瞳は冷たく、体勢的には見上げているのにまるで見下すような目でこちらを見た。

「騒ぐな、我が主は問題ない、お前が騒ぐと兵に伝わる」
「大丈夫って……本当にか? なら、一緒に落ちたあいつも大丈夫だよな?」

 だがそれには眉を寄せるだけで女は何も言わない。

「あいつは、シー……いや、俺の思っている通りの奴なんだろ?」
「私にはそれを言う権限はない」
「でも、あの名を言うなっていうならっ」
「いい加減に離せ、私はやる事がある」

 唐突に喉元に短剣を突きつけられて、ロウは手を離した。
 彼女はそうすればロウを見る事もなく、腰に括った革袋からいくつか魔法石を取り出し、忙しそうに何かを始めた。
 ロウはふらふらと穴の傍に近づいていくと中を覗き込み、底の見えない深さにぞっとしてその場に膝をついた。

 あれは、シーグルだった。
 声は違っても、剣を合せたあの手ごたえは確かにシーグルだったとロウは思う。

 セイネリアはシーグルを密かに助け、自分のもとに置いていた。そう考えれば全て辻褄が合う。シーグルの処刑にあの男が何もしなかったのも、ロウの言葉に動揺さえしなかったのも……落ちた彼を追って穴に飛び込んだのも。
 そう、この軍を束ねる立場のくせに迷いもなく穴に飛び込んだセイネリアの事を考えれば、あれはシーグルだったと断言出来る。
 それにあれがシーグルであったからこそ、落ちそうな彼を掴もうとした時、彼は自分を突き飛ばしてきたのだとロウは思う。

――俺は、すぐにあいつを追えなかった。
  やっぱり、俺じゃ、お前を助ける事は出来ないのか。

 彼を助けたい、彼の力になりたいと思っていたのに、結局自分はいつでも彼に助けられる側の存在だった。何故自分はあの男のようにすぐに追わなかったのだと思っていろいろ言い訳を考えたところで、結局躊躇した段階で自分はあの男に想いでは適わないのだと思い知らされる。
 大きく裂けた大地の穴は深く、その下はまるで見えない。
 どう考えてもここで落ちて無事で済む訳がないと思っても、助かる、とロウは思いたかった。あの男なら、どうにか出来ると思いたかった。

「どう? 見える?」

 横に人の気配を感じて、ロウは魂の抜けた目のまま顔を上げた。
 先ほどの黒髪の女の横に小柄な髪の短い女性がいて、そちらの女はすぐにその場に膝をつくと深い穴の底を覗き込みだした。

「だめです……下は真っ暗で、『見る』事が出来ません」

 泣きそうな顔で、それでも目を見開きじっと奈落の底のような穴を恐れもなく覗き込む女性を、ロウは呆然としたままの表情で見つめた。恐らく、遠見の術が使える神官なのだろうと思ったが、彼女が必死に下を見ようとするあまり、身を乗り出しすぎて落ちそうになったのを見た彼は急いで彼女の腕を掴んだ。

「あ……」

 そこで初めてロウを見た女性は、大きく見開いた瞳から涙を零していた。
 それに一瞬どうしようかと思って、それでロウはすかさず言う。

「あんま身を乗り出し過ぎないようにな、あんたまで落ちたら……きっと、悲しむ」

 誰が、とは言わなかったが、代わりに穴を見ればそれは伝わるだろう。

「ソフィア、貴女はいいから、他のサポートに向かって」

 黒髪の女が言えば、神官らしき女性は立ち上がる。

「でもっ、気が付いたら何か合図を出してくれるかもっ」
「いいから、下の事は魔法使いに任せます。貴女は逃げる者に安全な場所の指示をして回る事、今は貴女が出来る仕事をしなさい。……大丈夫、ボスが一緒なのだから、何があっても死なせたりはしないでしょう」

 泣く女を、黒髪の女が慰めるように頭を撫ぜれば、震えた声で了承を返し、女神官の姿は消える。そこでロウも深い穴をちらと見てから、大きく息を吸って表情を引き締めると立ち上がった。

「とりあえず、俺は投降する。ただ拘束は後にしてもらって……現状で俺が何か出来る事があれば使って欲しい」





---------------------------------------------


 さて二人はどうなったでしょうか、ってとこで次回に続くって事で。



Back   Next


Menu   Top