勝利と歓喜の影




  【3】



 既にここ最近はたまに雪がちらつくクリュース王国の首都セニエティは、当然ながらもう厚めの上着なしでは外を歩くのが辛い程度には寒い。そんな気候下での水と言えば、それはもうとんでもなく冷たいのは当たり前の事だった。

「ぶふぁあっ、しししししし、し、し、しぬしぬしぬぅぅっ」

 ウィアが叫べば、同じ状況の筈なのにまるで寒さを感じていないかのような男は軽く体から水を払って言う。

「はいはい、ここまでで死ななかったら大丈夫っスよ、無事で良かったっスねぇ」

 そうすればこちら側で待っていた彼の仲間らしき人物がウィアに毛布を被せてくれて、ウィアは噛み合わない歯をガチガチと鳴らしながらそれを引き寄せて体をくるませた。どうやら毛布にも軽く魔法が掛かっているようで、それ自体が発熱してじんわりとウィアの体を温めてくれる。少しだけほっとしたものの外の風はまだ冷たくて、ウィア達は急いで首都における団の情報屋達の隠れ家へと移動した。

 首都の警備は固く、壁には断魔石まで置かれていて転送で入る事も出来はしない。となれば後は物理的手段で潜入するしかなく、フユが使っている手は首都をぐるりと囲む水路から首都の中へ入る事だと説明された。水路の水は首都の北東から入っていって、街中へ続く流れとリパ大神殿へ向かう流れに分岐する。通常は何重にも柵があって水路から入り込む事は難しいのだが、深夜の清掃の為に街へ水を流す時は別の水門が開きそこから中へと入る事が出来るらしい――という事で今回はウィアも一緒に潜入する事にしたのだが。

「あんた本気で毎回こんな手で中入ってるのか?」

 暖炉の前にきてやっとまともに口が動くようになったウィアが聞けば、恐ろしい程平然としている男はいつもの笑みのままに返してくる。

「毎回って訳じゃないスけど、これが一番素人でも確実に入れる方法っスからね」

 いや分ってたがさすがプロって奴なんだろうなと思いつつ、この状況で平然としていられるのはどうなんだと心でつっこむ。いくら水の中で冷たさを軽減する魔法の油を体に塗っていても、軽減は遮断じゃないから寒いのは仕方ない……いや本気でここへ無事つけて良かったとウィアは思う。

「それにこっからだと大神殿も近いですからね、今は街中移動もあんた連れてとなると結構面倒なんで。夜移動するにしても……今はへたに住民が出歩かないように街灯さえ特定の場所以外つけられてませんしね」

 言われてここまで来る道すがら感じた違和感の正体にウィアは気づく。いくら街の外れとはいえ、セニエティにしては周りが暗すぎた。街灯が制限されていた所為だと聞けば、確かにちらっとみた街の中央へ続く道も暗かったなと思い出す。

「まぁ、その所為でこっちは逆に夜に動きやすくなりましたけどね」
「あー……確かにあんた達は暗くても問題ないだろな」
「そりゃぁ、それがお仕事っスから」

 当然ではあるがここで動くには自分は基本お荷物になる訳だと理解して、ウィアは顔を顰めてがっくりした。

「フユ、例の客人が来たぞ」

 そこでやっぱり音もなく現れたフユの仲間が言った言葉に、彼は頭から被っていた布でわしゃわしゃと髪を拭くとその布をぽいと投げ捨てて立ち上がる。

「んじゃこっちに連れてきてもらいまスかね。おちびさんは至急今すぐ早急に服着たほうがいいっスよ」
「ちびって言うな! ワザとだろあんたっ」

 とウィアが突っかかっていけば彼はさらりと避けてくれて、ウィアは壁にぶつかりそうになる。だから壁に手を付いてどこへ行ったかと振り返れば、そこにいた人物を見て目を丸くした。

「良かった、無事だったのね」

 言って飛びつく勢いで抱きついてきた――というより身長差的に向うに抱き抱えられたウィアは、その豊満な胸に顔を埋めながら自分からも彼女に抱きついた。

「ファンレーンさんも無事だったんだな、ホントに良かった」
「何言ってるのよ、私より貴方の方が大変だったでしょ。……本当に、別れた時の貴方は死にそうなくらい青い顔していたじゃない」

 ぎゅっと抱きしめてくる腕は震えて、声も震えて涙声になる。確かに、シーグルの処刑が執行された後、どうにかファンレーンと連絡が取れてリシェに行くからと告げに行った時のウィアは自分でも相当に酷い顔をしていた自覚はある。ファンレーンはやはりその時も抱きしめてくれて、既にずっと泣いていただろう真っ赤な瞳で言ってくれたのだ。

『無理しちゃだめよ、貴方にまで何かあったら絶対にあの子もフェゼントも悲しむんですからね』
『うん、でもさ、今出来る事をやらなかったら絶対後悔するからさ。それにやらなきゃって行動思してる方が辛くないから』

 あの時のウィアはシーグルの死を考えたくなくて、フェゼントとシルバスピナの家の脱出を成功させる事だけを考えようとした。あそこでファンレーンに泣きついてシーグルの事を嘆いてしまったら、気力が抜けきって動けなくなってしまうだろう自分を分っていたから無茶をしてでもリシェに急いだ。
 でも本当は少しだけ後悔もしていた。シーグルの死を嘆く彼女に慰めの言葉一つ掛けずに別れてしまった事を。

「俺は大丈夫だよ、ファンレーンさん。フェズも元気だしシーグルの家族も無事で元気だ。シーグルの事は……辛いけど、でもシーグルを罪人のままにしたくないし、あいつの残したものを守りたいから……協力してくれるかな」

 そうすれば彼女は抱きしめてくる腕を緩めて、ウィアの顔を見つめて言ってくれる。

「勿論よ、その為に私は来たんだもの」

 間近で見た彼女の顔が明らかにやつれて見えて、ウィアは下唇を噛む。
 だがそこで。

「いやー感動の再会はいいっスけどね。やっぱそこは服着た方がいいと思うんスけど」

 言われてはたとウィアは気が付く。確かに服を乾かしていた最中だった為、自分は全裸だった、と。

「大丈夫よ、私は気にしないから」

 カラカラと彼女らしく笑うファンレーンに引き攣った愛想笑いを返しつつも、ウィアは彼女の腕の中でもがいた。

「いやっ、確かにこの続きは服を着た後でって、ファンレーンさぁん〜」
「気にしない気にしない、男の子の裸くらい見慣れてるから♪」

 見慣れてるってなんですかいや俺ってまだ男の子扱いなのかやけに楽しそうなのは何故だー……等々と心の中で盛大にいろいろつっこみながらもウィアはもがいて、やっとの事で離してもらってどうにか服を着る事は出来た。

――やべぇ、下が丸見え状態であのままおっぱい押し付け攻撃を受けてるのは危険だったぜ……。

 ふぅ、と一息ついたウィアだったが、改めて向き直ると真剣な顔で彼女に向き合う。そうして事情の説明を始めれば、彼女も顔から笑みを消してその話を真剣に聞いてくれた。








 クリュース城の敷地内にある騎士団本部、普段ならばそろそろ後期の人員に交代する時期が近づいている事もあって長期休み前の団員達がいろいろと忙しそうに動き回っている筈が、今のここは閑散として人の姿もまばらであった。
 それも当然の事で、現在、首都の騎士団は封鎖されているも同然の状態だった。
 騎士団は元シルバスピナ卿シーグルが所属していた事もあり、しかも彼は訓練によく顔を出していたせいか一般団員からの人気が高かった。だからこそ今回の処刑で反発した者も多く、実際ちょっとした抗議運動が起こったりもあったのだ。だから王は騎士団本部の殆どの施設を封鎖して一般団員達を一時解散させ、騎士団上層部の人間と事務部門のみの活動をここでは許す事とした。
 警備は親衛隊の人間が務め、それは同時に残った団の人間の監視でもあった。
 そうしてもう一つ、ここを完全封鎖にしない理由は、王にとって重要な施設があったからだったのだが……。

「おい、外がどうなってるか聞きたくないか?」

 格子のかかった扉の窓から親衛隊の恰好をした男が言えば、ずっと部屋の隅で俯いていた男が顔を上げる。

「反乱軍はもうランダン・クーデまで来ているそうだ。王はエフランの森で仕掛けるらしい」
「……ふん、最後のあがきって奴か、もう無駄だと思うけどな」

 部屋の中の男は外の男に向けて嘲笑の瞳を向けた。だが、男が怒らせるつもりで言った発言には言い返す程の感情的な言葉が返ってくる事もなく、親衛隊の男はここを覗いた時からずっと変わらぬ不気味な笑みで告げた。

「どうだろうな、セイネリア・クロッセスはいつでも先頭にいるらしいし、奴さえ倒せれば状況は変わるかもしれないぞ」

 セイネリア・クロッセス――その名を聞いて、部屋の中の男の気配が変わる。
 ぎり、と歯を噛みしめて呪うようにその言葉を呟いた男を見て、部屋を覗き込んでいた男は更に告げた。

「そう、セイネリア・クロッセスだ、あいつが憎いんだろ、なら、こういうのはどうだ――」

 騎士団には元から反省房や内部犯罪者の投獄、詰問用の部屋として、監禁出来る場所がいくつもあった。それらを王は牢屋代わりとし、城の牢獄には置けないような危険人物、もしくは身分の低い罪人、それらを収容する場所として使っていたのだ。

 更にいえば『彼』がいるこの部屋の並びは、主に騎士団内で上司に危害を加えたり、暴動騒ぎを起こした者達が閉じ込められている場所だった。『彼』の場合は取り押さえようとした親衛隊の者数人に怪我を負わせ、他の者を扇動しようとした罪で監禁されていた。王の機嫌が悪ければ即殺されてもおかしくないとも言えたが、こうして投獄のみで済んでいるのは王の気まぐれと、それから彼が捕まった後に独房内で何度も呟いていた言葉が原因だった。

「セイネリア・クロッセス……お前はぜってぇ許さねぇ……」

 部屋を覗き込む親衛隊の男は、中の男の様子を眺めて満足そうに口元の笑みを深くした。








 いつも感心するくらいだが、ファンレーンはこの手の事には本当に頭が回る。

「予め計画は聞いていたから、こちらでもいろいろ考えて準備していたのよ。とりあえず貴方は、私の付き添いで大神殿に入ればいいわ」

 それが不自然にならないように、このところ毎日朝の礼拝にウィアと同じくらいの背格好の侍女を連れていたから、と彼女は言って、その気のまわりぶりにウィアは目を丸くした。

「『告白』でフラメッツ大神官を指定して、事前に一度お話もしてきたわ。貴方が無事だと聞いてそれはもう安堵してらしたわよ」

 告白に大神官をわざわざ指定できるのは貴族ならではの特権である。だから今回の計画では、彼女の侍女のふりをしてウィアも大神殿に入り、『告白』でテレイズを指定して話をする、という事になっていた。

「兄貴はその……元気だったかな?」

 一応確認だから、と自分に言い聞かせながら彼女に聞けば、ファンレーンはにこりと笑った。

「少々疲れていらっしゃるようだったけど、お体の具合は問題なさそうだったわよ。毒舌も相変わらずで、現状にとても苛ついていらしたけど」
「そっか……まぁ、嫌味とか言ってられる状態なら大丈夫だろうな」

 ほっとして呟けば、女騎士はウィアの頭を撫でてくる。

「ウィアをよろしくお願いしますって、頭を下げられちゃったわよ私。だからね、貴方もがんばるのはいいけど、自分の身をまず第一に考えて行動しなさい。……あの子にもいつもそう言ってたんだけどね」

 言って涙ぐむファンレーンに、ウィアは礼を言って抱きついた。



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 すみません、シーグルもセイネリアも出ない回で(==; 次回はそっちの二人の話になります。



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