勝利と歓喜の影




  【1】



 そろそろ日が短くなるこの時期は、夕刻に入ればすぐに暗くなって夜がやってくる。街中ならば、このクリュース国内では街灯と家々の明かりに照らされて暗闇に飲まれず済むとしても、森や山、民家のある場所から少しでも離れれば簡単に完全な闇の世界になる。
 そんな、普段ならただの闇だけが広がる森の中、ぼぅ、ぼぅ、と光の玉が何度も現れては消えていく光景があった。

「残りは何人だ?」
「さぁ、恐らく多くても3人というところだと思いますが」

 足音も立てずに走る人影は全部で三つ、ただしそれは前を行く一人を残りの二人が追いかけているという図になる。全員が長い杖を持ち、滑るように地面を駆けているのは彼らが魔法使いであるからこそ。時折周囲が丸い明かりに照らされるのは、追っている方の魔法使いが光を作りそれを前方に投げているからだった。
 追っている側の魔法使い――彼らは魔法ギルドから派遣された人間で、普段から禁止魔法を使った者達を拘束することが仕事の、いわゆるギルド内の掃除屋であった。それは即ち、対魔法使いにおける戦闘の専門家でもあると言えた。

「ガブーの方は終わったみたいですよ、残りはこっちだけじゃないかな」

 彼らのいる場所から離れた場所で赤い光が空へ上っていったのを見て、追う側の魔法使いの一人が言う。やれやれ、ともう一人の魔法使いはため息を付いたが、これで他の連中もこちらに合流して楽になる、ともこっそり思う。
 何せ今回は捕まえる側の人間も逃げる側の人間も、かつてない程人数が多い。今までワザと放っておいて勢力拡大をさせていた連中を、一気に潰してしまおうとしているのだから当然といえば当然だ。
 今回、王側についた過激派の連中の内、このヴネービクデの戦いに投入された者は多く、向う側に潜入していた者の報告では、戦闘向きの魔法を持つ者はほぼ全員来ている筈だと言うことだ。つまり、魔法ギルド側にとっても不穏分子を潰すなら今回は恰好の機会だという訳である。

「おいっ、まだ追ってるのか?」

 突然、傍にまた一人魔法使いが現れて、追っている彼らを怒鳴りつけた。

「残念ながら、こっちは貴方みたく夜目が効かないんですよ、目標は見えても木が邪魔で」

 言いながらまた光の玉を前方に投げつけた魔法使いだったが、そこで見えた『何か』にふと気を取られていると、彼の前にいた相方の魔法使いが突然叫んだ。

「待てっ、止まれっ」

 声と同時に、バリバリとすさまじい破壊音がすぐ傍で鳴る。
 足を止めれば、彼らの近くにあった大木が次々とまるで雷でも落ちたかのように真っ二つに割れて倒れてきた。

「アバルアンッ」

 そこですかさず後から合流した金髪の魔法使いが杖を掲げれば、彼らの周りが白く輝く。それが障壁となって倒れてきた木々を防ぎ、弾いて彼らを守った。

「……こいつは……」

 掲げた杖を下して金髪の魔法使いは呟く。更にそこで考え込んだ彼は他の魔法使いの声でそれを中断せざる得なくなった。

「何だ、あれは?」
「まさか、何時の間に?」

 ボウ、と魔法使いの投げた光玉が辺りを照らす中、倒れた木々の所為で見通しがよくなった森に白い影が浮かんでいる。ふわふわと浮かび上がる白い物体は明らかにこの世界に存在しない異形のもの。それを見た金髪の魔法使いは目を細め、そして舌打ちした。

「まためんどくせぇ……お前等が追ってたのは召喚術士か」

 彼らの前方には追っていた筈の魔法使いの姿は既になく、白い異形の魔物と呼ぶにふさわしい化け物が2匹、立ち塞がるように存在していた。更に夜目がきくという金髪の魔法使いにはそれが一匹だけではなくもっと奥に数匹、次々と現れている事を確認出来た。

「最初からここに逃げこむつもりで準備してあった訳か。召喚術なんてモン、咄嗟に使えやしないからな」

 異空間から異形を呼ぶ召喚魔法は、杖があっても必ず魔法陣が必要等、発動に必要な手順が多い。だから彼ら相手なら既に召喚が完了している物だけを注意すればいい――それが常識だったからこそ油断していたのもある。おそらく、何かあればここに逃げこむつもりであちこちに召喚用の陣が予め引いてあったのだろう。呪文一つで術が発動出来る状況にしておいて、逃げこんで一気に召喚したのだと思われた。

「どうりで皆散り散りに逃げずにこの辺りを目指してた訳だ」
「どうします?」
「とりあえず、こいつらをそのままにしておく訳にいかないだろからな、掃除しなきゃならねぇだろ」
「掃除より先に、まず本人を捕まえるってのは?」
「バーカ、どうせこいつらは時間稼ぎだ。逃げる為に準備してた場所って事は、逃げ切る手段もここに用意してるってこったろ。こいつら避けて探してる間に逃げてるだろうよ」

 現に今、既に自分達は追っていた魔法使いの姿を見失ってしまっているのだから。それにもしあの時、大木を次々と裂いたのが思った通りの人物なら、既にここからは逃げてしまっているだろうと、『彼』には確信に近い思いがあった。
 それで不機嫌そうに舌打ちをした金髪の魔法使いは、こちらに気付いて向かってくる白い異形の化け物に向けて杖を掲げた。

「ゲベッツレーズィ……この、くそったれがっ」

 光が魔物を裂いて、悲鳴もなくそれは消え去ったものの、その辺りにふわふわと浮かんでいた他の魔物達が気づいてこちらに寄ってくる。

「あぁもう、面倒くせぇっ」

 金髪に仮面をつけた魔法使い――クノームの声が響いた後、静かだった筈の森が派手な破壊音で満たされた。








 セイネリアの宣言した通り、ヴネービクデ街外での戦闘が終わった後、国内における反現王軍の状況は一変した。
 セイネリアの持つ力の恐ろしさ、そうして魔法ギルドがリオロッツ王を捨てて反現王同盟側についたという噂は瞬く間に国中に広がり、現王のやり方に不満を覚えていた地方領主達は次々と反現王同盟支持を宣言した。流石に首都に近い周辺の領主達や宮廷貴族はそう簡単に掌を返す訳にはいかなかったものの、反現王同盟の盟主ロージェンティに向けてはその手の連中からも影ながらの支持を伝える密書が次々と届いていた。

「道は開いた。後は堂々と首都へ向かえばいい」

 連日届く貴族達からの同盟参加を求める文書から考えれば、ここから首都までの道を遮る領地はもはやないといってもいい。さすがに首都周りの領主は現王支持を表明しているが、それらは大抵身内を人質に取られているか、もしくは表で王にいい顔をしているだけでこちらに密書を寄越してくるような連中だ。まぁ、後者の連中は所詮優位な方に付くと言っているだけで味方の数に入れる気などない、とセイネリアは言っていたが――シーグルは座っているセイネリアの後方に立って会議全体を見渡していた。こういう時、兜までつけて堂々と顔を隠していられるのは都合が良い。

「確かに、一度の戦闘でほぼ決まりましたな」
「もう王に味方はいないも同然だろう」
「崩れ出すと案外脆いものだ」

 上機嫌でこの状況に浮かれる貴族達だが、それでもこの場の支配者である男が発言すればぴたりと口を閉ざす。

「おおむね計画通りだが、浮かれすぎだな。このランダン・クーデに着くまで予定より2日も遅れている。原因は分かっていると思うが」

 抑揚のない声が不機嫌そうに言った言葉に、その場にいた者の顔が強張った。なにせここにいる者は全員、彼の持つ力の恐ろしさを身に染みて分かっている。もはや彼を所詮傭兵風情と呼ぶものはどこにもいない。セイネリア・クロッセスをこの軍の最高責任者として認めない者はここには誰もいなかった。

「しかし、折角歓迎してくれているのを無碍にする訳にもいかないのでは……」

 そう、これだけ遅れているのには明白な原因があった。移動して次の街へとつく度に街ぐるみで歓迎されて、ちょっとした宴を開かれたりと、そこの領主に引き留められるからである。この状況になれば当然予想出来る事態ではあるが、それをわざわざ受けてしまっている状況に、セイネリアは相当に苛立っていたのだ。

「ならば次からは私が真っ先に挨拶に出て、急がねばならないことを告げましょう。私が出れば先方の面目は立つ筈ですから」

 そこで、この手の会議ではほぼ発言をしないロージェンティが言えば、並ぶ貴族――特に北部の貴族達があわてて立ち上がる。
 
「いえ、貴方がそんな……着いたばかりの街で人前に顔を出すなど危険すぎます」
「そうです。シグネット様と貴方の身の安全がなにより優先されるべきです、軽々しくお姿を晒すべきでは……」

 彼らの主張は当然ではある。なにせシグネットとロージェンティはこの国のトップになるべき人物で、勝利が見えた今ではそれはほぼ確定されたといっていい状況だ。特に北部の貴族達にとっては彼女達に何かあってはここにいる意味がなくなる為、その身の安全には慎重に慎重を重ねても足りないくらいの心情だろう。
 それを彼女自身は承知した上で、ちらと視線をセイネリアに向けてから笑顔で答えた。

「大丈夫でしょう、当然その時は彼がそばにいてくれるでしょうから」
「勿論、そのつもりだ」

 セイネリアは彼女を少しも見ずに即答する。
 そしてすかさず、その後に続けていった言葉で貴族達の反論をつぶした。

「魔法使い共もいる。人前に出ても出なくてもさほどの差はないな」

 それで立っていた貴族達もおとなしく座ることになる。いくら不安だとしても彼らもセイネリアに逆らう気はない。それに確かに、彼が側にいるならまず大抵の刺客はどうにかなる筈で、見えない相手には魔法使いが対処するというのは今セイネリアが言った通りである。彼らの守りがただ隠れているだけ以上なのは疑問を挟む余地もないとはいえ、それは本気でセイネリアが彼女を守る気があるなら、という事が前提となる訳だが……現状でその部分についてとやかく言えば全てが破綻する為、彼らも今は黙る事にしたのだろう。

「それに、シルバスピナ夫人が傍に来ている、と伝われば首都周辺、特にリシェの者達は黙っていないだろうからな、また動きがあるだろう」

 その言葉には僅かに顔を顰めたロージェンティに、セイネリアは意味深な笑みを浮かべて彼女を見る。

「リシェの人々には……無茶をして貰いたくはないのですが」

 言いながら下を向いたロージェンティに、見ているシーグルの胸も痛む。彼女が元シルバスピナ領であるリシェの民を心配している姿に、シーグルは謝る事しか出来ない。

「何、動くとしても無茶はしないだろう。多少手は回してある」

 自信ありげに呟いたセイネリアに、ロージェンティもシーグルも……そして貴族達も、皆問うようにその顔を見つめた。




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 そんな訳で新エピソード開始ですが、あの大戦の後で実は魔法使い達も争っていたというお話から。



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