望みと悪意の計画




  【9】



 仮死状態、と言われただけではピンとこなかったシーグルも、指輪の事を出されれば顔色が変わる。

「確かに貴方が言った通り、貴方が死んでセイネリア・クロッセスが暴走したとしても剣の魔力を開放して全ての魔法が世界に戻るのは確実な話ではありません。だから本当に貴方を殺すのではなく、死んだとあの男に思わせるだけでいいのではないかというのが今回の我々の計画です」

 今の彼に自分が死んだと思わせる――それで彼がどうなるか、考えただけでシーグルは自分の体が冷えていくのを感じた。

「もし貴方の死を受けたあの男の反応が我々が望まぬ結果になったとしても、生きている貴方がいればどうにでもできる。そういう意味での保険ですよ、貴方さえ生きていれば発狂していてもあの男を止める事が出来る。それどころか貴方という存在をこちらで確保することはあの男に対しての切り札を持てるという事でもあります」

 魔法使いの考えは単純で合理的だ。確かに自分達の都合だけを考えて出した結論として、シーグルを本当に殺すより『死んだ事に出来る』ならその方がいいとそれだけの話だろう。だから『殺す気はない』という言葉も嘘ではない、だが……。

「……それでも、お前達の計画がクリュースを潰し大勢の犠牲を出すことが前提なのには違いはない。結果はどうあれ、俺が生きていたからとあいつを止められても払った犠牲はなしにはならない。そもそもあいつを暴走させず別の方法を考える、という選択肢はないのか?」

 シーグルの言葉を受けても当然魔法使いの表情も変わらなければ彼の考えも変わる事はなく、リトラートは淡々とした口調でシーグルに答える。

「残念ながらありませんね。我々がどれだけ長い間、迫害されながらかつての世界を夢見ていたか分かりますか? 人との共存の為どれだけの研究を重ねてきたか知っていますか? それでも魔法が普通にある世界を取り戻す事は不可能だという結論しか出せなかった、それが今、その可能性があるというなら我々は全力でその可能性に賭けます。それを阻止したいというなら……貴方は何があっても自分の身を守らねばならなかった。ここで我々に捕まっている段階で貴方は我々を止める事に失敗しているのです」

 それは確かに間違った理論ではなく、シーグルは油断してこんな醜態を晒している自分の無能さを恨んだ。
 だが、ならばここを逃げる方法か、もしくは他に状況を変える手段がないかと辺りを見ていたシーグルは、自分を見下ろすリトラートの後ろに信者らしき人間が近づいてきているのに気付いた。

「……!! 何?!」

 信者達が一斉にリトラートに飛びかかる。いや、正確には信者達が飛びかかっているのは彼の右手で、それは恐らく右手に彼が杖を持っているからだとシーグルは思った。

「何だ、貴様ら……くそ、サテラっ、貴様ぁぁっ」

 祭壇に寝かされている状況では、シーグルには何が起こったのかを最後まで見る事は叶わなかった。だが、パキリと何かが折れる音と、人とものがぶつかる音がしているところで大体の状況は予想出来た。
 暫くすれば音は静かになり、おそらくリトラートは信者達に拘束されたのだろうとシーグルは思った。
 仲間割れか、いや最初から計画的だったのだろうかとシーグルが状況を掴み兼ねて考えていれば、どうにも生理的に受け付けない男――サテラが、消えたリトラートの代わりにシーグルの視界に入って来た。

「さて……先程あの男が言った事は全てナシだ。私の目的は君を殺す事でも殺した事にする事でもない。ついでに言えばそもそも黒の剣の力の解放など望んでもいない、まぁ方便としてリトラートの奴にはそう言っておいたがね。なにせ君を捕まえるのに奴の力と頭は『使える』からね」

 第一印象から嫌悪感が湧いた男だったがそれでも先ほどまではまだ抑えていたらしく、隠しようもない狂気を瞳に浮かべて男は嬉々として話しかけてくる。

「……なら、何が目的だというんだ」
「私の目的は君自身さ。君が欲しかったんだよ」

 そうして愉悦を映して歪む顔でうっとりと見つめてくる彼の顔を見てぞっとしたシーグルは、この男の事を最初から生理的に受け付けない、気色が悪いと思った原因が何にあるのかを察した。

「あぁ本当に、これぞ奇跡というものだ。この美しい青年の姿で歳を取ることがないというのだからな」

 男の手が嬉しそうにシーグルの体を、顔を撫でていく。

「……まったく、こんな素晴らしい存在に出会えるなど、ここまで無理矢理生きていたかいがあるというものだ」

 顔にもその言動にも、もう抑えようもない狂気を滲ませて、魔法使いサテラはシーグルの体を触り、顔を近づけては匂いを嗅ぎ、首筋や腕を舐めさえした。

「俺自身、という事は……俺から黒の剣の魔力を得るのが目的、か……?」

 嫌悪感に肌を粟立たせながら言えば、興奮してシーグルの体をべたべたと触っていた男はぴたりとそれを止める。そうしてから少し体を離してシーグルの顔を見下ろすと、いかにも楽しそうな笑みを浮かべて改めて言ってきた。

「もしかして君は、私が他の雑魚魔法使い達のように君から黒の剣の魔力のおこぼれを必死に啜ろうとしているとでも思ったのかね?」
「……違う、のか?」
「勿論違う」

 ならば何が目的だというのか。嫌な予感しかしないが、魔法使いは顔から笑みを消してその不気味な目でシーグルの顔をじっと見下ろしてくる。

「言ったろ、私の目的は言葉通り君自身さ。……君も魔剣の主だというなら、魔剣、というのがどうして出来るのかは流石に知っているね? 魔法使いは体が死んでも意識を残したいから剣に魂を移す。でもね、そりゃもっと生きていたいと願う魔法使いなら本当は身動きの取れない剣などではなく人間の体が欲しいに決まってる。だが生物の体はすぐに死ぬ、だから死なない物体(モノ)に魂を移すしかない」

 それでシーグルは魔法使いの言いたい事を大方理解した。そして理解したと同時に戦慄した。自分自身が欲しいという魔法使いの望みは、その言葉通り『器』としてのこの体が欲しいという意味だと分かる。

「分かるかね? なら歳を取らない、何もしなくても劣化せず生きていられる体があるならそれが一番いい。しかも君の体は黙っていても大量の魔力が供給される、都合が良すぎるくらいだ。……私もねぇ、こうして地道に信者達から生気をあつめて体を維持していたが流石にそろそろ限界なんだ……そんな時に君の体の秘密を知ったらまさに私の為に君がいると思うじゃないか」

 勝手な事をいう魔法使いはシーグルの頬を撫ぜて、喉から首筋までを指でなぞる。
 顔を近づけて、指が過ぎた後の首筋を舐めて耳元で狂気の混じった声で言ってくる。

「あぁ勿論、剣と違って君の中に入るにはそう簡単にはいかないさ。剣には意志がないが君には意志があるからね、本人に拒絶されるとそうそう君の中には入れない」

 更にはシーグルの服のボタンを外していって、中に手を入れ、素肌の胸を明確な欲望のある手つきで撫ぜ始める。
 その感触に唇を噛みしめたシーグルのその耳朶を吸って、それから耳の中へ直接入れるようにサテラは囁いてくる。

「でもね……人間というのは常にずっとその意志を維持出来るものではないだろう?」

 男の手がシーグルの胸の尖りをきゅっと摘まんで、シーグルは吐息のような喘ぎ声と共にびくりと体を震わせた。

「放心した時、ぼうっとした時、呆けている時……後は当然眠っている時、意識を飛ばしている時なら拒絶のしようはないだろ?」

 サテラの手がシーグルの下肢を探る。股間の辺りを撫でられればさすがにシーグルの顔に朱が走る。更にはその手が服の中に入って直接シーグルの性器に触れてくれば、シーグルは歯を噛みしめてその感触と嫌悪感に堪えた。

「君が耐えられなくなって寝るまで待つという手もあることはあるがね、それじゃ面白くない」

 手は服の中でシーグルの腿を撫で、時折悪戯のように性器の先端を握る。シーグルは懸命に足を閉じようとしたが足首が固定されている為それが叶わず、ガチ、ガチ、と拘束具の音を鳴らす事しか出来なかった。

「それにね、最終的にこの体を私の好きなようにする為には、君の精神には出来るだけ弱って貰わないとならないんだ。となれば私の愛する『信者』達も楽しめるこの方法が一番だ、違うかい?」

 言いながらサテラの指がシーグルの後孔へと触れた。






 最悪の状況だ、とエルは思った。
 ともかく、シーグルに何かあったとなればここの主であるネデは勿論、セイネリアに伝えない訳にはいかない。すぐに連絡をとったエルだったが、運が悪い事にセイネリアは将軍府を内密の用事で留守にしていた。

「ちょぉっと面倒な事になってましてねぇ。今ギルドの人間が行ってますからいずれ連絡がつくとはぁ思いますが〜すぐにあの男が来るかどうかは不明でしょうねぇ。……というかぁ〜あの男が来たらぁ向うも焦って何するか分かりませんからねぇ……呼ぶのも考え物かもしれませんねぇ……」

 代わりに来たのがシーグルの事を一番よく知るギルドの魔法使いであるキールなのだが、彼はこの状況でもまったく焦った様子を見せずエルとしてはなんだかもやもやしているところだった。

「何するか分からないって……なんだよ」

 シーグルの部屋の前で何事か調べていた魔法使いは、言われて立ち上がるとエルに向き直る。

「え〜まずですねぇ、シーグル様の現在の居場所はアッシセグから結構離れたところである可能性がありましてぇ〜つまりこの部屋には遠くにある同じ構成の部屋と存在を重ねられた痕跡があってですね、これがぁどういうことかというとぉ……」
「いや、魔法の説明はいいから、結果だけをいってくれ」

 魔法使いに魔法の説明をさせると長くなる――長年の冒険者生活からそれを実感しているエルはすかさずキールの言葉を止めた。そもそもエルに説明されても分かる気はしないし、分かったところで何も解決しない。

「あーもうっ、いーいっ、簡単にいうとその遠くにある部屋とこの部屋の中身を一時的に入れ替えて、入れ替えた先で結界をやぶってあの坊やを捕獲、部屋を元に戻したって事よ」

 そこでアリエラが明らかにイラついた表情で前に出てくるとキールの代わりにそう説明をしてくれた。それでもやはり自分のペースを崩さない魔法使いはのんびりそれに補足する。

「まぁ〜そういう事でしょうねぇ。で、この魔法は手間や準備が大がかりになる分、距離に関してはかなりいけましてねぇ、へたすると今頃シーグル様はここから遠い樹海のド真ん中や北の山の中にいる、とかもあり得る訳なんですよ」

 かろうじて大まかに状況を理解したエルは思い切り顔を顰めた。

「なら……相手のその術を利用してこっちから向うに飛ぶってのは出来ないのか?」
「接続が切られた後なので出来ませんねぇ」
「んじゃあの坊やを見つける為には、こっちはその離れてる可能性がある現地まで行かないとならない訳なのか?」
「そ〜いう事になりますねぇ」

 話している内にエルは頭が痛くなってきた。

「……とりあえず、向うの場所……は分かる、のか?」
「勿論分りません。ので〜そこを探るとこからですねぇ」

 エルは思わず手で顔を覆ってから、その顔から血の気が引いていくのを感じていた。つまり、まったく手がかりがないのにシーグルの居場所は分からない上にここから遠い場所かもしれない、という事だ。この絶望的な状況でどうしてこの魔法使いのんびりしてられるのかと、呆れるのを通り越して目眩がしてくるくらいだった。

「……この状況でよくそんなケロっとしてられンなあんたは……」

 思わず正直にそう言ってみれば、魔法使いはエルを見て苦笑した後、顔の笑みを一度消して呟くように小さな声で言った。

「ギルドの方には連絡しましたからねぇ、今頃ここを中心として魔法使い達がシーグル様を探して駆けずり回っている筈ですよ。我々は闇雲に探すよりもこの部屋回りを出来るだけ調べて手がかりを探すほうを優先したほうがいいんじゃないか……と思いましてねぇ」

 言うと魔法使いはさっさとかつてシーグルがいた部屋の中に入って、何やら手に持った小袋から粉のようなものを床に落としていく。

「何やってんだ?」

 エルも中に入って見てみれば、どうやら魔法使いは粉で床に魔法陣を描いているらしく、何かの術を使う気なのだという事までは理解する。エルが入れば他の者達もゾロゾロと入ってきて、皆が皆魔法使いが術を使うの待つ事になった。

「……貴方……幻術士だってのは知ってたけど、杖だけで補えないなんてどんな面倒な術使う気よ」

 最後にアリエラが入ってきてそう言えば、丁度キールは魔法陣を書きおわったらしく、顔を上げて皆に言った。

「それではぁ皆様ぁお静かに。質問は後なら受付ますから黙ぁってじっと見ていてくださいねぇ」

 そうして呪文と共に魔法陣に向かって杖を掲げれば、そこには今彼らが捜している当人の姿が浮かび上がった。




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 リトラートさんはこのままご退場、ではないです。
 



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