呼ぶ声と応える声と




  【8】



 空に浮かぶのはリパの月――まあるい満月。
 まだ雪解けは遠いとはいえ気持ち晴れる日が増えてきた今、窓辺に座ってシーグルは上掛けを体に巻いた状態で月を見ていた。
 満月の夜は『彼』から剣の魔力が流れてくる。
 シーグルは今まで、だから気をつけろとキールに何度も言われて、実際何度も魔法使いから狙われる事になった。けれどもだからといって、魔力が流れてくるというのを実感として感じた事はない。魔法使い達が言っているだけで自分にその自覚がなかったし、感じようと思った事もなかった。
 けれどこうして今、満月の夜にひたすら体の感覚を研ぎ澄ませていれば、流れてくる魔力を感じる事が出来る。その時に、『彼』の想いが、自分を呼ぶ声が、その気配もが感じられる事があった。

「セイネリア」

 こちらから呼ぶ声が彼に届く事はないと分かっていても、その名を呼んで言いたくなる。きっと探しているだろう彼に、自分はここだと言いたくなる。

「セイネリア……俺は生きてる、大丈夫だ、俺は壊れない」

 だから、恐れないで欲しい、彼はいつでも強い彼のままでいて欲しい。
 自らの腕で自らを抱いて、自分の中に流れ込む魔法の流れから必死に彼の気配を探す。極たまに気配と共に聞こえてくる彼が自分を呼ぶ声に耳を澄ませる。彼の気配を感じて、違う男に抱かれ慣れて忘れてしまいそうな彼の感触を思い出す。

「セイネリア、俺はここだ……」

 胸の怪我はほぼ治った、足の怪我も殆ど治ったと言っていい。ラウという青年の言うには驚く程早く治ったそうだが、もしかしたらそれは体の中に巡っている剣の魔力の所為なのかもしれないとシーグルは思っている。
 やっと歩いてもいいと言われた事で、シーグルは今レザがいない間は、ひたすら普通に歩く練習と落ちた筋力を補う為に体を動かしている。だが筋力の低下どころか元々騎士にしては低い体力の落ち方には愕然とするばかりで、不安で不安でたまらなくなる。どれだけ鍛えても彼に適わないのに、こんなに弱くなってしまった体で彼に追いつけるのだろうか。それどころか、元にだって戻らないかもしれない。ここにいればいる程、自分の体は弱くなっていくだけだと、それが怖くて、不安で、気持ちばかりが焦る。

「セイネリア、俺はここにいるんだ」

 不安を紛らわす為に彼の名を呼んで、彼の気配を探す。
 そうしている内に眠りにつくのが、ここに来てから満月の度に繰り返したシーグルの夜の過ごし方だった。

『本当に、黒の剣の事を知りたいかい?』

 意識と視界が暗闇に落ちた中、頭に声が響く。
 それですぐにここは夢の中で、その声は自分を主と認めた魔剣の声だとシーグルには理解出来た。だからシーグルは即座に声に向かって答えた。

「あぁ、知りたい。あいつがどんな力を持って、どんな苦しみを持っているのかを知りたい」
『知れば戻れなくなる、彼を同じ目で見れなくなるかもしれない、それでも?』
「それでもだ」

 言ってからシーグルは、何故今になって魔剣がこうして普通に話しかけて来たのだろうと考えた。最初からこうしてくれれば知りたい事を知る事が出来たのに、と。
 だがそう思った途端、目の前には杖を持った初老の男が現れ、そしてその男は寂しそうに笑いかけてきた。

『普通はこんな風に魔剣に取り込まれた者がはっきりとした人格を保てはしないからね。ただ剣の主と記憶が繋がる程度だよ』

 それが魔剣――正確に言うなら魔剣の中に封じられた魔法使いである事はすぐに分かって、気づけばシーグルは何もない暗闇の中でその彼の前に立っていた。

「ならなぜ、貴方とは今こうして話す事が出来るんだ?」
『それは君が望んだからさ。君の中に流れてくる強大な魔力を使って、君が私の人格を固めたんだ。魔剣の中にいて、もう人格なんて薄れていた私を君が魔力で集めてこうしてはっきりとした意志にした』
「強大な魔力というのは、黒の剣の力だろうか」
『あぁそうだ。だから私がこうしてはっきりとした意志の形でいられるのは、君の中に流れ込む魔力が膨れ上がる満月の時くらいになる』

 寂しそうな笑みを浮かべる魔法使いの声は穏やかで、そして疲れていた。
 人を守りたいと願い、守る為に力を貸してくれる契約をしたこの彼は、どんな気持ちで魔剣に魂を残す事にしたのだろう。

『そうだね、私は守れなかった自分に絶望していたよ。それでもこの力が誰かを守る力として使われる事を望んだ。……いや、それだけじゃないな。人を守ろうとして生きた私のしてきたその先に――救いがあるのか、戦わなくていい世界がくるのか、それが見たかったから魔剣となったんだ』

 にこりと、今度は優しそうに微笑んだ魔法使いは、そっと手を伸ばしてシーグルの頭に触れた。
 そうしてまるで親がそうしてくるように頭を撫でてくると、優しい声で話しかけてくる。

『君の傍にいて君の事をずっと見ていたよ。たくさん辛い思いをして、たくさんの人を愛して、たくさんの人の幸せを願う君だからこそ力を貸そうと思ったんだ』

 優しい声と優しい感触に、シーグルは思わず涙する。
 そうして気付く。この魔法使いの気配を自分は知っていると。
 主と認められない間も剣を持って歩く事が日課になっていたのは、それを持つと何故か安心したからだった。セイネリアから貰ったというだけではなく、多分それはこの優しい気配を感じていたからだと、今更ながらにシーグルは気づいた。

『黒の剣の事を君に話したくなかったのは、それで君がまた苦しむ事が分かっていたからだ。そしてまた、黒の剣の主がそれを望んでいなかったからでもある。それでも君が知りたいと言うなら教えよう』
「あぁ、俺は知りたい。何も知らずあいつを一人で苦しませたくない」

 言えば優しく魔法使いは微笑む。
 そうして周囲の暗闇が明るく輝いたと思うと、そこは空の上で、シーグルは空からどこかの街を見下ろしているところだった。

『今からずっと昔、世界には魔法が溢れていて、誰もが魔法を使う事が出来た……』

 魔法使いの姿は消えたものの、声だけが頭の中に響いて物語を紡いでいく。

 世界は魔法に溢れ、誰もが意識せずに空気のように辺りに流れている魔力を使って生活をしていた。確かに今と同じく、人には生まれた時の保持魔力の差はあったものの、誰もが世界自体に満たされていた魔力を使っていたからそれを気にする必要もなかった。

 そんな世界のあるところに、余りにも大きな魔力を持って生まれてしまった者がいた。

 彼の名はギネルセラ。幼い頃から魔力がありすぎた彼は、その魔力に振り回されながら苦労して生きていた。魔力がありすぎるが故に魔法を気楽に使えなかった彼は、それを馬鹿にする者達を憎むようになった。
 そうして彼は考えた。
 本来魔力を持っていない人間が魔法を使える事の方がおかしいのだ、魔法を使う事は魔力を持っている者だけの特権であるべきなのだ。どうしてこれだけの魔力を持っている自分が馬鹿にされて、ろくな魔力を持たない者達から見下されなくてはならないのだ。

 そこで彼は、ある野心溢れる王に取り入ってその王に進言した。
 世界に溢れる魔法を独占してしまいませんか。誰もが使える世界に漂っている魔力を全て封じ込めて、それを自分達だけが使えるようにしませんか。そうすれば他の者は誰も貴方に逆らえなくなるでしょう。

 野心溢れる王はそれに頷き、その為に彼に協力する事を約束した。
 そうして後に大魔法使いと呼ばれるようになったギネルセラは、王の財力を使って彼の悲願を達成する。世界中のどこにでもあった、空気のように当たり前に誰もが使える魔力をすべて一つの剣に吸い込んで封じた――。

「それが黒の剣だというのか? 待ってくれ、なら黒の剣の場合は剣の中に魔法使いがいる訳ではないのか?」

 シーグルが叫ぶと、優しい魔法使いの声が返ってくる。

『いや、黒の剣の中にも魔法使いはいるんだ。そう、ギネルセラ自身がね』

 世界が切り替わる。そこは広い城の中だった。頭の中に、また物語を紡ぐ魔法使いの声が響いてくる。

 魔法を独占した王には、確かに誰も逆らえなくなった。小国の王でしかなかった彼は、大陸を統一する唯一の王になった。
 けれども野心溢れる王は、野心溢れるからこそ頂点を掴んだ途端に不安になった。
 ギネルセラが作った黒の剣は、その中に封じられた魔力を使うのにギネルセラ自身の魔力が必要だった。ギネルセラの強大な力によって黒の剣の魔力を制御しないと使う事が出来なかったのだ。
 だから剣の力は王が直接自由に使う事は出来ず、ギネルセラに命じて使う事しか出来なかった。
 となれば当然、ギネルセラが逆らえば王の地位は簡単に奪われる。剣の魔力は王のモノとうよりも、その実ギネルセラのものであると言えた。
 そんな中、王はある時偶然魔剣の作り方を知ってしまった。
 そうして王は思いつく、ギネルセラ自身を黒の剣の中に入れてしまう事を。黒の剣にギネルセラをも封じ込めてしまえば、剣は自分のものになると。
 そうして、彼を無理矢理魔剣の中に封じ込めてしまった。

 けれどそこでシーグルはふと疑問に思う。剣自体がギネルセラになったなら、無理矢理剣に閉じ込められた彼が王に従う訳がない。それを全く王は考えなかったのだろうか?

『いや、考えたよ。だから王もその対策をしたんだ』

 辺りはまた暗闇に戻り、目の前には哀しそうな笑みを浮かべる魔法使いがいた。

『ここでもう一人の登場人物が出てくる事になる。それは王の腹心の部下で、忠実なる騎士だ』
「騎士?」
『そう、騎士だよ。魔法を使わず武器と肉体だけで戦う純粋な戦士。その当時にはあり得なかった――彼はギネルセラとは逆に自身に魔力が全くなかったせいで、魔法を使う事が出来なかったんだ』

 ギネルセラが思うところの魔力のない一般人……というのは、自身で魔法を起すだけの魔力を持っていないというだけで魔力がゼロの人間を指すのではない。生まれながら全く魔力がないということは普通はまずあり得なくて、自身の魔力を種として周囲の魔力で魔法を起す、というのがその時代の人々にとっての魔法の使い方だった。
 だからこそ、種となる魔力さえない所為で、誰でも魔法を使える世界で全く魔法を使えないその騎士もまた、人々の侮蔑と嘲笑の対象だった。けれども彼はそれでも他の者を見返す為に鍛錬を重ね、兵士として魔法を使える者でも適わない程の技能を身に付け、騎士となった。
 そんな彼を認め、部下に取り立てて軍の頂点にまでしてくれた王に、その騎士は絶対の忠誠を誓っていた。王が大陸を統べるまでになれたのは、ギネルセラによる剣の魔法のせいだけでなく、その騎士の働きによる部分も大きかった。
 けれども騎士は、その時病に伏していた。
 もしかすると王が疑心暗鬼にかられギネルセラを恐れだしたのも、彼が一番信頼する騎士が弱っていたせいだったからかもしれない。
 だから王は騎士に言った。最後に、その魂をも自分に捧げてくれないかと。

『そうして王は、黒の剣にギネルセラを封じ込めた時、同時にその中に騎士の魂も封じ込めたんだよ。騎士の魂がギネルセラを抑え込み、王は黒の剣の主として自由に力を使えるようになる……筈だった』

 それが叶わなかったのは、彼の口調で察しがつく。
 悲しそうな顔の魔法使いは、淡々と言葉を続けた。

『ギネルセラはいつでも世界を憎んでいた。自分は誰よりも強大な魔力を持っているのに、それを嘲笑って見下していた人々を憎んでいた。そうして彼らを見返してやったと思った途端、今度は信じていた王に裏切られた。剣に封じられる最後の時まで彼は王に呪詛の言葉を吐いていたそうだ。それだけの彼の憎しみを抑える事は、騎士の魂には出来なかったのだろうね』

 その言葉を言い切って、魔法使いは目を閉じる。

「その王は? 彼の作った国はその後どうなったんだ? 黒の剣は?」

 聞かれれば薄く目を開けて、魔法使いは首を左右に振った。

『二人の魂を封じ込めた後、黒の剣を持った王は剣の中にいるギネルセラの憎しみに飲み込まれ、狂って力を暴走させて自ら全てを破壊しだした。それは剣の力に耐えられなくなって王の体が死ぬまで続き……王が死んだ後、破壊尽くされた国は滅びるしかなかった。そうして、自らの保持魔力が高いせいでかろうじてまだ魔法を使えた者達は、剣が誰の手にも触れないように辺りを樹海で包んだんだ』

 それが樹海の成り立ちというのなら、あの範囲がかつてその王が収めていた国だというのだろうか? そう考えたシーグルに、魔法使いは答えてくれる。夢であるからこそ、思うだけの事も発言するのも変わらないらしい。

『正確には王が破壊した範囲だね。王都周辺があれだけ広く破壊されれば、もう国として成立しなかった。そもそも国を動かしていた人物達は全て死んでしまった訳だからね』

 確かにそれはそうだとシーグルは思う。
 かつての王の国はそこからバラバラに分かれて小国家群となり、戦乱の世になっていったのだろう。
 黒の剣の正体とその作られた経緯はそれで分かった。ならば……ここからは、剣とセイネリアの話である。

「セイネリアはどうしてそんな物を手に入れたんだ? あいつはそんな物を持っていて大丈夫なのか?」

 剣の正体からすれば、それは人が持てるものではないとしか思えない。ならそれが疑問となるのは当然の事だった。

『さぁ、それは分からない。我々が知っている剣の秘密はそこまでで、どうやれば剣の主としてあの剣を持って正気でいられるのかはわからなかった。今まであの剣に触れた者は皆発狂して、体が耐えられずに死ぬまで暴れ続けるだけだったから……最初の王のようにね』

 魔法使いはそうして深くため息をつくと、ふと何処かを見上げてからシ―グルに向き直った。

『そろそろ時間だ。また何か聞きたい事があるなら、満月の時に君が望めばこうして話す事が出来るだろう。けれども聞く前によく考えて、本当にそれを知ってしまっていいのか、知る事によって起こりえる事を覚悟してからにするんだよ』

 そうして魔法使いはまた手を伸ばしてくると、やはり優しい手つきでシーグルの頭を撫ぜて微笑む。
 暖かい彼の気配を感じながらシーグルが目を開けると、窓の外は既に明るくなり、鳥の声が耳に聞こえてきた。
 シーグルはぶるりと震えると、くるまっていた上掛けを更に体に引き寄せて巻きつかせる。
 それから、見ているうちにどんどん明るくなっていく空をぼんやりと眺めて呟いた。

「セイネリア、お前は黒の剣を持つ事で、何を手に入れて何を失ったんだ?」



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 ちなみに、あくまでこれは『魔法使い達の知る』黒の剣の秘密、というのがミソ。



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