呼ぶ声と応える声と




  【1】



 軍事国家アウグ王国。クリュースから見て北西に当たるこの国は、近年になって急激に領土を広げ、今やその領土の広さだけで言うならクリュースに勝るとも劣らない。ただしそれはあくまでも広さだけを比較した場合であって、一年の半分以上が雪と氷に閉ざされる大地が殆どを占めるこの国は、国としての裕福さで言えばクリュースの足元にも及ばない貧しい国でもあった。貧しいが故に周辺の小国家や小部族達を侵略し、そこから吸い上げてどうにか少数の『国民』を養う事で国が成り立っているからこそ、クリュースと国境を接した後は領土の拡大が止まって内部は相当に行き詰っているらしいと言われていた。

 貴族の教養としてシーグルが教えられたアウグという国はそんなところで、実際に彼らがどのような生活をしているか具体的な話までは聞いた事がなかった。ただ、将来的にアウグがクリュースにとって一番の脅威になる可能性があるから、彼らと交渉するためにもアウグ語はある程度は覚えておけと勉強させられただけの話だ。

 それがまさか本当に役立つ事があるとは思わなかったが、とシーグルは自嘲と共に思う。

 レザ男爵の捕虜となったシーグルだったが、レザは部下達に向けてもあくまでもシーグルを『気に入って連れて来てしまった蛮族の青年』扱いするつもりらしく、シーグルはどんな時でも一切クリュース語を使うなと言われていた。
 クリュースが敵としてアウグの言葉を習ったのと同じく、アウグでもそこそこ以上の家の出の者はクリュース語がある程度は分かるらしい。本当はボウ族の言葉を使ってくれるならいいんだが、と言われても無理に決まっているのだから、大人しく慣れないアウグ語だけを使うしかなかった。それにそもそも、レザはシーグルにいつもべったりついていて、彼が聞いて来た事に頷くだけで大抵済んでしまっていたから、殆ど人前で話す必要がなかったというのもある。
 シーグルとしては、指揮官がよそ者を気に入ってこんなりべたべたしてるのはさぞ異様に映るのではと思ったのだが、レザいわく。

「あぁ、俺の部下はそういうのには慣れてるから大丈夫だ」

 という事で、実際言葉通りに部下達も呆れた顔はすることもあるものの、大して気にした様子がないのだから逆にシーグルが気になる程だった。一体、この男は普段はどういう生活をしているのだろう、と。

 その疑問は、アウグ本国に帰ってレザ男爵の屋敷に連れて来られた事で全て分かる事になったのだが。

「おー帰ったぞー」

 そう言ってこの館の主人であるレザ男爵が建物に入った途端、シーグルは我が目を疑った。
 レザの帰りを出迎えたのは、大勢の使用人達……ではなく、大勢の若い男達。年齢は少年と言える者からシーグルより少し上くらいまでがいて、驚くべきことに彼らは皆レザに対してこう言ったのだ。

「お帰りなさいませ、父上」








 レザ男爵の屋敷は住んでいる人数の所為もあるのだろうがかなりの広さがあって、シーグルが連れて来られたのは屋敷の中でも奥にあるレザ本人の為の部屋だという事だった。

「いいか、お前が行き来していいのはこの部屋と隣の部屋までだ。俺がいない間はカギを掛けてそれ以上は出られないようにさせて貰う。悪く思うな、息子達にはお前の顔は見せない方が後々面倒事が無くて済むからな」

 実際のところ、この部屋にくるまで顔をフードで隠されたままでいたシーグルは、それでその理由が分かった。

「安心しろ、この足ではカギなど掛かってなくても出ていけない」

 言えばレザはにかっと笑って、シーグルを座らせたベッドの上に自分もまた座る。

「だろうな、まぁ怪我をさっさと治したきゃ大人しくしてるんだな。俺がいない間はラウにちょくちょく顔出すように言っておくから、何かあったら奴に言え」

 言いながらも撫でまわすように手が体を触ってくるから、シーグルはそれを叩いてレザを睨んだ。

「彼もこの館に住んでいるのか?」

 レザも今のはただの悪戯程度のつもりだったようで、肩を竦めるとあっさり触ってこようとするのを止め、ベッドの上から立ち上がって着替えを始めた。

「あぁ、あいつも俺の息子だからな」

 それでシーグルは一度驚きのあまりあっけにとられて、それから少し考えて、思い切って聞いてみることにした。

「ところで、どうしてそもそもそんなに息子がいるんだ。まさか奥方一人で生んだ訳でもないだろうし、どれだけ愛人がいるんだ」

 それに今度は驚いた顔をして見せたのはレザの方で、彼はそれで着替えの手を止めてシーグルを見ると大声で笑いだした。

「ははは、なんだお前、あれが全部俺の本当の息子だと思ったのか?」
「違うのか?」
「ここにいるので本当の息子は3人だけだな。後は全部養子なんだ」
「なんでそんなに養子が……」
「それは勿論、俺は気に入った奴はすぐ養子にするからだ」

 シーグルはそれで本気で頭が混乱してきた。彼の言う『勿論』がどうしてここで使われるのか、それともアウグでは普通の事なのか、混乱しすぎて何も言葉が返せなかった。更にまた、彼は続けて言ったのだ。

「だから、部下達は慣れてると言っただろうが」

 そうなれば、彼は気に入った青年は養子として囲ってハーレムでも作っているのかと怖い考えになってくる。なんだか文化というか常識が違い過ぎてシーグルは目眩さえしてきたのだが、レザはひとしきり笑った後、着替えを済ませて傍の椅子に座ってこちらに向き直ると、今度は少し真面目な顔をして言ってきた。

「まぁ、我が国の男は基本兵士として育てられる。優秀な兵士を育てる為には優秀な人材が必要だ、だから貴族……というか裕福な者はな、いい兵士になれそうな優秀な人材を見つけたら養子にして養ってやるべきだって事になってるんだよ」

 アウグが軍事国家と呼ばれる事を考えれば、その説明には納得がいく。

「それに我が国では男は皆兵隊であるからこそ、家族を残して父親が戦死する事が多い。だから優秀だった部下が戦死した時は、出来るだけは上にいる者がその家族を養ってやるべきだという事にもなってるんだ」
「つまり、それでどんどん息子が増えていった訳か」

 クリュースのような平和な国ではなく、年中戦争をしていたアウグならではの風習なのだろうが、理由を聞けばそれはよいシステムだともシーグルは思う。裕福な者が優秀な若者を養うべきというのが常識になれば、確かに国として優秀な人材が育ち易くなる。
 すっかり感心した顔をしたシーグルを見ると、レザはそれににやりと笑った。

「そうだ。だから息子だけではなく、妻も娘もたくさんいるぞ」

 なんなら娘で一番の器量良しをお前にやってもいい、と言われて、シーグルの思考は再び停止した。
 そうして固まったシーグルを見たレザは、そこで豪快に笑うと立ち上がって、ベッドに座っているシーグルの横にまた座ってガシガシとシーグルの頭を撫でながら抱きよせた。

「とりあえず、今夜は久しぶりに思い切り飲んで思い切り食えるからな。お前を宴会に連れてく訳にはいかんが、好きなモンを言っといてくれれば好きなだけこっちに持ってきてやる。怪我を早く治すにはともかくたくさん食う事だ」

 言いながら、どさくさに紛れていやらしい手つきで腰を撫でてくるレザを引き離すと、シーグルはじっと相手を睨みつけた。

「酒はいらない。食事はいつも通りでいい」
「いつも通りって……命の実か?」
「そうだ」

 ぽかんと口をあけて驚く男にシーグルは頷く。
 クリュースにおけるケルンの実はここでは命の実と呼ばれているらしく、基本、遠征中はそれと香草のスープがアウグ軍の兵士の食事らしかった。だから今まで特に食事について彼に何かを言う必要はなかったのだが、さすがにここまできたら今後の為には言わなくてはならなくなる。

「あのクソまずいモンだけでいいっていうのか? 酒はまだしも、若い男が食い物くらい遠慮するな。俺なら毎日好きなものとは言わないが、ちゃんとした食い物を腹一杯食わせてやれるくらいの甲斐性はあるぞ。ヘンなもんを入れてるって疑いなら毒味させたっていい」
「疑ってる訳じゃない、遠慮もしていない」
「じゃぁなんでだ」

 レザの顔はなんだか拗ねているようにも見えて、シーグルはどうして食事くらいでこの男がこんなに必死になるのだと思う。

「元から極端に食べられない方なんだ。状況によって食べられるものが変わったりもするから、確実に食べられるあの実だけでいい」

 それでもレザは未練がましくまだ言ってくる。

「いいって……せめてもうちょっとちゃんとしたモンで食えるものはないのか? クリュースでしか手に入らないようなモンでも言ってみりゃ似たようなのもあるかもしれないし」

 そこまで言われれば、シーグルだっていい加減聞きたくなる。

「どうしてそこまで俺に食わせようとするんだ。あの実はこの国ではそんなに高価ではないと聞いたから問題ないと思ったんだが」

 けれど返された答えを聞いて、ここまで言ってくれる彼に対して申し訳ないだろうかと思い始めていたシーグルの気持ちはあっさり吹き飛んだ。

「だってな、そらそのほっそい体もいいんだが、俺としちゃもうちょい肉がつくともっと好みだなと、こう抱き締めた時の感触とかがな……」

 本当に、この男の思考回路はどこまで色事優先なのだろうと、シーグルはそれに何かを言い返す気さえなくなった。







 ノウムネズ砦の戦いが終了してから、一月以上が経った。
 秋になると、蛮族達は冬の間の住居に向かって移動を始める部族が多い。その為、どの部族が何処へいるかを狙って行く事は難しくなる。ただ、猟に出る者達は村人と別れて数人のグループを組んで遠出をするようになる為、そんな彼らを捕まえて情報を手に入れられる事もあった。
 それでも、本格的に冬が来てしまえばこちらも身動きが取りにくくなる。その前に何かしらの手がかりが欲しいとセイネリアは思っていた。

 シーグルに関する情報を探して、セイネリアが調べた蛮族達の部族の数は既に20近くになっていた。それでも彼が見つかるどころか彼に関する情報が一切見つからないのだから、セイネリアとしても流石に想定外と言わざる得なかった。

 冬支度であちこちの部族が移動を始め、事前に調べた資料が役に立たなくなってきた事もあって、現状、初めの時程蛮族達を次々調べて回れなくなっていた。いくら移動は転送まかせとはいえ、まだ体の出来ていない子供二人を連れて無茶な強行軍が出来る筈もなく、特にソフィアは簡単に代えの要員と交代という訳にいかない為、彼女をつぶれるまで酷使する訳にはいかなかった。だから、彼らの疲労具合を見てはアリエラを呼び出して一時的にアッシセグに帰り、彼らを休ませる事も必要になる。その間、セイネリアは団の仕事をこなす傍ら、魔法使い側やクリュース国内の情報を集めてシーグルに関しての手がかりを探してはいたのだが……長期化すればする程疲労は蓄積していくのは当然で、子供達は行く度に体力が回復しにくくなっているように見えた。この分では、冬に入ってまで彼らを使うのは厳しいかとセイネリアも考えていた。

「ラタの方から連絡は?」

 久しぶりにアッシセグに戻ってきたセイネリアは、主がいなくともきちんと掃除された執務室に入るなり、後ろについてきていたカリンにそう尋ねながら椅子に座った。子供らは帰った途端部屋で休むように言ったが、セイネリアには休む暇もなければその必要もない。

「シーグル様に関してと言える情報は何も、ただ気になる事が一つ」
「それは何だ?」

 座ってすぐ、机の上の書類に目を通しながらも即答で返ってきたセイネリアの声に、カリンは眉を寄せる。

「今回のアウグ軍の指揮官であったレザ男爵が、ノウムネズ砦の戦いで蛮族の青年を一人連れ帰ったそうです」

 セイネリアは書類から目を離し、カリンを見上げた。

「蛮族の? ……そいつの身元ははっきりしているのか?」
「はい、ボウ族のソウ・ゾ・デタンという若者だそうです。戦場で怪我をしているのをレザ男爵が助けてそのまま自分の元に置いていたそうです」
「その人物の容姿についての特徴は?」
「それは……分かりません。レザ男爵の傍にいた古参の部下達でさえ顔は見ていないそうです」

 それで顎に手を当てたセイネリアは、僅かに考える。

「確かに、怪しいな」
「はい。ただ、レザ男爵がそうやって遠征先で気に入った青年を連れて帰ってくるのはよくある事だそうで、回りもあまり気にしていない様子ではあると」

 それでもラタはどうにかそのソウ・ゾ・デタンという人物について調べようとしたのだが、レザ男爵の屋敷には近づく事が難しく調べようがない――そう締めくくられたカリンの報告が終わってすぐ、セイネリアは口を開いた。

「カリン、ボウ族の村の位置を探しておいてくれ。移動する連中なら夏の場所と冬の場所の両方をだ。ラタには引き続きレザ男爵回りを調べるように言っておけ」
「はい、ただ……」
「ただ?」
「ソフィアもラストも疲労が酷い為、出来れば今回は少しゆっくり休ませてやりたいのですが」

 セイネリアはそれに暫く黙って、それからため息をついて返事を返す。

「次に出る時はラストはレストと交代だ。それと、ボウ族の件はソフィアではなく別の者に調べさせろ。ボウ族の場所が分かるまでは……俺も暫くこちらに待機している事にする」

 本当ならこうしている時間も惜しいのだが、それでも闇雲に動く愚かさも分かっている分セイネリアは自分を抑える。
 視界の中に映る自分の手には確かに指輪が存在している。
 だからシーグルは無事だと自分に言い聞かせ、セイネリアは目を瞑る。もし、黒の剣の力が自分を通して彼の元に届いているというのなら、それで彼の居所まで感じる事が出来ないだろうか。もしくは力と共に自分の声が届きはしないだろうかとそう考えて、セイネリアは自分の中に巡る魔力に意識を集中してみる。
 だが意識を集めた途端、その魔力が膨れ上がりそうな気配を感じて、すぐセイネリアは目を開き意識を散らした。
 自分の体に流れる力を意識せず放出させるような使い方ならいいが、剣の力を引き出そうとしてはならなかった、力を願ってはならなかった。それが黒の剣の主として正気を保つ条件であり、剣の中にいる狂気に引きずられない為の方法であった。

「まったく、こんな『力』など何の役にも立たんな」

 自嘲と共に呟いたその声には、カリンは何も言わなかった。




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 そんな訳でアウグ編が始まります。



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