見あげる空と見えない顔




  【8】



 春になってもこの時期はまだまだ日が落ちるのは早くて、油断をしていればすぐ暗くなる。暗くなったら食事して、体を拭いて、夜のお祈りと今日の日記を書いて、寝る準備をすればすぐにもうその日は終わりだ。
 今日の日記を書き込んで、ウィアはふぅと息を付く。その日の記録としてちょっとづつでもいいから書くといい、と神官になるときに言われていたが、ウィアは不良神官らしく神官になってずっとサボリぎみだった。それが毎日きっかり書くようになったのはフェゼントと恋人になってからだが、まじめに記録的な書き方になったのは兄が主席大神官になってからだ。いつか兄が主席大神官を辞めた時、こんな事があったんだとちゃんと説明出来るようにというのが一応その理由なのだが、最近では周りの変化を書き留めるというのもなかなか面白いと思ってもいた。

 兄が大神殿住まいになってしまってから、ウィアの生活は大きく変わった。
 
 大神官の住まいとして用意されていたあの屋敷は神殿に返した。別にそのまま使用していてもいいといわれたのだが、三人でも持て余していたあの広い屋敷に二人で住むのはさすがに寂し過ぎるし全部掃除なんかしてられない。だからきっとそのまま使えば屋敷自体が荒れていくのも想像出来たしそれなら返してしまおうと思ったのだ。
 幸い、フェゼントが首都のシルバスピナの屋敷を管理する事になっていたのもあってウィアは住む場所に困らなそうだったし、ヴィセントも呼んでいいと言われていたから問題はない筈であった。だがその話をどこから聞いたのか、ロージェンティがそれならとウィアとヴィセントの両方共の部屋を用意してくれて、結局二人共そのまま城に引っ越し、という事態になったのだった。ついでに言えば用意してくれた部屋はかなり広く、ヴィセントは屋敷にあった大量の本を無事全て運びこめたし、ウィアの部屋はこうしてフェゼントが泊まっても全然問題なく二人の部屋として使えて、『まるで結婚した二人の新居(※ウィア的に)』にでも来たような気分を味わえる事になった。

「いやー、もうやっぱり俺とフェズは運命の相手だよな♪ こー、何から何まで一緒でいるのに都合良く進むとさっ」

 と、言いながらベッドに転がって背伸びをしてから、しんと静まり返った部屋で無理矢理作った笑みが真顔になる。だめだなぁ、と我ながら自分が情けなくなってため息を付く。
 首都に出てきてからずっと、一人が寂しい、なんてこんなしみじみ思う事はウィアにはなかった。こっぴどく振られて傷心のままやけ食いしてやけ酒してやけ寝した時もこんなにぽっかりと心に空洞が出来たような寂しさは感じなかった。フェゼントと心が通じてからはもう、一人で寝てても次に彼に会える日まで何日かを数えながら毎晩幸せに眠れていたのだ。
 なのにどうしても、兄が主席大神官になってからは一人だけでぼうっとしていると妙に寂しさを感じてしまう。ちょっと部屋を出れば見張り連中の中にいくらでも知り合いを見つけられると分かっていても、無性に寂しくて仕方なくなるのだ。

「フェズ、遅いなぁ……」

 フェゼントは今、ラークと話をしている筈だった。終わったらすぐにこの部屋に来て今日は泊まっていく事になっていて、だからウィアはひたすら待っているのだが。

「遅いよなぁ……やっぱなんか重い話なんかな、ラークの奴やけに悩んでたみたいだしなぁ。ただフェズならすっげー遅くなりそうだったら途中で一声掛けにきてくると思うんだよな、なんなら見回りの兵にメモ渡してくれてもいーしっ。何もないなら、最悪でも寝る時間までには来れるって事だよなぁ……」

 ごろごろとベッドの上で転がりながら返事が返る筈もはない問答を繰り返す。いっそフェゼントが屋敷に帰ってこちらに泊まらない日なら、警備兵の休憩所に酒を持って行ってひと騒ぎしてくるのだが。
 なんだか部屋の中がしんとしているのが嫌で、独り言を言ってみたり意味もなくベッドの上で転がったり軽く跳ねてみたりするのだが、こういうのはずっとやっていると今度は寂しさよりも虚しくなるから困る。フェゼントの分の枕を抱きしめて広いベッドの端から端まで転がってみても、待っている間が持たなくなって結局途方に暮れるしかない。
 けれども、やっとドアからノックの音が聞こえると、ウィアは飛び上がる勢いで起きあがって裸足のまま入口に向かって走り出した。

「すみません、遅く……」
「フェーズ―待ってたぁ〜」

 男にしては小柄な金髪に近い茶の頭が見えた途端、ウィアは飛びついていた。
 最近は冒険者の仕事をしていない分鎧を着ている事がまずないフェゼントは、躊躇なく抱きついてもまったく問題がない。騎士であるフェゼントは体格の割りにはウィアより力もあるから、ウィアの突進くらいは受け止めてくれる……の、だが。今日は少し勢いが付き過ぎたらしかった。

「ウィア? ちょ、あぁっ」

 廊下で二人して倒れ込んでから、気まずい沈黙が訪れる。それから、すぐ。

「すみません」

 何故かそこでフェゼントが謝ったから、ウィアはがばりと起き上がった。

「なーに言ってんだよっ、今のはどー見ても俺が悪いっ。ごめんなフェズ、怪我なかったか?」
「いえ、私も少しぼーっとしてましたし、ウィアは私なら大丈夫と思って抱きついてきたのだと思いますから私がしっかり受け止めないと」

 言いながらやはりにこりと綺麗に笑うフェゼントに、ウィアの胸は熱くなる。思わず立ち上がるより先にまたフェゼントに抱きついてしまえば、今度は困った声が耳に入ってくる。

「あの……早く部屋の中に入りませんか? その、ここだといつ警備の人がやってくるか……」
「ははは……だよなっ」

 そうして一気に立ち上がって、ウィアはフェゼントに手を伸ばした。彼もそれに笑って、嬉しそうに手を掴んでくるとこちらが引くと同時に立ち上がった。

「んーやっぱここでフェズを抱き上げられたら気分いいんだろーなー」
「それを言ったら私もです。あのままウィアを抱き上げて立ち上がれたら気分いいんでしょうね」
「抱き上げて持ち上げるってのはかなりハードル高いんだぜ、ま、同じくらいの体格の男同士じゃ仕方ねーよな」

 そうだうんうん仕方ない、と自分にも言い聞かせるつもりで言った言葉だったが、何故かフェゼントの表情は微妙に引き攣っていた。

「……それが私、シーグルに抱き上げられた事があって。やはり鍛え方が全然違うなと」
「あ、あいつはフェズより背ぇ高かったし体格違うしっ」
「えぇでも……その時私鎧を着ていたんですよ。なのにわりとひょいっと」
「……すげぇな、流石シーグル。細いのになー」
「ですよね。細くてもシーグルの腕は私と全然筋肉の付き方が違ったんですよ」

 シーグルの名前を出しても、今のフェゼントは悲しそうな顔はしなくなった。それどころか懐かしむように笑みを浮かべて自分から話す事も多くなった。……だから、ヘタに癒えた傷をまた広げてしまわないためにも、まだ彼にシーグルが生きているかも、なんて相談はやはりしないほうがいい、とウィアは思う。

「まーシーグルって趣味が鍛える事って感じだったもんなー。あの顔で」
「そうですね、結婚してからも夜中にこっそり剣を振りに外へ出ていったりしていたみたいですよ。ロージェンティさんから愚痴を聞いた事があります」
「しっかたねーなー」

 笑って、ちょっと手なんかこっそり繋いで話しながらも部屋に入ってドアを閉める。
 廊下は少し肌寒かったが部屋の中は暖かくて、フェゼントが上着を脱いで掛ける間にウィアはぐちゃぐちゃになっていたベッドの上を直しに行った。そうしてそのままベッドの上に腰かけていれば、フェゼントもその隣に座ってくれた。
 隣同士、ぴったりとくっついて座れば自然と顔を見合わせてしまう。そうすれば唇を合わせるのも自然な流れで、合せながら抱きついて彼の体温を感じればそれだけで幸せになれる。先ほどの寂しさも飛んでしまって幸せ一杯になれるのだから、自分って本当に単純だなとウィアとしても感心してしまう訳だが。

「んでっ、ラークの話って何だったんだ?」

 唇を離して、お互いに微笑みあって軽くそう聞いてみれば、そこでフェゼントの表情は僅かに曇った。

「……聞かない方がいい事か?」

 だから思わずそう言えば、フェゼントは苦笑して軽く顔を左右に振った。

「いえ、ウィアにも言わないとならない話ですから。……聞いて貰えますか?」
「そりゃ勿論。言ったろ、何かあったらいつでも俺に話してくれって。聞くだけでいいことでも、二人で一緒に悩みたい事でも俺はちゃんと聞くからさ」
「ありがとうございます」

 フェゼントはそこで少し辛そうに微笑むと、一語一語確かめるようにゆっくりと話し出した。



---------------------------------------------


 ウィアも実はちょっとナーバスになってる模様。
 



Back   Next


Menu   Top