見あげる空と見えない顔




  【6】



 ウィアは今、目の前にいるにこにことやたらと笑顔で機嫌の良さそうな老人を睨んでいた。この老人に会って話しをしたのはウィアにとって二度目になる。一度目はシーグルが魔法使いに襲われて検査があるから暫く帰れないとなった時で、シーグルの居場所と状況を突き止めようとしていたウィアとヴィセントの前にこの老人が現れたのだ。実際彼の助言は役に立ったし感謝はしているのだが、彼が何者かが分った時はちょっと騙された気がしてしまったのは仕方ない。なにせ想定外の大物だったのだから。

「で、元リパの首席大神官様がなんでこんなとこにいんだよっ」

 あの時ヴィセントがこの老人の所作から推測した『リパ神殿関係の偉い人』というのは当たっていた、当たっていたが……まさかリパ神殿で一番偉い人間があんなとこにいるとは誰も思わないだろう。何者なんだあのじーさん、とずっと思ってはいたが忘れてもいたその顔を、テレイズが主席大神官になる任命式で見た時には本気の本気で驚いたものだ。……というか、そこまで気付かなかった自分もさすがだと我ながら感心もしたのだが。

「いや兄さん、それを聞くならまず、『なんであの時あんなとこにいたんだ』じゃないかね? 今のわしならどこにいても別に問題ないじゃないか」

 確かに言われればそうではあるのだが、正直そこでそんなつっこみが返ってくるとは思わなかった――ウィアは顔を少し引き攣らせて老人の前の椅子に乱暴に座った。

「だー、今だって十分重要人物だろっ。『元』って言っても一度そういう地位にいたならさ、いろいろ秘密を知ってて街を一人でふらふらしてちゃいけない身分じゃないのかよ」

 実はこれは悔し紛れでいったテキトーな予想だったのだが、意外な事に老人はそれをあっさり認めてくれた。

「うん確かに、まぁそうなんだけどな。でもまぁここは晴れて自由になって友人のところに遊びにきた爺さん、くらいで大目に見て貰えるかな」

 いやそれさらっと肯定して流すとこじゃないよな、と思わず座ったままこけそうになったウィアは、ちょっと顔をひきつらせて笑顔の老人に言う。

「……じーさんあんた結構イイ性格だろ」
「わしが主席大神官だった時に得意だったのは、他の大神官を困らせる事だったよ」

 イイ歳をしてウィンクなぞしてくれた老人を見て、そこでウィアはちょっと考えた。それから真剣な顔で聞いてみた。

「それはつまり、あの兄貴を困らせてたって事なのか?」
「そうさね、彼は仕事においては真面目だったから何度も困らせたね、確かに」
「おーーーー」
「例えばな……」

 と、そこから始まる老人の武勇伝、大神官達が右往左往する話にウィアは身を乗り出して夢中になる。公の用件がないと大神殿の敷地内から出てはいけない主席大神官の老人は、あちこちに抜け道を見つけては何度もこっそり抜け出して街にいっていたらしい。その度に苦労するのは他の大神官達なのだが、もうヤケになって投げ出す大神官も多い中、テレイズは諦めずに老人を探し回ったり、今日中の書類が終わるまではずっと傍にいたりと若いのにこの上司にあたる老人に対してプレッシャーをかけまくってくれたらしい。

「神殿で一番偉い人間がンな不真面目でいいのかよ」
「わしは不真面目でちゃんと仕事をしていなくてもいつもの事だったからね、皆出来るだけ仕事をわしに回さないようにしてくれたよ」
「……いやなんか尊敬するぜ、今までえらそーなじーさん程度にしか思ってなかったけどさ、一番上がそんな調子でやってたんならなんか神殿が好きになったってーか希望が出てきた感じだ」

 そうしてすっかり老人との話に入り込んでいたウィアは、小部屋からラークがガタイのいい魔法使いと一緒に出てきた事で初めてラークがこの部屋にいなかった事に気付いた。

「あれ? なんだよラーク、何処いってたんだ?」

 言えば、なんだか妙に落ち込んだような顔をしていたラークがぎろりとウィアを睨んでくる。そこまで思わず嫌味の応酬をする準備をして身構えたのだが、ラークは睨んだ後にため息をついて、何も言わずにウィアの隣にあった椅子に座った。

「なんだよ、どーしたんだよ、せんせーに説教でもくらってきたのかぁ?」

 ウィアが今度は少し挑発するように聞いてみれば、ラークはまたこちらの顔をじとりと見た後大きくため息をついた、そして。

「ほんとーにウィアってお気楽だよねぇ」

 それからまたため息をついたラークは、結局その日はため息をつきながら考え込むばかりで、ウィアに何があったのかを教えてくれはしなかった。





 今日の月は満月の一日前にあたる火の神エンジの月となる。セイネリアが部屋にやってくるのは満月に近い事が割合多くて、彼も魔剣の力が膨れ上がる時にその影響が強くなって不安になるのだろうか、とシーグルは考えていた。

「起きてたのか?」

 部屋に入って来た途端彼が言ってきたのはそんな事で、シーグルは少し顔を顰めた。

「来ると言われたら起きてるだろ」
「そうか……そうだな」

 そうして自嘲に歪む彼の口元を見つめて、シーグルは思わずため息を吐く。
 セイネリアはまるでわざとシーグルを見ないようにでもしているように、どんどん部屋の奥へ進み、ベッドの傍までくると装備を外し出す。シーグルとしてはそれを手伝おうとするのは当然なのだが、セイネリアに途中で止められて「先に寝ていろ」と言われるのもいつもの事だった。

「さっさと寝たいんだろ、なら大人しく手伝わせればいいじゃないか。そのくらい部下らしい事をさせろ」

 そうすれば彼は答える。

「お前が先にベッドに入っている方がいい」

 それが妙に力なく、あのセイネリア・クロッセスらしくない自信のなさそうな諦めたような顔で言われるから、シーグルはそれ以上彼に何も言えなくなる。ただ言われるまま先にベッドに入って、彼がやってくるのを待つ事しか出来ない。服を脱ぎ終わった彼がベッドに入ってきて、そっと……ほんとうにそっと自分の身体に触れてきて、そこから引き寄せて、抱きしめてくるのに黙ってされるがままになるしかない。
 腕の中に完全にシーグルを抱き込んで、それからその頭か首元に顔を埋めて、はっきり音が分る程深く息を吐いた後にセイネリアの体から力が抜ける。抱かれているシーグルにも彼の気配がそこで変わるのが分る。

「寝るだけでいいなら、別に毎日くればいいじゃないか」

 呟いてみても、それに返事が返らないのもいつもの事だ。彼は本当に自分を抱き込むとすぐ寝てしまって、こちらと会話する暇さえも作ってくれない。……まったく、そこまで余裕がないのならさっさと部屋に来ればいいのに、とシーグルは思うのだが……だが、わざと彼がそこまで疲れてからここへくる理由も知っていた。

『今回のように限界がきてから眠るならお前に手を出さなくても済むだろうからな、今はそれだけでいい、それで十分耐えられる』

 だから彼は限界までは耐えて、限界になってから自分のところへ来て話す暇さえなく寝てしまうのだろう。彼のその判断さえも腹立たしいが、それでもそれが彼の妥協した結果なのだからどうしようもない。
 セイネリアは……誰よりも強い筈の最強の男は、ただひたすらにシーグルを失う事を恐れている。彼の全ての感情より優先して、ただシーグルを失いたくないと、それだけの為に自分を消耗し続ける。それが何時までも持つとは思えないし、彼がそれを分っていないとも思えない。だから今のシーグルとしての希望は、彼が何かを諦めて自分に全てを打ち明けてくれれば事態が好転するかもしれないというそれくらいしかない。いつかは話す、その内分かるといっていたからには、それがそこまで遠い話ではない筈だった。

「何を隠してるんだお前は……取り返しがつかなくなる前にさっさと楽になればいいじゃないか」

 彼の体温につつまれて、こちらも安心して眠りそうになりながらもシーグルは悲しくてそう、呟く。
 現在、セイネリアは大体10日〜20日に一度シーグルの部屋に眠りに来る。前よりも彼の状態は大分良くはなっていて見ていて憔悴している様子を感じさせなくなったが、それでも部屋に来た時の苦しそうな彼を見る度に辛くなる。彼がどんな苦しみを背負って何に苛まれているのかそれが分らないのが悲しい。

――俺は、お前を助けたいのに。

 ただ助けられて守られたいんじゃない、彼を助けたいと思うのに何も出来ない事が悲しい、彼が自分を頼ってくれないのが辛い……自分の力の足りなさが悔しかった。彼の傍にいると言っているのに、彼のものだと言っているのに、それを信じて貰えないのは――きっと、自分が弱いからなのだろう。
 そうして考えている内に、シーグルの意識はやがて眠りの中へと沈んで行く、その閉じた瞼の下からは知らずに涙が零れていた。



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 ウィアとじーさんの話……前の事過ぎてどれだけ覚えてるんだろう(==;;
 



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