見あげる空と見えない顔




  【10】




「何があろうと今の私が貴方から離れる事はありません」
「でもさ……」
「えぇ、ですから私も悩んでいるんです。私はずっと自分も他人も傷つけるのが怖くて逃げてばかりでした。でも今回は逃げて、誰も傷つけないで済むなんて事は出来ないのでしょうね」
「……フェズ?」

 聞き返せばにこりと笑みを返してくれて。けれどもフェゼントはすぐに真剣な顔をするとウィアの目を真っ直ぐ見つめて言葉を続ける。

「正直を言えば、私はシルバスピナの家を継ぎたくなどありません。シルバスピナの名を今更名乗ることさえ断りたいくらいです、私にはそもそもその資格がありませんから。シーグルと違って、その名を名乗る覚悟もなければ愛着もない。知識も能力も足りなすぎます」

 はっきりとそう言い切ったフェゼントはそこでふと目を閉じた。そうして今度はウィアにではなく自分に言い聞かせるように、少し眉を寄せて苦しそうに呟いた。

「けれどこれは義務なのでしょう。ここで私が断ることは簡単ですが、そうすればたくさんの人に迷惑が掛かって困らせる事も分かります。だから、受けない訳にはいかないのでしょう」
「フェズ……」

 ウィアは反射的に彼の名を呼んでしまったものの、その先を続ける事が出来なかった。全部の事情を分かってそれでも決断しようとしているフェゼントに、嫌だ、とはどうしても言えなかった。
 そうすれば暫くして、目を開けたフェゼントがウィアの顔を見て――恐らく泣きそうなのが分ってしまったのだろう――にこりと綺麗に微笑んでくれた。

「そういえば、先程のラークとの話なのですが……ラークは……私がそれで悩んでいる事を知っていたんでしょうね、どうしてもにーさんが嫌なら俺が変わろうかって言ってくれたんです。『俺は女の子が好きだから普通に結婚出来るし、もうあのおっかないお爺さんはいないんだから無理矢理決まった人と結婚なんてしなくていいんでしょ、リシェなら領主は権限がありすぎないから最初はお飾りでもどうにかなるだろーし』って。……だめですね、ラークにそんな事を言わせるなんて。本当に私はいつでも弟達に守られて貰ってばかりで兄失格です」

 ウィアは、フェゼントの答えが分りつつも聞き返してしまった。

「それで、フェズはどう答えたんだ?」

 ラークがシルバスピナを継いでくれるなら、少なくともウィアにとっては全て丸く収まって心配もなくなる。だからそうなればいい――とは思っても、それを良しとしないだろうとフェゼントが考える事もまた分っていた。

「『貴方が本当に自分からシルバスピナ卿になりたいというのなら喜んで貴方にその権利を渡します。けれど、私の為に言ってくれただけならだめです』」

 だよな、と納得しつつもほんのちょっとだけ期待していたから、ガッカリしたような顔をしてしまったかもしれない。弟に肩代わりしてもらってそれで良しとするフェゼントではない……特にシーグルとの過去があればこそ、絶対にフェゼントがラークに責任を押し付けようなんて思う訳がないのだ。
 ただ、そうなれば覚悟をしなくてはならないのは自分だとウィアは思う。フェゼントが一番大切だと言ってくれたそれだけでいいじゃないか、いざとなったら彼の為に自分から離れる事も考えなくてはならないと、そう自分に言い聞かせようとする。
 けれどそれは今のウィアには難しい事で、どうしても覚悟なんて出来ない。
 だからまた涙が流れてしまって、何も言えなくなって口を固く閉ざす事しか出来ない。

「泣かないで下さいウィア、大丈夫です、私にとって一番大切なのは貴方だと言ったじゃないですか。貴方と離れる事はありません」

 こちらを安心させようと、にこりと笑うフェゼントの顔は嘘や誤魔化しで言っている訳ではないのだと信じられる、けれども、なら、彼はどうするつもりなのだろうか?

「でもさ、フェズ、ならどうする気なんだよっ」

 フェゼントの笑みがそれで少しだけ苦しそうに歪んだ。

「……まずは、正直にロージェンティさんに話します。私がシルバスピナ卿になるとしても新政権が安定するまで間の代理としてだと。私は結婚しませんから、後々にはシグネットの子か、ラークの子か、私以外の血縁の者に貴族位を渡す前提だと……いえ、何でしたら血縁でなくても将来シグネットが信頼して任せられると思った誰かを新領主に任命してもいいのではないかと言うつもりです」
「フェズ……」

 ウィアの瞳からまた涙の粒が落ちる。けれどもこれは辛くて泣いているのではなく、嬉しくて落した涙だった。
 フェゼントは苦笑すると、崩れるように項垂れてウィアの肩に頭を置いた。

「……我がままですよね、それは分かっているんです。結局他の誰かに責任を押し付けるのは変わりがありませんから。それでも貴方とずっと一緒にいるという約束だけは守ります、一番に優先するものが貴方である以上、どれだけ非難されても、誰かに恨まれる事になってもそれだけは守ります」

 呟くように小さな声は少し震えていて、その結論をフェゼントが相当に悩んで考えて、そして罵られる事も覚悟した上で出したものだというのが分る。ウィアは涙がぼろぼろ出てきすぎて、視界が歪みまくって全てがぼやけて見える中、必死にフェゼントに抱きついた。

「フェズ……ありがと……ありがと……ごめん、俺、何があってもフェズを大好きだから……ずっと傍にいるからっ」

 ガキじゃないんだぞ俺、なんて自分につっこみたくなるくらい、ぼろぼろぼろぼろ、涙が流れるのが止められない。こんなに大泣きしたのは何時ぶりだろうと思って……兄が自分を置いて首都に行くと言った時だったかもしれない、とウィアはその時の事を思い出す。本当に自分はガキのままで成長出来ていないんだなと思っても、フェゼントだけにはこのままのみっともない姿を見せてもいいじゃないかと自分に許す。

「泣かないでください、ウィア。でももし私とずっと一緒にいればウィアまでもが非難される事があるかもしれません。貴方を出来るだけ守ろうとは思っていますが、貴方が居心地の悪い目にあうかもしれません。それでも、私と一緒にいてくれますか?」

 ぐしっと鼻水を啜って震える息を飲み込んで、ウィアは思い切りの笑顔をうかべた。

「とーぜんだろ、何があってもフェズと離れるよりはずっといい、俺はずっとフェズと一緒だぜっ」

 そうすればフェゼントも笑いながら涙を零して、思わずウィアは彼にキスする。
 何度も、何度も。楽しい時、嬉しい時、辛い時、こうして交わしたキスはいつでも自分の心を落ち着かせてくれて、より幸せにしてくれて、あるいは辛さを消してくれた。だけど今回のキスは嬉しくもあり、苦しくもあって、だから不安定なこの心をどうにかしたくて彼を求めた。

「ン……」

 最初は触れるだけで、舌先同士を軽く触れ合わせるだけのキスは、次第に舌同士が深く絡み合って唇同士も深く噛み合わさっていく。やがてぴったりと押し付け合う程に強く合わさった口の中、舌で互いの感触を確かめ合って欲望を高め合う。今座っているのはベッドの上だから……なんて頭の片隅で思い出せば、思うままに彼を求めて、この先の行為を催促してもいいじゃないかと思い切りがよくなる。
 何度目かに唇を合わせ直そうとしてふと目があって、そのまま顔を話して見つめ合ったら何故か今更に顔が熱くなる。フェゼントが本当に愛しそうに自分を見てくれるから、それが嬉しくて、照れくさくて、なんだか自然とへんな笑い顔になってしまった。

「好きです、ウィア」

 その優しい瞳のままそう言われればやっぱりさらに照れくさくなってしまって、思わずウィアは赤い顔を隠すために下を向いた。

「俺も大好きだ。フェズとはずっと一緒だ、ずっと……だからフェズを感じたい。いいだろ?」

 そこで彼の顔を伺う為にちらと見てみれば、フェゼントは笑顔のままだったからウィアも今度は満面の笑みを浮かべて顔をちゃんと上げた。

「いいですよ。今日は貴方が好きな方で付き合いますよ」

 と、そう言われたから、ウィアは一瞬、反射的に、今日は自分が上で、と答えようとした。けれど口を開けてから考えて、気が変わって、苦笑いと共にちょっと恥ずかしそうに言い直した。

「うん……今日はさ、フェズに愛されたいかなっ。フェズが俺をすっごい好きだっていうのを感じたい、いいかな?」
「勿論」

 そうして再びキスをすれば、後は両方の手と手を合せて指を組んで、そのままふわりとベッドに倒れ込んだ。



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 次回はエロ。甘いヤツです……えぇ、この二人ですから。
 



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