小さな願い
ソフィアの過去とクーア神官のお話



  【3】



 シーグルに会った事、黒の傭兵団に入る事になった事――今となってはその偶然全てにソフィアは感謝していた。
 だから今が幸せで、一番大切だった。

 セイネリアが城から帰ってきたあと、ソフィアは早速カリンのところへ言って事情を話した。そうしてその場では、分かった、とは言って貰えたのだが……ただその時の様子に少しばかりソフィアは疑問を抱いてはいた。それはいつも親身になって相談に乗ってくれるカリンとしてはあまりに簡潔な一言だけの返事だったからだが、彼女も何か事情があるか忙しかったのかもしれない。
 とはいえカリンが分かったというからにはどうにかしてくれるのは間違いない。それで納得出来るくらいにソフィアはカリンを信頼していた。
 だから安堵していたソフィアだったが、翌日カリンからセイネリアが呼んでいると言われた時は正直戸惑うしかなかった。

 別にソフィアは他の面々のようにセイネリアに対して恐怖心を抱いてはいない。だから会う事自体に抵抗はない、実際頻繁に会っている訳であるし、呼び出されるのもいつもの事だ。
 ただこうしてカリンを通して呼ばれると言う事は仕事を言いつけるとかそういう事ではないのだろう。それならいつも通り名前を呼んで直接呼びつければいいだけだ。こうして正式に呼び出される時は契約だとか、意思の確認だとか、いつでも込み入った話がある時だった。

 まさかシーグルの頼みを聞いて、自分の家族の事を調べたのだろうか。

 そう思って不安になった彼女だったが、呼び出された部屋がカリンの部屋で、そこにシーグルは呼んでいないと言われた事で安堵した。

 部屋に入るとまずセイネリアが座って待っていた。
 仮面はつけず素顔の彼は、けれどもソフィアではその表情を読む事は出来なかった。ただカリンに促されるままソフィアが座れば、軽く口元に笑みを浮かべてまずこう言って来た。

「シーグルから、お前の家族の事を調べて欲しいと言われた」

 それに対して口を開きかけたソフィアだが、セイネリアに正面から顔を見据えられて声が止まる。

「大丈夫だ、お前の心配するような事態にはならない」

 それでソフィアは大人しく口を閉じた。
 セイネリアはそれを見てまた僅かに笑うと、目の前にあったグラスの酒に一度口を付けてから話し始めた。

「実際のところ……お前の素性はこの傭兵団に入った時に調べてあった。別にお前に知らせる必要はないと思ったから言わなかっただけの話だ。ただ……お前ももうガキではないしな、いい機会だから教えるだけは教えておいてもいいかと思った」
「そう……ですか」

 考えれば確かに、この男が新しく団員となった人物の事を調べないで放置しておいたという方がおかしいかもしれない。ただ調べてあってもソフィアに何も伝えなかったという事は、身内は皆生きていないか、生きていても連絡を取る必要はないと彼が判断したからだろう。『お前の心配するような事態にはならない』というのだからそれは確定だと思われた。
 だから少し気分が軽くなって、ソフィアは黙ってセイネリアの話を待った。

「お前は西の下区の生まれで、父親の名はガスド・ドノン、母親はミナエットと言う。ソフィアという名は本名だ。シーグルも考えていたようにクーア神殿に記録が残っていた。普通にしゃべれるくらいになった歳でクーアの適正試験を受けて合格し、印を入れたそうだ。貧しい家にクーア神官になれる子供が生まれたんだからな、両親は大喜びで辺りに言って回って……それが悲劇となった」

 それだけでソフィアにもその先の話が大体予想出来た。

 そして続いた話はやはり予想通りで――その子供さえいれば一生生活が保障されると、それを狙った者にソフィアの家族は殺されたのだ。親を殺して子供を引き取れば自分達がその恩恵を受けられると、犯人はそう企んだソフィアの家族と仲が良かった近所の知人夫婦だったらしい。ただそう思った者は一人ではなく、その周辺の家族の間で殺し合いが起こった。ただでさえ冒険者同士の諍いでは罪が問われないこの国の、西の下区の殺人事件なんてまともに調べられる筈もない。子供をとりあって、貧しく手を取り合って暮らしていた人々が殺し合いをするハメになったのだ。
 聞けばクーア神官になる子供が生まれた場合、その子供を奪おうとする事件は度々起こっているそうだ。だからクーア神殿ではその子供を早めに登録する事で誘拐した親のなりすましを防ごうとしていたらしいが、それならそれで親を殺して引き取った事にするという事件が増えたらしい。
 それもあったから傭兵団に入った後のクーアの神官登録は、保護者の同意なしでソフィアが冒険者として仕事が可能になる歳まで待ったという事情があった。

「どうやらお前を拾ったあの男は、どこかでお前を取り合う誰かの犯行計画を聞いたらしくてな、最終的にはお前を取り合っていた連中を皆殺してお前を手に入れた」

 話を聞き終えてソフィアはため息を吐いた。
 凄惨で救いのない話だと思う。結局両親が死んだのは自分という存在が生まれてしまったせいだったのだろうとも思う。ただあの男以外は誰も記憶にない人々ばかりの話のせいか、それとも両親の思い出どころか顔さえ覚えていないから情が動かないのか――話はどこか他人事のようで、特にショックを受けるという事はなかった。
 あぁそうだったんんだ、とその程度しか感想は出なかった。

「酷い話ではあるからな、これをお前に話すのは止める事にした。どうせ話したところで当事者は全部死んでいる。知っていい事など何もないからとな」
「そう……ですね」

 ソフィアはそれにも他人事のようにそう答えた。だが言ってから疑問もわいた。

「なら何故……今は言う事にしたのですか? シーグル様に言われて思い出した、からでしょうか?」
「そうだな、それもあるが。……凄惨な話だが、言った方が今のお前は安心すると思ったからだ」

 ソフィアは目を見開く。それからその言葉に納得する自分がいるのを知って苦笑した。

「ガキのお前には悲惨過ぎる話だが、今のお前は別にこの話を聞いても問題ないだろ、それより肉親は残っていないとハッキリわかった方が安心できる。……違うか?」
「はい、そうです」

 我ながら薄情だと思うが、両親の凄惨な死に対する感情より今のソフィアには安堵の方が大きい。だから話自体は聞けて良かったと思うくらいだ。
 ただ一つ心配な事があるとすれば……。

「ただこの話を俺はシーグルに言いたくない。それに、俺から話すとあいつは余計に同情してお前のために悲しむだろう。だからこの話をシーグルに言うかどうかはお前が決めろ、『家族の事情は聞いたが話せない』といえばあいつは無理に聞こうとはしないだろうし、俺はちゃんとあいつの頼みを聞いた事になる」

 憮然とした顔でいうこの国でもっとも恐れられている男の言葉に、ソフィアは思わず笑ってしまった。

「私が、話してしまってもいいのですか?」
「話したければ話していいぞ。お前から話したのなら、あいつはヘタに同情するのも悪いと思うだろうからな。それであいつからお前が優しい言葉を掛けられるくらいは許してやる」

 それを聞いてソフィアは更に笑ってしまった。
 本当にシーグル様が大切なのですね、とそれは言葉にしなかったが、凄惨な話を聞いた筈なのに我ながらオカシイと思う程心はとても晴れやかだった。







 今回の件についてソフィアがセイネリアとした約束は一つ、シーグルにはちゃんとセイネリアが自分の家族の事を調べてくれたと伝える事。
 誰もが恐れる将軍様だが、大切な人間の『お願い』はちゃんときいてやったと示したいというのはなんだか微笑ましい。
 ただ実際の調査内容をどこまで言うかはソフィアに任せる、という事だからそこだけはソフィアも悩むところではあった。

「シーグル様、ありがとうございます。マスターが私の家族の事を調べてくださいました」
「そうか、何か分かったのか?」
「はい、やはり両親は亡くなっていました。兄弟や親戚も特にいないそうです」
「そうか……」

 それには予想通り悲しそうな顔をしたシーグルに、ソフィアは少し後悔する。だからやはり、詳しい事は話せない。これ以上彼を悲しませる訳にはいかないから。

「でも大丈夫です。マスターの下にいる事で生活に困りませんしでしたし、何があっても守って頂けますし。その代わりの仕事もやりがいがあって私がしたい事をさせて頂いていますから」

 何より、一番大好きな人の傍にいられるのですから――それは言わなかったけれど。
 そうすればシーグルも微笑んでくれる。

「そうか……ならいいんだが」

 それでも少し寂しそうなその笑顔に、ソフィアは笑ってみせた。

「シーグル様はとてもご家族を大切にしてらっしゃいますから。他人である私の家族のことさえ気にされてしまうのですね」

 するとシーグルは考え込んで、それから少し困った顔をして自嘲するように言ってくる。

「うん……確かに俺は家族を大切に思っているけど……でももっと大きいのは、家族が俺の事を大切に思ってくれているという事なんだ。俺は今まで何度も辛くて、自分を投げ出したいと思った事があるけど、俺の事を大切に思ってくれる人達のお陰で潰れなくて済んだ。自分の幸せを願ってくれる人たちのためにここで投げてはいけないと思った。それは家族だけに限らず、部下だったり……勿論セイネリアも、そして君もだ」

 優しい笑みを浮かべる誰よりも綺麗なこの青年が、どれだけ過酷な運命に弄ばれてきたのかをソフィアは知っていた。どれだけの目に合おうと、自分を保って屈しなかった彼の姿が……あの男の下で捨てていた自分の心を助けてくれたのだから。

「だから君にも無条件で君の幸せを願って大切に思ってくれる人がいると分かれば……君の心の支えになって君がもっと強くなれると思った。これから生きてい上で、辛い事があっても乗り越えられるその力になるんじゃないかと思ったんだ」

 ソフィアは目を見開く。シーグルはそこでとても綺麗に笑ってくれた。

「だから、君のご両親の代わりに俺が願おう。俺は君を大切に思っている、君が幸せである事をいつでも願っている。それを、忘れないでくれ」

 綺麗な人の綺麗な笑みは、少なくとも今、ソフィアだけにむけられたソフィアのためのものだった。

「はい、シーグル様。絶対に忘れません」

 ソフィアは満面の笑みを浮かべてそう言った。けれど、その頬は涙に濡れていた。


END.



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 これでこのお話は終了です。ソフィアさんの幸せを感じられたら幸いです。
 



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