噂好き共の末路




  【6】



「話には聞いていたが、まったく馬鹿馬鹿しい見世物だ」

 勿論他の人間にはそうそうに聞こえない程度だが近くにいる他の護衛連中には聞こえる声でセイネリアが言ってきて、シーグルの顔はちょっと引きつる。

「その言い方は少々……」

 思わず言ってしまえば、セイネリアはフンと馬鹿にするように鼻ならした。

「あぁ勿論、招待された職人や芸人の事を言ってるんじゃないぞ。興味がないから良さは分からないが、分からないからこそ馬鹿にはしない。いい見世物になってるのはそこに集って大騒ぎしてる連中だ」

 いやそれは分かってるが、そんなあからさまに言うものじゃないだろ――と、出かかった言葉を飲み込んでシーグルは溜息をついた。まぁセイネリアがいくら貴族達を馬鹿にしたところでそれに文句を言えるような人間はいないのだ、いちいち気にする必要もないかと思ったら、彼の後ろでカリンが笑っていてシーグルも苦笑する。さすがに自分より付き合いの長い彼女は慣れたものだ。

「お前はあの手のものを強請られた事はないのか?」

 言いながらセイネリアが自分の傍の壁に寄りかかる。それによって近くにいた護衛連中がこちらから少し距離を取った。

「ありません」

 するとセイネリアはこちらを見て、今度は小さい声で言ってくる。

『ま、そうだろうな。お前の場合はモノで釣る必要もないし、女達にとってもお前より価値のある宝石はなかったろうしな』
『どういう意味だ?』

 思わずシーグルも小声で聞き返してしまえば、セイネリアは更にこちらに寄ってきて耳打ちしてくる。

『お前の妻は、父親が失脚する前はあちこちの男共に高価なプレゼントを贈らせては当然という顔をしていたが、お前相手には何も欲しがらなかったろ』
『だから何がいいたい』
『つまり彼女にとって、他の男たちはプレゼントを貰う程度の価値しかなかったが、お前はどんなプレゼントよりも価値があったという事さ』

 シーグルは兜の下で顔を顰める。この男は一体何をいいたいのだろう。

『つまりだ、ここで目の色を変えて奥方に強請られている旦那連中は、その程度の価値しかないやつばかりだという事だ』

 シーグルは少し考える。つまるところ、強請られている旦那達は妻たちから軽んじられているという事だろうか。セイネリアはやけに楽しそうにあちこちの貴族夫婦のやりとりを見ているだけでそれ以上何も言ってこない。

『……貴族の夫婦なんて大半が政略結婚だ。気持ちがなくても仕方がない』

 だから妻にとってプレゼント以下に見られていてもそもそも愛し合っていないのだから仕方ない、というつもりだったのだが。

『だから皆、愛人がいて当然という訳だ』
『そう、なんだろうな』

 勿論シーグルに愛人なんてものはいなかったが、貴族夫婦の大半は政略結婚で別に愛し合っている訳ではなく、その分それぞれ愛人を作っている――という事は知っていた。互いに愛人がいるからお互い様という事になっていて、それを浮気だと責める事はない。シーグルが見て来た父と母は互いに愛し合っていたから、そういう貴族的な夫婦の感覚は分からなくて結婚した相手を愛そうと思ったのだが。

 そうしてみている中、奥の方でちょっとしたざわめきが起こる。方向的に摂政の席の方で、よく見ればどうやら摂政ロージェンティが立ちあがったようだ。つまり彼女が招待した職人や芸術家達を実際見にまわろうとしているところなのだろう。

「さて、では摂政殿下にちょっとした余興を見せにいくとしよう。お前も来い」

 そう言ってセイネリアが壁から背を離すと、ロージェンティの方へ向かおうとする。カリンが当たり前のようにその後ろを一人で歩いていこうとしたから、仕方なくシーグルは彼女の手をとって一緒にセイネリアの後を追った。







 摂政が立ち上がった事で、未だにお気に入りの職人や芸術家達のところで旦那におねだりをしている連中以外の大半は彼女のところに集まっていた。ただセイネリアがやってくれば流石に皆道をあけるから、セイネリアは悠々とロージェンティの方へ歩いていく。彼女はこちらに気づいて一度だけ視線を向けたが、何食わぬ顔をしてまた視線を戻した。

「確かに、これは素晴らしい細工ですね」

 職人は自信の品を台に乗せ、それを彼女に向けて捧げ持っていた。摂政に褒められて感激している職人だが、セイネリアがやってきて覗きこめばその顔が引きつる。

「ほう、殿下の仰る通り、これは大したものだ」

 彼女に同意するように尤もらしい事を言えば、周囲が僅かにざわめく。恐怖の将軍がこの手のモノを見て褒めるなんて皆見た事がないのだから、連中からすれば何が起こったのだと思うところだろう。

――もっとも、今一番俺を胡散臭そうに見てるのはあいつだろうがな。

 後ろにカリンと共に控えているシーグルの視線を感じてセイネリアは内心笑う。ここからは完全に茶番劇だから、せいぜい困惑して見てろと彼に対して思う。

「ただ、このつくりはどこかで……あぁ、ナレア夫人がつけていた髪飾りとよく似ているな」

 セイネリアが言えば、その場にいたナレア夫人へ視線が集まる。職人自身もナレア夫人を見て、そして彼女の見事な髪飾りを見て笑顔を浮かべた。

「さすが将軍閣下、確かにそちらもウチの工房の作品でございます」

 それに一部で感嘆の声が上がる一方、やたらと険悪な空気を出している一角があった。それに追い打ちをかけるようにセイネリアは言う。

「確かそれはスミナト卿からの贈り物だったか」

 既に一触即発状態のスミナト夫婦の方を向いてそう言えば、唇をひくつかせていただけだった婦人の顔から表情が消えて空気が冷える。それから彼女はにっこり笑うと、その工房代表として来ていたもう一人の職人の方に向けて言った。

「今日持ってきているものの中で一番高価なものを見せて頂ける? 少なくともナレア夫人がお付けになっているあの髪飾り以上のものを」
「あ、はい、今すぐに」

 職人は焦ったが、すぐに営業スマイルを浮かべて箱を取り出し、彼女に見せる

「こちらの品はいかがでしょう? 滅多に手に入らない虹光石が入った一点ものです」
「なら、それを下さる?」

 有無を言わさず即決で決める彼女に、その夫は飛び上がった。

「お、おい、セレーナ……」

 焦ったスミナト卿がやってくるが、夫人の意図が分かっているだけに止める声はぎこちなくて弱い。夫人はくるりと振り返ると旦那に向けて鮮やかな、それでいて凍るような威圧を込めた笑顔で言った。

「勿論、買って下さいますわね、アナタ」

 まさしく、ヘビに睨まれたカエルのように固まって脂汗をかくスミナト卿は、暫くの沈黙の後で静かに、分かった、と言って項垂れた。
 スミナト卿は、最近セイネリアとロージェンティの噂を流して煽っている一派の一人であり、その中でも特にしつこくロージェンティの元を訪れてはいらぬ忠告をしていた男だ。まずは真っ先に見せしめになってもらったという訳だ。
 勿論、これだけで終わりにはしない。
 ざわつく貴族達に向けて、セイネリアは楽しそうに言ってやる。

「常日頃から俺の情報網が気になっている皆のために、今日は少し持っている情報を披露してみようかと思ってな。会話の花を咲かせるいい種になってくれると俺も嬉しい。摂政殿下、よろしいでしょうか?」

 そうして恭しくロージェンティに向けて臣下の礼を取ってみせれば、当然それも打ち合わせ済みの彼女は優雅に笑って答えた。

「構いません、いつも事実無根の噂を流されている将軍が、たまには事実を元にした噂話を皆に提供するのもおもしろいでしょう。ただ勿論、皆が笑って済ませられる程度の内容までにしておく事が条件ですが」
「はい、分かっております」

 ここで彼女の出した条件が『噂をする側の皆が笑って済ませられる』事であって、当事者が笑って済ませられる内容ではないというところがポイントだ。

「摂政殿下のお許しも出たところで、カリン」

 言えば、後ろに控えていたカリンが前に出て、恭しくお辞儀をした後に口を開いた。

「はい、閣下。ではまず、ネナ家のアーリズ嬢の胸のブローチは、ウィロフィナット卿がクックデア工房で特注で作らせた贈り物です。ラーナ夫人の帽子はローズフォルト卿がアッシセグのロド・ウェルナドに作らせた贈り物、ナーナレーヤ嬢の今日お召しになられているドレスはスノー・ディダン製の……」

 カリンが事務的に新しい名を出す度に、皆の視線が当人に向き、贈り主の周りの空気が一気に冷える。逆に周りはその度に盛り上がって、次は誰がその標的になるかと期待の声を上げる。というのもカリンが出す名を聞いていれば余程噂話に疎くない人間なら、標的になっている者が皆、セイネリアとロージェンティのよからぬ噂を声高々に言っていた連中だというのに気づく。だから最初はいつ自分がその標的になるのではないかとびくびくしていた者も、その一派でないなら大丈夫だと安心して笑えるようになったのだ。

「アナタ、クックデア工房でしたわね、行きましょうか」
「私も新しい帽子を作らせようと思っていたところですから丁度良かったわ、ア・ナ・タ」
「えぇアナタ、新しいドレスを作って下さるのですね、ありがとうございます」

 名を呼ばれた贈り主の奥方は、こぞって青い顔の旦那を連れて各職人のもとへ散っていく。最初に言われたスミナト夫人の時は流石に彼女の顔が凍り付いたが、以後呼ばれた婦人達はすぐに開き直って最初から旦那に買わせる前提で満面の笑顔を浮かべる。勿論、旦那の方は凍り付いて震える程の状態である事は言うまでもない。
 周りの貴族達から揶揄い混じりの激励の言葉が飛んで、引きずられていく旦那達が笑い声で見送られる――そんな光景が繰り返されて、その場は大いに盛り上がった。カリンが言い終わって、以上です、とお辞儀をすると、セイネリアに向けて拍手が起こったくらいに。




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 セイネリアの企み実行編。セイネリアにしてはかなり平和的嫌がらせです。
 



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