過去となったモノ




  【1】



 新政権が発足してから13年も過ぎれば安定期に入り、前王が残して行った火種も始末が終わってここ4年程はそれ関係の事件は起こっていない。重要な制度や法もあらかた制定されて、さまざまな国営の施設も作られた。新政府として新しく作らなければならないものは大抵終わっているから、あとは基本、現状を維持していけば問題ないという状況だ。
 だから予定通り、政治の表舞台からは徐々に姿を消して行った将軍セイネリアは、今では本当にただの軍事部門の責任者としての仕事しかしてなかった。

 ちなみに将軍セイネリアの名前の力は絶大で、セイネリアが将軍になってからは他国のちょっかいどころか蛮族の襲撃さえ稀で国外勢力との戦闘はほとんど起こっていない。ごくたまに領地間の諍いに介入することはあるが、まず大抵は将軍セイネリアの名で双方に手紙を出すだけで終わって実際に騎士団を動かすことは少なかった。あったとしても戦闘はなしで、軍隊を見せて脅すだけで済んだ。
 だから軍事部門の仕事といえば、日々の雑務と訓練に関する事がほとんどを占めていた。

 と、言う訳で、初期の頃の忙しさからすれば嘘みたいに、今の将軍府は暇だった。

 勿論、事務的な仕事は常にあるから仕事がないという訳ではないが、基本決まった仕事ばかりでイレギュラーな仕事はたまにしかない。

 というか、イレギュラーな仕事は大抵セイネリア(こいつ)の思いつきだ、とシーグルは思った。

「なら今日は早めにリシェに行って少し街中を見てまわるか」

 今日の予定として最初から、夕方から泊まりでリシェの屋敷へ行ってラークと話すことになっていた。なので出かける時間までは当然事務処理をする事になっていたのだが、先ほど今週の首都騎士団からの報告書が遅れるという知らせが入って……セイネリアのこの発言に繋がる。
 発言に呆れていれば、さらにセイネリアが上機嫌で言ってくる。

「街中の案内は頼むね、しーちゃん」

 シーグルの唇が引きつる。黙って怒りを溜めているとセイネリアは今度は茶化していない声で言ってくる。

「さすがに元は自分の街なんだ、案内くらいできるだろ?」

 ふざけてない分、少しこちらを馬鹿にするよう言い方で、シーグルは唇を引きつらせるこどころか思い切り眉を寄せた。そうしたらセイネリアがその眉間を指で軽くつついてきた。

「お前はすぐ顔を顰める。せっかくの綺麗な顔に皺が出来たらもったいないだろ」
「俺は別に構わない」
「俺は構う」

 なんでこの男は、こういう事をさも楽しそうにいうのだろう――そう思ってにらみつけるが、彼がまったく気にしない事はシーグルも分かっていた。だから結局折れるのは自分で、シーグルは溜息をつくしかない。

「もういい、そんなくだらない事で言い合いもしたくない」
「そうか? 俺は楽しいから構わないぞ」

――この男は時間の無駄という言葉を知らないのか。

 と思った直後に思い出す。そうだ、この男には時間なんていくらでもあるのだと。そしてまた、自分も今は昔のように時間に追われる必要がないのだとも。

 それが顔に出てしまったのか、セイネリアはすぐに気がついてこちらの体を引き寄せる。反射的に押し返そうとしてもその程度の抵抗は彼にとっては抵抗になってない訳で、そうして抱きこまれてしまえばこちらも大人しく諦める。しかも自分から彼にもたれかかったりしてしまうのだから、こうされるのにすっかり慣れてしまったなと我ながら思う。

 そしてきっと、今回のリシェを見て回るという提案だって、おそらくは自分のためなのだろうというのもシーグルは分かっていた。
 このとんでもなくわがままで強引な俺様男が、どんな時でも自分の事を一番に考えてくれている事をシーグルは知っていたし、それを疑っていなかった。







 港町リシェ。
 常に国のための騎士であれという家訓があるシルバスピナ家が治めるこの地は、首都に近いのもあってこの国最大の貿易港として栄えている。場所的に普通なら王の直轄地であって当然な筈のこの地をわざわざ与えたあたり、初代王が初代シルバスピナをどれだけ信頼していたかを表している。そうしてシルバスピナ家もその期待に沿えるよう、自ら富を得すぎる事を禁じ、他の多くの貴族達のように平和な世でも腐らずずっと騎士としての立場を守ってきた。

 ただ現在、王自身がシルバスピナの血の者となった事で、この地の扱いは少々変わった。勿論この地の特殊な治め方はそのままではあるが、『シルバスピナ家の地』というだけではなく『王の親族が治める地』という扱いになったのだ。
 もともとこんなに王がいる首都に近い地を部下に治めさせていたという不自然さからすれば現状の方が自然と言えなくもない。おそらく今後は、現領主のラークの子孫が継いでいくだけではなく王になれなかった王族が領主に任命される事もあるのだろうし、王族に継げる者がいなかった場合は逆もあり得るのだろう。
 どちらかの家に継げる者がいれば王は立てられる分、部下からすれば安心だろうが、そういう状況だと将来的に王位争いも起こりやすい。……ただ、将軍府が軍部をしきっている状況ではその可能性は低いだろうが。
 セイネリアがこの国から去って中身が誰かに代わるとしても、ずっと将軍はセイネリアとして扱われる事になっている。それだけセイネリア・クロッセスの名の力は絶大だからだ。

 ただし実際、年月が経てばあれがセイネリア本人である筈がないと将軍に逆らう者も出てくるだろう。だがその時、最終手段として本物のセイネリアが帰ってくるという手があるのがこの計画の一番の強みである。

「どうだ、結構変わったか?」

 馬を預けて街を歩きだせば、セイネリアがすぐにそう聞いてくる。ちなみに今日はあくまでお忍びであるからいつもの甲冑姿ではない。いくらフード付きのマントを被っていても、2人して甲冑姿で歩いていれば歩く音だけでいかにも騎士というのは分かってしまう。セイネリアとしては今日はあくまで一般人に混じって街を歩きたいという事だから、実は仮面もつけていない。ただ勿論、シーグルは髪と瞳の色が変わるネックレスはつけているし、セイネリアも今回は同じ効果のあるサークレットを額につけている。仮面なしで歩くのは久しぶりだから妙に緊張するが、フードは被っているしシーグルもセイネリアも髪を解いて通常イメージと違う髪型だから、完全にフードを取った状態でまじまじと見られない限りはどうにかなる……と思いたい。

「それは変わったさ。何年たってると思ってる」
「そうだな」

 リシェに来るだけなら定期的に何度も来ているが、街の住民に見つかって騒がれないように直で領主の館へいくか、もしくは視察として堂々と大通りから港や倉庫、商人の家を尋ねる感じで基本馬上か馬車の中だ。
 こうして街中を見て歩くのは――考えたら、領主となった後、おしのびで街を歩いていた時以来かもしれない。……まぁ実際は正体はバレていて、皆分かっていて気づかないふりをしていただけだったようだが。

 ともかく、そうなれば街中を歩くなんて13年以上ぶりとなるわけで、しかも国の権力者が変わったのだから街が変わっていない筈はない。逆に変わっていない方を探した方がいいくらいだ、とはいえ。

「それでも元からきちんと整備されていたのもあって、道はそのままだから迷う事はなさそうだ」
「なら案内は大丈夫だな」
「一応はな。今のところ大通り周辺の道はそのままだというだけだ。住宅街や路地に入ったら変わっている可能性はある」
「それでも、目印の高い建物を見ておけばどうにかなるだろ」
「それはそうだが……」

 街中で迷った場合の基本ではあるが、シーグルとしてはリシェで迷うのはプライド的にしたくない。治安面でも危険だし、出来れば路地に入らないと行けないようなところへは行きたくないというのが本音だ。……いや、治安面というのはセイネリアが傍にいる段階で危険だとは思わないが、余計な面倒ごとは避けたいという意味でだ。

「まぁいい、それでどこへ行きたいんだ?」

 気を取り直してそう聞いてみれば、やたら楽しそうな男は当たり前のようにあっさり言ってくる。

「別にどこでもいいぞ。お前の行きつけだった店とか、好きな場所とか、よく行っていたような場所はないのか? もしくはお前の行きたいところでいい」

 そうだろうなとは思っていたが……やっぱりこの男はリシェに興味があって見て回りたいという訳ではなく、シーグルがこの街でどうしていたかとかそういう事を聞きたいのだろう。呆れはするがいつもの事だ。

「言っておくが、俺は自由にこの街をいつでも歩き回っていた訳じゃないからな。子供の頃は祖父について行くとき以外は屋敷の敷地内から出なかったし、冒険者になってからもいろいろ面倒だから首都を拠点にしていたしな」
「あぁ、リシェを堂々と歩いているとあちこちから声を掛けられる……だったか?」
「そうだ。冒険者になって間もない時に、普通にリシェを歩いていたら、人に囲まれて大変だったんだ」

 囲んできた者達は勿論善意からの人間ばかりで、励ましやねぎらいの声を掛けてきたり、モノをくれようとしてくれたりだったのだが、そういう人間からどう逃げればいいのかシーグルには分からなかった。悪意の者達ならひと暴れして逃げるだけだが、善意の人々を無碍には出来ない。聞いた話だと父はうまく立ち回っていたそうだが、シーグルはシルバスピナ姓を名乗るようになってから決まった人間以外とは人と関わりがほぼない状態で育てられたため、そういうのは出来なかった。
 思い出して思わずため息をついてしまえば、セイネリアが喉を鳴らして笑いをこらえていた。

「お前が善良な連中に囲まれて困っている姿が目に見えるな。お前は好意的に接してくる人間に弱い」

 その自覚はあるといえばある――から反論はしないが笑われるのは当然面白くない。だから黙って前をずかずか歩いていけば、セイネリアは声を出さずに笑いながらもついてくる。

「どこへ行くんだ?」
「港だ、海が見たい」
「前もよく見に行ってたのか?」
「屋敷からよく眺めてはいた。あとは屋敷を早朝に出た時とか、逆に日が落ちないうちに帰ってきた時に寄って少し眺めたりしていた」
「海が好きだったのか?」
「まぁな、確かに海を眺めるのも好きだった。あとは船の周りで働く人々を見るのが楽しかった。活気があって、知らない言葉が大声で飛び交うから、どこから来た船だろうと確認してあとで調べて勉強した」

 あまり人と関わらずに育ったせいなのか、シーグルは騒がしい渦中にいるのは好きではないが、複数人が楽しそうに騒いでいるのを眺めるのは好きだった。




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 新政府が出来てから13年という設定ですので、将軍府は基本政治にはノータッチで形式的に出ないとならない行事くらいしか顔を出してない状態です。
 



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