思い出したくない男
将軍様と側近……な二人の旅立ちまで間の物語



  【9】



「……なんだか、今日は随分機嫌がいいな、お前」

 さすがに風呂で何もせずに出て来た上、寝間着を着るのも文句を言わなかったらそう彼が聞いて来た。セイネリアとしては笑うしかなかったが、こういう時の駆け引きも彼との今後を楽しく過ごす上での楽しみではある。

「あぁ、お前がとても協力的だったから満足した。だからこの気分のまま大人しくしてやろうと思ってな」

 シーグルの目が疑い深くセイネリアを見てくる。セイネリアは笑ってやる。

「だから今日は一回で大人しく終わりにしてくれたのか」
「まぁな」
「だから風呂でも特にちょっかいを掛けてこなかった訳だな」
「まぁ、そうだ」

 楽しそうに言ってやれば、彼の顔は逆にやたらと顰められていく、そして。

「……つまり、俺が普段からもっと協力的だったら……こうして抑えてくれるといいたい訳か」

 こちらとして一番言いたかった事は、彼が勝手に解釈してくれる。

「さぁな、そういう事だと思うならそういう事だ」

 ただそこで『そうだ』と肯定してしまうと今後好きなだけ彼を貪る事が出来なくなるからそこは誤魔化す。恐らく彼もそれが分かっているから、こちらを睨みつつもそれ以上追及するのは止めたらしい。

「どちらにしろ、今日は今日だ。今日の俺は機嫌がいい、寝るぞシーグル」

 言えば大人しくベッドに入った彼に続いてセイネリアもベッドに入る。もうあきらめたのか、文句を言わずにこちらを向いた彼の体を抱き寄せて、彼の頭に鼻を埋める。彼は少し体の角度を変えていい体勢を探っていたが、やがて動かなくなると大きく息を吐いた。
 セイネリアはそんな彼の髪を手で梳いて目を閉じる。こうして、彼を抱いて、彼を感じて眠る事がどれほど自分にとって幸せなのか、彼には分からないだろうと思いながら。

「……どんな姿を……見たんだ?」

 暫くして、シーグルがそう尋ねて来たからセイネリアは目を閉じたまま聞き返した。

「なんの姿だ?」
「俺が……リシェにいた頃の姿をキールの術で見ていたんだろ。どんな姿を見ていたんだ」
「そうだな……」

 彼の髪を指で梳きながらセイネリアは答える。

「一番よく見ていたのは、庭で稽古をしている子供時代のお前だな。ガキの時からお前はお前だったんだと思えばいくらでも見ていられた」
「……泣き虫だと、笑っていたんじゃないのか」
「泣いてなかったろ、お前」
「……人前ではな」

 それでシーグルがぎゅっと掌を握りしめたのが分かったから、セイネリアは彼のこめかみ辺りにキスした。

「言っておくが、お前の部屋の中では術を使っていないし、基本的に庭か厩舎くらいだぞ、俺が見ていたのは」
「そう……なのか?」

 意外そうな彼の声が返ってセイネリアは軽く喉を揺らす。
 彼の頭に顔を擦りつけて頭を抱く。

「あぁ、見られなくないだろ?」

 言えば、どういう事か尋ねるように彼が顔を上げてこちらの顔を見てくる。

「お前は何でも一人で耐えて抱え込む性格だからな。一人の時の姿は見られたくないんだろ?」
「……あぁ」

 彼の瞼が伏せられて、銀色のまつ毛が深い青色に影を落とす。

「それに俺も……一人でベッドで泣くお前なんぞ見たら、つい幻術と分かっていても見ていられず抱きしめに行きたくなるからな」

 そこで笑えば、彼の表情が崩れてこちらを睨んでくる。

「……お前、本当は見てたんだろ」

 セイネリアはその額にキスをして言う。

「見てない」
「本当か?」
「あぁ、本当だ」

 そうすれば彼は安心したのか、大人しく枕に頭を預けてまたこちらの肩口に頭を寄りかからせて目を閉じる。
 セイネリアは再び彼の髪に指を絡めて、僅かの月明かりでも光る彼の銀糸の髪を梳いた。

「……なぁ、セイネリア。お前は……家族の事やレガーの事といい、俺の残してきた後悔や心配事をこうしてどうにかしてくれているが……お前自身は、どうなんだ?」

 そこで唐突にそんな事を聞いてきたから、セイネリアは彼の髪を眺めながら聞き返した。

「俺?」
「そうだ、お前の家族……母親の事はもう亡くなっているからどうにもできないとしても……お前が関わったろう人達の事で残してきたものはないのか?」

 セイネリアは微笑んだ。シーグルの髪の感触を指で楽しみ、彼の匂いを嗅ぎながら、捨てて来た過去の事を頭に浮かべて、それにもう何の未練もわだかまりもない自分を可笑しく思う。

「ないな。師と呼んだ人間は二人いたが、どちらも死んでる」
「そう……なのか」
「あぁ、二人とも俺が殺した」

 シーグルが息を飲む。セイネリアは変わらずシーグルの感触をただ感じていた。

「二人とも笑って死んでいった。……羨ましいと思う程にな」
「そうか……」

 返すシーグルの声が僅かに安堵を纏う。シーグルにはそれだけで、少なくとも彼らが自ら望んで殺されたというのが分かったのだろう。

「その、一人が樵の……」
「『強い知り合い』がいる、と言ったろ」
「あぁ……」

 それで彼は全て理解したのか口を閉ざした。黙ってこちらに頭をつけている彼の頭を、セイネリアは何度も撫でる。

「俺の『身内』だった人間はもう全部死んでる。生きてるのは辛うじて少し世話になった娼婦達くらいだが……まぁ、世話に見合った礼はしてあるから別に心残りはない」
「そうか……」

 それは少しだけ悲しそうに言って来たから、セイネリアは今度は殊更軽い口調で言ってみた。

「あぁ、だからお前は気にせず俺を独り占めにして構わないぞ。そもそもお前の心残りをこうして失くしてやってるのも、お前が心置きなく俺だけを見てくれるようにする為だからな」

 それには暫く返事が返ってくる事はなく、だが少しして彼が笑ってその振動が伝わってきたからセイネリアも笑う。

「お前らしい」
「当然だ。いつも言っているだろ、俺がお前の為にする事は俺の為でもある、と」
「そうだったな」

 彼が笑って顔をこちらに押し付けてくる。その温かさを確かに感じながら、セイネリアは彼を抱きしめて――目を閉じる前に思い出して、彼に言う。

「シーグル」
「……なんだ?」

 このまま寝るつもりだったろう彼が不思議そうにこちらを見てくる。セイネリアは嬉しそうに笑いながら彼に言った。

「おやすみのキスがまだだ」

 そうして、いつもなら言うより先にこちらからするところを、今日は目を閉じて待ってみる。少し経って彼のため息が聞こえて、その後にちゃんと柔らかく暖かい感触が唇に触れてきた。

「おやすみ、シーグル」

 セイネリアが笑って彼を見れば、シーグルは苦笑して答える。

「あぁ、おやすみ、セイネリア。いい夢を……な」

 それから今度こそ、二人とも相手の体温を感じながら目を瞑る。
 彼をこうして手に入れたと実感出来てから悪夢は見てない。それどころかきっと今日は彼が言う通りいい夢を見れそうだなんて思ってから――自分にとってのいい夢なんて、結局彼が出てくるだろう夢に違いなくて――ならばこうして思うまま彼の存在を実感できる現実の方がずっといいとセイネリアは思った。






 騎士団にいたからこそ上官に報告するのに相応しく真っすぐ立っていた男は、だが表情は憮然としていてどう見てもいい部下の顔ではなかった。……そもそも、厳密にはこの男は自分の部下ではないし、とセイネリアは彼を見て薄く笑う。

「どうせ貴方は全部分かってンでしょう。ならわざわざ報告なぞいらないと思いますがね」

 アウドの嫌そうな声に、セイネリアは椅子にゆったりと座ったまま肘掛けに肘をついて頬杖をついた。

「まぁ一応、お前からも聞いて置こうと思った程度だ」
「何を聞きたいんですか?」
「そうだな……お前は奴を許せたか?」

 それにはさすがに即答が返らず、アウドは眉を寄せた。

「許せは……しないですけどね。ただ、これで心入れ替えてくれたなら……良かったな、とは思いますよ」

 セイネリアはそれを鼻で笑ってから、軽く目を閉じる。
 ムカつく男だから痛い目に合わせてやる――それはセイネリアにとって簡単な事だが、それでは結局何も変わらない。男は益々シーグルを憎むだろうし、シーグルもシーグルであの男が酷い罰を受けたという話を聞いても喜ぶどころか落ち込むだけだろう。
 レガーという男に聞いたが、シーグルは裏切られるまでは師としてあの男をとても慕っていたという。だからシーグルなら、あの男に罰が当たったという報告を聞くより、あの男が悔い改めたという報告の方が喜ぶのは明白だった。
 ……ただ、自分であの小者をわざわざどうこうしてやるのもムカつくからこの男に振った、というだけの話だ。

「しかし、今回の件で本当に貴方は人を使うのが巧いとつくづく思いましたよ」

 アウドの言葉に、セイネリアは口元に自嘲を乗せて彼を見た。

「自分のやらせたい事が部下のやりたい事になるように仕事を押し付ける、まさにそういう事ですね。こっちとしてはそれを利用してあの人の部下になったつもりだったんですが、今回は見事貴方に躍らされましたよ。……正直、俺としてはあんたの思惑通りになるのはかなり癪でしたが、やらないって選択肢はあり得ませんでしたからね」

 それにも鼻で笑ってやれば、アウドはついに部下らしい姿勢を崩して腕を組んで睨み付けてくる。

「しかももっと癪なのは、この件をこっちに振ってくれた事を俺はあんたに感謝したくなってるって事ですよ」

 本当に嫌そうにそんな事を言って来た男には、セイネリアも今度は声を上げて笑ってしまった。アウドは益々顔をしかめたが、楽しそうなセイネリアの笑い声を聞くと今度はガックリと肩を下してため息をついた。

「まったく……本当にあんたの考えは俺には分かりませんよ。なにせいくら最愛のあの人を守る為に有用といっても、普通その人を狙ってる俺を傍に置きますかね?」

 笑い声を止めたものの笑みを唇に乗せたまま、セイネリアは殊更椅子の背もたれにゆったりと寄りかかって言ってやる。

「別に何も問題はない。あいつのことを俺以上に愛している人間も必要としている人間もいないからな。あいつがお前を選ぶ筈はないと分かっているから使えるモノは使っただけだ」

 アウドはやはりそこで益々表情をこわばらせた。
 それからまた大きくため息をついて、捨て台詞のようにやけくそ気味に言って来た。

「ほんっとーにそういうとこがムカつくから、あんたに感謝なんかしたくないんですよっ」



 * * * * *



 そこから二年後、セイネリアの元にワーナンがリシェの警備隊に入ったという報告が入る事になる。それを教えたシーグルはやはりセイネリアの思惑通り喜んだ。




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 終わってみれば今回は全部セイネリアの思惑通り、なお話でした。
 



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