思い出したくない男
将軍様と側近……な二人の旅立ちまで間の物語



  【2】



 ワーナン・レジン。その名から思い出すのは嫌な事ばかりで、シーグルとしては彼についての事を話すのは勿論、その名を口に出すこともしたくなかった。
 屋敷で貴族や行儀のいい騎士達からばかり訓練されていた、ある意味貴族のおぼっちゃんらしく箱入り状態で育てられていたシーグルが初めてあった平民上がりの実際の冒険者。変則的な動きに追いつけず、これが実戦なのかと尊敬と信頼の目を向けていたシーグルのそれらの感情を全て裏切って壊そうとしてきた男。
 結局セイネリアに比べれば小者過ぎたおかげで憎むのさえバカバカしくなったケチな男だったが、あの時の祖父や、ずっと師であったレガーの事を思い出せば気分が重くなるのは止めようがない。
 祖父とレガーに子供らしい愛情を求めていた自分を捨てたのはあの事件がきっかけだった。彼らに何も期待をしなくなった……子供心を捨てたあの日、思い出せば辛くなる。

 そう、本当はワーナン自体の事は実を言えばそれほど思い出すのが嫌な訳ではない。彼は所詮ただの負け犬だった、後から考えて偉そうな発言一つ一つに感心していた自分が馬鹿みたいだと思える程薄っぺらな男だった。
 だから辛いのは……やはり祖父やレガーへの感情だろう。彼らにとって自分は所詮人形のようなものだと……それが分かってしまったあの時の絶望を思い出したくない。

「知っていますよ、ワーナン・レジン。騎士団じゃ評判のいい男だったと思いますけどね」
「そうか……」

 それでもアウド相手なら聞いてしまえるあたり、彼に対する意識が自分の中でやはり『身内』的なモノなのだろうなと思う。まぁセイネリアの場合は、この手の話題をしだすと面倒くさい事になってさらっと終わらないから特に嫌だ、というのもあるのだが。

「お前と少し似ているかもな、お前の場合は怪我によって前通り動けなくなったのが原因で、奴の場合は自分のミスから主に怪我をさせて解雇されたのが原因だ。……ただ、お前は諦めなかった、あの男は全部諦めて自暴自棄になった」
「俺だって自暴自棄ではあったんですけどね。貴方に会わなければ、きっとそいつと似たような状況になってたと思いますよ」

 言いながらそっと近寄ってこようとしたから、正面から睨めば彼は苦笑いしてその場に跪いた。

「とりあえず、そのワーナンって奴がどうなってたかってのを調べてみればいいんですね」
「あぁ、ソフィアにも言ってあるから彼女に協力してもらえる」
「そりゃ楽ですね、てか彼女がいりゃ俺はいなくてもいい気もするんですけどね」
「女性一人に調べさせるのはマズイだろ、やさぐれた男の行動なんて……場所的にも」
「まぁそうですが」

 歯を見せて少し意地悪そうに笑う男に、シーグルは呆れる。

 ……別に、ワーナンの事が気になったという程ではない。記憶から消し去っていたどうでもいい男である。だがわざわざシーグルの像に八つ当たりに行ったのは、シーグルの所為で何かあったのでは、と思って引っかかっただけだ。

「別に深く調べる事はない。ただ……シルバスピナの屋敷を出てから、奴がどんな道を辿って今はどうしていたか、分かるだけ調べてくれればいい」
「了解しました」

 にっと笑って礼を取って見せる男に、頼む、と言いながら、おそらく今頃セイネリアも奴の事を調べているんだろうが……とシーグルは考えた。だから彼に聞いた方が早いのだろうと分かっていても、彼とあの男の事を話したくないというのがある。

――面倒な事にならなければいいんだが。

 最近は将軍としての仕事が暇になってきたのもある所為か、セイネリアがシーグルに割く時間の割合が増えている気がする。彼としては自分の為に将軍になったようなものだから文句の言えるところではないが、どうでもいい事に余計な事はしないで欲しいと思うのもまた仕方なかった。







 カリンの報告を聞いたセイネリアは、明らかに不機嫌そうに眉を顰めて足を机の上に投げ出した。

「なんだ、典型的な心の弱い奴の転落人生だな」
「そうですね、シーグル様の言う通り気にする価値もない男だと思います」
「確かにな、だが……」
「だが?」

 聞き返して来たカリンに、セイネリアは自分でもみっともないと分かっているが言葉を続けずにはいられなかった。

「あいつに手を掛けようとしたことにもムカつけば、未だにあいつを逆恨みしているのも気に入らない」

 理性で考えればこんな事にいちいち苛ついている自分が馬鹿だと思うのだが、シーグルの事になると感情が先行するのは仕方ない。
 セイネリアの言葉に、カリンが苦笑する。

「お気持ちはわかりますが、シーグル様はもう過去の事として掘り起こされたくはないのではないでしょうか?」
「あいつの言い方からすればそうだろうな」
「それに小者過ぎてボスが気に掛ける程の男ではありません」
「あぁ、それも分かってる」

 セイネリアも冷静に考えればこの件は捨て置けばいいというのは分かっていた。気にする程の事件ではないし、放っておいてもこの男はそれなりの罰をうけて、釈放されてもろくでなしとしてどこかでのたれ死ぬだけの話だろう。

 ただ自分の気分が晴れない、それだけの話だ。

 ワーナン・レジン、元は腕も評判も良かった冒険者の男は、騎士になって騎士団に入った後、ある貴族に気に入られてそこで重用されるようになる。だがミスが原因で主に大怪我をさせてクビになり、その後は酒場や娼館の用心棒をしながら食いつなぎ、シルバスピナ家にシーグルの剣の師として短期間雇われた。
 事務局の記録には、特にその仕事で問題があったとは残っていない。
 だがそこから男の人生は悉く運がなく落ちぶれた人間の末路を辿る。シルバスピナの仕事で多少信用ポイントが上がった男は久しぶりにマトモな怪物退治の仕事を受けるが、想定以上の敵の数に仲間を捨てて逃げ出した。仕事は失敗、死者も出て、その死んだ者の恋人に命を狙われる事になる。身を守る為に昔の知り合いのツテで警備隊に入り、そこから腕を買われて親衛隊になったもののリオロッツの失脚で逃げ出すしかなくなる。その上、親衛隊時代に顔を覚えられて冒険者としても仕事を取れなくなった。
 そこからまた例の恋人の復讐という男に命を狙われ片目を失い、酒で更に体を壊して今では神殿の施しでどうにか生きている……という落ちるところまで落ちた典型的な人間だ。

「シーグルを逆恨みしているのは……親衛隊にいた所為か」
「おそらくは」

 まさしく逆恨みだな、と思いつつ、確かに小者過ぎてへたにどうこうしてやろうと言う気にもならない。だが気分的にもやもやと残るモノがあって何もせずに終わるのもムカつくのだからセイネリアとしても困ったところだ。

「そういえば……シーグル様もあの男の事を調べているようです」

 言いづらそうにカリンが言って、セイネリアは少し考えた。

「思い出したくない、と言っていてクセにな」
「アウドとソフィアに、あの男の事を調べるように頼んでいるようです」
「そうか……」

 調べたいなら自分に聞けばいいだけだろ、とそれにもちょっと苛立ちはするものの少し考えてからセイネリアは思いつく。

「アウドが調べているのか」
「はい」
「なら、奴を使わせてもらおう」

 自分がわざわざ動くのもムカつくが何もしないのもムカつく。なら彼の手駒を使うのもありだろ、とセイネリアはきっと聞けばいい顔はしないだろう愛しい青年の顔を思い浮かべて笑みを浮かべた。







 アウドはもやもやしていた。
 いや別にシーグルからの命令(というより頼み、だが)になんてことでは決してなく、その仕事の所為で分かったワーナン・レジンという男に。
 実をいえば調べ始めて割合すぐ、調べている事自体がカリンにバレていたらしく男の過去はあっさり教えて貰う事が出来た。
 それで聞けば聞く程男の境遇が自分と重なってしまって、どうにも胸がもやもやと……すっきりしない、吐き出しようのない憤りを貯めてしまったのである。
 シーグルが『お前に似ているかも』なんて事を言った所為で意識しまったところもあるのだろうが、なんというかあちこち似すぎている上に確かに自分にもあり得た末路を見た感じで……正直とてつもなくムカついた。
 
 怪我がきっかけは同じ、こちらは怪我だけで向うはその怪我から主に大怪我をさせたという違いはあるが、そこから誇りを持っていた仕事を取り上げられたのは同じと言えるだろう。ただアウドはその時点で諦めなかった、あの男はその時点で諦めた……いや、実際は足掻いたのかもしれないが。それでも結局アウドも諦めて騎士団を辞め、ヴィド卿の下で汚い仕事をしていた段階でワーナンという男よりマシだという気はない。ヴィド卿の命令のままにシーグルを犯した自分と、やはり仕事として彼を襲った男の立場も似すぎていて気分が悪い。保身のために騎士団に戻った事も、命を狙われて警備隊に入った男と重なり過ぎて笑えて来る。なんだかあり得た自分の別の姿を知ってしまったようで、とんでもなく考えれば考える程腹が立って仕方がなかった。

 ただ一つ大きな違いは――あの人に許して貰えたか。

 シーグルは『お前は諦めなかった』と言ってくれたが、あの時点の自分は諦めていた、ただちょっとだけ未練があった程度だ。きっかけとチャンスをくれたのはシーグルだった、あの人に手を差し伸べて貰えたから――あの人に膝を折ったから全てが開けた。やさぐれていた自分が騎士としての誇りを前以上に感じる事が出来た。たとえ人に称賛される地位を手にいれられなくても、これ以上ない満足感を得る事が出来た。

「あの……アウド、さん」

 ソフィアに声を掛けられて、アウドは思わず思考の中から意識を戻す。

「あ、あぁすまん、つい……ちょっとムカついてな。で、カリン様はなんだって?」

 『様』とつけたところで一度くすくす笑ってから、ソフィアは口を開いた。

「例の男ですが……尋問を受ける為に今日から3日間はネルセック監獄に置かれるようです」

 ネルセック監獄はセニエティを守る壁の外に作られた新しい監獄で、リパの大神殿の近くにある。リパ神官の説教による説得と『告白』の為、また大神殿が持っている畑での労役もあるからそこに作られたという主に軽犯罪者用の監獄であった。

「あぁ、あそこか……」
「はい、それで今晩は尋問の為に独房に入れられるそうで……その、あそこなら私は転送で入る事ができます……が」
「そっか、つまり……一度奴の顔を見てくるかって事だな」

 アウドは考える。なんだかいろいろお膳立てされすぎて誘導されている気がするが、一度奴の顔を見てやりたいという気は確かにある。自暴自棄でやさぐれた男がどういうつもりでアルスオード・シルバスピナの像を蹴ったのかも聞いてみたい。

「どうします? 行きますか?」
「あぁ、行って……場合によっちゃ一発殴ってきたいとこだな」

 それには苦笑して、ソフィアは治癒役も必要ですね、と呟いた。



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 次回はアウドがちょっと活躍?
 



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