春と嵐を告げる来訪者




  【2】



 将軍府の中庭では夜間でない限り、基本的に誰かしら鍛錬をしている者がいる。それはどこぞの隊の訓練だったり、休憩時間の自主的鍛錬だったりと様々だが、ともかくその風景を眺めて『彼女』は実に楽しそうに微笑んだ。

「やはりあのやたら煌びやかでお行儀のいい城の方より、私はこちらの雰囲気の方が好きだ」
「そこは、アウグ人らしい、というところか」
「あぁ、そう思ってくれていい。我が国的にはこの手の風景の方が日常だ」

 そこは流石軍事国家のアウグ人らしい発言で、セイネリアも彼女のそんな気質自体は好ましいと思う。
 実際のところ、タニアは女としては面白い人物ではあった。軍事国家アウグといっても、女性はそこまで考え方が軍事中心にならないそうだが、彼女は若くてもアウグの女領主というだけあって、その考え方はレザのようなアウグ人の男と一緒だった。つまり、強い者こそが正しい、という精神のもと、強い者、強くなろうとしている者には全て好意的で、だからこそかつての敵であるセイネリアに対してなんのわだかまりも持っていない。

『貴方がセイネリア・クロッセスか。確かにレザ男爵でさえ勝てないというだけの雰囲気を持っている。どうだ、互いの国の為と思って私を妻に迎え入れてくれないか。……なに、結婚といっても我が国の結婚は契約だ、別に私を愛せとは言わないし、他の女に手を出すなとも言わん。私はな、最強と呼ばれる貴方の子が欲しいのだ』

 初対面の挨拶がそれであったから、セイネリアは思わず笑ってしまった。こんな彼女だからこそアウグ王が選んだのだろうというのも分かって、セイネリアでさえ呆れて、即追い返す気が失せてしまった。しかも詳しい事情を聞けば彼女はセイネリアに会う為にクリュースの公用語をマスターしてきたらしい。確かに、通訳を通さないで話せるおかげでセイネリアとしても気楽ではあるし、言葉がまだ不自由なせいで回りくどくないはっきりとした物言いは却って気分が良くもあった。だから彼女個人については気に入っていると言ってもいいのだが……結婚というのはまた別の話なのは当然だった。

「ふむ……ただまぁ、城にいる連中よりはかなりマシだが、真剣さというか気合いが足りないな」

 暫く中庭の訓練風景を見ていた彼女が、そう言って僅かに眉を寄せた。

「そうだな、ここにいる以上たるんだ態度は取らないだろうが、想定される戦いがある訳ではないからな、どうしても訓練は事務的になる」
「クリュース兵は平和ボケしている腰抜けぞろい、というのは間違いでもないのか」
「あぁ間違っていないな。命を懸けた実践経験なら騎士団の連中より冒険者の方が上だ」

 それを聞くとタニアは瞳を輝かせてセイネリアに向き直った。

「そう、冒険者だ。自らの腕一つで危険な仕事を受ける者達、というものらしいが実際どんな仕事をしているのだ? 貴方もかつては冒険者だったと聞いたが」

 この手の話を吹き込んだのはレザだろうな、とは思いつつ、セイネリアは興奮する彼女とは対照的に冷静に答えた。

「別に危険な仕事だけを受けるのが冒険者ではない。ちょっとした使いや、力仕事の手伝いのような仕事も請け負う。ただ危険な仕事ほど評価されるのは確かだからな、上級冒険者と呼ばれる上のランクにいる者達は危険な魔物退治や傭兵として戦場で成果を上げて来た者達が多い」
「上級冒険者、あぁそれも聞いているぞ、貴方も上級冒険者だったのだろう?」
「あぁ、俺も、さっき紹介した俺の部下連中も殆どが上級冒険者だ」
「それも聞いている、もとから兵士として軍に所属していた訳ではなく、貴方は傭兵団として彼らを率いていたのだろう」
「あぁ、そうだ。……レザからいろいろ聞いていたようだな」

 冒険者の話になってからはやたらと楽しそうな彼女は、そう聞かれれば更に嬉しそうに笑顔を見せた。

「まぁな、戦争がなくなったら老いぼれジジイになるしかないと思っていたあのレザ男爵が、それはそれは楽しそうに冒険者の話してくれるものだから興味があってな」

 あの親父の親戚筋という話も聞いているから、会って話をする機会もそれなりにあったのだろう。クリュースでの冒険譚を得意げに話すレザのその姿は容易に想像出来た。女だてらに男気質の彼女は、それもあってクリュースに来る事を望んだのかもしれない。
 満面の笑みを浮かべていたタニアは、だがそこで少しだけその笑みに影を落とす。セイネリアからまた中庭に顔を向けると、その灰青の瞳は寂しそうに遠くを見つめた。

「この国では女で冒険者になる者も多いのだろ、女騎士も珍しくないらしいし、剣を持たずとも冒険者として出来る役目もあると聞いた……正直、レザ男爵から冒険者の話を聞く度に羨ましいと思っていたのだ」

 他の封建国家同様、アウグでも女と男の役目ははっきり分けられていて女が男の仕事をする事はいい顔をされない。女領主である彼女は地位的にある程度は許されても、一定以上の男の仕事からは引かなくてはならない悔しさを幾度も感じた事があるのだろう。

「そんなに興味があるなら、冒険者登録をして一度レザに付きあって仕事に行ってみればいいんじゃないか。クリュース内の仕事なら文句をいう輩もいないだろ」

 言うと彼女は大きく瞳を開いて、それからふっと寂しそうに笑みを漏らす。
 だがすぐに瞳に強さを取り戻すと、仮面のままのセイネリアの顔を見てにっこりと見せつけるように笑ってみせた。

「そうしたいのは山々だがな……私も立場的に跡取りを残す前にそういう事をする訳にはいかないのだ。貴方が私を妻にしてくれて、そちら側と我が家の跡取りとして男子を二人授かる事が出来れば私も好きにする事が出来るんだがな。……もし結婚がどうしても嫌なら子だけでもいいぞ、とりあえず寝てみるか?」

 若い女でその言い方にはさすがにセイネリアも笑ってしまう。
 こういう女は嫌いじゃない。もし剣を手に入れる前の自分がこの地位にいるのだったら、対外的な都合のために割り切って彼女と結婚も考えていたと思うくらいには彼女の事を気に入っていた。
 ただし、だからこそ決定的に彼女の望みは自分と相容れないのだが。

「悪いな、俺は俺の子供などという胸糞悪いものを欲しくはない」

 強い者こそが正義だという信念を持つ国の女は、それにはまた驚いて目を大きく見開いた。

「何故だ、男なら自分の血を残したいと思うものだろ」

 確かにそれが生物としての本能だ――それは分かっていても、セイネリアにはその望みがない。セイネリアは僅かに口元に笑みを浮かべて穏やかな声で告げた。

「どちらにしろ、そういう理由だからな。お前の望みが子であるなら、お前を妻にとる気はないし、寝る気もない」

 女は不満そうにセイネリアの顔を睨んだが、セイネリアは口元の笑みを崩さず背を向けて歩き出した。すぐに彼女がついてくる。セイネリアは苦笑して、さてどこまでこの茶番に付き合うべきかと考えた。






 夜になってやっとタニアから解放されたセイネリアは、いつも通りシーグルの部屋へ向かっていた。
 彼女の部屋はレザの部屋近く、そして今だけとしてソフィアに彼女の世話役としてついてもらい、カリンも彼女がいる間だけその隣の部屋で寝るようにいってあった。なにせタニアのあの勢いでは夜にセイネリアの寝室に自分からやってきてもおかしくない。早い話、カリンとソフィアは彼女の護衛兼見張り役だ。

 彼女が来た理由が理由であるから、強制的に式典明けの今日は彼女と二人で過ごす事になってしまったセイネリアは、はっきりきっぱり明らかにストレスが溜まっていた。タニアと話す事は嫌でなくても、その所為で今日一日はシーグルと別行動で、朝の登城後からずっと彼に触れていない。このところここまで長く彼と離れる事がなかったのもあって、セイネリアとしては苛立ちが募る事は抑えようがなかった。
 だからやっと彼に触れられるとそう思ってやってきたセイネリアだったが、迎えてくれたシーグルの態度はその期待を裏切るものであった。

「――あぁ、きたのか」

 まず最初に、セイネリアの顔を見て意外そうにそう言った彼のセリフにセイネリアは眉を寄せた。

「来るに決まっているだろ、何故来ないと思った」

 シーグルはすんなりセイネリアを部屋に入れたが、セイネリアとしては彼のその反応が気に入らない。

「それは当然、今日はタニア嬢と最後まで一緒だと思っていたからだ」
「何が当然なんだ、俺が本気であの女と結婚するとでも思っていたのか?」

 すると彼はまた意外そうにこちらの顔を見て言ってくれた。

「しないのか?」

 セイネリアの中で苛立ちが更に積まれる。

「する訳がない」
「そうなのか、彼女は条件的にお前の相手として申し分がないと思うが」

 それは別に嫌味で言っている訳ではなく、ただ本気で疑問に思っている口調だからこそセイネリアの苛立ちを煽る。

「……何故俺が結婚すると思うんだ」
「お前の立場的には避けて通れない問題だろ。しかるべき地位にある者なら、結婚をしないままは対外的に許されない。どうせ今回断ってもまた別の相手が候補として来るだけだ」

 つまり……一応セイネリアも彼の考えを理解はした、それが彼の教えられてきた『貴族としての常識』なのだろうと。

「シーグル、お前は俺の計画を知っている筈だ。俺は将軍職を世襲にするつもりはない、それにシグネットが成人したらここで出て行くと約束しただろ、それで結婚なぞ出来る訳がない」

 セイネリアが怒っているのには気づいているらしく、彼も少しだけ表情を険しくする。だがそれでも彼の台詞は分かっていない。

「世襲を全否定しなくてもいいと思うぞ。お前なら世襲制にしても将軍が好き勝手に出来ないような体制をつくっておく事だって可能だろう。それにお前が結婚するなら、お前が家族を見届けたいという時まで旅に出るのは待っていたっていい」

 そういう問題じゃない、と口から出かかった言葉をセイネリアは飲み込んだ。これ以上彼に言っても無駄だろうと言いたい事をため息にして吐き出す。現状のシーグルに自分が何故怒っているのかは理解出来ないし、それを理解させるのに自分が言うだけでは意味がない。
 だからセイネリアはシーグルの顔を抑え、そのまま強引に口付けた。

「おい、セイ……ン……ァ」

 唐突過ぎたせいか構えていなかった彼は、あっさり自分の腕に抑え込まれる。最初は怒って肩を叩いていた彼も、唇を合わせて舌を絡ませていれば次第に大人しくなる。唾液を絡ませて、舌を擦り合わせて、彼の息が辛くなりだしたあたりで唇を離しては耳元に『愛している』と告げる。何度も何度も、口づけて、囁いて、それを繰り返していれば彼の意識が薄くなっていくのが分かる。そのうち甘えるように彼からこちらに抱き着いてきて体を擦りよせてくる。無意識の状態に近づくと素直に自分を求めてくる彼のその行動に満足して、セイネリアはそのままシーグルを抱き上げてベッドへ運んだ。



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 次はそこまで長くないエロ、の予定。
 



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