或る北の祭り見物譚
シーグルとセイネリアのアウグ旅話



  【1】



 シグネットが成人し、クリュース国王アルスオード2世が誕生した後、こっそり国を飛び出して旅に出た将軍とその側近だった青年の二人は、まず最初にかつての敵国だったアウグへと向かった。
 ……のはいいのだが。

 律儀な性格のシーグルが、さすがに挨拶くらいはしたほうがいいとレザ男爵の屋敷に寄ったおかげで、セイネリアはそこから暫くとてつもなく不本意な事態に見舞われる事になったのだった。

「いいか、ここフェリスクの氷祭りはだ、氷を削って作った彫刻や、氷に花を閉じ込めた門が有名で、この時期アウグの各地から見物客が集まる冬の大イベントだ」
「あぁ、そういえば街の門のところに布を被ったものが見えたが……」
「そうっ、今はまだ制作中だから隠してる、祭り当日になったら公開されるからそうしたら見に行くぞ」
「花を閉じ込めた氷の門か、確かに綺麗だろうな」

 楽しそうなシーグルに得意になって説明するレザを見て――当然おもしろい筈がないセイネリアは眉を寄せて不機嫌そうにしていた。ついでに言えば、シーグルから予めアウグ語を習っていたから言っている事はところどころは理解出来て大体何を言っているのか程度は分かるのだが、会話はまだ怪しい部分が多いのもあって嫌味をへたにいう事も出来ないというのもあったりする。

 レザの屋敷に行ってあいさつだけですぐに出て行こうとしたら、丁度近くのフェリスクの街でもうすぐ大きな祭りがあるから見ていけ、と言われて引き留められた。どうせ急ぐ旅ではないのだろう、と言われればセイネリアも否定は出来ず、シーグルが興味を持ってしまえばそれで祭りまでの滞在は決定した。シーグルが見たそうにした段階でセイネリアはそれを拒否出来ないのだから仕方ない。
 しかも、いざ祭りが近いから行こうという事になったら、折角なら案内してやるとレザ本人がついてくると言い出した。セイネリアはそれには思いきり拒否したが、案内がいないとこの時期いい宿を取るのは難しいとか、見どころをちゃんと教えてやるとか言われればシーグルも『それなら』と言い出して――だが結局セイネリアが折れたのは、レザの奥方の誕生日が近くてその日に留守は絶対に出来ないから祭りが終わったらレザは帰るしかない、という理由のせいだった。
 ともかくどれだけこの男が邪魔でも、祭りが終わればもめる事なく別れることが出来る……だから今は仕方ない、とは思ったのだが。

「前もって連絡しておいたからな、部屋はちゃんと4つ取っておいたぞ」
「二部屋で十分だ」

 さすがにそれに即答を返せば、レザはわざわざ『ん? 何と言ったのかなぁ?』などとシーグルに楽しそうに聞いてくる。レザもその程度のクリュース語は分かる筈なので、明らかにわざとだろう。

「いやいやここは当然一人一部屋だ。ごろ寝の冒険者の宿とは違うからな」

 そして当然、それ自体が嫌がらせだ。さすがのレザもセイネリアがいる段階でシーグルに手を出そうとはしてこないものの、その分こちらにも手を出させまいといろいろ妨害をしてくる。
 それでもレザの屋敷にいる間は、奴の息子の所為でどうにかシーグルとセイネリアは同じ部屋にしてもらえたが……その時グチグチ言っていた分、ここで憂さ晴らしと言う訳だろう。

「一人部屋にしてもらえるなら俺もその方がいい、ゆっくり寝られる」

 そしてシーグルがそう言ってしまえば、レザの思惑通りそれで決定となる。にんまりと嬉しそうなレザの笑顔を睨みつつも、セイネリアも自分に祭りが終わるまでだと言い聞かせるしかなかった。

――まぁいい、この程度でいい気になっていても所詮奴は指をくわえてみている事しか出来ん。

 人前で、キスしたりあからさまに意図をもった触り方をすればシーグルは怒るが、いつでもすぐ傍の距離にいる事にはシーグルも慣れている。横に座って引き寄せたり、さりげなく髪を撫でたりするくらいは人前であっても彼も今では気にしなくなっていた。
 だからいやがらせ返しは主に食事の時間になる。

「シーグル、こっちも美味いぞ、もう少し食え」
「そうか。なら少しくれ」

 それでセイネリアが切った食べ物をフォークで刺してシーグルに向けてやると、シーグルは自然と口を開いてそれを食べた。

「美味いか?」
「あぁ確かに、美味いな」

 将軍府で共に食事を取るようになってから慣らした成果である。最初は行儀が悪いと嫌がったシーグルだが、別にみられて困るような人間がいない時なら問題ないだろう……と何度か言っている間に彼もそう思うようになった。今でもさすがに見知らぬ人間の前では嫌がるが、レザはシーグルにとってある意味『身内』扱いなため拒絶しないという訳だ。

「貴様、それは見せつけてるつもりか」

 案の定、悔しそうなレザがこちらを睨んでいる。彼としてはクリュース語での会話内容が良く分からないというのもいら立ちを増す原因だろう。

「見せつけるもなにも、俺たちにとってはただいつもの事をしているだけだ」

 勿論セイネリアはクリュース語のまま答えてやる。即座に隣の元副官に通訳してもらってレザは怒鳴る。

「いーや、絶対見せつけているだろ貴様っ」
「お前が邪な目で見ているからそう見えるだけだ」
「本当にムカつく男だな貴様は」
「何、いい歳して脳みそがエロオヤジの貴様には少々思い知らせておいたほうがいいと思っただけだ」

 通訳を通しているものの言い合いになるのはいつもの事で、ただそれも長く続きはしない。

「いい加減にしろ。食事は楽しく、なんだろ?」

 シーグルがそう言ってきてレザが黙るからだ。

「勿論だ、楽しく食べているぞ俺は」

 セイネリアは言ってシーグルに笑いかける。

「俺も楽しく食べたいのだがな。あー……そうだたまには席替えはどうだ? 俺もたまにはお前の隣、いや向かいでもいいんだがっ」
「はいはい男爵、まだそうやって未練タラタラな態度だからこうして一番遠い席にさせられるんですよ、いー加減諦めてください」

 レザもレザで、あまりしつこいと元副官の魔法使い見習いにいつも通り怒られる。それで一応はレザが諦めるカタチで終わるのもいつもの事だった。

「これは面白い触感だな、歯ごたえが食べたことがない」

 けれど勿論、懲りないジジイはシーグルにそう言われると急に得意満面な顔で説明を始めるのだ。

「うむ、それはコゼリツクという野菜でな、葉に水滴のようなものが表れてその触感がこの辺りで好まれている。茎の方もコリコリといい歯ごたえでな、食べていて楽しいだろ、それに栄養もあってな……」

 話し出すと長いクソ親父にあきれつつ、セイネリアはそれでも楽しそうなシーグルの様子を肴に酒を飲んだ。
 まぁ実際、レザのおかげで祭り前なのにかなりいい宿に部屋を取れたのは確かだ。アウグの貴族や金持ちがおしのびで泊る宿であるから、プライベートを重視して食堂でもカーテンで他のテーブルが見えないように仕切られていて、顔を隠すかどうか悩む必要もない。各階に見張りもきっちり立っているからケチな盗人は入ってこれないし、祭りで一番混む通りからは少し離れているから騒がしくもならない。

 これでシーグルに未練タラタラで余計ないやがらせをしてこなければ、大人しく感謝してやるんだが……と思いつつ、旅は始まったばかりで時間はいくらでもあると思えば、この程度で苛立っている自分にも呆れはする。

 だが、そんな少ないレザに対しての『感謝してやってもいい』部分は、最終的にはセイネリアの頭の中でなかった事になる。それはレザの元にこの宿の者らしき者がやってきて、小声で耳打ちをしていったところから始まった。

「む、どうした?」

 話を聞いているレザの顔は少し険しい。耳打ちをしている方の者の表情からすれば、恐らくなにか……申し訳なさそうに見えるあたり頼み事だと思われた。小声の話は聞き取りにくく、唇を読むにしてもやっとどうにか意味はだいたい掴めるくらいのアウグ語能力のセイネリアでは厳しかった。シーグルは信用している人間に対して話を盗み聞きしようとはしないから、みたところわざと視線を外して聞かないようにしている。

「そうだな……分かった、見てこよう」

 レザが了承の返事を返すと、宿の者は幾分かほっとした顔をして礼を告げて去っていく。だがレザ自身は渋い顔をしているから、そこで気になったのかシーグルが聞いた。

「何かあったのだろうか? 差支えなければ聞いてもいいか?」

 シーグルに聞かれたのだから余程の事情がない限りは言うだろうと思った通り、レザは難しそうな顔はそのままに口を開いた。

「んむ、そうだな、言っておいた方がいい事ではあるのだろうが……」

 悩んだ様子のレザはそこで思いついたように隣にいた元副官のラウドゥに耳打ちした。

「バロンに代わって私の方から話をさせて頂きます。どうやらこの宿を使って、その……まことに申し上げにくいのですが売春行為を行っている者がいるようでして、この宿の格式的に困るものの、どうにもそれが行われているらしい部屋がとある身分ある方の名前で取っている部屋らしく……」

 成程、聞かれては不味い話だから直接クリュース語でいった方がいいという事か。
 話の内容の方はありがちな話ではある、宿側としても相手が貴族であるからレザに相談したというところだろう。このアウグでは強い者が讃えられるから、戦士として名高いレザは爵位の割には政治的にも発言力がある。しかもクリュースとの友好条約における立役者でもあるから、いくら貴族位が上の者でもレザの言う事を無視は出来ない。

「こういうところなら、もともと女を買って連れ込む奴もいるだろう」

 少し茶化して言ってみれば、それは即座にレザに通訳されて、また暫く耳打ちでのやりとりがあった後にラウドゥから返事が返ってくる。

「そういうのは別に本人の責任においてやってるからいいのですが、この宿を拠点として客をつのっているというのがどうにも問題で。しかもその娼婦達もどこかの娼館の者という訳でもなく、どうやって集めた者達かもわからないという事で……」
「もしかしたら、違法な手を使って集めた女達かもしれないと?」
「……そういう事です」

 となれば思ったよりも面倒な話ではある、だが。

「頼られたなら宿の頼みを聞いて一肌脱いでやればいい。こちらは勝手に見物して回るから気にしないでくれていいぞ」

 セイネリアがそう言えば、即座に通訳されたレザが立ち上がった。

「貴様、邪魔者が消えて丁度いいと思ってるんじゃないだろうな」
「勿論、思ってるぞ」
「ふざけるな、そういう時は協力してやろうという話になるだろ、普通はっ」
「嫌だな、こちらにそんな義理はない」
「ここまでお膳立てしてやった恩義を返そうと思わんのかっ」
「全部貴様が自分からやったことだろ、俺は断ったぞ」

 レザも単純なクリュース語なら分かるから直で違う言語同士の言い合いになる。
 とりあえず本音のまま言ったセイネリアだったが、それは単にレザに対するいやがらせだ。なにせ、言った通りにしたくともそれは出来ないだろうことは分かっている。

「セイネリア、この場合こちらは無関係という訳にはいかないだろ」

 ……どうせシーグルがそう言ってくるだろうことは予想していたから、セイネリアはため息をつきつつも黙るしかなかった。

「レザ男爵、立場上あまり大っぴらには動けないが、協力できることがあるならするぞ」

 シーグルの言葉にスケベ親父の顔が孫に会うジジイのようにふにゃりと蕩ける。

「おぉ〜やっぱりお前ならそう言ってくれると思ったぞ」

 そこで立ち上がったはいいものの、シーグルに向かって来ようとしたのはさすがに隣のラウドゥに止められた。

「バロンっ、やめてくださいっ、ここで流血沙汰を起こす気ですかっ」
「ふんっ、奴とてここで武器を抜くことはあるまいっ」

 まったくこのジジイはこの歳でどこまで元気なんだとセイネリアが呆れてみていれば、シーグルが笑顔でレザに言った。

「あぁ、剣は抜かない、殴るか蹴るだけだ」

 それにはレザもセイネリアもシーグルの顔を見て、それからレザはがくりと項垂れ、セイネリアは楽しそうに声を上げて笑った。
 ヘタに嫌だと言われるより、レザにとってこれは応えたろう。



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 とりあえずまずは事件に巻き込まれる状況までのお話。
 



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