復讐者への言葉
将軍様と側近時代の二人の話



  【1】



 新体制になってからのごたごたもすっかり落ち着いて、以前にもまして平和を謳歌するクリュース王国。その平和を支える内外両方に対する抑止力、恐怖の象徴としての将軍セイネリアは最近ではすっかり隠居扱いで、たまに登城して王と摂政に顔を見せていく程度しか将軍府から出てくる事はなくなっていた。
 今回も五日ぶりに城に来たセイネリアの傍には、今では必ずいることがお約束となっている騎士が付いている。二人は城の警備兵に見送られる中馬車に乗り、もう一人馬車の前で待っていた男が馬に乗ってから御者に発車の合図をして馬車が動き出す。
 そうして久しぶりにやってきた将軍はその日も何事もなく将軍府へと帰って行き、緊張していた見送りの兵達はほっと肩の力を抜いた。

 ――一方、その馬車の中では。

「待て、セイネリアちょっ……」

 従者の騎士レイリース――つまりシーグルは、馬車の扉が閉まった途端抱き寄せられて将軍セイネリアの腕の中にいた……だけでは収まらず、文句をいう暇さえなく兜を取られてキスされている真っ最中だった。
 馬車が動き出したタイミングで唇がずれた隙にシーグルは抗議の声を上げてみたのだが、当然セイネリアがそれを聞き入れてくれる事はない。すぐに彼は唇を合わせ直すと更にがっちりこちらを抱き込んでじっくり舌同士を擦り合わせてくる。

「ん……ぅ……ん」

 そうなればシーグルももう諦めるほかない。大人しくキスに応えてやれば調子乗ってくる面倒な男に呆れつつも、すぐに意識が持って行かれてそれどころではなくなる。やたらムカつく事にキスの上手い男にはこうしていつも流されてしまうしかないのだが、ここから逃れるなんてそれこそ何か問題が起こって馬車が急停車するか大きな石にでも乗り上げて大揺れが起こらない限り無理だ。

 そもそもシグネットに会うのだから絶対にそういう雰囲気を匂わせる訳にはいかないと、行きの馬車では必要以上に触るのを禁止している分、帰りは脱がせるのが必要な行為以外はしていいという約束に了承せざる得なかった。当たり前だが城の中でもへたにベタベタする訳にはいかないのもあって、帰りの馬車に乗った途端に我慢していたものが爆発したように有無をいわさずセイネリアに抱き込まれてキスから気が遠くなる……というのがいつもの事になってしまった。

――ったくデカい子供かこいつは。

 悪態をついていられるのもほんの少しの間、今日もまたシーグルはそのまま流されてセイネリアの思うままに甘い声を上げる事になってしまうのだった。






 最初の抵抗もどこへやら、すっかり大人しくなって腕に抱き込まれているシーグルを見れば、意識せずセイネリアの唇は満足げな笑みを浮かべてしまう。髪を撫でてその中に鼻を埋めて、彼の匂いを嗅いで安堵する。彼を感じる度に心に感じる暖かな感触は、あまりにも幸福すぎて酒に酔えた頃の数倍酔える。

 ただ最近、セイネリアは気づいていることがある。別にそれによって悪い事が起こる訳でもないだろうから知らないフリをしてはいるが、そろそろ面倒だからケリをつけておいた方がいいとは思っていた。

「シーグル、ついたぞ」

 腕の中でこちらに寄りかかってぼうっとしている彼に言えば、まだどこかおぼろげなままの濃い青の瞳がこちらを見上げる。そこでキスしたくなるのを我慢して額に唇を落せば、やたら幼い顔でこちらを瞬きしてみてくる彼に抑えが利かなくなりそうで困る。

「あ……そう、か」

 ゆっくりとその瞳に意識が戻ってくるのを眺めて、前髪を少し梳かしてやる。けれども暫くすれば彼の青の瞳ははっきりといつも通りの意志の強さを取り戻してこちらを不機嫌そうに睨んでくる。

「まったく……」

 本当はいろいろ文句を言いたいだろうに言葉はそれだけで止めて、シーグルは起き上がると転がっていた兜を拾って頭に被った。少し前までは城帰りの馬車から毎回抱き上げて部屋へ帰ってそのままベッドへ――というのが当たり前になっていたのだが、ある日シーグルが怒ってそこから三日程一緒に寝るのを拒否されたから馬車でのお楽しみ時間もそこそこには加減するようになった。
 だから彼も自分で歩ける状況なら、あえて文句は言わなくなった。……セイネリアとしては少々寂しいところだが、彼とのそういう駆け引きも楽しんでいるし、何よりこちらの思うままにならないからこそ彼はいいのだ。

「帰ったらまず仕事だからな。書類が残ってる」

 言って彼は自分の装備の乱れを確認すると振り向いて、こちらの顔にも仮面が付けられているのを確認してから馬車のドアを叩く。外にいるアウドに開けていいと合図をしたのだ。待っていたらしくドアはすぐに開かれて、シーグルは外へ出ていった。それを見て苦笑しながらセイネリアも椅子から立ち上がった。

「おかえりなさいませ」

 将軍府の前、とは言ってもセイネリアが帰ってきて馬車を寄せる場所はいつも裏口だ。下りた途端に頭を下げてくるのもカリンの他にはソフィアくらいで、あとは他にいても双子達やエルクア、エル、つまりシーグルの顔を見ても問題のない人物だけしかここへは来ない事になってる。勿論それは、セイネリアの抑えがきかなかった時のためを考えての事だ。

 一応先に下りていたシーグルがアウドと共に頭を下げる中、セイネリアは歩いていく。ただ……バサリと羽音がしてセイネリアはその顔を上に向けた。カラスだろうか、黒い大きな鳥が飛んでいく姿を目を細めて見つめる。

「閣下?」

 だがシーグルのその声に顔を向けると、セイネリアは彼に笑ってやる。

「いや、なんでもないさ」

――やはりそろそろ、片付けておくべきだろうな。

 セイネリアが部下達に囲まれて将軍府の建物内へ入っていく姿を、離れた木の上から一話のカラスが見ていた。





「――ッ」

 また意識を飛ばしていたらしい。気づいてシーグルはため息をついた。いつも通り重くて暑苦しい感触にそっと視線を上げれば、人々の恐怖の対象である将軍様がさも幸せそうにうっとりと目を閉じた顔でそこにいる。まったく――憎らしい半分、愛しいさ半分というところか。こんな彼を見る度にシーグルは、文句を言ってベッドから蹴り落としたくなる気持ちを抱きつつ、最強の男の無防備で幸せそうな姿に嬉しくもなる。
 まぁここで嬉しいなんて思う辺り、やはり自分は彼を好きなのだと実感する訳ではあるのだが……彼を甘やかしてなんてやらない。

「おいセイネリア、重い」

 言えば彼は最初は必ず無視をする。だがこの男がこれで起きていない筈はなく、まず十中八九狸寝入りだ。

「おいセイネリア、少し暑い、離れろ」

 今度は実力行使とばかりに足と腕で引き離しにかかるが、馬鹿力のこの男からそれで逃げられる事はまずない。というかここで逃げられないくらい力が入っている段階で絶対寝ていない。

「セイネリア、体がベタベタしていて気持ち悪い。一緒に水浴びにいかないか?」

 言えば彼の瞳がパチリと開いて、寝ぼけてる様子など一切ない様子でこちらを見てくる。

「一応寝る前に拭いてやったが……まだ気持ち悪いか?」

 当然声からしてはっきりしていて、彼がかなり前――少なくとも最初に声を掛けた時から起きていた事は確定する。

「このところ少し気温が上がってきたからな、それででっかい筋肉の塊に抱き着かれていれば汗もかく」

 それには笑って彼は起き上がった。……本当に面倒な男だと思いながら、彼のシーグルに対しての行動原理は単純過ぎるから憎たらしい反面笑ってしまいたくなる。
 恐ろしい程頭がキレて人を追い詰めるのが上手い、誰もが恐れる最強の男、将軍セイネリア。それを否定する気はないが、シーグルに対してのこの男はいわゆる『でっかい子供』である。ただし確かに馬鹿強いし頭もいいから、こちらが甘やかせばどこまでも彼の思う通りになるしかない。だから甘やかさない、頭の良い彼に対抗する為、利用できるものは利用して彼の我儘を阻止する。でなければこれからも長い、長い、彼との生活でこちらの身が持たないというものだ。

「立てるか? 抱き上げて連れていってやろうか?」

 先にベッドから降りて嬉しそうに言ってくる男を、シーグルはじとりと睨む。

「立てなかったら約束違反だ、明日は部屋に入れてやらない」
「……分かってるさ、立てるだろ?」

 立てない程までヤったら明日は一緒に寝ない、という約束で今夜は許したからその約束を破ったら本気でシーグルはそれを実行するつもりだった。笑いながら肩を竦める彼を睨んでから起き上がってベッドから下りれば、全体的に怠さと違和感はあるがちゃんと立って歩ける事にほっとする。

「お前……単に抱き上げたかっただけか?」
「まぁな、その方が楽しい」
「俺は楽しくない」
「あぁ、お前が嫌がるのが楽しいんだ」

 それには無言で足を蹴る。……この男はその程度では痛がりもしないが。自分も本気で蹴った訳でもないから悔しくもないが、それでも多少ひりひりはするだろう。彼の場合飛んでもない大怪我だと剣の力であっという間に治るらしいから、ムカつく時はこういうハンパな『大した事がない』程度の痛みを与える事にしている。

 セイネリアは笑いながら先にいって、瓶に汲んであった水を湯船に入れ出した。ここでは彼が主で自分がその部下な訳だが、こういう作業はセイネリアにしてもらうだけな辺りは微妙な気持ちになる。……が、それでヘタに謝ったりはしない。言った日には礼をしなくてはならない状況に追い込まれるから、この程度は当然だという顔をしてやる。……実際、こうして水浴びするハメになったのは彼の所為だし、彼本人は楽しそうだし。

「シーグル、いいぞ入って」

 言われたから水に足を入れればすぐに彼も入ってくる。水の中で座れば彼に抱き寄せられるのもいつもの事だ。火照った体に水の冷たさは心地よく、シーグルはほうっと息を吐く。こういう時にへたにちょっかいを出すと怒る事を分かっているから、セイネリアも悪戯をせずにただこちらの体に水を掛けたり軽く腕や足を撫でたりするくらいだ。その最中に頬や項にキスをするくらいは許してやる。

「シーグル……明日だがな、俺はちょっと出かけてくる、お前は付き合わなくていい」

 暫く二人で水浴びをしていたら、唐突にセイネリアがそう声を掛けてきてシーグルは思わず振り向いた。

「いいのか? どこへ行くんだ?」
「摂政殿下が街の外周にある水路を視察するそうだ、それに護衛がてらついて行く」

 ロージェンティや護衛官達とすぐ傍で長く過ごさなくてはならない場合は付いてこなくていい、というのはいつもの事だからいいとして急な予定ではある。

「随分急だな」
「あぁ、だからいろいろ事前準備をする暇がなくて、なら俺がついていけばいいという話になったという訳だ」
「成程」

 護衛の兵やら周囲への警戒やら、警備体制を急いで整えるくらいならセイネリアが付いていけばいい、という話の流れは理解できる。なにせへたな軍隊を連れて歩くよりセイネリア一人いれば事足りるからだ。

「なら俺は明日はキールの手伝いをするかな。ラストとレストが最近ずっと手伝っているようだからきっと忙しいんだろう」
「そうだな……まぁ、俺が来るまではそれでいい」

 後ろからセイネリアが抱き着いて耳元にキスしてくる。

「そんな遅くはならないから……帰ったらすぐ部屋に来い」
「分かった」

 こうして暫く離れる仕事がある場合にこう言ってくるのはいつもの事だから、シーグルは笑って了承を返す。本当に、少しでも彼はシーグルと離れているのが嫌なようだ。そういうところがシーグルからすれば『でっかい子供』に見えてしまう所以である。

「いつも言ってるだろ、俺はお前と生きてやると」
「あぁ……愛してるシーグル」

 今度は唇へのキスでそれは少々約束違反ではあるが……今日は許してやるかとシーグルは笑ってそれを受け入れた。




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 とりあえず最初はいつものいちゃいちゃぶりをお楽しみ下さい。
 



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