希望と陰謀は災いの元




  【3】



 城の中庭を囲むようにある回廊は、昼食後のこの時間は人が少ない。新政府が軌道に乗って安定した今ではそこまでものものしい警備も必要なくなり、この辺りは見回り警備の兵士がたまに歩いてくる程度で国王シグネットが剣の練習をしている時にだけはちょっとだけ配置兵が追加される程度だ。使用人達は基本昼休みで、宮廷貴族や役人達ものんびり昼食後の休憩かお茶会をしている時間だからわざわざ外に出てくる者は殆どいない。
 だからこそ、のんびり日光浴を兼ねながら仲間内のくだけた話が出来るのだが。

「――って話でな」

 グスが言えば、長い付き合い過ぎて今では悪友という言葉がぴったりはまる不良親父の同僚は思い切り顔を顰める。

「なんだ、まだてめぇはあの人が生きている可能性を諦めきれてなかったのか」
「……いや、諦めてンだがよ、でもちょっとでももしかしてって理由を見つけちまうとこう……期待しそうになるんだよ、やっぱりな」

 我ながら馬鹿だと思うが、グスは正直、まだシーグルが死んだ事を信じ切れていない……いや、正確には信じたくないだけだというのは分かっているが。なにせ自分の目で確実に彼の死を確認した訳でもない上に、『もし死んでいなかったとしたら』と考えれば推測の話がいくらでも考え付けるという状況ではその『もし』という思いを捨てきるのは難しすぎた。それにやっぱり……あんな人が公開処刑なんて死に方をしていいはずがないという思いもある。

「そりゃま確かによ、いくら自分が一番信用してる部下だっていっても、そうちょくちょく国王様を抱かせるなんてぇのは不自然だとは思うがよ」
「だろ、だからさ、もしかして……なんて考えたくなるだろーが」

 誰もシーグルの遺体を直接確認したものはいない。しかもあのセイネリア・クロッセスがむざむざ自分の愛する人間を死なせる筈はないと考えれば、内乱後からセイネリアの側近になったシーグルの剣技を使うシーグルと体格が同じ顔を隠した人物……なんて疑うなという方が無理だ。それで少しでも疑えるだけの理由が見つかったならその度に期待してしまいたくなる。例え、その期待が裏切られた後に反動で落ち込むのが分かっていても。

「そりゃな、あのレイリースってのがあの人だと考えたら……背格好、剣の腕、あの男の傍、なにより素顔を隠してる……とまぁ全部納得出来ちまうのは確かだけどよ。一応それら全部にちゃんとした理由もあるからな……」

 こちらの考えを見透かされたようなテスタの発言には、さすがにむかついて声が荒くなる。

「あぁ分かってる、分かってるから期待しすぎないようにしてンだが……ま、正直彼を見てるとやっぱあの人と重なって困る。立ってるだけで似すぎてるだろ」
「……そうだったらいいのに……ってぇ願望を込めて見ちまうと、余計そう見えちまうモンだぜ」
「そうだな、それも分かってるんだがよ」

 だからため息をつくしかない。実を言えば彼の事を疑ってもグスはそれを確かめたいとは思っていなかった。どうしても希望を持ちたいと願う心は、その希望が完全に打ち砕かれるくらいなら今の淡い希望を抱いたままの方がマシだという思いもあるからだ。

「だからまぁ、だったらいいな、と思ってるだけだ。それだけでいいのさ」
「まぁな、確かに……だったらいいのになって思いたいのにゃ同意しとく」

 それで終わって、いつも通りなら古参騎士二人の裏での愚痴で終わるだけの話だった。けれどその話を、丁度中庭を横断していった一人の貴族付きの従者が聞いてしまった事で話は少々ややこしい事になってしまった。






 その知らせが届いたのは、その日の夜、フユが将軍府に報告に帰ってきての事だった。

「ソーテデス卿か、少し面倒といえば面倒ではあるか」
「どうしまスかね、もし疑われていてもヘタに何かしなくてもいい……とは言われてたんでまだ何もしてませんスけど」
「奴が調べた程度で何か分かるとは思えんが、一応動きは見ておけ。あと貴族連中で派手に騒ぎそうな連中も目をつけておけ。人手が欲しいならカリンにいって何人か借りていけばいい」
「了解っス」

 それでフユはさっさと部屋から姿を消す。シーグルが帰ってきた翌日は『お邪魔しちゃ悪いスから、さっさと退散しときますかね』などとも言っていたが、流石にしつこく何度も言ってくる事はない。
 そんな事を思い出しただけでもシーグルの顔が浮かんで顔がにやけてしまうのだから重症だ、と思いつつもセイネリアは椅子に深く背を預けた。

 シーグルの元部下の護衛官の会話を聞いたソーテデス卿の従者が主に報告した事で、丁度今夜あったパーティの席でその話が他の貴族達にも広がり、レイリースが実はシーグルではないかという疑惑が再び浮上したらしい。今までもその手の噂話は何度か流れたが、まさかセイネリアに向かってそれを言及してくるなんて度胸のある人間はいないから放置しておけばいずれは沈静化するのが常だった。リーズガンが動いていた時には一時貴族達の間で声高に語られて少し面倒な事になったが、それも『シルバスピナ卿の亡霊騒ぎ』があった後は自然と落ち着いていった。

 ただ今回は少しばかりレイリースが目立ち過ぎたという問題がある。

 騎士でもないのに競技会で優勝してしまったことで、実は騎士達からもレイリースの正体について疑う声が上がっていた。というのも剣はともかく馬上槍となれば、平民出の騎士でもない者が訓練を受けているというのは普通に考えればおかしい。一応セイネリアのもとでその訓練も受けたのだろうと言われているが、チュリアン卿を負かす程の技能となれば一朝一夕の訓練でどうにかなるものではないのは確かで、ならばあれはやはりシルバスピナ卿ではないかという話になる。特にあの競技会に参加した腕自慢達にしてみれば、平民出の騎士でもない者に負けるのは悔しいが中身がシルバスピナ卿であったというなら自分のプライドは保たれる、という理由もあって声高に言い出す連中も出ていた。

「片方だけだったら、放っておいても良かったんだがな」

 セイネリアは考える。宮廷貴族達と騎士や兵士連中、両方で疑惑の声が上がれば相乗効果で一般まで広く波及する可能性は高い。なにせ一番の問題は、シーグルが処刑されたという事を信じたくない者が多いのだ、生きている事を信じたいものが多いから放っておくと今回ばかりはまずいかとセイネリアも思う。

 とはいえセイネリアは別に焦っている訳ではない。レイリース・リッパーのその正体がシーグルではないかと疑われるのは最初から想定していた事であるし、その為の手はいろいろ既に打ってある。そして最後の手段もまだ残っているから、その使いどころを考えねばならないくらいだ。
 出来ればあまり使いたくない手ではあるから使わずに済むのならいいのだが……それでも、今回は使わざる得ないかという思いもある。

「まったく……あいつは人に好かれ過ぎる」

 ただ別に緊迫感はないから、ふとそんな事を考えて困ったものだと思いつつ我知らず笑っている。それには呆れるしかない。

 今の宮廷貴族や役人連中の内、特に『使える』者――それぞれの部署において中心となって精力的に仕事をしている者程、故シルバスピナ卿であるシーグルの為に集まった者が多い。政治的計算の判断によってこちらへついた者達は数が多いが、そちらは役立たずの確立もそれなりに高かった。騎士、兵士連中になれば圧倒的に前者が多く、まったくどれだけシーグルは有能で信用がある者ばかりに好かれていたのかと呆れたくなる。
 腐った貴族社会と騎士団において、奇跡のように現れた有能で公正な存在――しかもそれがとびきりの容姿と上にいけるだけの血筋を持っているとなれば、その腐り切った環境を忌々しく思っていた者達は皆彼に期待していたのだろう。
 そうして、実際シーグルと関わった者達なら特に……あの性格は助けたくなってしまうだろうなとセイネリアは考え、そこでまた笑ってしまう。このひねくれ切って冷血漢と呼ばれた自分がここまで彼に惹かれてしまうのだから、善良な人間が惹かれない訳がない。

 そんな事を考えていて、やはりまた顔が緩んでしまうのだから自分は相当に今、この幸福感というものに酔っているとセイネリアは思う。一時的に彼を抱いて幸福を感じた事はあっても、ここまで不安を残す事なく満たされた状態でいるというのは初めてだから――正直、自分の感情を制御し切れてない。

 そこでフユと入れ替わるように入ってきたカリンに気付き、セイネリアはまた苦笑する。どうやら彼女は自分が彼を思い出しながら笑っていたのを見てしまったらしい。この時間はもう将軍府に外部の人間がくることはないしこの階以上には顔を見られて困る人間がいないから素顔でいたが、現状では失敗だったかもしれない。くすくすと楽しそうに笑うその顔にはそれが表れていて、今更彼女に取り繕う気はないものの、セイネリアとしては少しだけ気まずくはあった。

「面倒な件の話でしたのに、随分と楽しそうで……本当に良かったです」

 勿論彼女はセイネリアが笑ってしまう理由も先ほどのフユのもってきた話も分かっているだろう。セイネリアは誤魔化す事もなく肩を竦めてみせた。

「だめだな、今の俺は相当ポンコツだぞ。何をしていても笑ってしまって困る」
「それでも、やるべきことを忘れる事はないのですから、別に構わないのではないですか?」
「そうでもない、お前達がいないと浮かれすぎてどこでポカをしでかすか分からん」

 言えばカリンは少し驚いたように目を開いて、それから先ほどよりも楽しそうに笑った。

「確かに浮かれてらっしゃるのですね」

 自分でも『らしくない』事を言った自覚があるから、セイネリアも彼女に合わせて笑う。

「あぁ、ちなみにあいつの場合は今のセリフに近い事を、さらりと意識せず部下に言うんだ。しかも最後に笑顔で『いつもありがとう、助かっている』と感謝の言葉までつける」
「あの方からそれでは、確かに部下になった者は命を懸けて守りたくもなりますね」
「そういう事だ。だからあいつが死んでいることを信じたくない、生きている可能性を信じたがる……それがあいつを苦しめる」

 それにはカリンは笑みを消して、僅かに眉を寄せた。

「愛される人間というのは人に幸福と希望を与える。だから人はそれにいつまでも縋りたがる。その人間の枷になっている事を知らずにな」
「ボス……」

 自分の声に合わせて表情を沈ませてしまったカリンを見て、セイネリアはまた苦笑して見せた。

「だがあいつの強さはその枷があるからこそだ。それがあいつの強さの一部であると思えば、奴らにも俺は情を感じる。不思議なことにな」

 カリンがそれでまた安堵の笑みを浮かべたのを見て、セイネリアもゆったりと口元に薄い笑みを引く。我ながら満たされたという顔をしているのだろうと思いながら、軽く目を閉じて深く息を吐く。

「それで、あいつはどうしてる?」

 けれどそう聞いたところで、カリンの気配が変わったのを感じてセイネリアは目を開いた。いつでも自分の傍にいた最初の部下である彼女は眉を寄せて、それでちょっと焦ったような苦笑いをして言った。

「実はそのことなのですが……いい加減、ボスに知らせておこうかと」

 そこから続いた彼女の話を聞いた途端、セイネリアは無言で立ち上がって部屋から出た。



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 まぁセイネリアさんは怒ってますが、いつもの理由みたいなもんです。
 



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