希望と陰謀は災いの元




  【14】



 日々は驚く程平穏に過ぎる。シルバスピナを背負っていた時の自分の立場からは考えられないくらいに気負うモノもなく、『あれもしなければ、これもしなければ』と日々考えて処理しきれない自分の不甲斐なさに落ち込むということもない、自分の役目を果たしてこの国と平和に過ごす家族たちを見守って過ごすだけの日々は過ぎていく。仕事自体はいろいろあって忙しくない訳ではないのにこんなに焦る事がないのは、やはりたくさんの義務を捨てて来たからだろうかとシーグルは思う。

 けれど一番大きいのはやはり自分が全面的に寄りかかってもいい人物が傍にいて、彼を愛して、愛されて二人で生きていくとそれにしっかり心が定まった所為だろうか。セイネリアは暇さえあればべたべたしてきて呆れるものの大事な話はちゃんとしてきて、いつでも二人で言いたい事を言いあってどうするかを決めるようになった。言い合いになる事も度々あって喧嘩と言える状況は前よりも増えた筈なのに、前のように精神が追い詰められるような事にならないのはそれが互いに隠さずぶつかりあった結果だからだろう。

 相変わらずシーグルは暇さえあれば剣を振りに行っているし、その度にセイネリアに文句を言われるし、喧嘩になってエルやカリンやフユになだめられる事は度々あった。
 やっている事は変わらないのに気持ちがまったく違うのは不思議で、力を抜いて周りを見てみれば自分がいかにがちがちに構えて生きてきたのかが分かる、見えていなかったモノが見えてくる。前も、今も、助けてくれるたくさんの人に支えられて生きている事を実感する。

 だからふと、今の自分を考えた時にシーグルは思うのだ、自分は幸せだと。

 幼い我が子の成長を見て、それを支えてくれる元部下達を見て、笑う家族達を見て、幸せそうな街の人々を見て、そうして自分を抱きしめて幸せだと微笑む男を見て、シーグルはその度に自分は幸せだと感じる。後悔や心残りは胸の奥に確かに存在していても、今こうしてある自分の生に感謝出来る。誰かが考えた神だと分かっていても、胸にある神の印に今こうして在る事を感謝して祈る事が出来る。

「何を考えていた?」

 ふとそう声を掛けられて、シーグルは仮面の中で少しだけ不機嫌そうにしている隣の男の顔を見た。

「別に、こうしてリシェに馬車で向かうのはなんというか不思議な気分だな、と」

 セイネリアは狭い馬車の中でふんぞり返ると、向かいの座席に足を乗せた。

「仕方ないだろ、俺もリシェくらいなら馬に直接乗っていった方が気楽だが、いろいろ面倒があって馬車の方がいいという事になったからな」
「面倒で悪かったね、別に一人で街間馬車に乗っても良かったんだけどね」

 そこですかさず文句を言って来た自分の向かいに座る男にシーグルは苦笑する。今日はリシェへ港防衛の視察に行くのだが、『なら僕も付いて行こうかな』と将軍府の医者であるサーフェスが言い出した事がきっかけで馬車にするという話に流れて行ったといういきさつがある。何せ彼は魔法使いと言ってもギルドの転送ポイントを使う事が出来ず、かといって一人で馬に乗るのは厳しいから移動は歩きか街間馬車が普通となる。今はアリエラが留守にしているから彼女に転送を頼む訳にもいかない。かといって他の魔法使いに頼むのは嫌だという事で、こちらの移動ついでについてこようと思ったらしい。
 ただだからと言って彼の所為、と言い切れるものではない。
 結局決定の決め手となったのはリシェからの要請で、こちらも準備があるからゆっくり来てくれというのと、将軍がその姿を見せて街道を行ったら他の通行人が怖がって普通にすれ違えないから、と言う事だそうだ。
 だから拗ねる傭兵団時代からの医者の魔法使いに、シーグルは笑って言う。

「ドクターの所為じゃないさ、将軍閣下が馬を飛ばしてすぐにやって来たら困るから、というのが一番大きい訳だし」

 言えばうんざりしたように不機嫌そうなセイネリアの声が入る。

「これだから『地位』なんてモノがあると面倒なんだ。効率が悪い」

 シーグルは隣でふんぞり返っている黒い男に笑ってやる。

「おしのびの訪問じゃないなら仕方ないだろ」
「そうか、おしのびで来ればよかったのか」
「今回はだめだろ、なにせお前が来た、というのを知らせるのが重要なんだ」

 リシェの港防衛の視察とは言っても、実はそれ自体が目的というより、セイネリアが来て見て行った――つまり、将軍府とリシェの守備隊はちゃんと連携が取れるように結びついている、と対外的に知らせる事の方が目的だったのだ。

「分かってるさ、まったく面倒だ」

 その話はそこで一応終わりになったものの、セイネリアの機嫌は以後もあまり良くならなかった。その理由はシーグルも分かっていて……早い話、他人がいるから馬車の中でシーグルを堂々と構えないのが不満なのだ。
 まったくこの男は、と思いつつ、慣れた風景を馬車の窓から眺めて、シーグルは近づいてくる懐かしい街の姿と海の煌めきに目を細めた。







 リシェについて、ラーク……つまり領主からの歓迎を受けて、シルバスピナの警備兵が揃う中セイネリアが話すのを後ろに控えたまま見ていたシーグルはいろいろ複雑な気分だった。
 彼らが揃っていればどうしても知っている顔を探してしまって、見つけて元気そうな事にほっとしたり、見当たらない人物に気づけばどうしたのだろうと心配になるのは仕方ない。反乱の時にリシェでは大規模な戦闘は起こらなかったとは聞いてはいるが、細かい衝突は時折あったようだからまさかその時の犠牲に……なんて事まで考えてしまう。勿論聞ける筈などないからもやもやした気分のままでいるしかないが、なんだかそうしているだけで正直シーグルは結構疲れた。
 それでも視察が終わってリシェの屋敷へいく事になれば少しだけ気分が弾む。主がラークになっていろいろ変わったらしい屋敷の様子を見るのは単純に楽しみで、特にヴィド夫人が作らせたという別館の庭や、ラークが作った噂の温室など、どこにどう作ったのだろうと考えるだけで楽しくなる。
 そんなシーグルの様子を感じとったのか、いつの間にかセイネリアの機嫌もよくなっていてシーグルとしても安堵する。……もっともそれは、ドクターが先に屋敷に行ってしまった所為もあるかもしれないが。

 屋敷につくと、まずは別館の庭にお茶の用意がしてあるという事で、将軍一行はそちらに行く事になった。そこにはまずヴィド夫人サディーアが待っていて、彼女はセイネリアを見ると深く、長く、お辞儀をした。

「お待ちしていました、将軍様」

 彼女が言えば、後ろに控えている数人の者達――使用人だろうか――も頭を下げる。

「あぁ、歓迎に礼を言う。ここでの生活は慣れたか?」
「はい、おかげ様で。全ては閣下がここに来る事を勧めてくださったからですわ、本当に……本当にありがとうございます」

 彼女がここに来たのがセイネリアの勧めだったというのは初耳だが、それよりも涙を浮かべてまで深く頭を下げる彼女の姿にシーグルは驚く。ヴィド夫人サディーアといえば元王族であり、プライドの高い人物だという事をシーグルは知っている。それが平民出のセイネリアにここまで深く頭を下げるという事は、彼女がそれほどにセイネリアに感謝しているということだろう。

「別に礼などいらんぞ、俺としては都合がいいからここに来てもらっただけだ。それに国王陛下から既に『おばあさまを連れてきてくれてありがとう』と感謝の言葉を賜っている」
「まぁ……」

 途端、ぱぁっと嬉しそうにほころぶ夫人の顔に、シーグルも胸が熱くなる。シグネットが祖母である夫人に可愛がられているのが分かればそれだけでシーグルも嬉しかった。

 会って最初の話がそれだった所為か、お茶会が始まってもセイネリアと夫人の会話はシグネットの事ばかりで、シーグルは聞いているだけの役だったがそれはとても嬉しい時間だった。そんな会話内容だった所為か、セイネリアはシグネットか団の幹部やシーグル以外には滅多に見せない柔らかい笑みをずっと浮かべていて、お茶会全体の雰囲気は終始和やかに進んだ。
 途中夫人から紹介があったが、彼女の後ろに控えていたのは彼女がヴィド家の屋敷から連れて来た庭師達だという事で、彼らは庭に植えられている木々の解説をしてくれた。
 質実剛健が基本のシルバスピナ家では立派な庭はあるもののそこまで凝った整備はしていなかった為それは新鮮で、シーグルとしてはかつての記憶と変わった庭を見て驚いたり感動したりとそれもまた楽しかった。

「ね、ここからの角度が一番綺麗に見えるでしょ。奥行っていうかさ、実際以上に広く見えるんだよね」

 領主であるラークも知っている人間しかいないから口調は砕けていて、そして話の内容が植物の事であるから夫人や庭師達とも楽し気に話していた。
 彼がここでの領主としての生活に重圧を感じているのではなく、こうして楽しんでもいるというのを分かるのはシーグルとしてはやはり嬉しい。自分の役目を彼に押し付けてしまったという気持ちが燻っている分、いっそ自分より上手くやっているようなラークに感心して安堵する。良かった、と生き生きと話す弟の顔を見て素直に思える。

 そうして、お茶会の後一通り別館周りの夫人の庭を見て回ると、夫人とは別れを告げて次はラーク自ら自慢の温室を案内してくれる事になった……だがそこで、少しばかり自体が予想外の方向に向かう事になる。



 ラークの温室は、門から見ると庭内では丁度本館の裏にある。シーグルとしては初めて見た時はその大きさに驚き、入った後は数えきれない種類の見たこともない植物達に圧倒される事になった、のだが。
 残念なことに、そうして感動に浸っていられたのはほんの僅かな間だった。

「おっそいなぁ」
「えぇ、待ちましたねぇ〜」
「あぁ、正直待ちくたびれた」

 温室に入って間もなく、出迎えてくれた三人の魔法使いの声に、正直なところシーグルは驚いた、というか引いた。
 いや、ドクターはリシェに来た目的がここであるからいるのは当然なのだが、何故クノームやキールまでいるのだろう。いつもの事だがセイネリアを見れば別段驚いた様子もなく、だからシーグルはもしかしてセイネリアは最初から彼らとここで待ち合わせの約束をしていたのかと思ったのだが。

「貴様らここに居てなんの用事だ」

 と彼が開口一番言い出したから眉を寄せる。
 そうすれば想定外の一人――金髪に仮面をつけた派手な外見の魔法使いが前に出てきて言ってきた。

「まず最初に言っておくとだ、あんた達が入ってきた段階で温室の周りにちょっとした結界を張らせてもらった。これでここでの会話は外へ聞こえないし、外から誰も入ってくる事は出来ない」

 言われればついてきた警備兵や庭師達はラークの指示で外で待ってもらう事になっていて、シーグルとセイネリアだけが彼に連れられて中に入ってきていた。つまり弟はクノーム達がいるのを分かっていてそうしたのだろう。

「話があるという事か?」

 セイネリアが不機嫌そうに聞けば、仮面の魔法使いはにっと笑う。

「そーいうことだ、俺があんたに、そしてそっちの坊やは弟君が話があるそうだ」

――ラークが俺に?

 思わず驚いて彼を見れば、彼はちょっと不貞腐れたような怒ってるような顔をしてこちらを睨んできた。

「そーだよ、俺があんたにちょっと聞きたい事っていうか話があるんだよっ」

 シーグルが驚いてその場で固まっていると、やっぱり機嫌が悪そうなラークがその腕を掴んで引っ張っる。

「いいなら来てよ、こっちとしては真剣な話なんだからっ」

 だがシーグルは驚いたままちょっと呆然としていたので、うっかり姿勢を正したままであったため非力な魔法使いのラークがひっぱったくらいでは動かなかった。

「ちょっとぉっ、嫌ならいいけどそう言ってくれない?」
「……あ、あぁ、いや問題ない、話して欲しい」

 だからヒステリックに近い彼の声で正気に返ったシーグルは、急いで体から力を抜いて彼に引っ張られてやった。ちらりとセイネリアの方を見れば彼は不機嫌そうながらも黙ったままで、その横では金髪の魔法使いがひらひらと手を振っていた。



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 次はまずラークとシーグルのお話。
 



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