希望と陰謀は災いの元




  【1】



 今年も無事、聖夜祭は終了した。
 聖夜当日の後の二日、いわゆる静なる祭の間、将軍が一切祭に姿を出さない事を不審に思う者はいたが、正直彼がいない方がほっとする貴族は多いためそれに不満や陰口を言う者はいなかった。そもそもセイネリアは既に、基本すべての国の行事は自分がいなくてもいいようにしてある、不便がないのだから問題が出る筈はないという事で遠慮なくサボった訳だった。

「お前にいい知らせがあるぞ」
「……いい知らせ?」

 不機嫌な声がベッドから返ってきて、セイネリアは思わず笑う。いや、笑ったというより顔が緩んでしまったと言った方がいいかもしれない。焦がれた相手がいるというのが実感できるだけで、自分でもあり得ないというくらい顔の筋肉が緩んで我知らず笑ってしまうのだ。この顔のまま人前に出たら周りが気味悪がるのは確実だろうというくらいの自覚はあった。

「競技会の優勝者であるレイリース・リッパーに騎士の称号を与えようという話が上がっているらしい」

 そこまで聞いて、ベッドの上でぐったりとしていたシーグルが顔を上げた。

「……どういう事だ? 俺はレイリースとしては騎士試験を受けていない」

 やはり声は不機嫌で、更にいえば掠れてガラガラで、だからセイネリアは彼の為に水を持ってきてやることにした。

「去年から出来た制度だ。試験外でも、相応しい実績がある者なら騎士の資格を与えようというのはな」

 最近は立場上、前にもまして身の回りの雑用は人にさせていたセイネリアだったが、彼の為ならどんな細かい事でも自分がやってやりたくなるのだから我ながら呆れる。あまりやり過ぎるとシーグル自身が『どちらが主だ』と文句を言い出すからほどほどにしなくてはならないだろうが、現状に限っては彼も『こちらに世話をさせて当然』くらいには思っているだろう。

「つまり、騎士という称号を褒美の一つとして使うのか」

 シーグルの声は更に不機嫌になる。ただ不機嫌の理由の半分は会話内容に対してだが、もう半分は確実に自分の所為だというのをセイネリアは分かっていた。

「そういう事だ、そうすれば下っ端ががんばるだろ?」
「……そうだな……資格の授与を私物化したり乱発しないなら、な」
「そこは大丈夫だろ、貴族院で8割の賛成票が必要で、王の承認もいる。……まぁ少し条件が厳しすぎた所為で未だにそれで騎士になったものはいない。お前が第一号だ」
「第一号……」

 どうにも目立つ事が嫌いな彼は、それにはあまり嬉しくなさそうな顔をする。つい三日前にあれだけ派手な帰還を果たした彼の姿を思い出せば揶揄いたくなるが、そこは必要があったから割り切った、というのはセイネリアも理解していた。
 セイネリアはもってきた水の入ったグラスを、ベッドでこちらを睨みつけているシーグルに渡した。彼は黙って受け取る。

「実力、所有装備、地位、実績、どれをとってもお前じゃ文句を付ける奴はいないだろ。お前でも議会を通らなかったらこの先誰も選ばれる事はないあるだけの制度になる、後の連中の為にもおとなしく騎士になっておけ。それにそもそも、お前が騎士にならないと競技会で負けた騎士連中の立場がなくなる、彼らの為でもある」
「そうだな……」

 グラスの中身を見て呟いてから、彼は一気に水を飲みほした。
 シーグルを動かす場合、彼自身の損得で考えるより、他人の状況を使った方がいい。彼が競技会で戦ったチュリアン卿や部下の名誉を考えれば彼もここで断る事は出来ない筈だった。

「ともかく、その覚悟はしておけ。……さて、そろそろ朝メシを持ってこさせるか」

 そう言えばベッドの上で彼がむくりと起き上がった。ただ、起き上がったものの彼は上掛けに体をくるんだままで、それからセイネリアを睨むと言ってくる。

「セイネリア、いい加減服をくれ」
「もう一日くらいいいだろ」

 返せば、ただでさえ最大限に不機嫌な声がそこで一気に怒りの声に変わる。

「ふざけるなっ、一日だけならまだしも、静の祭りの二日間ずっと、俺は裸のままここから出して貰えていないんだぞ」
「一週間分は付き合えといったじゃないか」
「断るっ、一週間体を動かせなかったらどれだけなまると思ってるんだ、限界だ、いい加減俺に服を着させろ、外に出せっ」

 さすがにここが限界か、と笑って彼の抗議を聞いていたセイネリアは、そこでやっとカリンに朝食と、ついでにシーグルと自分の服の準備をするよう伝えた。
 三年もこちらを放置したという負い目がある所為か、今回はかなり我慢をしてこちらにつきあったシーグルだったが、これ以上付き合わせたら当分恨み言を言われる事になるのは確実だ。それはそれで楽しいが、適度に引いていれば暫くは彼も多少の我儘に付き合ってくれるだろうという計算もある。……とはいえ結局どんな状況でも、彼が傍にいる事が決まっているだけでセイネリアは今後の事を考えると楽しくて仕方がないのだが。
 そこで彼にお代わりの水を渡せば、彼はそれを半分程飲んだ後でこちらを嫌そうに見て言った。

「とういうかお前は裸で部屋を歩き回るな。……その、状態で……堂々とこちらに見せるな」

 彼の視線がちらとセイネリアの下肢を見たから、セイネリアは更に笑ってベッドの上に座り込む彼の上にかぶさるように抱き着いていった。

「お前が目の前にいるなら仕方ない、なんならカリンがくるまでに一回付き合え」
「いい加減にしろっ」

 流石にその後は本気で抵抗をされたので、セイネリアはキスだけで我慢する事になったのだが――そのキスがなかなか終わらなくてカリンがくるまで続いた事は言うまでもない。







 昨日で聖夜祭が終わったとあって、馬車に乗って街へ出れば町中は祭の後片付けをしている人々の姿が目立つ。当然騎士団の連中も駆り出されてあちこちで姿を見かけたから、シーグルとしてはその風景を懐かしく、そして少しだけ寂しく見つめる事になった。

「朝の謁見というにはもう昼近いが、いいのか?」
「問題ない、遅くなることは告げてあるしな。それに今は毎日謁見に行ってもいない」
「そうか」

 セイネリアは前々から、新政府の安定と共にだんだんと自分は影響力を失くして名前だけの存在となる、と言っていた。それは当然、国にとってその方がいいだろうというのもあるが、地位を放棄して旅に出るのにも都合がいいから、と言われれば呆れるしかない。まったく彼は自分の望みを叶えるついでに、それを別の方面でも有用な事にしてしまうのだから感心する。

「きっとシグネットはお前に会えるのを楽しみにしているぞ。競技会でお前が勝った時のはしゃぎぶりはお前に見せたいくらいだったしな」
「そうか……」

 競技会後、月の勇者としてシグネットの近くに行ったものの、触れられる程傍まで行ってじっくり見る、なんて訳にはいかないのは当然で、それでも見違える程大きくなって嬉しそうにキラキラとした瞳でこちらを見てくる我が子の姿には泣きそうになった。だからこそシーグルとしては軋む体を叱咤してどうにか式典を乗り切れたのだが。

「レイリースーー」

 城について中庭へ行けば、剣の練習中だったらしくこちらの姿を見て急いで走ってきたシグネットは、前通りにシーグルに向かって突進してきた。飛びついてきた時に少し勢いでよろけそうになったところで、シーグルはシグネットが大きく、強くなった事を更に実感する事になった。

「レイリースすごかった、強かった、かっこよかった、しょーぐんとのたたかいは何やってるのかわかんなかったけどすごかった」

 興奮した声で一気にまくしたてる我が子に苦笑して、シーグルはその場で膝をつくと小さな国王に頭を下げた。

「帰還の報告が遅れて申し訳ありません、陛下。今日からまた、将軍閣下の部下として復帰する事になりました」

 すると少年王は一瞬だけキョトンとした顔をしたものの、すぐに満面の笑みを浮かべてちょっと胸を張った。

「うん、くるしゅーないぞっ」

 そうすればぷっと吹き出したのはセイネリアで、シグネットの後ろにやってきていたメルセンとアルヴァンは微妙な顔をする。

「誰のマネだシグネット」
「バーンレースゥきょう〜」
「成程あのジジイか」

 言ってセイネリアがシグネットを抱き上げれば、シグネットははしゃいでセイネリアの腕に座る。

「マネするならもうちょっときびきびしてる奴にしとけ」
「んー、でもしょーぐんはマネしちゃいけなんでしょ?」
「俺はだめだ、大問題になる」
「しょーぐんがお手本見せてくれればいいのにー。いげんがありそーってあとしょーぐんしか知らない、おれ」
「ならお前の母上にしておけ、この国で言葉遣いまで含めた威厳ならあれが最高だ」
「ははうえはー……マネしたらおこらない?」
「顔では怒っても嫌な気はしないぞ、きっと」
「そーなの?」

 セイネリアは笑っている。足をパタパタ揺らしてセイネリアを見上げるシグネットとはまるで親子のようで、シーグルは自分がいない間どれだけ彼がシグネットを可愛がっていたのかが分かって胸が熱くなる。
 けれどそんな彼らに見惚れていれば、ゆっくりと近づいてきたフェゼントが目に入って、シーグルは急いで昔より顔の輪郭が少し角ばって男性らしく見えるようになった兄に頭を下げた。

「授業の邪魔をして申し訳ありません」

 彼が今、シグネットに剣の稽古をつけてやっていることは既に聞いている。そして実のところ、今が彼の授業時間だと分かっていてシーグル達はここに顔を出したのだ。だから、悪気がないといっても意図して彼の授業を中断させてしまった事は謝るしかない。

「大丈夫ですよ、貴方が将軍と来るって聞いていたせいで、どちらにしろ陛下はずっと心ここにあらずといった状態でしたから」

 それには我が子ながら笑ってしまうが、この歳の子供のこのはしゃぎぶりを見てしまえばそうだろうなとは思ってしまう。

「ですが貴方が稽古をつけて下さるというなら、授業の中断ではなく特別授業という事になるのですけど」

 それをにこりと笑顔で言われて、シーグルは驚く。思わずセイネリアの顔を見てしまえば、彼は面白そうに笑っていた。

「いいじゃないか、相手をしてやればいい」
「おれー、おれがレイリースにけん教えてもらうっ」

 即座にセイネリアの腕の中で手を上げたシグネットだが、それは許されなかった。

「陛下はまだ基礎練習中ですからだめです。相手をしてやってほしいのはこちらのメルセンです。そろそろ彼は私では相手をしきれなくなってきていましたから、貴方が稽古をつけてやってくださいませんか?」

 フェゼントに背中を押されてシーグル以上に驚いているらしいメルセンは、ぴんと背筋を張った直立不動状態の思い切り緊張した面持ちで見上げてくると、急にすごい勢いで頭を下げた。

「あの……よ、よろしくお願いいたしますっ、月の勇者である貴方に相手をして頂けるのなら、光栄っ、です」

 その緊張ぶりには兜の下で笑ってしまうものの、セイネリアからも真面目で筋は悪くないと言われている少年の腕にはシーグルも興味があった。



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 今回は、どれだけ浮かれてるんだセイネリアとご愁傷様なシーグルでお送りします。
 



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