だから、待っていて
この話は26話でシーグルが一度死なずに帰った場合の別ENDです。バッドENDの一つのつもりでしたが割とラストは明るいです。




  【3】



「陛下っ、へーいかぁっ」

 メルセンの声を遠くに聞いて、シグネットはこそっと物陰から物陰へと移動する。何度かこうして『探検』した所為で将軍府内の構造も大分頭に入ってきていた。少なくともメルセンに見つかる事はない。

 将軍セイネリアは、ある日を境に特別な何かがない限りは城にまったくやってこなくなった。ずっと将軍府に篭り切りで……だからたまにシグネットの方が彼に会いに行くようになった。将軍はシグネットが来るのを拒む事はなかったし、会えばいつも通り甘やかしてくれたけれど、でも、前に比べてずっと口数が少なくなって、元気がない事が分かっていた。どこかずっと悲しそうにしている事が分かっていた。
 その原因も、シグネットには分かっていた。
 セイネリアが完全に城に来なくなった時から、シグネットは一度も彼の側近であった青年を見ていない。将軍府に来て、彼の執務室に通されても、将軍の席に一番近い席は空のままで、前はずっと傍にいたあの青年の姿がない。何かの式典で将軍が珍しく姿を現した時でも、その傍に立っているのはあのいつでも鎧姿だったあの青年ではなかった。

 レイリースはどうしたの?

 それは聞いてはいけない気がしたから、シグネットはどうしても聞けなかった。将軍もその周りの人も、誰もレイリースがどうしたのかを言う事はなかった。

 そんな時、シグネットは不思議な事に気がついた。
 最初は偶然、予定よりも早く将軍府についた時、将軍が執務室にいなくて暫く待つ事になった。けれども誰も将軍がどこにいるのかは教えてくれない、将軍本人に聞いても彼は『秘密の場所』と言ってごまかすだけで、そこがどこなのか、どうしていたのかを教えてくれはしなかった。
 だから何度かわざと少し早くついてみれば、やはりそのたびに待たされて、シグネットは理解したのだ、将軍はきっと毎日その時間は秘密の場所へ行っているのだと。
 彼が将軍府を出てどこかへ出かけていた、とは思い難い。
 だからきっと、この敷地内のどこか。最初は立ち入り禁止の西館ではないかと思っていたけれど、将軍が帰ってくるのはそっちからではなかったからおそらく違うと気がついた。
 そうして……ここへ来るたびに少しづつ抜け出して調べた結果、シグネットには怪しいと目をつけている場所があった。

「将軍は、いつもこっちからくる、と思うけどな」

 城と違って、将軍府は魔法仕掛けの迷路のような作りにはなっていない。基本は見た目通りの道を歩けるけれど、たった一か所、微妙にへんな魔法の匂いを感じる場所があるのだ。
 キョロキョロと辺りを見回して、魔法を感じる壁を手で触る。ぺたぺたと、探るようにそこを触っていれば――急に辺りは一転して、薄暗い場所に出た。

「……って、寒いっ」

 思わずシグネットは体を縮める。今は冬ではないのにここはまるで雪が降った後の街のように寒くて、シグネットは震えあがった。外出用のマントを羽織ったままでいたのがかろうじて幸いで、マントで体を包み込んで恐る恐る歩きだす。多分ここは廊下なのだろう。薄暗いからよくわからないが、遠くに青白い明かりが見えてシグネットはそこを目指す事にした。

「きれい……」

 明かりが近くなって、少しづつ周りが見えてくればわかる。足元には絨毯が敷いてあるから滑らないが、壁は全て氷で覆われていた。それが青白い光を受けてキラキラと光っている。

「これじゃ寒いよね」

 ほぅ、と白い息を吐き出してシグネットは歩く。明かりが近づいてからはより慎重に、ゆっくり、そろりそろりと歩く。壁沿いに歩こうと壁に手をついたら当然冷たくて、だから壁に近づきすぎないように歩いて――そうしてとうとう、廊下の終点、青白い明かりに包まれた場所に着いた。

「わ……」

 そこは氷で出来た神殿のような場所だった。氷の柱に支えられた高い天井は光を纏ってきらきらと輝いていて、そこへ向かって何本もの氷の剣先が伸びているように壁の上部は真っすぐ縦に削られている。そうして壁の下部は氷の花の彫刻で埋め尽くされていて、まるで氷の花畑があるようだった。

 その広い部屋の中心に、黒いマントに包まれた男はいた。

 彼は床に片膝をついて、じっと下を見つめていた。まったく動かないその姿に、シグネットは将軍までもが凍ってしまったのではないかと思ったくらいで、それでも声を掛けてはいけない気がしてただ見ている事しか出来なかった。
 けれども、どれくらいの時間が経ったのか。黒い男は自分の手の甲にキスしたかと思ったら唐突に立ち上がり、シグネットの方を向いた。

「シグネット、内緒のままにしてくれるならこっちに来ていいぞ」

 彼はしっかりこちらに気づいていたようで、そう言って手を伸ばしてくれた。

「うんっ」

 その顔が珍しく仮面をかぶっていなくて、しかも笑っていたから、シグネットは喜んで彼に向けて走り出した。

「走るな、滑るぞ」

 言われてシグネットは足を止める。前を見れば足元の絨毯は中心に行く前に終わっていて、彼が立っているのは氷の床の上だというのが分かる。シグネットは慎重に歩いて、絨毯の端から思い切って氷の床に下りる。それから手を伸ばしたまま待っている彼の顔を見て近づいて行った。

「将軍、ここが将軍の秘密の場所?」

 抱き付く瞬間、彼はしゃがんで、そのままシグネットを抱き上げてくれた。大きくなった今でも小さい頃と同じく片腕に軽々と乗せてくれて、久しぶりにみた彼の高い身長から見る視点にシグネットは笑った。

「氷の部屋、すごいきれいだね」

 そう言って彼の顔を見れば、彼はこちらの体を彼のマントで包んでくれながら静かに言った。

「シグネット、下を見てみろ」

 だからシグネットは言われた通り下を見る。氷の床はガラスのように透明で曇りがなく、壁の氷の花の彫刻と違って本物の花が敷き詰められたまま閉じ込められていた。そうしてその、中心には――鎧を着た人の姿があった。

「レイリース?」

 シグネットがまずそう言ったのは、その人物の鎧を見たからだった。
 けれど、いつもなら彼の頭を覆っている筈の兜は彼の足元近くにあって、今はその顔が見える。氷の中に溶け込むような銀色の髪と、自分とよく似た……けれどもっとほっそりと整ったその顔には自然と別の言葉が出た。

「父……上?」

 将軍の手がシグネットの頭を撫でてくる。

「そうだ」

 シグネットは顔を上げる。そうしていつでも一番甘やかしてくれた大好きな将軍の顔を見た。

「なんで? だって父上はリシェのお墓にいるって。この恰好はレイリースで、レイリースは……」

 将軍は何も言わなかった。ただ静かに笑って頭を撫でてくれた。それでシグネットもたった一つの真実を理解した。

――あぁ、レイリースが父上だったんだ。

 それが分かったら、彼との出来事が頭の中に浮かんでくる。抱き上げて、大きくなったと喜んでくれた事、いたずら好きのシグネットを優しく諭してくれた事、そうして……森の中、敵に追われながらもずっと抱きしめて守ってくれた事。

 どうしてレイリースが父なのか、何故父がその名を名乗っていたのか、シグネットには分からないし、そんな事はシグネットにとって重要ではなかった。けれど、彼が父だった事、ちゃんといつも守ってくれていた事、それを考えたら嬉しくて、でも今の彼が触れられないところにいるのが悲しくて、ただ手を伸ばした。

「父上……父上……」

 瞳からはぽろぽろと涙が落ちる。
 どうして、父――レイリースは、そこにいるのに自分を抱きしめてくれないのだろう。涙のせいで父の姿がぼやける、呼んでも呼んでも彼は目を開いてくれない。
 将軍の手がただシグネットの頭を撫でる。
 シグネットは顔を上げると金茶の瞳の強い男に尋ねた。

「父上は死んだの?」
「いや、眠っているだけだ」
「じゃ、やっぱり俺のせい? 俺を助けてっ、何かあったの?」

 本当はシグネットはずっと気にしていたのだ。将軍に元気がなくなったのはレイリースがいなくなったから。レイリースはあの事件の後ずっと療養中という事になっていたから……シグネットを助ける為に無茶をしたせいで何かあったのではないかと。
 だから生きていた父がこうして眠っているのは自分のせいだと思ったのだ。

「違う、お前のせいじゃない、本当だ」

 将軍は苦笑して優しく頭を撫でてくれた。

「本当に?」
「本当だ。お前のせいじゃない……俺の、せいだ」

 将軍は辛そうに顔を歪めて、それでもシグネットの髪を撫でながら言ってくる。

「こいつがお前に父だと名乗れなかったのも、こうしてここで眠る事になったのも全部――俺のせいだ。すまない、シグネット」

 将軍はシグネットに嘘はつかない。だから多分、彼の言葉は間違ってはいないのだろうとシグネットは思う。けれどそれがただの意地悪や嫌がらせでない事は分かる。将軍は絶対いつでもシグネットのためを考えてくれているし、彼が大切な『レイリース』を好きで眠らせる筈がない。
 なにより、この状況を、将軍はとても悲しんでいる。

「父上は……いつか起きてくれるの?」

 聞けば、誰もが恐れる黒い将軍は人を威圧するその瞳を泣きそうに細めた。

「あぁ……多分、な」
「どうしたら起きてくれるの?」
「病気でな……治せる方法がみかったら、だ」

 そう言った最強の男の瞳はとても……とても、悲しそうで。シグネットには父の病気が治す事がとても難しい病気なのだというのだけが分かった。

「起きたら、父上って呼んでもいい?」
「あぁ」
「父上は、陛下じゃなくてシグネットって呼んでくれる?」
「あぁ」

 シグネットはまたぼやけてきた瞳を拭って氷の床を見つめる。
 母親がいつも夢見るように言っていた通り、氷の中で眠る人はとても綺麗だった。たくさんの花に囲まれているのは、きっと将軍が父のためにした事なのだろう。氷の花々も、青白い明かりに輝くこの部屋も、全部将軍が父の為に作ったものなのだろう。

「また……父上に会いにきてもいい?」

 目の涙を拭いながら聞けば、皆が恐れる強い男はそこでまた辛そうに笑うとシグネットの頭を撫でてくれた。

「あぁ、お前は通れるように登録してあるからいつでもきていい。だが……誰にも内緒だ、約束出来るな?」
「母上にも?」
「そうだ」
「分かった……約束、する」

 言いながらシグネットは将軍の胸に顔を押し付けた。
 将軍はシグネットの頭を軽く抱きしめてくれた。

「お前は、少しだけ父親と同じ匂いがする」

 その声が嬉しそうだったから、シグネットは大好きな将軍に抱き付いたまま目を閉じた。



 それから、シグネットは将軍府を訪れるとお供達の目を盗んで少しの間行方不明になるのがいつものことになった。たださすがに戴冠して正式に王座に座ってからはそうそう行方不明になる訳にはいかず、将軍と二人だけの会話中という事にして彼と一緒に行く時くらいしか父に会えなくなってしまった。
 眠る父は変わる事がなく、母が話してくれたままの姿でずっとそこにいて、やがてシグネットは変わらぬ父よりずっと年上の姿になってしまった。そうしてそこにいる時だけ仮面を外している将軍の姿も変わらないまま……それがおかしい事だと気付いたのは大人になってからだったけど、結局シグネットはそれが何故なのかを彼に聞く事はなかった。
 ただ彼は変わらぬ姿のまま、約束通りずっとシグネットとこの国を守って1くれた。



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 このENDではシグネットだけに真実が明かされます。
 



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