幸せぽい日常―弟子取り編―




  【1】



 クリュース城の城壁の上に立って中庭を見下ろしながら、フユは考える、今日も平和、と。

 暗殺者として良心の呵責なんてものを知らずに育ってきたはずのフユは、笑ったまま人を殺して、笑ったままやがて自分もどこかで死ぬ……そんな人生を送る筈だった。
 なのにここ十年以上は人を守る事ばかりが仕事で、人殺しはその為に必要であった場合だけの仕事となった。

――本当に、人間の人生ってのは分からないもんスねぇ。

 しみじみ考えてみると、今の自分の仕事も立場もあり得なさ過ぎて笑えてくる。しかも仕事や立場だけではなく、自分自身の考え方も変わってしまったのだから驚くべき事である。
 まさか自分が、心配、なんてモノを感じるなんて――フユは中庭の小さな影を見つつ考えた。

 人を守る仕事というのは面倒だ。殺す仕事なら殺せばそこで終わりなのに、守るのならずっと、失敗してその人物を失うまではいつまでも仕事は終わりにならない。勿論フユのプライドにかけて失敗なんてする気はないが、それでも……守る対象が子供過ぎると少し心配になることもある。
 今はまだ、フユはこうしてあの小さな王様を守ることが出来る。けれどもう少しすればいくらフユでも体が衰えてくる。だがそのころにはあの子供はもっと敵が多くなるはずで……早い話、自分がちゃんと仕事を全うできないような事態になった場合、どうやってあの少年王を守れるだろう――なんていう、ボーセリングの犬であった時代の自分なら想像もできないような事を考えて心配になるのである。

「まったく、俺もいつからこんな年寄りになったんスかね」

 いつでも今しかなかったから、未来なんて考える必要がなかった。それが今は未来が心配になってしまうのだからかなりの変わりぶりである。

「まぁそれは、きっと、今が幸せって奴だからなんスかね」

 秋が近づいた空は澄んでいる。この時期のこの空をここで見るのは何度目だろう。赤子のころから見ている少年は、今では剣を振って年長の少年たちを引き連れて歩いている。それでも王として威張っているのではなく、あくまでガキ大将のようなやんちゃな少年王は、守るためとはいえ見ていて飽きない。
 あの少年がまだシルバスピナだった間はやることが多すぎて観察なんてしてるほどの余裕はなかったが、フユの主である男が敵をすべて黙らせてしまってからは守る事より観察が仕事なくらい子供を見ているせいか、この自分でさえ随分情が沸いてしまったらしい。

「いつまでこうしてられるんスかね」

 言ってから笑って、フユは城壁から一段低い別の城壁へ飛び移った。





「さぁフユ、今日の新作、秋はやっぱり芋栗かぼちゃだー」

 帰った途端、いつも通り甘い匂いをぷんぷんさせて、こういう時は無駄に元気な相方が手に皿を掲げている。
 一応言っておくと、フユの相方レイの現在のお仕事はこの将軍府の食堂の主にデザート係で、ひそかに王族の専属デザート調理係になろうという野望に燃えていたりする。

「っていうかレイ、こんな時間にその量、一体だれが食べるんスかね」

 言われたレイは、唐突に顔を強張らせて体をのけ反らせた。

「すぅおうかっ、深夜では誰にも配りにいけないっ」

 芝居がかった衝撃のポーズをとるレイから皿をさっと取ってテーブルに置くと、フユは床につっぷす彼の顔を覗き込んだ。

「前にも言ったじゃないスか。まったくレイはいつになったら学習するんスかねぇ」
「いやそのお前に最初に見せようと思ってだな……」
「確か前は全部自分で食べてやるって言って、腹いっぱいにして最中に吐きにいくってぇおまぬけさんをしてくれたっスねぇ」
「いやそりゃお前がそもそも揺らしまくって酔うだろあれはっ」
「おや口答えっスか? 誰が朝一でこれを渡しにいくと思ってるんスか?」
「いやそのお前です」
「ではレイ、俺に言う事はなんスかね?」
「えー……すみませんフユ様、明日朝一で例の奴ンとこへこれを持って行ってくださいませんか?」
「はい、よくできたっスね」

 満面の笑みでフユが言えば、起き上がったレイがガクリと首だけ落とした。
 ちなみ例の奴というのはウィアの事で、こうして深夜にレイがお菓子を作ってしまった場合、朝食前にあの家庭教師筆頭センセに持っていくと、まず本人が食べてから恋人のフェゼントに相談して、大丈夫そうなら昼のお茶会に持って行ってくれるのである。
 もちろんフユも味見くらいには食べるが、そこまで甘いものが好きなわけでもない。ただフユは毒や薬の調合をしたりそれらを見極められる為に、舌や嗅覚はかなり訓練されて微妙な味が分かるため、必ず一度は食べてアドバイスをするのがお約束にはなっていた。

「……そうっスね、甘みはこれくらいなら女性方は喜ぶんじゃないスかね。ただ王様はもうちょい甘み控えめの方が喜ぶっスね。どうやら父親に似たのかあの歳で甘すぎるのはちょっと苦手みたいスからね。この間のスパイスケーキが大好況だったみたいスから、今回ももうちょっと香辛料を入れていいんじゃないスかね」

 フユの味見の感想をレイは真剣に書き留める。
 まぁ暗殺者としてはちょっと才能がないレイだったが、ここでこんな才能が開花したのは彼にとって幸せな事だったのだろう。ただこうして味見をする度、フユはちょっと思う事もある。

 つまり――味が分かるという事は自分もこういうのを作るのに向いているのではないかと。

 甘いものばかりは勘弁してもらいところなので、自分が作るならデザートではなく普通に食事ではないかと思うのだが、正直を言えば味や見た目を気にした料理というのをフユは作ったことがない。栄養価と使える材料と出来るだけ早く作れるの重視で、食事として楽しむための料理というのは考えた事がなかった。

――でも、やればできそうな気がするんスよね。

 案外この仕事を引退したらそういうのもありかもしれない、などと考えて、自分の未来をまた考えていた事に苦笑する。そんな長生きできるなんて思ってなかった筈なのに、今ではすっかり自分が爺さんになってもこの相方で遊んでいるのが想像出来るのだから面白いものだ。

「あー……そうだフユ、頼みがあるんだがっ」
「なんスかね?」

 メモを置いて満足げににんまりとしたレイに言われて、フユはすぐに聞き返す。

「確か明日休みだといっていなかったか? なら買い物に付き合ってほしいのだがっ」

 明日、小さな王様は、朝から将軍と一緒にリシェへ行って新しい軍船を見に行く事になっている。年中無休の護衛仕事のフユは普段休みがない代わり、国王がセイネリアと一緒にいる時だけは休暇を取れるのだった。

「えぇまぁ、いいスけどね」

 フユの休みが滅多にない分、食堂の料理長もフユが休みとなるとレイを休みにしてくれる。なので明日は久しぶりに一日まるまるレイで遊ぶか、なんて思っていたが、出かけるのも悪くはないだろう。
 気楽に外へ出られる身分となった今は、街でお馬鹿行動を取るレイをじっくり観察するのも面白い。二人で出かける事になった場合、彼が起こすおまぬけ行動や恥ずかしい行動を、フユはこっそり後からつけて見ているのがいつもの事だ。……そう、『一緒に』とは言っても、彼と一緒に歩くのではなく、いつもの仕事通り後ろからこっそりつけて歩くのである。
 当然最初はレイに『何故一緒に歩かないんだ』とは言われたが、そこは『いやいや俺はレイのフォローが仕事スから。レイがその感性の赴くまま好きなように行動できるように、俺は後からついていくほうがいいんスよ。何かあったら必ず助けてやりまスから』と言ってごまかしておいてある。
 ちなみにごまかしたといっても別に嘘をついたわけではない。
 自分がそばにいない方が、彼が気の向くままとんでもない行動をしてくれる可能性が高いのは確かだし、危ない時のフォローをしてやるのも確かである。ボーセリングの犬として組んでいた時代みたいに、レイのとんでもないミスやボケを本人が気づかないようにフォローしてどうにかしていたのを思い出して、出かける度にわくわくする程楽しくはある。

 でもまぁ遠くから見ているだけの一番の理由は、そんだけのおバカ行動をとってくれる人の隣にいて知り合いと思われたくない――というごく当たり前の理由もあったが。
 フユなら瞬時に離れて他人のふりをするのも簡単だが、そもそも何度もある事なら最初から離れていた方がいいという理論である。

 ともかくそんなわけでフユは、『買い物に付き合う=尾行』という、いつも通りといえばいつも通り過ぎてお仕事と同じなお出かけをする事になったのだった。



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 おバカ日常話なのでお気楽に読んでやってください。
 



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