穏やかな日、決意の日




  【4】



――悪いな、いつもなら追い払うだけなんだが。

 シーグルくらいの冒険者だと、こんなのにわざわざ構っていられないから討伐願いでも出ていなければ普通は戦闘をせずに追い払うだけにする。ただ今回は初心者冒険者のために、逃がさず殺さず、足止めをしないとならない。
 だから剣を構えるものの軽くで、集中しすぎずわざと気を散らす。気をつけるのは後ろへ逸らさない事だけで、少し挑発するように剣を緩く揺らした。

――こういう戦い方なら、盾を持ってくればよかったか。

 殺さずに敵の足止めだけをするなら盾で防いでいるだけの方が楽で確実だった……と少々後悔したりもしたが、とりあえずこちらに向けてとびついてこようとしたのは剣を振って退かせる。
 とはいえこの状況は本当に難しい。剣で叩けばへたをすると殺してしまう。かといって後ろへ逸らせないから避ける事は出来ない。攻撃を剣だけで受け続けるのが理想だが、その際に中途半端な傷を負わせて怒らせたら後ろに行く可能性が高い。というかそもそもシーグルの恰好だとこいつに引っかかれようが噛まれようが問題はないからいっそわざと腕を噛ませるのがいいか、だがそうすると後ろがきゃーきゃー騒ぎそうだ……等といろいろ悩んでいたシーグルだったが、自分はこの敵程度ならどんな攻撃をくらっても大丈夫という事から一つ思いついた。

「ウィア、俺のマントを外して渡してくれないか?」

 敵から目を逸らす訳にはいかないからウィアにそう頼めば、彼は少し困惑した声で返してくる。

「お、おう?」

 それでもすぐに彼はマントを外し出した。背中の感触を確認しながら敵を睨みつけていれば、こちらの気が少し逸れたのに気付いたのかザクダンが飛びついてくる。それを剣の腹で叩いて防げば、向こうはまた後ろに下がってこちらを向いた。
 唸っている犬の化け物もこちらが簡単に追い払える相手ではないと分かったらしく、出方を迷っているようなところがある。これで次は他の連中にターゲットを変える……という手に出てくるのはかなりあり得る事だから、シーグルとしては両手剣のままだとやり難い。

「シーグル、ほら」

 そこでマントが外れたようで、言われてシーグルは剣を鞘に収めると左手を後ろに回しマントを受け取った。それと同時に右手は短剣を抜く。
 がぁっと吼えて、ザグダンがまた飛びついてくる。だが今度はシーグルに向かってではなく横に逸れて後ろを狙っている。それをシーグルはマントで叩き落とした。ぎゃん、と情けない声を上げて化け犬はまた後ろに下がる。後ろから拍手が聞こえた。

 剣なら加減して叩かないとならないが、これなら向こうを遠慮なく叩ける上に剣よりも届く範囲が広いから自分の横を抜かせないよう防ぎやすい。盾を持ってくればよかったとは思ったがそもそも最悪噛まれても問題がないシーグルなら、マントでも盾としては十分だった。

 サグダンはそこから2度、シーグルの脇を抜けようとしたが、その度にマントで鼻先を叩かれて下がる事になった。そうしてまた、やけくそになったのかシーグルに向かってきた化け犬は、今度は横から前に出たウィアの光の術で地面に転げ落ちる事になる。

「神よ、光を我が盾にっ」

 辺りが一瞬白に包まれる。それはすぐに収束したが、ザグダンはキャンキャンと情けない悲鳴を残して走り去った。
 皆の拍手にウィアは振り返ると、得意気に両手を上げてそれに応えた。

「ありがとう、ありがとう。えー、いいかー、こうやって味方がピンチだーって時には光の術をだなぁ……」

 だがしかし。

「さすがシーグル様、マントで敵を足止めなんて」
「ウィアさんが術を使うまで剣で斬らないようにしてたのですねっ、シーグル様はお強いだけでなく頭もいいのですねっ」
「やはり冒険者として格が違いすぎますっ」

 拍手が全てシーグルに向けたものだと分かったウィアはそこで怒鳴った。

「お前らっ、今のは『光』の術の使い方例だからなっ、ちゃんとそっちに注目しろっ」

 それには元気よく、はーい、と揃った返事が返ってくるものの、不貞腐れたウィアの顔を見てシーグルは悪いと思いつつも笑ってしまった。








 そこからまた調査を再開して、薬草を採ったり、爪跡や糞の後から敵の正体当てゲームをやったりして少しひらけた場所に出てから今日はここで野宿をするという事になった。途中で敵(という程すごい奴ではないが)にはあのサグダンの他にも2回会って、牙猫はサグダンと同じく追い払うだけにしたが、最後にあった大兎は丁度良いからと夕飯のために仕留めた。それを捌く時の実演が恐怖の悲鳴としてはこの日一番あがったのはなんとも言えない話だが、ともかく大兎の肉でスープを作って、やはり途中で採った黒芋を茹でたら、後は各自で持参したパンで夕飯となった。

 一応少ないながらも芋もパンも目の前に用意しているシーグルにウィアは聞く。

「シーグル、スープにちょっと肉入ってるけど食えるか?」

 基本食事は最初に決めた班毎にとる事になっていて、各自でおこした火を囲んで食べていた。ただしウィア達の囲んでいる火は皆で食べるスープを作ったところであるから一番大きく、それをウィアとフェゼント、ラーク、シーグルで囲って座っていた。

「少しくらいなら」
「おうっ、くえくえ」

 言って伸ばされたシーグルの手に、ウィアはスープをよそった器を渡す。
 それに明らかに安堵した顔をしたフェゼントにやれやれと息をつきつつ、そこでウィアはわざと茶化して言ってやった。

「本当ならなー、お前はたくさん食えって強制で肉をごろごろ入れてやりたいとこなんだがよー、なにせ今回は食べ盛りの若者だらけだから俺ら引率役にまで肉が残ってないんだよな」

 それには外野から、すみませーん、なんて声が上がって周囲がどっと笑って盛り上がった。シーグルの口元もつられるように緩んで、それから彼は貰った器を一度地面に置いたあと、今回は兜の留め金を外しだした。
 そうすれば騒がしくなっていたいた外野が一転、微妙な緊張を纏って沈黙を纏う。
 皆の視線がシーグルに集中し、ごくりと息を飲む者もいるのが分かる。
 シーグルが兜を外し、額に張り付いた前髪を軽く手で散らす。それから軽く息を付いたところで、周囲からほぅっという感嘆の溜息が上がった。
 ちなみに空はもう真っ暗だが、各自ランプを付けているから顔の判別くらいは付く程度にはちゃんと見えている筈だった。更に言えばここの火は大き目だからその明かりもあってシーグルの顔は少し影が入るだろうが見える角度の人間にはしっかり見えた筈だ。案の定、ウィアの耳には「なんて麗しい」とか「あれがシーグル様」とか「もう死んでもいい」とか小声ではあるが興奮の声が聞こえてきていて、だが反応すると面倒だから放っておいた。

――まぁさすがに夜だと兜の中からじゃ視界悪ィだろうし、そりゃ取りたくはなるよなぁ。

 寝るための場所だから守りの結界を敷いたし、夜でも今は安全だ。今回は狩人がいないから動物避けは完ぺきとまでは言えないが、本来悪霊避けのリパの守りの結界には動物たちにも近づきにくくする効果はあった。それがなくてもそもそもこの森くらいならシーグルがフル装備でないと厳しいような敵は出ないのだから、そら食事くらい本当は兜外したいよなぁとウィアは一人で納得する。
 実際のところは、昼のようにケルンの実だけでいい場合は兜をつけたままでいけても、スプーンもフォークもないような野宿で肉入りスープを食べるのはシーグルとしても顎の装備はなくて兜のままだと食べにくいというだけではあったのだが。

 まぁともかく、ちらちらとシーグルに視線に向けてはきゃっきゃとはしゃいでいる連中に向けて振り向くと、ウィアは苦い顔で彼らに言っておいた。大きくなり過ぎない声でこっそりとだが。

「あー……目の保養をしたい気分はよっく分かるけどな、ほどほどにしとけよ、シーグルも食い難いだろうからさ」

 それには小声で、はーい、と揃った声が返ってきて、横でフェゼントがくすくすと笑っていた。



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 この時点でのシーグルのマントは赤。
 



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