太陽はとうに真昼の高みに達していた。長い光は、空気を、春の午後にふさわしく、暖めていた。連休の始まりであるこの日は、街も静かで、小鳥のさえずりさえ聞こえる。風も無く、昼寝や散歩には、程好い日和だ。
 そんな穏やかな陽射しの中を、僕は、両手に荷物を抱え、バタバタとあわただしく急いでいた。
 荷物とは、完成したばかりのラジコン機“彩雲”。走っていたのは、日が沈む前に、一刻も早く、“彩雲”を飛ばしてみたかったからだ。 
 
 
 
 コンクリートの堤を乗り越え、滑走路となる川原を臨む。そこが、僕のフライト・エリア。
 開発の進んだ関東平野とはいえ、利根川の川原まで出れば、地平線を見渡すことが出来る。坂東太郎の雄大な流れを背にしたRC飛行場は、単なる雑草まみれの空き地。
 とはいえ、他の場所に比べると比較的地肌が露出している。滑走路を確保するには必要充分な広さがあった。何よりも、民家から離れ、なおかつ送電線が近辺に無いという地理的条件が、RC機を飛ばすのに好適だった。
 
 民家から遠いので、ギャラリーがいないのが寂しかったが、子供達、とりわけサッカー少年や野球少年達に領土を侵略される恐れもなかった。もちろん、いたずらっ子達のゲリラ的奇襲もなければ、“近所の親父”という名のにわか評論家諸兄の無遠慮な批評を受ける心配もなかった。
 だが、今日は少し、違った。そこに、先客がいたのだ。 
 
 
 その男は、イタリア系らしいブラジル人。背は、日本人より少し高い程度。いや、もしかしたら、かわらないぐらいかも知れない。プロポを手に、RCヘリコプターを操っていた。
 もちろん、僕の姿など、目に入っていないだろうし、気づいた様子もない。彼は、ヘリの舞う空ばかりを見ていた。
 ヘリは実にいい音をさせて、ぶんぶんと飛び回っている。彼は、指先こそせわしなく動かしているが、空を見上げてじっと立ったまま、ピクリともしなかった。
 そう、気配が全く無かった。
 まるで小さな樹木か、大きな草のように、風景の中に溶け込んでいた。
 彼は、近寄り難いような雰囲気を湛えていた。しかも、異国人。「言葉」の懸念もある。僕は「気軽なあいさつ」をかわすタイミングを、完ぺきに逸していた。
 話してもいない異国人を、ブラジル人と決めつけた理由は、別段、当てずっぽうでもない。この町には日系を中心としたブラジル人労働者とその家族の数は多い。だから、外国人と言えば、ブラジル人と決めてかかっていた。
 むしろ、彼と顔見知りでないことが問題だった。
 彼らの中にも友人はいる。友人達は、日本語を解し、話せるが、顔見知りでなければ、それも定かではなくなる。むろん、英語さえろくに話せない僕に、ポルトガル語など、理解できるはずもない。 
 
 少しだけ近寄って、彼の横顔をそれとなくのぞき込む。
 …見覚えのある顔だった。顔見知りなら、話が通じるかもしれない。一瞬、安堵する。
 だが、何処で会った顔なのか、思い出せない。記憶の底に沈んでいるようで、すぐには浮かび上がらなかった。誰だかは、判らず、今一つ、確信が持てなかった。
 この、記憶に対する自信の無さと、その躊躇にかけてしまった時間は、もはや、決定的でもあった。
 それに、彼に話しかけたとて、(彼に替わって)すぐに飛び立てるわけでもない。彩雲は、つい先ほど組上がったばかりなのだ。調整など、何一つ為していない。準備には、まだ時間が必要だった。
 彼は、相変わらず、空を舞うヘリを追いかけることに集中していて、僕に気づく気配は、全く無かった。
 その時の僕は、時を惜しんでいたこともあり、たいして考えもせずに話しかける労を億劫がった。  
 

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