とりあえず、彩雲を“滑走路”(…即ち草っ原)の隅に置く。
 空冷エンジンを機首に備えた低翼の機体は、第二次大戦中の機体としてはありふれたスタイルにも見えた。
 だが、細長く、無駄なところのまったく無いスリムな機体は、エンジンを納める最低限度の直径を有しながらも、風を素直に受け流す、スピード感を感じさせた。
 エンジンに火を入れてみた。残念なことに、余り、いい音ではない。空を舞う彼のヘリに、官能的な音の良さで、明らかに負けていた。
 僕は、いったんエンジンを止め、再調整を施す。原因らしい原因が判らない。接触不良なのかも知れないと疑い、プラグをはじめ各部を念入りに清掃し直す。
 それから、再び火を入れる。エンジン音に大差はない。こんなものかと諦める。しかし、今度は比較の対象となるエンジン音が聴こえてこない。ローターの風切り音も止んでいた。
 ふと、振り返ると、RCヘリのそばでしゃがみ込んでいる彼がいた。僕が彩雲の調整に気を取られている間に、彼は着陸を終えていたのであった。
 目が合うと、にっこりと微笑む。僕は、戸惑いつつも、つい反射的に(日本流に)軽く会釈を返す。
 やはり、知り合いだったのだろうか?その割には、話しかけてこない。日本語が達者でない、来日したばかりの知り合いだろうか?
 いや、そんな最近の知り合いはいない。ここ数カ月というものの、休日となれば、部屋に閉じ籠って彩雲の製作にばかり熱中していた。それどころか、この2、3年は、RC機の製作と、習熟飛行とに費やし、人と滅多に会わなくなっていた。RC機仲間など限られたもので、その顔を忘れようもない。
 だから、もし、彼と出会っていたとしたのならば、それは、混沌とした平日の記憶の中、なのかも知れない。
 
 何はともあれ、彼が飛行を止めたのならば、気兼ね無く飛び立てる。それだけは確かだ。挨拶もそこそこに、僕は、早速フライトの準備に入る。
 エルロン、ラダー、エレベーターの効きも良好。僕は、滑走路の後端まで、ゆっくりと滑走させる。
 彼も同好の士に興味があるのか、そのまま土手に座って彩雲を見つめている。
 その視線を、少し感じた。だが、待望の彩雲初飛行である。ギャラリーがいるのも悪くない。それも、野次馬ではなく、同好の士だ。
 風も止まっている。草までもが、そよぐのを止めて、息を止めて彩雲のテイク・オフを見守っているかのようだ。
 僕は、おもむろにエンジンの回転を上げ、エレベーターを上げた。彩雲が、滑走路を滑り始める。
 プロペラの風切り音が入り混じったエンジン音と共に、タイヤが土を蹴るザザーッという摩擦音が聴こえる。だが、それもほんの数秒の内。やがて、摩擦音が消え、エンジン音だけになる。
 彩雲は、ふわりと空気の上に乗っていた。機体が、空気の柔らかな感触を感じたかのように、ぶるりと軽く振るえる。
 急坂になった空気の坂を滑るようにして昇っていった。あっという間に、高度をとる。エンジンの悪さからは想像の出来なかった上昇力。
 思っていたより、あっさりと、彩雲は離陸していた。
 けれど、順調だったのは、ほんのわずかな間だけ。すぐに僕は格闘を始めなければならなかった。
 

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