じゃあ。また悩み書きます。 投稿者:岡田  投稿日:03月29日(水)23時29分17秒

       改編時。なんのドラマか迷う。どうしようと迷う。
       ナース3か!サラ金2とかって続編についてのサカガーさんの意見ってどうでしょう。
       僕は賛成。だか反対だかよくわからん状況です。まわりについていく構えです。
       ドラマミーハに100%なりたい。ドラマのブームに100%のりたい気持ちとかあります。
       長々かいてください。キノコの解答は結構マジ読みしました。
       あとICQの日本語化が難しい状況です。


Re:春ドラ、その傾向と対策。 投稿者:さかがわ  投稿日:03月31日(金)00時15分00秒

       >岡田

       ご指摘通り、今回は続編が多いですね。
       「ナースのお仕事3」「サラリーマン金太郎2」そして「ショムニ」。
       「ショムニ」は続編だけど、タイトルはまんま「ショムニ」。
       しかもあきらかに「ショムニ」というタイトルをパクッた「ショカツ」も同クールに持ってくるあたり、フジもやる気です。

       「ナースのお仕事」は傑作でしたが、「ナースのお仕事2」の時点で、僕的には「ちょっと」って感じでした。
       1と2が脚本が「江頭 美智留」なのに対して、
       雑誌発表では、3の脚本は「両沢 和幸他」となっています。
       うーん。吉と出るか凶とでるか。
       「ナースのお仕事3」は、なんと2クール連続でやるらしい!
       フジもやる気です。

       さて、今回の春ドラで注目なのは、何と言っても「伝説の教師」と「パラダイスサーティー」ですね。
       どちらも、面白くなるかはまったくわからないけど。
       でも注目です。

       なんたって、「伝説の教師」は松本人志が主演! 日テレもやる気です。
       ビデオ「頭頭(とうず)」では渋い演技を見せていた松本だけど、連ドラに耐えられるか?
       なかなか見物です。

       「パラダイスサーティー」には清水美砂が出ますからね。これは、はずせないでしょう。
       清水美砂は、僕が日本で最も評価する女優です。
       このドラマでは「おなべ」役だそうです。映画では「おこげ」役もやった彼女ですが、
       「おなべ」役というのはどうも失敗しそうな予感でいっぱい。
       しかもその予感を裏切って素晴らしい演技をしてくれそうな清水美砂に、大いに期待したいです。
       ドラマの設定では石田ひかりより年下で、しかも実年令も年下で、
       でもまったくそうは見えない清水美砂の貫禄に、みんなも期待しましょう。
       さらにこのドラマ、放送時間がすごいです。土曜日の22:58だって。テレ朝。
       土曜ワイドが終わった後に続いてって感じですか?こりゃすごい。
       テレ朝もやる気です。

       とにかく、何がおもしろいかは、見てみないとわからないです。
       僕のように、全て見ましょう。
       ただし、できるだけオンエアについていくように努力しましょう。
       僕なんか、まだビューティフルライフのラスト2話見てないのに、巷では、
       「杏子、やっぱり死んじゃったね」「杏子が死んだ時の修二の涙がよかった」なんて、言ってるんですから。
       こんな思いをしないためにもね。
       それに、ドラマミーハに100%なるためには、やっぱ、オンエアの次の日の話題についていけなきゃね。
       僕もそこそこ、やる気です。





Re:ICQの日本語化 投稿者:さかがわ  投稿日:03月31日(金)00時19分02秒

       >岡田

       ICQの日本語化、難しいですか?

       アルファベット順では、「I」は9番目、「C」は3番目、「Q」は17番目です。
       これをそのまま50音順にあてはめると、
       それぞれ「け」「う」「ち」となります。

       そうです。
       ICQを日本語化すると、「けうち」になるのです。
       広辞苑によると、
       「毛打ち」=蒔絵で葉の心または鳥獣の毛を漆で細かくかくこと。
       です。

       また、ICQという音の響きを重視して、
       「愛、至急」と、日本語化することもできます。

       ふと思ったんですが、
       もしかしたらあなたは、ICQという言葉を日本語化したいのではなくて、
       ICQにおけるチャットやメールのやりとりを日本語で行ないたいのかもしれませんね。
       ただ、僕に関して言えば、ICQをダウンロードして登録したら、すぐに日本語でやりとりができたんですよ。
       なので、日本語化キットとか使ってません。
       もっとも僕のはMac版で、確かにWinの人とは英語でしか会話できませんが……。
       まあ、気にするほどの事ではありません。

       また、ふと思ったんですが、
       もしかしたらあなたはすでにチャットやメールは日本語でやっていて、
       ただ、ICQのソフト自体、そのメニューボタンなどを、日本語化したいのかも知れません。
       ICQのメニューは、「Search」「Receive」「Chat」「Message」など
       簡単なものばかりです。この際、覚えましょう。
       英語の勉強にもなりますよ。


       このBBSでは、みなさんのお悩みに親身になってお答えします。
       どんどんお寄せ下さい。







NHKと私 投稿者:富田 いさモ  投稿日:04月01日(土)18時08分22秒

        NHK連続ドラマ「あすか」が感動のラストシーンを迎えました。
        しかし、金髪やBLにくらべて、なぜか、その話題を口にする人はいません。
        周りにも、私の「あすか」ネタについて来れる人が稀でした。
        何せ、ドラマミーハ100%をめざしていらっしゃる、先生までが、
        チェックから漏らしていたのですから、これは只じゃすまされません。
        次回の連ドラは、あの映画「お引っ越し」で名演技を繰り広げた、
        田畑智子さんが主演に選ばれています。それだけで、要チェックです。
        なのに、なのに、なぜ、NHKドラマは軽く見られてしまうのでしょう?
        私には、つまらない商業主義や、貧乏臭いタイアップ作戦とは無関係の、
        NHKならではの、豊かなドラマ作りが好ましく思えてなりません。
        先生それについて、どのようなお考えをお持ちでしょうか。


Re:NHK 投稿者:さかがわ  投稿日:04月02日(日)02時43分07秒

       >富田 いさモ

       「なのに、なのに、なぜ、NHKドラマは軽く見られてしまうのでしょう?」
       とありますが、僕はおそらく、
       NHKドラマは「重く」見られているのではないかと思います。

       ドラマに限らず、NHKというものは、重く、固くとらえられている傾向があります。

       以前、チェッカーズが「NANA」という歌を歌っていた時、NHKに出演する話があったのですが、
       「やろうぜ、NANA」という歌詞が卑猥だというので、出演がなくなったことがありました。
       また、YMOの「以心電信」という曲は、「NHK国際コミュニケーション年」のテーマ曲に選ばれましたが、
       当初の歌詞が「女性がだんだん服を脱いでいく」という内容だったために、書き換えさせられました。
       歌だけではなく、コントや漫才に関する規制も、民放に比べるとはるかに厳しいものがあります。
       クイズ番組の司会ぶりを見ていても、古館伊知郎など、あきらかに民放よりも遠慮して、
       気を使ってやっているのが伺えます。
       NHKが「重く、固い」というのも、あながち、単なる偏見とは言えないのです。

       ところで、御存知の通り、NHKは、各家庭から受信料をとるという形で収入を得ているので、
       視聴率を気にする必要がありません。
       番組を作る基準は「自分たちの良心」にゆだねられています。

       一方、民放は、CMをとらなければ商売になりませんから、
       視聴率をあげることが最大の目標です。
       彼らが番組を作る基準は「ウケるかどうか」です。

       「ウケるもの」を作ろうとして作ったものがウケるのは、ある意味当然です。
       あなたの言う通り「商業主義」なのですから、商業的に成功するように作られているのは、当たり前です。

       しかし、「ウケるもの」を作るというのは、「大多数にはウケない地味なもの」を排除していくということですから、
       そういう地味なところに潜んでいる「大切なものや美しいもの」を無視するということです。
       また、ドラマの設定やロケーションにお金をかけたり、脚本を時間をかけて練り直したりするよりも、
       「流行りの俳優」を使ったほうが視聴率につながると思えば、そちらをとる、ということでもあります。

       そうです。NHKの「豊かなドラマ作り」は、視聴率に流されないところから生まれるものなのです。
       それは、現在の日本において、とても貴重なものです。
       決して失われてはなりません。

       だからあなたは、
       「周りにも、私の「あすか」ネタについて来れる人が稀でした」
       「ドラマミーハ100%をめざしていらっしゃる、先生までが、チェックから漏らしていた」
       などということを不満に思うべきではないのです。

       もしNHKが、「誰もが飛びつくような」「『ドラマミーハ100%な人』がチェックするような」番組を
       作り始めたら、「豊かなドラマ作り」が失われてしまうからです。

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現代は経済のファシズムだ!! 投稿者:ミシェル・フ〜も〜  投稿日:04月03日(月)00時45分31秒

        先生を見込んで、私は一つ聞いてもらいたことがあります。
        一体、大多数とはなんなのでしょうか?
        私には、大多数も一つの少数派に思われてなりません。
        グレイやラルクなんとかが、何百万枚売れているか知りませんが、
        私の周囲にそれらのCDを買ったという人は一人もおりません。
        私は、友達はたくさんいる方ですし、
        普通に仕事をしているので、仕事仲間だっています。
        けれど、そのようなCDを買ったなどという話しはいっこうに聞きません。
        つまり、私の生活の中に、その大多数というものは、
        まったく関わっていないということです。
        これはどういうことでしょう?私が変わり者なのでしょうか。
        私の周囲の人々は皆、危険なマイノリティ集団なのでしょうか。
        いえ、そうではありません。
        人口の比率からいったら、何百万枚なんて、大多数といえるでしょうか。
        視聴率の何十%というのが、大多数といえるのでしょうか。
        結局、私は、これはうまい具合に、踊らされているなと思うのです。
        ぜんぜん大多数ではないものを、そう見せかけることによって、
        売り上げをあげようという、もっともせこい貧乏臭い戦略なのではないでしょうか。
        百歩譲って、一般企業の戦略なのだからということで許すとしましょう。
        しかし、頭の禿げたクソ官僚どもはどうでしょう。
        天皇の即位10周年記念のあれは、あきれ返るばかりでした。
        というより、TVやマスコミの戦略が、
        そこまで影響を及ぼしてしまうということが、恐い気がしました。
        単純に、私や私の周囲の人間のごくありふれた日常というものが、
        なに一つ通じてはいないんだという悔しさだったのかも知れません。
        国事行為にそのような安っぽい経済戦略が侵入して来たら、
        一体、本来の民主主義というものが、保たれる保証が、あるでしょうか。
        現代は、経済のファシズムだというのが、私の自説です。
        「食うためには」という言葉を、さかんに使う輩が、
        人間をさらに貧乏臭くしているというのが皮肉に思えてきます。
        そんな世の中だから、私はもっとも豊かな心を持ち続けたいと思っています。
        それについて、先生、一つお考えをお聞かせ下さい。
        正直言って、このコーナー、橋本治先生の青空人生相談室以来の、
        名相談コーナーだと思えてなならないのです。



Re:経済のファシズム(前半) 投稿者:さかがわ  投稿日:04月03日(月)21時15分11秒

       >ミシェル・フ〜も〜

       そうですね。前回の僕の書き込みでの「大多数」という言葉の使い方は、
       ちょっと安直でした。反省してます。
       広辞苑によると、
       大多数=「ほとんど全部といってよいほどの多い数。また、半数以上」
       ですから、
       「大多数にウケる番組」「大多数が買うCD」などというものが存在するわけはありませんね。

       晄晏隆幸という人が「わかりやすい脅迫」という文章の中で、
       逆の立場から、あなたと同じことを言っています。
       一部抜粋します。

       「レコード買うファンなんてマイナーだよ。ファンでレコード買うってのと、
       TVでただ顔と名前知ってるってのは全然違うんだから。
       (中略)
       『世間』はレコードなんて買ってないわけ。
       もし『世間』へのつまらない配慮のために誰がレコード買うのか忘れてしまったら、
       レコードは売れなくなりますよ」

       つまり、晄晏氏は自分自身「レコードを買う人」という立場から、作り手に対し、
       レコードなんか買わない「大多数の」世間の人なんか、相手にするな、と言っているわけです。
       この文章が発表されたのは1987年ですから、
       この当時に比べれば現在はレコード(というかCD)の売り上げの絶対数はあがっているものの、
       基本的に状況には違いはないと思われます。

       「グレイが〜週連続『第一位』!!」などと言われると、
       おじさんおばさんなどは、若者のほとんどがグレイのファンであるかのように錯覚をしてしまいます。
       おじさんおばさんに限らず、若者たちも、自分がグレイを買っていないにもかかわらず、
       「若者はグレイを買ってるんだな」と思ったりしていることでしょう。

       確かに、マスコミの報道は、ヒットチャートにいるアーティストたちを、
       実際以上に「若者に支持されているスター」として映しているかもしれません。

       ただ、
       「ぜんぜん大多数ではないものを、そう見せかけることによって、
       売り上げをあげようという、もっともせこい貧乏臭い戦略」
       とありますが、
       「売れている」という理由だけで、
       「よし、買おう」と思う人は、そんなにいないんじゃないでしょうか。

       やっぱりグレイのCDを買う人は、グレイが好きなんだと思います。

       グレイの音楽が好きな人もいれば、グレイのメンバーが好きな人もいるでしょうし、
       友達と一緒にグレイを応援している時の「自分」が好きだという人もいるでしょう。
       また、グレイのコスプレチームに入って初めて、心を許せる友達が出来たという人も
       いるはずです。
       僕は、それはとても素敵なことだと思うんですよ。
       彼ら(彼女達)にとって、
       「レコード会社がどういうイメージ戦略を使ってグレイをスターにしたか」
       なんてことは問題じゃないし、また問題にする必要のないことだと思います。

       もしあなたに、買いたくもないグレイのCDを無理矢理買わせたり、
       好きなアリプロジェクトのCDを買うことを禁止するとしたら、
       それはファシズム的な社会だと言えます。
       しかし、現在の日本には、自分の好きなものを買うことができる自由があります。
       これは、あらゆる国家に許された自由ではありません。
       感謝すべきことです。

       また、こういうことも言えます。
       CDの売り上げは少ないけれど才能があって、大手のレコード会社に所属している
       アーティストというのも、少なからずいますよね?
       こういう人たちは、なぜ大手からCDが出せるんだと思いますか?
       それはグレイのようなバンドがいるからです。
       会社は、グレイやラルクで「ドカーン」と儲けているから、その経済的余裕で、
       マイナーなアーティストを育てていけるのです。
       どのバンドもそこそこしか売れなかったら、会社はある程度の数のアーティストしか
       かかえていられなくなりますから、売れないほうからドンドン切っていくしかなくなります。

       そして、そういうレコード会社の仕組みと同じような構造が、社会全体にもあてはまるのです。

       (後半に続く)

Re:経済のファシズム(後半) 投稿者:さかがわ  投稿日:04月03日(月)21時16分41秒

       (『前半』からの続きです)

       僕は、働いてお金をもらい、そのお金でいろんなものを買います。
       しかしどう考えても、僕が労働によって社会に与えているものより、
       その労働の見返りとしてもらったお金で買えるもののほうが、価値が高いように思えます。

       だって、僕がお金を払って社会から得ているものを、「お金」を媒介にせずに、
       労働だけで手に入れようとしたら、それは不可能です。
       つまり、僕は労働をお金に変換する時に、高めに換算してもらっているのです。

       物々交換の発展系である貨幣経済の基本的な論理からすれば、これはおかしなことです。
       僕がお金をもらうために差し出したものと、そのお金でもらえるものは、
       本来なら同価値なはずなのです。

       では、なぜ僕は多めにお金をもらえるのでしょう?
       それは、一部の「ドッカーンと金もうけしてる人」のおかげです。
       一部の人はものすごくたくさんのお金を産み出していますが、そのお金のほとんどは、
       その人自身には還元されずに、僕のような一般の人間に分配されているのです。

       あなたは「金もうけにやっきになっている人」を好ましく思っていないようですが、
       そういう人がいるからこそ、あなたも「豊かな心を持ち続け」られるのかも知れませんよ。
       本当に「食うや食わず」だったら、どうしてもまず生きていくために「金を手に入れること」に目がいってしまいます。
       少なくとも、今と同じ心持ちではいられないはずです。

       そして、さらに素晴らしいのは、僕たちは「選べる」ということです。
       歴史的に人間の社会はほとんど、人を「貴族階級」と「労働者階級」に分けてきました。
       好むと好まざるに関わらず、働かされ搾取される者がいたのです。
       インドの絶対的なカースト制などは、現在でも厳格にそういったシステムをとっています。

       現在の日本では、
       より儲けたい人は儲けることができるし、
       時間と余裕が欲しい人は、それを手に入れる事ができ、
       グレイを買いたい人は買うことができ、
       買いたくない人は買わなくても何も言われません。

       僕らはしあわせだと思いませんか?


       このBBSでは、みなさんのお悩みに親身になってお答えします。
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海と月 投稿者:ルーア・ツキウミ  投稿日:04月06日(木)00時31分29秒

       私は、つい先ごろまで、月は西からのぼるものと思っておりました。
       なぜか。それは海の歌が原因です。
       「海は広いな大きいな」
       これはわかる。
       「月が昇るし日が沈む」
       ここです。問題の箇所は。
       この歌詞は、月が出ずる方向と日が沈む方向が同じであることを示唆するような表現です。
       だから、私は、ほぼ三十年の間、月は西から昇るものと思っておりました。
       妻に指摘された先頃までそう思っておりました。
       顔から日の出るじゃなかった火の出る思いでした。
       先生、多くの方々が私のように誤解しているのではないでしょうか。
       科学技術立国としての日本の将来を揺るがしかねない問題です。
       解決策として、海の歌を歌い終えた後に、
       「これはあくまでも詩的表現でありまして、厳密な科学的記述ではありません」
       とのセリフを挿入することを提案したいと思います。まずは署名運動からスタートです。
       国民的大運動に発展すると思いますが、先生はいかが思われますかッ?
       どうでしょうかッ。



Re:海のうた 投稿者:さかがわ  投稿日:04月06日(木)07時47分57秒

       >ルーア・ツキウミ

       『海の歌を歌い終えた後に、
       「これはあくまでも詩的表現でありまして、厳密な科学的記述ではありません」
       とのセリフを挿入することを提案したいと思います。』

       とありますが、ちょっと賛成しかねます。
       そんなことをしたら、「海が広いこと」や「海が大きいこと」までもが、
       疑われかねないからです。

       ところで、「月が昇るし日が沈む」の表現は本当に不適切なものでしょうか。

       例えば、こういう文があったとします。
       「この付近はぶっそうだ。泥棒が多いし、暴力団の事務所がある」
       これはつまり、
       「この付近はぶっそうだ。」
       と言われても、「えー?ほんとぉ?」と疑っている人に対して、
       泥棒や暴力団の事務所の例をあげて、『ぶっそうであること』を立証しているのです。

       あるいは、
       「うちの猫はかわいい。目がクリクリしてるし、何と言っても性格がいい。」
       これも同様、
       「うちの猫はかわいい。」
       と言われても、「ほんとかよぉ?ほんとに可愛いのかよぉ?」と疑う人に、
       目や性格といった具体的なポイントをあげて、『間違いなくかわいいのだ』と、
       説明しているのです。

       ここで僕たちが気付くのは、
       それぞれの後半の文「〜が〜だし、〜が〜だ」というのは、
       前半の文の説明、証明になっているということです。

       海の歌も同じなのではないでしょうか?
       「海は広いな大きいな」
       と言われても、「ほんとぉ?ほんとにおおきいぃ?」と疑う人に、
       『だって、月がのぼる東から、日が沈む西まで、ずぅーっと海なんだぜ。大きいじゃん!』
       と、歌っているのではないでしょうか。

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チヨさんを助けたい(島縞子/手沼県権平市・16歳) 投稿者:ルーア・デンパティック  投稿日:04月06日(木)12時07分
21秒

       サカガ先生、
       三軒先に住んでいるチヨさんはとても意識の高い人でその証拠に金星人と交流が盛んです。
       うちのお母さんが行っても黙ったままだけど私が行くといろいろなことを教えたりピカピカ光る
       金星の石を見せてくれます。チヨさんのうなじには小さな傷があってそこには金星人が交信器を
       埋めていってくれました。私と話しているときでも、急に笑ったり変な言葉を話したりしてます
       が交信しているのだそうです。私も意識を高くしたいからチヨさんを通じて金星人に交信器を
       もらえるように頼んでもらってます。ところで金星人がいうには、今地球を支配しているのは
       オリオン座星人だそうです。政府のえらい人や役人の頭の中に入りこんで操っているそうです。
       チヨさんは、このままでは地球が危ないことを、アメリカの大統領に速達の手紙で教えたそうですが
       返事はなかったそうです。大統領も操られてるんです。
       チヨさんの家の天井には裂け目がたくさんあって、夜になるとオリオン座星人がそこからチヨさんを
       脅かしにくるそうです。でも金星人が遠くから見守ってますから手出しはできないんです。
       先生、たった1人でオリオン座星人から地球を守ってるチヨさんを助けたいですが、私は
       どうしたらいいですか?




Re:チヨさん 投稿者:さかがわ  投稿日:04月06日(木)21時21分26秒

       >ルーア・デンパティック

       まず最初にはっきりさせておきたいのですが、
       金星人とかオリオン座星人などというものは、この世に存在しません。
       なぜだかわかりますか?

       「人間」というのは、地球上に生息する生物の一種類につけられた、分類名です。
       だから、金星やオリオン座から来た生き物は、断じて「人」ではないのです。

       あげ足をとったのではありません。
       これはとっても重要なことなのです。
       他の星から来た生き物を「人」と呼ぶのは
       「地球は人間の星である」という、非常に思い上がった誤った発想があるからです。

       「地球には地球人がいる。」
       「そして金星には金星人がいる。」
       という発想。これは滅茶苦茶です。
       地球にはたくさんの生物がいます。
       人間は、あくまでも、その中のたった一種類に過ぎないのです。

       「今地球を支配しているのはオリオン座星人だそうです。政府のえらい人や
       役人の頭の中に入りこんで操っているそうです。」

       とありますが、オリオン座の生物が、人間のリーダーをあやつって「地球を支配している」
       などと思い込むとは考えられません。

       オリオン座から地球にやって来たり、人の頭に入り込んだりするほどの科学力を持つオリオン座の
       生物から見れば、人間もタコもバッタも、知能に差があるようには見えないはずです。

       仮に、あなたの言うように、「金星の生物」が人間の味方で、「オリオン座の生物」が人間の敵だったとしましょう。
       だとしても、
       「たった1人でオリオン座星人から『地球を守ってる』チヨさん」
       という言い方はどうかと思います。

       「地球に人間を残そうとすること」と「人間を滅ぼそうとすること」
       どちらが本当の意味で、「地球を守っている」ことだと言えるでしょう。

       少なくとも僕は、オリオン座の生物のほうが、良識的だと思います。


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教えて下さい 投稿者:悩める人  投稿日:04月07日(金)21時14分49秒

       木村拓哉はキムタク、小沢健二はオザケン、豊川悦司はトヨエツなのに、どう
       して反町隆史はソリタカじゃないんですか?どうしてもわかりません。


Re:反町 投稿者:さかがわ  投稿日:04月08日(土)00時28分44秒

       >悩める人

       木村拓哉はキムタク、小沢健二はオザケン、豊川悦司はトヨエツ。
       たしかに世間では、そういうふうに略されています。

       しかし、これらはいったい、どういう法則に基づいて略されているのでしょうか。
       僕なりに、二通り考えてみました。

       ひとつ目は、
       名字と名前を全部「かな」にして、
       名字の二文字めまでと、名前の二文字めまでを、くっつけるというものです。
       木村拓哉は「キムラ」「タクヤ」。
       「キムラ」の二文字めまでをとって「キム」。
       「タクヤ」の二文字めまでをとって「タク」。
       「キム」と「タク」をくっつけて「キムタク」となるわけです。
       同じ方法で、オザケンもトヨエツも生成することができます。

       二つめは、
       名字は「かな」にするが、名前は漢字のまま扱います。
       そして名字の二文字めまでと、名前の一文字めをくっつけ、
       最後に全体を「カナ」に変換するというものです。
       木村拓哉は「キムラ」「拓哉」。
       「キムラ」の二文字めまでをとって「キム」。
       「拓哉」の一文字めをとって「拓」。
       「キム」と「拓」をくっつけて「キム拓」、
       それを「かな」にして「キムタク」となるわけです。
       こちらもオザケンやトヨエツにもあてはまります。

       しかし、どちらの方法を用いても、反町隆史は「ソリタカ」になります。
       このままでは問題は解決しません。
       そこで僕は、上記の二つの法則に、一つの条件を付け足したいと思います。
       それは、
       「名字だけで誰であるかわかる場合には、法則を適用しない」
       という条件です。

       会話の中で「木村がさあ、……」と言われても、
       木村拓哉のことを言っているのかどうかはわかりません。
       木村佳乃のことかもしれないし、木村一八のことかも知れません。
       また、小沢健二の話をしようとして、うっかり、
       「小沢がさあ、……」などと言おうものなら、
       ほぼ間違いなく、小沢一郎か小沢征爾のことだと思われます。

       でも、「反町がさあ、……」と話し始めれば、たいていの人は反町隆史のことだと思います。
       フジテレビの海外特派員「反町理」を思い浮かべる人は稀です。

       名字だけで誰だかわかるから、略す必要がないんですね。

       ところで、ひとつ目の法則と二つめの法則、どっちが正しいんでしょう?
       どうやらひとつ目のほうがいいようです。
       なぜなら竹之内豊は、ひとつ目の法則に乗っ取れば「タケユタ」となって問題ありませんが、
       二つめの法則を使うと「タケユタカ」となって、
       天才ジョッキーと区別がつかなくなるからです。


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曲ができない。 投稿者:GO  投稿日:04月10日(月)09時45分25秒

       詩と曲ができません。あってもカスしかできません。
       魂のこもった詩と曲をつくるコツはなんですか?

       追伸:
       僕のHPのTOPちゃんと見えますか?

       http://www.d3.dion.ne.jp/~gonaitoh/goroom/



Re:魂のこもった曲を作るコツ 投稿者:さかがわ  投稿日:04月11日(火)00時42分01秒

       >GO

       まず、できるだけ部屋を明るくします。
       昼間なら、表へ出てみるのもいいです。
       夜なら、蛍光灯で、思いっきり照らしましょう。

       使用する楽器は、なるべく「今までに弾いた回数」の少ないものを選びます。
       いつも弾いているお気に入りのギターなどは、使わないことです。

       コードはGmから始めて下さい。
       (でも違うコードが良ければ、それでもいいです)
       リズムは典型的な8ビートにします。
       (また、それ以外のリズムでもかまいません)
       テンポはBPM133。
       (あるいは、それより速いか、または遅くても大丈夫です)
       そして、詩のテーマは「亀の産卵」です。
       (ただし、他にテーマが見つかったらそっちにします)

       12小節めのところで、「ものまね」を入れます。
       誰の真似でもかまいません。似てなくたっていいのです。
       また、気が乗らなければ、ものまねは「はしょり」ましょう。

       コツはこれだけです。
       簡単でしょう?

       あとは、「魂の『こもった』詩と曲が『できない』」という他力本願を捨てて、
       詩と曲を『つくって』魂を『こめれば』できあがりです。

       「曲づくりは迷路のようだ」と言った人がいます。実は僕ですが、
       グルグルグルグル「堂々巡り」で、ムダな時間を過ごしているようでも、
       実は自分でも気がつかないうちに、少しずつゴールに近付いているものなのです。
       あなたが「カス」だと思って捨てていった曲の蓄積が「実を結ぶ」まで、
       あと少しです。がんばってください。

       このBBSでは、みなさんのお悩みに親身になってお答えします。
       どんどんお寄せ下さい。





都幾川村のニュースを見て 投稿者:ミシェル・フーモー  投稿日:04月10日(月)19時02分36秒

        先生、石井久子受刑者の、二人の娘さんの修学のニュースを見て、
        今、私は、非常に腹立っています。
        担任を二人つける、一学期だけの期間限定、
        父兄に公開の授業が、和解策だったそうです。
        一体、この受刑者の娘というものに、なんの罪があるというのでしょう。
        子孫に罪を残してはならないという教えは、
        私達のおじいちゃんたちが、命がけで証明してくれたことだったはずです。
        オウムという、誰にとっても都合のいい巨大悪が出てくることによって、
        人々は道をあやまっているようにみえてなりません。
        何も、オウムを肯定しようというのでは、もちろんありません。
        被害者の遺族のこともきちんと考えての意見です。
        オウムの罪の部分と、オウムの周辺人物というものは、わけて考えなければなりません。
        アメリカでは、無差別殺人を犯した少年の兄弟を、
        「あなたが悩まなくても良いの」と励まし、
        登校しなくなった彼等を、学校に戻らせたと言います。
        その中には、殺された生徒の兄弟も含まれていたと言うのです。
        これをなんと思いますか?
         
        戦争の思想というものは、こんなところに小さな影となって潜んでいると思います。
        巨大悪というものは、一人歩きをしてさらにまた巨大な悪になり、
        そして罪のない人々にまで及んでゆくものです。それはもちろん幻想です。
        かつての大きな戦争で、犠牲になった罪のない人々のことを考えれば分かるはずです。
        現在おこっている民族同士の争いも同様なはずです。
        そこで、きちんと初期の段階から、徹底して本当の悪(罪)と、
        悪ではないもの(幻想の悪)を分離して考えなければなりません。
        今、都幾川村は、まちがいなく一歩その判断をあやまっているように思います。
        極端な話し、戦争の思想を市民が持ったということです。
        そうではないでしょうか?どうなのでしょうか?

        いつも長くなってすみません。これだけはどうしても納得が行かないのです。
        先生の御意見を、そして、皆さんの御意見をもうかがいたいと思います。



Re:都幾川村 投稿者:さかがわ  投稿日:04月11日(火)01時07分53秒

       >ミシェル・フーモー
  こと「犯罪者の家族に対する差別」という点においては、
       日本人の「意識の低さ」に悲しくなることが、しばしばあります。
       「家族である」というだけで、世間から犯罪者同然の扱いを受け、
       引っ越さなければならなくなったり、
       ひどいときには自殺に追いやられたりすることもあるのが現状です。
  日本の法律は、むろん「人」を「個人」として扱っていますが、
       「お家断絶」に代表されるような、日本古来の「家」「血」単位の考え方が、
       人々の心にしつこく根付いているのです。

       「犯罪者を処刑する時、その子どもや孫も皆殺しにする」というシステムは、
       二つの意味を持っています。
       一つは、仇討ちの防止です。
       仇討ちとは、いわゆる「父のかたき!覚悟!!」ってやつです。
       親を殺された子供は、成長してからその復讐を考えるかも知れないので、
       その芽を摘み取っておこうということです。
       もう一つは、親から子、子から孫へとうけつがれる命を一続きのものとし、
       それを断とうとすることです。
       つまり、
       「お前の犯した罪は、お前の代だけではつぐないきれないのだ!」というわけです。
  そういうシステムが、どうしても必要だった時代もあったわけですが、
       近代法に守られている現代においては、もちろんその限りではありません。
       因習と集合無意識の中に、不合理な差別の根だけが残されてしまったのだと言えます。

       ただ、都幾川村の「村」としての判断、学校の方針は、
       責められるべきものではないのでは?と思います。
       住民感情を無視して、何がなんでも「正統な権利」を主張し、「正統な手続き」をゴリ押しすれば、
       危険な目に会うのは石井受刑者の娘です。
       村や学校は、彼女たちを守ったとも言えるのです。
       ただ、これも「今の所は」ということです。
       今後、いかに差別やイジメから「オウムの周辺にいた(いる)子供たち」を守っていくか。
       難しい問題です。

       ところで「本当の悪(罪)と、悪ではないもの(幻想の悪)を分離して考えなければなりません」
       とありますが、
       どこに「悪の所在」があるか、どこに「罪の所在」があるか、という考え方は、
       問題を生みやすいかもしれません。
       「何を悪とし、罪とするか」、それは人によって、社会によって、違うからです。
       明確なのは、「責任の所在」ではないでしょうか。
       「人は、自分自身の行動にしか責任を負えない」という単純な論理を、皆が理解すれば、
       まずは、あなたの最も問題としている悲劇は回避できるでしょう。

       わけもわからずプラカードを持って「出ていけ!」と叫ぶだけの人たちの意識が、
       少しでも向上してくれれば、と悲願します。





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