本当はヘンな太宰治

■第01回 昭和9年の『完全な真空』ごっこ—「猿面冠者」—
■第02回 星新一と太宰治-「ダス・ゲマイネ」-
■第03回 野田大元帥と太宰治-「カチカチ山」-
■第04回 太宰版『デスノート』-「断崖の錯覚」-(上)
■第05回 太宰版『デスノート』-「断崖の錯覚」-(下)
■第06回 ハリポタ+飢狼伝=-「ロマネスク-
■第07回 戦略としての脱力-「十二月八日」と「トカトントン」-
■第08回 ヤツはとんでもないものを盗んでいきました-「春の盗賊」-
■第09回 嘘を嘘と見抜けない人が太宰作品を読むのは難しい-「恥」-
■第10回 さっきの手紙のご用事なあに-「虚構の春」-

 ■第01回
  昭和9年の『完全な真空』ごっこ-「猿面冠者」-

中学のとき以来、太宰治を愛読しているが、これまでSFファンジンなどで彼について書いたことはなかった。

理由は簡単で、太宰はSFを書いていないからだ。

管見の及ぶかぎり、太宰とSFの唯一の接点は『世界SF全集』第34巻に収められた「猿ヶ島」だけで、これもどこがSFだ、と言いたくなる内容だし、広義の幻想小説を含めても、おそらく十指に満たないと思う。

ところが、である。先日のファン交で牧眞司さんに『世界文学ワンダーランド』のお話を伺ったおり、SFファンの読みそうな現代文学、あるいは異色短篇を遺した作家という切り口なら、太宰のことを書けそうだと不意に閃いた。

人生の苦悩を描いた作家、という太宰のパブリック・イメージは、ある面において正しい。しかしそのパブリック・イメージが数多くの食わず嫌いの読者を生んできたことも、また残念ながら事実である。こういう状況は実にもったいない。
本当の太宰治は、読者の意表をつく、ジャンル分類不可能のヘンな小説を多く書いているのだ。あるいは彼は、パロディ、パスティーシュにも才能を発揮したが、私はこの意味で筒井康隆、清水義範、奥泉光などを太宰文学の正当な後継者だとすら考えている。パロディストとしての側面もいずれ紹介したい。

さて最初に取り上げるのは、初期作品の「猿面冠者」。これは文庫本で20頁あまりの短篇ながら、異様に入り組んだ構造を持つ、小説を書くことについての小説なのである。

主人公は文学マニアの男。古今東西の小説や詩を読み尽くしたあげく、喋る言葉がみなそれらの引用になってしまったという人である。われわれには馴染みの深い人種であろう。産まれてくるのがもっと遅かったら「認めたくないものだな、若さゆえの過ちというのは」とか「しょせん人間の敵は人間だよ」とか口走っていそうだ。
ここで語り手は《そのような文学の糞から生れたような男が、もし小説を書いたとしたなら、いったいどんなものができるだろう》と話を振る。しかし次の文で《だいいちに考えられることは、その男は、きっと小説を書けないだろうと言うことである》とたちまち否定してしまう。

男は夜、寝床で作品の構想を練り、最初の一行から結びまで全部考えてしまう。それは完璧な小説である。ところがその先がいけない。今度は作品に対する批評までも考えはじめて、気がつくと肝心の小説の方はすっかり忘れてしまうというのだ。

これでは話が終わってしまう。そこで語り手は《けれども、これは問題に対してただしく答えていない。問題は、もし書いたとしたなら、というのである》ともういちど引き戻す。そして《問題をもっと考えよくするために、彼のどうしても小説を書かねばならぬ具体的な環境を簡単にこしらえあげてみてもよい》と、ここではじめて主人公が落ちこぼれの大学生で、卒業も就職も危うくて、しかも内縁の妻がいて生活費を稼ぐ必要が……という具合に、男に関する設定を決めていく。

この、最初にネタだけをポンと振っておいて、設定はネタに合うように後からつけたしていく手法は、太宰がしばしば用いた技である。大抵の小説家は「これこれの設定なら、どんな話になるか」と語っていくのに対して、太宰は「これこれの話を成立させるためには、どんな設定が必要なのか」と逆算して小説を作っていくのである。設定とは、小説を書くための前提条件ではない。むしろ逆なのだ。
かくして晴れて(?)小説を書く必然性を与えられた主人公は、むかし書きかけて中断した「通信」という作品を改稿し、「風の便り」という小説に仕立てようと思いつく。この小説のプロットはだいたいこんな感じである。

《主人公が困っているとき、どこからか差出人不明の通信が来てその主人公をたすける》《さきに文豪をこころざして、失敗して、そのとき第一の通信。つぎに革命家を夢みて、敗北して、そのとき第二の通信。いまは、サラリイマンになって家庭の安楽ということにつき疑い悩んで、そのとき第三の通信》

こうして男は「風の便り」を書き始める《——諸君は音信をきらいであろうか》……。

と、ここからが「風の便り」の世界。主人公は旧制高校に通う鼻っ柱の強い秀才で、「鶴」という小説を書いて自費出版し、地元の新聞社に送りつけたところ、書評欄でクソミソに貶されてしまう。「鶴」についてわれわれは書き出しの部分しか読むことができないが、なぜかこの書評は全文再録(?)されている。それって何て『完全な真空』ですか。

このように「猿面冠者」という小説は、
 1)「猿面冠者」
 2)「風の便り」
 3)「鶴」
という複数の虚構の階層性を持ち、そこへ「鶴」の書評、「風の便り」の中の通信、チェーホフやプーシキンの引用といった小説の地の語りから独立した別種の語りが入り混じった上に、「通信」のような内容は開かされないテキストの存在も示唆される——というたいへんに手の込んだ仕組みになっている。

テキストは先行する言説からの引用の織物である、みたいなことを言ったのはたしかボルヘスで、太宰がボルヘスを知っていたとも思えないが、彼がこの点においてボルヘスと同じ認識を持っていた——少なくとも感覚としてわかっていた——のは明らかだ。でなければ、小説の引用しかできない男の書いた小説、などというパラドキシカルな発想は出てこない。
そしてその経緯を描いた「猿面冠者」が他者の言説——と言いつつ大部分は他者の言説の名のもとに実は太宰自身がでっちあげたニセの他者の言説であるという——で埋め尽くされる構想も。

もうひとつ強調しておきたいのが、分解するとこれほどややこしくなる小説を、わずか20頁の短篇にまとめて、スラッと読ませてしまう太宰の作家的力量である。実際、要約がこれほど難しい小説だとは、この原稿を書いてみて痛感させられた。
この作品が発表されたのが昭和9年夏。太宰にとってデビュー5作目だった。彼はその出発点からまぎれもなく、ヘンな小説を自覚的に書く作家だったのである。


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 ■第02回 星新一と太宰治-「ダス・ゲマイネ」-

最相葉月の話題作『星新一 一〇〇一話をつくった人』を読んでいたところ、東京大学に在学中の星新一が「ダス・ゲマイネ」など太宰治の作品に傾倒していたとの記述にぶつかった。

このこと自体は、以前ひとから聞かされたことがあったので、特に耳新しいものではなかったが、最相によれば星はプロ作家となった後も、太宰を「百年に一人の才能」と評価していたという。そこで今回は「ダス・ゲマイネ」を詳しく紹介してみたい。
この奇妙な題名はドイツ語で卑俗を意味する。

「ダス・ゲマイネ」の主人公兼語り手は佐野次郎という。ただしこれは仇名で、彼の本名は最後まで明かされない。はっきりした記述はないが、推測するに舞台は昭和初期の東京、佐野次郎は東京帝国大学仏文科に在学中の学生であろう。書き出しには、こうある。

《恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。それより以前には、私の左の横顔だけを見せつけ、私のおとこを売ろうとあせり、相手が一分間でもためらったが最後、たちまち私はきりきり舞いをはじめて、疾風のごとく逃げ失せる。
けれども私は、そのころすべてにだらしなくなっていて、ほとんど私の身にくっついてしまったかのようにも思われたその賢明な、怪我の少ない身構えの法をさえ持ち堪えることができず、謂わば手放しで、節度のない恋をした。好きなのだから仕様がないという嗄れた呟きが、私の思想の全部であった》

佐野次郎の切ない片想いの相手は、色街の女であった。いくら好きだといっても逢うには金がかかる。学生にとっては身請けはもとより通い詰めるのも容易でない。
彼は次善の策を考える。大学そばの上野公園に甘酒屋があり、そこで働いている菊ちゃんという娘が、たまたま件の女とよく似ていた。なので、女に逢う金のないときは菊ちゃんの顔を見て我慢するのだと。
ここで佐野次郎は、馬場数馬という東京音楽学校の学生と知り合う。とにかくこいつはヘンな奴だと、彼は馬場の第一印象をこう記す。

《そのつぎには顔である。これをもひとめ見た印象で言わせてもらえば、シューベルトに化け損ねた狐である》

シューベルトに化け損ねた狐ってどんな狐なんだよ、おい。
それはともかく、佐野は馬場との仲を深めていくうち、色街の女にふられてしまう。そのことを興がった馬場が芝居の登場人物にちなんで主人公に命名した仇名が佐野次郎左衛門、略して佐野次郎。
佐野には、付き合っていくうち馬場が虚言癖の持ち主であるらしいことがわかってくる。なにしろ馬場は「荒城の月」を滝廉太郎の筆名で作曲し、その権利を山田耕筰に3000円で売ったなどと真顔で言うのだから。
やがて馬場は、佐野に同人誌を作らないかと話をもちかける。誌名は、海賊。

《Pirateという言葉は、著作物の剽窃者を指していうときにも使用されるようだが、それでもかまわないか、と私が言ったら、馬場は即座に、いよいよ面白いと答えた。La Pirate——雑誌の名はまずきまった。マラルメやヴェルレエヌの関係していたLa Basoche,ヴェルハアレン一派のLa Jeune Belgique, そのほかLa Senaine、Le Type.いずれも異国の芸苑に咲いた真紅の薔薇。むかしの若き芸術家たちが世界に呼びかけた機関雑誌。ああ、われらもまた。暑中休暇がすんであたふたと上京したら、馬場の海賊熱はいよいよあがっていて、やがて私にもそのまま感染し、ふたり寄ると触るとLa Pirateについての、はなやかな空想を、いやいや、具体的なプランについて語り合ったのである。春と夏と秋と冬と一年に四回ずつ発行のこと。菊倍判六十頁。全部アート紙。
クラブ員は海賊のユニフォオムを一着すること。胸には必ず季節の花を。クラブ員相互の合言葉。——一切誓うな。幸福とは? 審判する勿れ。ナポリを見てから死ね! 等々》

このくだりは、ファンジンやコンベンションに関わった人なら誰でも思い当たる節があるに違いない。ものごとはたいてい、ああしようこうしようとプランを練っている段階がいちばん楽しい。で、いざ実行に移すとなると喧嘩になって全て雲散霧消しちゃったりして。
そして、海賊もまた同じ運命を辿る。
馬場は親戚でイラストレーターの佐竹六郎という男をスカウトするが、彼は馬場を嫌っているらしく、佐野をつかまえては悪口を吹きこむ。

《馬場は全然だめです。(中略) このごろはまた、自意識過剰という言葉のひとつ覚えで、恥かしげもなくほうぼうへそれを言いふらして歩いているようです。僕はむずかしい言葉じゃ言えないけれども、自意識過剰というのは、たとえば、道の両側に何百人かの女学生が長い列をつくってならんでいて、そこへ自分が偶然にさしかかり、そのあいだをひとりで、のこのこ通って行くときの一挙手一投足、ことごとくぎこちなく視線のやりば首の位置すべてに困じ果てきりきり舞いをはじめるような、そんな工合いの気持ちのことだと思うのですが、もしそれだったら、自意識過剰というものは、実にもう、七転八倒の苦しみであって、馬場みたいにあんな出鱈目な饒舌を弄することは勿論できない筈だし、——だいいち雑誌を出すなんて浮いた気持ちになれるのがおかしいじゃないですか!》

さらに馬場は太宰治という新人作家(!)を引っ張り込む。これがまた一癖も二癖もある男。そして4人で最初のミーティングを持つものの、馬場と太宰が言い合いを始め、仕舞には馬場が太宰を殴ってしまい、とうとう海賊はこれきりでおしまいになる。

その日の夜、佐野は馬場と酒を飲み、意外な話を聞かされる。

《君、ビッグ・ニュウス。菊が君に惚れているぞ。佐野次郎さんには、死んでも言うものか。死ぬほど好きなひとだもの。そんな逆説めいたことを口走って、サイダアを一瓶、頭から僕にぶっかけて、きゃっきゃっと気ちがいみたいに笑った》

佐野はこれに対し《「僕は、」私はぶちまけてしまおうと思った。「誰もみんなきらいです。菊ちゃんだけを好きなんだ。川のむこうにいた女よりさきに菊ちゃんを見て知っていたような気もするのです。」》と本心を打ち明け、馬場を置いて独り飲み屋の外に出る。

《そのうちに、私は荒涼たる疑念にとらわれはじめたのである。私はいったい誰だろう、と考えて、慄然とした。私は私の影を盗まれた。(中略)
私は、まっすぐに走りだした。歯医者。小鳥屋。甘栗屋。ベエカリイ。花屋。街路樹。古本屋。洋館。走りながら私は自分がぶつぶつ低く呟いているのに気づいた。——走れ、電車。走れ、佐野次郎。走れ、電車。走れ、佐野次郎。出鱈目な調子をつけて繰り返し繰り返し歌っていたのだ。あ、これが私の創作だ。私の創った唯一の詩だ。なんというだらしなさ! 頭がわるいから駄目なんだ。だらしがないから駄目なんだ。ライト。爆音。星。信号。風。あっ!》

ここまで引っ張ってきて言うのも心苦しいが、「ダス・ゲマイネ」においてストーリーはたいした意味を持っていない。登場人物たちの饒舌なお喋りと、その中でキラリと光るレトリック、比喩、箴言の面白さが、この作品の本体なのである(その雰囲気を味わってもらうために、あえて引用を多くしたのだが)。「ダス・ゲマイネ」は小説としてのありようにおいて、徹底的に簡潔な星新一のショートショートとは対極の関係にある。

星新一はなぜこの作品を繰り返し読んだのだろうか。最相の評伝では、それが友人の自殺と関連づけて述べられており、「太宰と逆の方向へと走らねばと、気が気でない」という星の言葉も、同じ流れで紹介されている。しかし太宰読みの立場から言わせてもらうと、その見方は太宰の死後の「自殺した作家」というイメージにいささか引きずられているような気がする。
というのも、友人が自殺したのは昭和22年11月のこと。この時点で太宰はまだ存命していたばかりか、翌月には代表作『斜陽』を刊行し一躍ブレイクすることになるのである。1年もしないうちに愛人と心中を遂げようなどとは誰しも予想していなかったはずだ。

佐野次郎は物語の最後で死ぬ。ただしそれは自殺ではなく、電車に撥ねられての事故死だ。「ダス・ゲマイネ」における死の扱いは、太宰の全作品中でもドライな部類に入るもので、友人が自殺したからといって、即、熟読するような小説ではない。
星新一の中では、友人の死と太宰への傾倒は、それぞれ別の文脈で捉えられていたのではないか。星が太宰を「百年に一人の才能」と評したのは、プライヴェートな事情とは全く関係のない、小説家が他人の小説を読んだときにのみに働く知覚がそう言わせたのではないか。私にはそんな気がしてならない。

さて、次回は野田昌宏大元帥と太宰の隠れた(別に隠れてもいないか)関係について。

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 ■第03回 野田大元帥と太宰治-「カチカチ山」- 

SFファンにもっともよく知られた太宰の作品は「カチカチ山」ではなかろうか、と私はかねてから睨んでいる。

というのも野田昌宏氏がエッセイなどで女はコワイという話をするとき、しばしばこの作品を引き合いに出しているからなのである。 そこで今回は、名にしおう宇宙軍大元帥をも震え上がらせた「カチカチ山」の内容を探ってみたい。と、いきなり話を迂回させて恐縮だが、「カチカチ山」を紹介するためには、同作品が収録されている『お伽草子』という本から紹介する必要がある。でないと、話の前提が理解できないのだ。

『お伽草子』は終戦後まもない昭和20年10月に刊行された連作短篇集で「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」と日本の昔話に材をとった4作品が収められ、「前書き」がついている。
「前書き」では、度重なる空襲下で本書を書き進めている太宰の姿が描かれる。《「あ、鳴った。」/と言って、父はペンを置いて立ち上る。警報くらいでは立ち上らないのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて》妻と幼い子供を連れて防空壕へ避難する。

しばらく身をひそめていると、5歳の娘が退屈してむずかりだす。これを静めるため、太宰は昔話の絵本を読み聞かせる。

《この父は服装もまずしく、容貌も愚なるに似ているが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するというまことに奇異な術を体得している男なのだ。/ムカシ ムカシノオ話ヨ/などと、間の抜けたような声で本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのずから別個の物語がウン醸(鈴木注、原文のウンは漢字)せられているのである》

とこんな具合で、『お伽草子』は太宰が娘に昔話を聞かせながら考えた小説、という体裁をとっている。
さて彼が「カチカチ山」を読んでやったときのこと。話が終わると娘が《「狸さん、可哀想ね。」》と漏らす。父はそれを聞いて、なるほどその通りだ、と妙に納得する。

《兎の仕打ちは、執拗すぎる。一撃のもとに倒すというような颯爽たる仇討ちではない。生殺しにして、なぶって、なぶって、そうして最後は泥舟でぶくぶくである》
《仇討ちは須らく堂々たるべきである。神は正義に味方する。かなわぬまでも、天誅! と一声叫んで真正面からおどりかかって行くべきである》

こうした矛盾点に気付いてしまったとき、人はどうするか。いちばん安直なのは、ストーリーを改変してしまうことである。子供向けの絵本によくある、お婆さんも死んでいなくて、狸も最後は心を入れ替えて、みんなで仲良く暮らしました、めでたしめでたし、みたいな。
しかし前にも言ったが、太宰はこういう時、ストーリーではなく設定をいじる。何が何でも狸がひどい目に遭わざるをえないような方向で小説を書いていくのだ。

では太宰の手にかかると「カチカチ山」の登場人物はどんなことになってしまうのか。

兎=16歳の美少女。極度の潔癖症。
狸=ブサメンの中年男。
狸殺害の理由=お婆さんの仇など関係ない。兎の狸に対する嫌悪感と悪意。

これはいくらなんでもないだろう、と思う人もいるかもしれない。しかし太宰は《自分の水浴しているところを覗き見した男に、颯と水をぶっかけて鹿にしてしまった》 ギリシャ神話のアルテミスなどを持ち出したりして処女が潔癖症であり、残酷であることをしきりに強調する。

狸もまた単なる中年男ではない。まず不潔で体臭がひどい。地面に這っている虫を踊り食いしてしまうような悪食。おまけに兎に懸想していて、彼女の気を引こうと年齢を20歳もサバ読んだり、出自を偽ったり、つまらない小細工をあれこれ弄するが、相手にはすべて見抜かれていて、それがかえって嫌悪感を増幅するという悪循環に陥っている。そしてもっとも不幸なことに、本人にはその自覚がまったくない。
このあたり読者を巧みに丸めこみ、納得させてしまう太宰の手口は、ほとんど詐欺師である。どこかで騙されているのはわかるのに、具体的にどこで騙されたのかは指摘できない。
設定はできた。ストーリーはおなじみだから、あとはディテールを作りこむだけだ。こうして太宰は兎の残酷さと狸の受難を、これでもかこれでもかとばかりに描いていく。
お爺さんの家から戻ってきた狸を、兎は《「あのお家の庭先に私が時々遊びにいって、そうして、おいしいやわらかな豆なんかごちそうになったのを、あなただって知ってたじゃないの(中略)あなたは、私の敵よ。」》とさんざん責めたあと、こう言う。

《「それじゃあね、こんど一ぺんだけ、ゆるしてあげる。あれ、寄って来ちゃ駄目だって言うのに。油断もすきもなりゃしない。よだれを拭いたらどう? 下顎がべろべろしてるじゃないの。落ついて、よくお聞き。こんど一ぺんだけは特別にゆるしてあげるけれど、でも、条件があるの。あの爺さんは、いまごろはきっとひどく落胆して、山に柴刈りに行く気力も何も無くなっているでしょうから、私たちはその代わりに柴刈りに行ってあげましょうよ。」》

そして柴刈りで狸が弁当をつかう場面。

《ぐいとその石油缶ぐらいの大きさのお弁当箱に鼻先を突込んで、むしゃむしゃ、がつがつ、ぺっぺっ、という騒々しい音を立てながら、それこそ一心不乱に食べている。兎はあっけにとられたような顔をして、柴刈りの手を休め、ちょっとそのお弁当箱の中を覗いて、あ! と小さい叫び声を挙げ、両手で顔を覆った。何だか知れぬが、そのお弁当箱には、すごいものがはいっていたようである》

狸が何を食べていたのかは書かずに、兎の反応だけを読者に示す。練達の技である。
狸に大火傷を負わせた翌日、兎は薬売りに化けて唐辛子入りの軟膏を持ってくる。ここで狸は、火傷、切り傷、色黒に効くという兎の口上を真に受け、火傷より先に色黒を直そうと、あろうことか顔に軟膏を塗ってしまう。他人に見栄を張る者の常として、狸は実は、自分自身にひどい劣等感を抱いていたのだ。

《「少くともおれの顔は、目鼻立ちは決して悪くないと思うんだ。ただ、この色黒のために気がひけていたんだ。もう大丈夫だ。うわっ! これは、ひどい。どうもひりひりする。(略)
わあ、ひどい。しかし我慢するんだ。ちきしょうめ、こんどあいつが、おれと逢った時、うっとりおれの顔に見とれて、うふふ、おれはもう、あいつが恋わずらいしたって知らないぞ。(略)
さあ、もうこうなったら、背中にでもどこにでも、からだ一面に塗ってくれ。おれは死んだってかまわん。色白にさえなったら死んだってかまわんのだ。さあ塗ってくれ。遠慮なくべたべたと威勢よくやってくれ。」まことに悲壮な光景になって来た》

もちろん兎は火傷にも軟膏をたっぷりとすり込む。狸は《「わああ、ひどい。水をくれ。ここはどこだ。地獄か。かんにんしてくれ。おれは地獄へ落ちる覚えは無えんだ。」》と叫びながら失神する。
そして極めつけは、火傷の癒えた狸が、性懲りもなく兎の家を訪ねる件だ。

《「あら!」と兎は言い、ひどく露骨にいやな顔をした。なあんだ、あなたなの? という気持、いや、それよりもなおひどい。ああ、たまらない! 疫病神が来た! という気持、いや、それよりも、もっとひどい。きたない! くさい! 死んじまえ! というような極度の嫌悪が、その時の兎の顔にありありと見えているのに、しかし、とかく招かれざる客というのは、その訪問先の主人の、こんな憎悪感に気附く事はなはだ疎いものである》

こうして狸の運命は決まった。あとはもう泥舟に乗せられて溺れ死ぬだけだ。

ところで今回、原稿を書くために「カチカチ山」を読み返して、こんな一節に気がついた。いよいよ兎と狸が湖に繰り出すところである。

《さて兎は、そのウガ島(鈴木注、原文のウガは漢字)の夕景をうっとり望見して、/「おお、いい景色。」と呟く。これは如何にも奇怪である。どんな極悪人でも、これから残虐の犯罪を行おうというその直前に於いて、山水の美にうっとり見とれるほどの余裕なんて無いように思われるが、しかし、この十六歳の美しい処女は、眼を細めて島の夕景を鑑賞している。まことに無邪気と悪魔とは紙一重である。
苦労を知らぬわがままな処女の、へどが出るような気障ったらしい姿態に対して、ああ青春は純粋だ、なんて言って垂涎している男たちは、気をつけるがよい。その人たちの所謂「青春の純真」とかいうものは、しばしばこの兎に於けるが如く、その胸中に殺意と陶酔が隣合せて住んでいても平然たる、何が何やらわからぬ官能のごちゃまぜの乱舞である。危険この上ないビールの泡だ。皮膚感覚が倫理を覆っている状態、これを低能あるいは悪魔という》

そうなのだ。兎と狸の話だと思えばこそ我々は笑って読んでいられるが、これがもし人間同士だったらどうする。陰惨きわまりないサイコホラーではないか。設定を掘り下げてゆくうち太宰は残酷さに潜む不条理というとんでもない所に行き着いてしまったのではないのだろうか。その深度は、「本当は怖い○○」といった類の本の比ではない。
すぐれたパロディは時としてオリジナルをも凌ぐ。中世に書かれたおびただしい騎士道物語は忘れ去られてもそのパロディたるセルバンテスの『ドン・キホーテ』だけは残っているように、太宰のこの作品も、このあとどんなヴァージョンも「カチカチ山」を読もうと、読者は脳裡で残酷な美少女の兎と、憐れな中年男の狸が動くことを止められない、そのくらい強烈な印象を残す。野田氏が忘れられないのもむべなるかな、である。

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 ■第04回 太宰版『デスノート』-「断崖の錯覚」-(上)

いまインターネットに接続できる環境の方は、とりあえずこれをご覧いただきたい。

http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%A4%B1%E6%A0%BC-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A4%AA%E5%AE%B0-%E6%B2%BB/dp/4087520013/ref=sr_1_4/503-2702958-2165500?ie=UTF8&s=books&qid=1185075952&sr=1-4

今年の夏、カバーが新しくなった集英社文庫版の『人間失格』だが、表紙イラストを手がけているのは、なんと小畑健。
詰め襟姿の少年がじつに凶悪そう。これでは、頭はいいけど性格の歪んだ主人公が、登場人物たちに次々と人間失格の烙印を捺していく話のようではないか。実際はまったく逆なんだけど。
そこで今回はカバー改版を記念して、太宰版『デスノート』はないかしら……と冗談で本棚を漁ってみたら、ノートにある人名を書き込んだばかりに人の死ぬ話が、本当に実在するのだから太宰治という作家はつくづく訳がわからない。

タイトルは「断崖の錯覚」。昭和9年、黒木舜平というペンネームで雑誌に掲載されたものの、生前の太宰がこの事実を公にしなかったため長らく埋もれてしまい、没後30年以上たってから研究者によって発見されたという、いわくつきの一品でもある。
物語は、作家志望の青年が数年前に体験した出来事を語るという形式で展開される。ただこの青年、悪い人ではないのだけれどものの考え方にどこか重大な欠陥があるようで……。

《その頃の私は、大作家になりたくて、大作家になるためには、たとえどのようなつらい修行でも、またどのような大きい犠牲でも、それを忍びおおせなくてはならぬと決心していた。大作家になるには、筆の修行よりも、人間としての修行をまずして置かなくてはかぬまい、と私は考えた。
恋愛はもとより、ひとの細君を盗むことや、一夜で百円もの遊びをすることや、それから株を買って千円もうけたり、一万円損することや、人を殺すことや、すべてどんな経験でもひととおりはして置かねばいい作家になれぬものと信じていた》

のっけからいきなりこれである。なにしろ70年以上前の作品だから、人生経験を積まないと作家にはなれない式の、古い文学観に支配されているのは致し方ないとしよう。しかし、人を殺すこと云々というのはいくら何でも極端すぎやしないか。こんなことを言っていたら『虐殺器官』を書くためにはいくら人殺しをしても足りないに違いない。
主人公は独りで熱海に遊びに行く。ある旅館に投宿し、女中と雑談しているうち、そこが尾崎紅葉ゆかりの文学的にただしく由緒ある宿であることを知る。

よせばいいのについつまらない虚栄心に駆られた彼は、女中に《ここなら、よい小説が書けそうです》《今月末が〆切りなのです。いそがしいのです》と、まるでプロの作家であるかのような言い草を口走る。そればかりか宿帳に、ある新進作家の名前を騙って記入してしまう。そしてこのことが、後の悲劇を呼び寄せることとなる。

<< 次回につづく >>

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 ■第05回 太宰版『デスノート』-「断崖の錯覚」-(下)

前回のあらすじ。主人公は小説家志望のちょっと思い込みの激しい青年。熱海に旅行したおり、出来心である新進作家の名前を騙って宿帳に記入したところ……。
主人公の駄法螺を、宿の人たちは本気にする。一夜明ければ先生扱いだ。部屋に来る女中、来る女中《先生、書けますでしょうか》と言ってくる。体裁を取り繕わなくてはならなくなった彼は、机の上に原稿用紙をデンと積み上げ「初恋の記」とタイトルを書いてみるが、もちろん本当に小説を書くためカンヅメに来たわけではないから、

《二三行書いたり消したりして苦心の跡を見せ、それを女中たちに見えるように、わざと机のうえに置きっぱなしにして、顔をしかめながら、そとへ散歩に出るのだった》

といった具合で進む道理がない。

ところが散歩の道中、偶然立ち寄った喫茶店で、主人公は雪という女給に一目惚れをする。狭い温泉街のこと、どこかから噂が流れていて、彼女もまた主人公をかの新進作家と信じて疑う様子がない。

宿に帰っても彼女の面影わすれがたく原稿用紙に向かうとあら不思議、構想も何もなかった「初恋の記」が一晩ですらすら書けてしまうではないか。しかもそれは《私が名前を借りたその新進作家ですら書けないほどの立派なできばえ》で《いますぐにでも大雑誌に売れるような気が》するくらいの傑作だった。《もはや私にとって、なんの恐ろしいこともない。私は輝かしき新進作家である。私は、からだじゅうにむくむくと自信の満ちて来るのを覚えた》

それほどの自信作ならすぐさま東京に戻って売り込みすればいいはずなのに、なぜか先生は、出版社より雪に自分を売り込むのにご執心なさる。

《雪、いい名だ》という歯の浮くような台詞にはじまって、《飲めよ、きょうはねえ、僕、うれしいことがあるんだよ、飲めよ》と酒を勧めたり、《よせ、よせ、僕におだては、きかないよ》と引いたり、かと思えば雪に「初恋の記」を、

《僕は君みたいな女が欲しくて、小説を書いているのだよ。僕は、ゆうべ初恋の記という小説を書いたけれど、君をモデルに書いたのだ。僕の理想の女性だ。読んでみないか》

と持ちかけ、実は私、春をひさいでいる卑しい女なの、と雪がカミングアウトするや今度は原稿を彼女の前でビリビリに破いてみせて、

《僕は君に自信をつけてやりたいのだ。これは傑作だ。知られざる傑作だ。けれども、ひとりの人間に自信をつけてやるためには、どんな火中にもよろこんで身を投ずる。それが、ほんとうの傑作だ。僕は君ひとりのためにこの小説を書いたのだ。しかしこれが君を救わずにかえって苦しめたとすれば、僕は、これを破るほかはない。これを破ることで、君に自信をつけてやりたい。君を救ってやりたい》

と、もう手練手管、舌先三寸、万障繰合。この人、小説なんかより、女の口説き方みたいなハウツー本を書く方がぜったい向いていると思う。
必死のアプローチは功を奏し、主人公と雪は宿で一夜を明かし結婚のちぎりを結ぶに至る。出会ってからここまでたったの二晩である。展開はえーなー。
朝になった。主人公と雪は宿を出て、海を見下ろす山に登る。

《くねくね曲がった山路をならんでのぼりながら、雪は、なにかの話のついでに、とつぜん或る新進作家の名前で私を高く呼んだ。私は、どきんと胸打たれた。雪の愛している男は私ではない。或る新進作家だったのだ。私は目の前の幸福が、がらがらと音をたてて崩れて行くのを感じたのである。(略)
私は、あくまでも、その新進作家をよそわねばならなかった。どうせ判ることだ。まっかな贋物だと判ることだ。ああ、そのとき!》

主人公は衝動にかられて、雪を海に突き落としてしまう。雪の死は事故として処理され、彼は何も咎められずに東京に帰った。

さて、こうして成り行きながら小説家になるための経験を主人公は積んだわけだが、果たして彼の念願はかなったのだろうか。

《それから、五年経っている。しかし、私は無事である。しかし、ああ、法律はあざむき得ても、私の心は無事でないのだ。雪に対する日ましにつのるこの切ない思慕の念は、どうしたことであろう。私が十日ほど名を借りたかの新進作家は、いまや、ますます文運隆々とさかえて、おしもおされもせぬ大作家になっているのであるが、私は、——大作家になるにふさわしき、殺人という立派な経験をさえした私は、いまだにひとつの傑作も作り得ず、おのれの殺した少女に対するやるせない追憶にふけりつつ、あえぎあえぎその日を送っている》

けっきょく小説家にはなれませんでした、というオチ。それじゃあの大仰な冒頭は何だったんだということになるのだが、ここまで読むと、太宰が主人公を自身の代弁者として造形したのではなく、むしろ批判的に見ていることがわかってくる。太宰は《恋愛はもとより、ひとの細君を盗むことや》云々の人生経験が、小説を書くことと直結しているなどとはハナから信じていない。
その上で、わざとこういう思い込みを持っている人間を主人公に据えて小説を書く。言葉を替えると、私がこれまで主人公にいれてきたツッコミは、作者にとってはすでに織り込み済みの事柄なのだ。太宰が煮ても焼いても食えない強かな作家だと思うのは、こういう作品を読んだときである。

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 ■第06回 ハリポタ+飢狼伝=-「ロマネスク- 

前々回の枕で小畑健が集英社文庫版『人間失格』のカバー画を描いたことにちょっと触れたが、そうしたら夏休み期間中に2万部売れればいいところを、なんと9万部が捌けてしまったそうである。おそるべきは大ヒット漫画の力である。集英社文庫編集部は、ぜひエミール・ゾラの『ナナ』も、矢沢あいの表紙で売り出すべきであろう。いや、絶対に間違って買っていく奴がいるって!

さて、今回紹介するのは「ロマネスク」という初期の作品である。これはタイトル通り、太宰には珍しい伝奇小説で、全作品の中でもエンターテインメント度が最も高い部類にはいる。江戸時代後期を舞台に、「仙術太郎」「喧嘩次郎兵衛」「嘘の三郎」という、まったく主人公の異なる3作品をつなげたオムニバス構成をとっている。

まずは「仙術太郎」。津軽の国のある村で、庄屋のところに男の子が産まれ、太郎と名付けられた。太郎はどこかぼんやりした、動作ののろい子供だった。

太郎が3歳のある夜、彼の姿が家の中から忽然と消えてしまうという事件が起こった。さあ神隠しか、と村人が騒然としているところ、1里離れたリンゴ畑ですやすやと寝息をたてている太郎が発見される。彼は連れ戻されたとき、《タアナカムダアチイナエエ》という謎の言葉をつぶやく。

太郎の父は、これを《たみのかまどはにぎわいけり》と解釈し、この子は神童だと思い込む。果たせるかな、その年からの村は、リンゴや米は豊作になるわ、正月には千羽の鶴が飛来するわ、めでたいことが続き、やっぱり太郎は予言者じゃと父は大いに意を強くした。
ところがそれから2年たっても3年たっても太郎はうすぼんやりしたままだった。村人の評判も芳しくない。やっぱりこいつは出来損ないだったか、と庄屋が失望しかけた矢先、太郎10歳のおりに村が大水害に襲われ、村人たちは全滅の危機に立たされる。
絶望しかけた村人たちに、とんでもない提案をしたのが太郎だった。それならお殿様に救済をお願いすればいいではないか。時は江戸時代、佐倉宗五郎の例を引くまでもなく、農民の直訴は重罪だ。しかし彼は周囲の制止も聞かず単身お城に乗り込んだ。

直訴は成功した。感心な子供じゃということで、罪に問われるどころかお殿様じきじきに褒美まで頂戴した。これで再び太郎の株は上がったが、日頃のうすぼんやりした立ち振る舞いだけはどうにも改まらず、数年もすると村人たちはまた彼を馬鹿にしはじめた。

そのころ太郎は、蔵の中で仙術の本をみつけて熱中していた。修行の結果、ネズミとワシとヘビに変身する法を会得する。そうこうするうち、彼は油屋の娘を見初めた。俺がよい男になれば、あの娘もきっと自分に惚れるだろう。仙術でネズミやワシやヘビになれるのなら、よい男にもなれるはず。そう考えた太郎はおのれに仙術をかけ、10日がかりでよい男になることに成功した——はずだったのだが、鏡をのぞいた彼が見出したのは、予想とは似ても似つかぬ姿になってしまった自分自身だった。

続いては「喧嘩次郎兵衛」。場所は東海道・三島の宿である。酒屋の息子に次郎兵衛という男がいた。今でいうところのヤンキーみたいな青年だった。

次郎兵衛が22歳の年、三島の大祭はにわか雨に祟られた。彼が酒場で飲んだくれていると、外を近所の娘が雨に濡れて通りかかった。次郎兵衛は彼女に声をかけた。まったくの親切心から傘を貸してやろうと思ったのだ。ところがちょっと傘を探しているうちに、娘は姿を消してしまった。酒場に居合わせた人々は、次郎兵衛がナンパに失敗したのだと思い彼を嘲り笑った。

次郎兵衛は腹を立てた。ああできることなら俺を笑った連中をこの場でぶちのめしてやりたい。しかし俺には喧嘩の技術がない。是が非でも喧嘩に強くなってやる。こうして彼の3年に及ぶ喧嘩修行が始まった。

この修行の内容が、微に入り細に入り、非常にもっとらしくて面白い。そこでちょっとかいつまんで紹介しておこうと思う。ただし真似をして大けがを負ったとしても責任は持てないが。

まずは酒で度胸をこしらえる。眼が死魚の眼のように冷たくかすみ、額に横皺が生じ、ふてぶてしい顔になるまで飲む。こうすれば度胸のすわった男に見える。

次は言葉で相手を威圧する方法を考える。奥の知れないようなぼそぼそした声で《おまえ、間違ってはいませんか。冗談じゃないかしら。おまえのその鼻の先が紫いろに腫れあがるとおかしく見えますよ。なおすのに百日かかる。なんだか間違っていると思います》。これを微笑むようにして言うと、怖さが倍増する。

さてここからが実戦編だ。まずは握り拳のつくりかた。親指を外に出しておくと挫くおそれがあるから、必ず4本の指でカバーしよう。人差し指から小指にかけては第1関節を揃えて材木の角のようにする。殴るときは指の背ではなく、必ずここで殴ること。煙草盆やら家の板塀などを手当たり次第に殴りつけて拳を固く強化する。

人間の体で、殴られると一番痛いのは眉間とみぞおちだ。裏庭にある枯木を人体に見立てて、眉間とみぞおちに相当する場所に印しをつけ、そこをひたすら殴る。大振りのフックよりは脇をしめたアッパーカットの方が破壊力は大きい。拳が相手と接触した瞬間に半回転のひねりを入れるとなおよろしい。

喧嘩の相手は枯木ではなく人間だから、もちろん動く。次の段階は、回っている水車の羽を狙って一枚一枚確実に破壊できるようにする。こうして動体視力を養うのだ。喧嘩の途中で川に落っこちる可能性もあるから、素潜りの練習もやっておくこと。帯は常にきつく締めておき、必要以上の酒が腹に入らないようにする。酔いが過ぎると思わぬ不覚をとるかもしれないからだ。

かくして三島最強の男となった次郎兵衛だったが、戦果は……まったく上がらなかった。見かけからしてとにかくもう凄い恐ろしげになってしまったので、誰も喧嘩を売ってくれないのだ。気の荒い火消し衆でさえも、彼が姿を現すと恐れをなして逃げる始末。
修行の成果を発揮できないまま鬱々と暮らしていた彼は、あの酒場の表を通りかかった娘を嫁にとることになった。ところが祝言をあげた晩、彼はひょんなことから殺人を犯してしまい、罪人として牢屋に入れられる羽目になる。

そして最後の「嘘の三郎」。江戸深川に黄村という偏屈者で知られる学者がいた。偏屈なので産まれた長男に三郎と命名した。黄村は偏屈なだけではなくケチでもあった。三郎が悪さをしても、腹が減るという理由で折檻をしなかったくらいだから徹底している。

こんな親に育てられれば子供も歪む。三郎は次第に嘘をつくことを覚えた。隣の飼い犬が騒ぐので、石を投げつけたら死んでしまった。様子を尋ねた黄村に、彼は《(犬は)病気らしゅうございます。あしたあたり死ぬかもしれません》と答えた。

次に彼は、友人を橋の上から突き飛ばして殺した。そうしてあたかも第一発見者のように装い、誰にも怪しまれなかった。このまま三郎の行動がエスカレートすれば、夢野久作の「少女地獄」ばりの陰惨な話になるところだが、ここから物語は変な方向によじれていく。

彼は幼少時の犯罪を隠すため、嘘に嘘を重ねて生活するようになる。そうしているうち嘘のつきかたも上手になり、やがて大人になった三郎は、嘘の才能を利用して暮らすようになった。まずは手紙の代筆。黄村の弟子たちはみな貧乏書生ばかりだったから、親からの送金が必要になったら、三郎に依頼する。そうすると三郎は、親がすぐにでも金を送りたくなるような手紙をでっち上げるのだ。
続いて彼は、洒落本の執筆を手がける。酔い泥屋滅茶滅茶先生というペンネーム(どうでもいいけど凄いネーミングセンスだ)で本を上梓すると、これがけっこう売れた。息子が戯作者になったことを知った黄村は《なんぼもうかったかの》と金のことだけを訊いてきた。
その翌年、黄村が死んだ。三郎が遺書を開封してみると、そこには彼を唖然とさせるような父の真実が記されていた。

三郎はそれ以来、嘘をつく張り合いをめっきり失ってしまう。ある日、彼が捨て鉢な気持ちで居酒屋の暖簾をくぐると、そこには仙術太郎と喧嘩次郎兵衛が先客として飲んでいた。おたがいに何かを察した彼ら3人は、顔を寄せ合いそれぞれの身の上をぽつぽつと語りはじめた……。

この作品は、実際に手にとってみたい方のために、各話の結末にあたる部分は、あえてぼかして紹介している。新潮文庫の『晩年』が、おそらく最も手に入れやすい本だと思う。

解説によればこの作品のテーマは青春の蹉跌とか書いてあるが、はっきり言ってそんな格好いいものではない。主人公たちは、腰砕けというか、トホホというか、非常にしょうもない理由でそれまでの努力をみんなパアにしてしまうのである。この脱力さ加減が味になっている。

このコラムのためにあれこれ読み返してみて、実は、脱力というのは太宰作品のキイワードではないかという気がしている。読者が盛り上がりそうになると、その斜め上に飛んでパッと外してしまうのだ、この作家は。「走れメロス」のような熱血青春ドラマの方がこそ、太宰作品の中ではむしろ傍系なのである。

そこで次回は、脱力系小説としての太宰治という観点から、代表的な作品をふたつ紹介してみたい。

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 ■第07回 戦略としての脱力-「十二月八日」と「トカトントン」- 

太宰治が作家として活動していたのは、昭和8年から23年にかけての足かけ16年である。

このうち最初の12年間は、デビューの年に小林多喜二が特高警察に虐殺されたことからも窺えるように、政府・軍部から文学者に対しても干渉がなされ、反体制的な言論が封殺された時代だった。ところが昭和20年の敗戦でこれまでの価値観はみんなアウトということになり、これまでとは反対に民主主義、あるいはもっと過激な左翼革命といったことが声高に語られるようになった。

(このへん、細かいことを言い出せば切りがないのだが、真面目に文学史をやるコラムではないので、おおむねこんな感じということにしておく)

今回紹介するのは、日米開戦直後と、戦後2年目に書かれた2作品である。周囲の状況が激変した中で、この作家が何を持続させようとしたのかを見ていきたい。

最初に取り上げるのは、昭和17年2月に発表された「十二月八日」。タイトルからも察しがつく通り、太平洋戦争がはじまった1日の様子を、太宰の妻の観点から描いた作品である。

12月8日の朝、妻が生後6ヶ月の長女・園子に乳を含ませていると、そこへラジオが「帝国陸海軍は本8日未明西太平洋上において米英軍と戦闘状態に入れり」というあの有名な大本営発表を告げる。

《しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞こえた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になる感じ。あるいは、精霊の息吹きを受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような感じ。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ》

当時の日本は、アメリカから外交的な圧迫を受けていたから、このようにある種の解放感、爽快感を覚えた人は少なくないようだ。高村光太郎などは浮かれるあまり開戦をたたえる詩を発表して、のちに戦争協力者として指弾される羽目になったくらいだ。

夫にこの事実を知らせようとすると、いつもの朝寝坊が今朝に限って起きていて、《「知ってるよ。知ってるよ。」》という。《芸術家というものは、勘の強いものだそうだから、何か虫の知らせとでもいうものがあったのかも知れない。少し感心する》。
ところが、そのあとの夫の一言がいけなかった。

《「西太平洋って、どの辺だね? サンフランシスコかね?」》

実は夫は、《南極が一ばん暑くて、北極が一ばん寒いと》思い込んでいるほどの地理音痴なのだった。《「西太平洋といえば、日本のほうの側の太平洋でしょう。」》と妻が返すと、

《「しかし、それは初耳だった。アメリカが東で、日本が西というのは気持ちの悪い事じゃないか。日本は日出ずる国と言われ、また東亜とも言われているのだ。太陽は日本からだけ昇るものだとばかり僕は思っていたのだが、それじゃ駄目だ。日本が東亜でなかったというのは、不愉快な話だ。なんとかして、日本が東で、アメリカが西と言う方法は無いものか。」》

まるで頓珍漢である。というか、もう戦争と関係ない。

夫は昼過ぎに原稿を書き上げると出版社に向かう。たぶん夜おそくまで帰ってこないだろう。彼は編集者と会うとついつい飲んだくれてしまう人なのだ。

その間、妻は次から次へと伝えられる戦勝のニュースを聞きながら、郵便局へ行ってお金を下ろしたり、買い物したり、近所の人たちと情報交換したりかいがいしく働く。このあたり、目刺し20銭とか封筒40銭とか物価が事細かに記録されていて戦時下の生活誌としても面白いのだがそれはともかく。

ラストシーンでは娘と一緒に銭湯に入ったあと、夜道で帰ってきた夫と偶然にでくわすくだりが描かれる。

《「園子が難儀してますわよ。」/と私が言ったら、/「なあんだ。」と大きな声で言って、「お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ。僕には、信仰があるから、夜道もなお白昼の如しだね。ついて来い。」/と、どんどん先に立って歩きました。/どこまで正気なのか、呆れた主人であります》

国家の存亡がかかった戦争なのだぞ! もうちょっと緊張感とかないのか! 奥さんの方がよっぽどしっかりしているぞ! と軍国主義者ならずとも太宰の胸ぐらをつかんで問い詰めたくなる。そのくらい、ここで描かれている太宰の自画像は天然ボケの空気嫁で、読んでいるこっちこそ呆れて、膝から下の力が脱けてしまう。

では昭和22年に発表された「トカトントン」では、太宰はどのように戦後を描いているのだろうか。

「トカトントン」の語り手は青森在住の若い郵便局員で、彼が同郷の作家に宛てて書いた手紙の体裁をとっている。

彼は戦争末期に徴兵され、千葉で本土決戦に備えての塹壕掘りに従事させられていた。そこで玉音放送を聞く。すると若い中尉が兵士を集めて、あくまでわれわれは徹底抗戦し、最後は自決して天皇陛下に詫びるべきだと演説をぶつ。それを聞いた彼は《死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました》と一度は戦争の大義に殉じようと決意する。

《ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、眼から鱗が落ちるとはあんな時の感じを言うのでしょうか。悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑きものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何なる感慨も、何も一つも有りませんでした》

以来、このトカトントンという音が、彼に取り憑く。

小説を書こうと思ったとき。郵便局でめいっぱい働いたとき。恋をしたとき。労働運動への参加を志したとき。スポーツをはじめたとき。いずれの場合も、最初のうちは高揚感を覚え、ようしやったるぜ! という気分になるものの、その最高の瞬間にどこからかトカトントンと聞こえてやる気を失ってしまう。そうしてこの幻聴は、やがて彼の日常生活をも浸食していく。

《もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞をひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、こないだこの部落に火事があって起きて火事場に駈けつけようとして、トカトントン、伯父のお相手で、晩ごはんの時お酒を飲んで、も少し飲んでみようかと思って、トカトントン、もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもトカトントン、自殺を考え、トカトントン》

正統的な文学批評では、この作品は戦後社会への風刺と解されているようだし(確かに、彼のやろうとしていたことは、いずれも戦後の解放感なしには許されないことばかりだ)、いま読むと、まるでニートや引きこもり問題を先取りしているようにもとれる。しかし、そういう読み方は、悪いとは言わないまでも私の興味は惹かない。

むしろ戦中も戦後も、あの価値観がまったく逆転した中にあって、時事的にはホットな現象を描きながら、最後には「あーもーそんなのどーでもいーや」と脱力してしまう小説を書いたことに注目したい。

要するにこういうことだ。人が青筋たてて眉つりあげて、拳をぶんまわしているような光景に太宰のシャイネスは耐えられないのだ。たとえば今だったら、PVでサッカー日本代表を応援しているような場所には、遠回りをしてでも近づかない、そんな感覚。

戦争だの革命だのは、そういった激情の発露の最たるものだろう。ましてやそういった個々人の心情を利用し、世の中を自分たちの都合のいいように操作する組織の論理に対しては、彼ははっきりと嫌悪感を示す。軍国主義も革命勢力も同じ穴のムジナなのだ。

彼にとって重要だったのは主張の内容なのではなく、表現のありかたなのだ。人が青筋たてて眉つりあげて、拳をぶんまわしているのが嫌なのならば、あとは表向きの主張に対しては適当にスルーしておいて、背後でこっそり骨抜きするよりほかあるまい。これが、太宰作品のもたらす脱力効果のキモであり、すぐれて小説的な戦略でもあったのである。

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 ■第08回 ヤツはとんでもないものを盗んでいきました-「春の盗賊」-

前回、前々回と脱力系の太宰作品を紹介してきたが、今回はそのきわめつけともいうべき作品にご登場願おう。昭和15年に発表された短篇「春の盗賊」である。
この作品のストーリーを、一言で要約すると、こうなる。
ある春の晩、俺の家に泥棒が入り、何も取らずに逃げました。以上。
これだけの話を文庫本にして40ページ弱にふくらませているのだが、どんなふうになっているのか、冒頭から順を追ってみていこう。

《あまり期待してお読みになると、私は困るのである。これは、そんなに面白い物語で無いかも知れない。どろぼうに就いての物語には、違いないのだけれど、名のある大どろぼうの生涯を書き記すわけでは無い。私一個の貧しい経験談に過ぎぬのである》

のっけからいきなりの低姿勢である。ここでやおら泥棒の話に入れば普通の小説なのだが、そうはいかない。まず太宰は、自分があちこちに借金をしていて、義理を欠いているかを説明し、これは自分が泥棒に入られた話なのであって、自分が泥棒をした話なのではないと、くどいくらいに念を押す。自分はもともと世間から胡乱な作家と見られているのだから、こうしておかないとまたあらぬ誤解を招くからだ、という。

ここから話は、どうも読者は作者と登場人物を混同しがちだ、困ったものだ、というボヤキになり、さらに、いや本当は自分が泥棒を働いた体験談をでっち上げようとしたのだけれど、やっぱりやめた、とはぐらかす。ここまでで約10ページ。いつ泥棒の話になるのだと読者がイライラしはじめたところを見計らったかのように、

《次に物語る一篇も、フィクションである。私は、昨夜どろぼうに見舞われた。そうして、それは嘘であります。全部、嘘であります》

やれやれやっと本題に入ったかと思うと、今度は《火事は、中学校四年生のときに、はっきり一ぶしじゅうを見とどけたことがあるけれども、どろぼうは、はじめてなのである》と今度は自分が目撃した火事の話を延々とする。

その次に、いま思えば泥棒の入りそうな予兆はいろいろとあった、と語るのだが、その内容はといえば、しゃっくりが止まらないとか、耳の穴がかゆくなるとか、庭にトマトを植えたくなるとか、まるで泥棒と関係ないものばかり。
そうかと思えば、自分は寝付きが悪く、先輩作家に相談したところ、そういうときにこそ小説の粗筋を考えろとアドバイスされて、それを実践している、という話とか、電灯の覆い代わりにしている風呂敷を拾った顛末だとか、脱線がひたすら続いて半分を過ぎても泥棒が出てこない。

いい加減にしろと叫んで本を投げ出しそうになった26ページ目、雨戸がかすかに開いて、そこから白い手がのぞいている。お待ちかね、泥棒先生のご入来である。
泥棒の手を、太宰はパッとつかむ。泥棒も観念したのか、《「おゆるし下さい。」》と哀れっぽそうな声を出す。さあ警察に通報するのかと読者が身構えていると、

《「さ、手を離してあげる。いま、雨戸をあけてあげますからね。」いったい、どんな気で、そんな変調子のことを言い出したものか、あとでいくら考えてみても、その理由は、判明しなかった。私は、そのときは、自分自身を落ちついている、と思っていた。確乎たる自信が、あって、もっともらしい顔をして、おごそかな声で、そう言ったつもりなのであるが、いま考えてみると、どうしても普通でない。謂わば、泰然と腰を抜かしている類かも知れなかった》

こともあろうに泥棒を我が家に招じ入れてしまうのだった。泥棒は、小柄な男でなで肩、およそ犯罪に走りそうな人間には見えないのだが、これを幸運と思ったか、家に上がると態度を豹変させて《「金をだせえ。」》と凄む。太宰は、それに対して《「君、失敬じゃないか。草履ぐらいは、脱ぎたまえ。」》と泥棒に礼節を説く。いや、そういう問題じゃないでしょ。

このあと太宰は、うちには金がない、金がない、と言い張るのだが、泥棒は聞く耳など持ちやしない。家捜しして、20円はいった財布を見つけた。その瞬間、太宰が切れる。よくわかんないけど、切れちゃうのである。

《「ばか! いい加減にしろ! 僕は、ほんとうに怒るぞ。(中略)僕は、すっかり知っている。君は、女だ。(中略)君は、ことし三十一だ。御亭主は、君より年下で、二十六だ。」》

と何の根拠もないのに泥棒の身の上を勝手にプロファイリングし、亭主はいんちき万年筆の泣き売をやっているのだが、それがうまく行かなくて泥棒に来たのだろう、とその場で創作した泥棒の家庭の事情を、当の泥棒自身に語って聞かせるのだった。もう訳がわからない。
太宰と泥棒との戦いは、唐突に終わる。隣室で寝ていた妻が、不意に灯りをつけたのだ。
我に帰って周囲を見回せば、泥棒は影も形もない。妻に聞いてみると、太宰は泥棒を発見した時点で相手を怒鳴りつけ、泥棒もすぐに退散したのだという。

《見ると、なるほど、雨戸はちゃんとしめてある。すると、私は、誰もいない真暗い部屋で、ひとりでいい気になって、ながながと説教していたものとみえる。ばかげている。どろぼうが、すぐにこそこそ立ち去ったのも、そうして、ごていねいに、雨戸までしめていって呉れたのも、ちっとも気づかず、夢中で独りわめいていたものらしい》

雨戸が開いて以降の展開は、泥棒に寝込みを襲われてテンパった太宰の妄想だったのだ。……が、しかし。

この作品、内容も相当にヘンだが、語り手としての太宰の立ち位置も、それに劣らぬくらいヘンだ。冒頭でこの話は《私一個の貧しい経験談》と断っているにもかかわらず、《そうして、それは嘘であります。全部、嘘であります》として泥棒の住居侵入の顛末を語り、さらに嘘であるはずのその話さえも、妻の証言によってまた相対化されるのだ。

もう一度、ストーリーを要約しなおすと、こうなる。
これは俺の経験談、といいつつ実は嘘なんだけど、ある春の晩、俺の家に泥棒が入り、何も取らずに逃げて、泥棒と俺の会話も、どうやら俺の錯覚だったみたいで、何が起こったのかは、嘘をついている俺本人にもよくわかりません。以上。
信頼できない語り手、という小説技法がある。小説の中での出来事が、語り手自身によってゆがめられていて、どこまで信用していいのか、読者は頭を使わなくてはいけないのだが、太宰はこの作品で、みすからが信頼できない語り手であることを、言い換えれば自分がの語りが嘘であることを露悪的なまでに誇示しつつ、しかも、その嘘でさえ、信頼できないのですよと重ねて読者に釘をさしているのだ。

だとするならば、太宰はこの小説で、いったい何を語ったことになるのだろう?

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 ■第09回 嘘を嘘と見抜けない人が太宰作品を読むのは難しい-「恥」-

太宰の小説を読んでいると、津軽とか、三鷹とか、吉祥寺だとかを舞台に、「私」が、あんなことしたりこんなことしたり、というパターンが実に多い。そして津軽は彼の生地であり、三鷹は結婚後まもなくから亡くなるまで住んでいた街だ。その近所に吉祥寺があることは、言うまでもない。

代表作『人間失格』も自伝的小説と見なされていて、たしかに作者年譜と突き合わせて読んでいけば、作中の事件のモデルはだいたい特定できるようになっている。
しかしここで重要なのは、これらが自伝的「小説」であって、自伝そのものではないことだ。なにしろ相手は、《それは嘘であります。全部、嘘であります》と断りつつ自宅に泥棒が侵入した顛末をもっともらしく語る曲者である。ここを取り違えると(そして、いまもって取り違えている人がけっこういるらしいのだが)、とんでもないことになる。
太宰自身が、このあたりのカラクリを戯画的に描いている。それが今回紹介する「恥」という短篇である。

主人公兼語り手の女性が、友達に打ち明け話をする体裁で話が進む。主人公の名前は和子、大学教授の娘で文学が好き。年齢は23歳。普段は何をしているのかよくわからないが、年齢と家庭環境、昭和17年に発表されたという時代の状況を考えると、おそらく嫁入り修行中の身ではないかと思われる。
この作品もツカミが巧いので、ちょっと冒頭を引用してみる。

《菊子さん。恥をかいちゃったわよ。ひどい恥をかきました。顔から火が出る、などの形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未だ足りない。(中略)菊子さん。やっぱり、あなたのおっしゃったとおりだったわ。小説家なんて、人の屑よ。いいえ、鬼です。ひどいんです。私は、大恥かいちゃった。菊子さん。私は今まであなたに秘密にしていたけれど、小説家の戸田さんに、こっそり手紙を出していたのよ。そうしてとうとう一度だけお目にかかって大恥かいてしまいました。つまらない》

で、この戸田という小説家の作風なのだが、自分について、容貌が醜いこと、学問がないこと、貧乏であること、ねんじゅう夫婦喧嘩していること、酒癖が悪いこと、悪所に通って病気をうつされたこと、頭がはげてきたこと、歯が欠けていること、その他もろもろ、それはもうあられもないくらい、身辺のろくでもないことを書きつづっている。

しかし彼の小説の底にある、一種の哀愁感に惹かれた和子は、全作品を読んだあと彼に匿名で手紙をしたためるのだが、この手紙がすごい。

《おそらく貴下の小説には、女の読者がひとりも無かったことと存じます》《貴下にお逢いする迄もなく、貴下の身辺の事情、容貌、風采、ことごとくを存じて居ります》《私が貴下のものを読んでいるという事が、もしお友達にわかったら、私は嘲笑せられ、人格を疑われ、絶交される事でしょう》
《貴下の哀愁感が、もし将来に於いて哲学的に整理されたならば、貴下の小説も今日の如く嘲笑せられず、貴下の人格も完成される事と存じます》《お断りしておきますが、これはファン・レタアなどではございませぬ。奥様などにお見せして、おれにも女のファンが出来たなんて下品にふざけ合うのは、やめていただきます。私はプライドを持っています》

何様のつもりだ和子。

ところがそれからしばらくして発表された戸田の新作を読んで、彼女はびっくりする。主人公が自分と同い年の女性で、しかも大学教授の娘と設定されていたのだった。しかも名前が和子。彼女は、氏名住所つきでもういちど戸田に手紙を出す。

《私は、おどろきました。どうして私の正体を捜し出す事が出来たのでしょう》《しかも、私の気持ちまで、すっかり見抜いて、『みだらな空想をするようにさえなりました。』などと辛辣な一矢を放っているあたり、たしかに貴下の驚異的な進歩だと思いました》《きっと、貴下は、あの私の手紙に興奮して大騒ぎしてお友達みんなに見せて、そうして手紙の消印などを手がかりに、新聞社のお友達あたりにたのんで、とうとう、私の名前を突きとめたというようなところだろうと思っていますが、違いますか?》

すると戸田から返事が来る。

《拝復。お手紙をいただきました。御支持をありがたく存じます。(中略)私は今日まで人のお手紙を家の者に見せて笑うなどという失礼な事は一度も致しませんでした。また友達に見せて騒いだ事もございません。その点は、御放念下さい。なおまた、私の人格が完成してから逢って下さるのだそうですが、いったい人間は、自分で自分を完成できるものでしょうか。不一》

この手紙を読んだ和子は、急に戸田に会いたくなる。《あの人は、いまきっとお苦しいのだ。私がいま逢ってあげなければ、あの人は堕落してしまうかも知れない》。しかしそれにしても、彼女の思い込みの激しさには、ちょっと常軌を逸したところがある。このへんを掘り下げるとちょっとしたサイコホラーになるのだが、もちろんそんな風には展開しない。

和子はボロを着る。相手は長屋住まいで、綿のはみ出たドテラなどを羽織っているのだ。華美な服装で訪ねたら、かえって失礼になるだろう。戸田は脚気を患っているから、差し入れに毛布を用意する。しかも自分の前歯のうち1本が義歯なので、わざと外して面貌も格好悪くする。

こうしてみすぼらしい形で、郊外の戸田宅へ行った和子は、そこでまたびっくり。長屋なんてとんでもない。小さいながらも清潔な一軒家で、手入れされた庭にはバラが咲いている。玄関を開けると、出てきたのは上品な奥さん。ここは本当に戸田の家かと疑いながら案内されると、書斎にいた本人はキリッとした健康な男で、禿げてもいなければ歯も欠けていない。服装もきちんとしている。書斎には漢詩の書かれた軸がかけられ、大量の本があった。
呆然とする和子に、戸田は静かに言う。

《「何だか、僕の小説が、あなたの身の上に似ていたそうですが、僕は小説には絶対にモデルを使いません。全部フィクションです。だいいち、あなたの最初のお手紙なんか。」ふっと口を噤んで、うつむきました》

すべては和子の思い込みに過ぎなかったのだ。恥ずかしさに逆上した彼女は、戸田にあの手紙は返してくれとだけ言って、家を飛び出し帰ってしまう。数日後、戸田から封書が届く。何かフォローがあるのではないかとすがるような気持ちで開封してみると、そこには事務的に彼女自身の手紙が入っているだけで、戸田からの言葉は何もない。

《小説家は悪魔だ! 嘘つきだ! 貧乏でもないのに極貧の振りをして同情を集めている》《小説家なんて、つまらない。人の屑だわ。嘘ばっかり書いている。ちっともロマンチックではないんだもの。普通の家庭に落ち附いて、そうして薄汚い身なりの、前歯の欠けた娘を、冷く軽蔑して見送りもせず、永遠に他人の顔をして澄ましていようというんだから、すさまじいや。あんなの、インチキというんじゃないかしら》

前回紹介した「春の盗賊」で、読者は作者と作品を混同しがちだ、と太宰がぼやいていたことを思い出していただきたい。ここから先は私の勝手な想像なのだが、彼はここまで極端ではないにしても、似たような手紙をもらって辟易した経験があり、それが「恥」を書くヒントになったのではないか。

「恥」は、太宰の全作品に対する脚注——それも相当に意地の悪い——としても読める。つまり太宰は、俺の書くことはみんな嘘八百のデタラメかもしれないんだぜ、と読者に釘をさしているのだ。

これで彼の書く小説が、一文無しになった男がコールドスリープで未来に行く話だったり、脳にナノマシンを注入して感情を制御する話だったりすれば、読者も最初から嘘とわかって安心できるのだが、彼は次の瞬間から何食わぬ顔をして、また津軽だ、三鷹だ、吉祥寺だとやりだすのだ。クレタ島人のパラドックスを地でいっているようなもので、なんとまあ懲りない、したたかで、そうしてタチの悪い作家なのだろう。
一から十まで嘘をつく人間より、九の真実に一の嘘を混ぜる人間の方が、より罪深い。なぜなら人々は、前者の言うことには耳を傾けないが、後者にはコロッとだまされるからだ——という。しかし小説家にとっては、その罪深さこそが美質になりうるのである。
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 ■第10回 さっきの手紙のご用事なあに-「虚構の春」-

 本誌(というのか、これは)も今年最後の配信とのことなので、当欄も季節ネタで行く。

 書簡体小説という形式は、みなさんもご存じだと思う。ふつう、この形式の小説は、AとBの2人の登場人物がいて、おたがいの手紙がかわりばんこに提示されていくかたちで進行していく。太宰にも「風の便り」という作品があって、これはそのオーソドックスなスタイルで書かれている。

 ところが「虚構の春」は、ちょっとトリッキーな形式を採っている。昭和10年12月に、太宰のもとへ来た手紙「だけ」が時系列順に並べられていて、それらの手紙に対して太宰自身がどういう返事を書いたのかは、意図的に空白のままとされているのだ。だからたとえば、
《君の葉書読んだ。単なる冷やかしに過ぎんではないか。君は真実の解らん人だね。つまらんと思う。吉田潔》

 という文面から、読者は太宰の書いた葉書の内容を推測するしかない。
 なんじゃその訳のわからん小説は、とか言われそうだが、同じ人から複数の手紙が届いていたりするので、読み進むうちに、いくつかのストーリーが同時並行で動いていることがわかってきたり、また相手のキャラが次第に立ってきたりするのが、この作品の面白さなのだ。  (ちなみにこの吉田潔は、なぜだか知らないがやたら太宰にカラむ人で、ほかの手紙でも《近頃、君は、妙に威張るようになったな。恥かしいと思えよ》《俺たち友人にだけでも、けちなポオズをよしたら、なにか、損をするのかね》などと書いている)

 もうひとつ面白いのは、太宰の創作した手紙の中に、佐藤春夫、井伏鱒二、保田与重郎といった友人知人の手紙を混ぜ込んで、虚構と実話の境目をぼかしてある点だ。後年、私信を勝手に公開したのはマズイと思ったのか、それとも誰かに怒られたのか、単行本収録に際しては、差出人の名前がすべて仮名にさしかえられたほか、大幅な加筆訂正が加えられてしまったのだけれど……。
 さて手紙をいくつかのパターンに分類してみると、まず友人知人からの批評。

《『道化の華』早速一読甚だおもしろく存じ候。無論及第点をつけ申し候》

 それから、編集者からの事務連絡。

《貴兄の短篇集のほうは、年内に、少しでも、校正刷お目にかけることができるだろうと存じます》

 あるいは、文学青年からのファンレター。

《ヴァレリイが俗っぽくみえるのはあなたの『逆行』『ダス・ゲマイネ』読後感でした。然し、ここには近代青年の『失われたる青春に関する一片の抒情、吾々の実在環境の亡霊に関する、自己証明』があります》——余談ながらこの手紙の差出人は、名前こそないものの、田中英光(田中光二のお父さんだ!)をモデルにしている。

《御手紙拝見。お金の件、お願いに背いて申し訳ないが、とても急には出来ない》

 借金がらみの手紙も、何通かある。よっぽどお金に困っていたのだろうか。
 中にはスパムも混ざっている。

《冠省。へんな話ですが、お金が必要なんじゃないですか? 二百八十円を限度として、東京朝日新聞よろず案内欄へ、ジュムゲジュムゲジュムゲのポンタン百円、(もしくは二百円でも、御入用なだけ)食いたい。呑みたい。イモクテネ。と小さい広告おだしになれば、その日のうちにお金、お送り申します。(中略)私の名は、カメよカメよ、と申します》

 ところがそれからしばらくすると、同一人物からまた手紙が届く。

《そんなに金がほしいのかね。けさ、またまた、新聞よろず案内欄で、たしかに君と思われる男の、たしかに私と思われる男へあてた、SOSを発見、おそれいって居る。(中略)太宰治君。誰も知るまいと思って、あさましいことをやめよ。自重をおすすめします》

 ほんとに広告出したのかよ! しかも何度も! この人にはインターネットなんかさせられないなぁ。有料エロサイトとかに手もなく引っかかりそう。おまけに「太宰自重www」とか言われてるし。

《拝啓。益々御健勝の段慶賀の至りに存じます。さて今回本紙に左の題材にて貴下の御寄稿をお願い致したく御多忙中恐縮ながら左記条項お含みの上何卒御承引のほどお願い申上げます。(中略)『大阪サロン』編輯部、高橋安二郎》

 作家だから原稿依頼の手紙も届く。ところがこの『大阪サロン』の件だけは、奇怪な展開をたどるので、かいつまんで追ってみよう。太宰は何か書いて送ったらしい。で、それに対する返事がこれ。

《玉稿をめぐり、小さい騒ぎが、ございました。(中略)いまは、ぶちまけて申しあげます。当雑誌の記者二名、貴方と決闘すると申しています。玉稿、ふざけて居る。田舎の雑誌と思ってばかにして居る。おれたちの眼の黒いうちは、採用させぬ。生意気な身のほど知らず、等々、たいへんな騒ぎでございました》

 小さいんだか大変なんだかよくわからないが、とにかく編集部の機嫌を損じてしまったようだ。けれども同じ日に届いた、春田という別の編集部員の手紙を読むと、まるっきり事情が違う。

《玉稿、本日別封書留にてお送りいたしました。むかしの同僚、高橋安二郎君が、このごろ病気がいけなくなり、太宰氏、ほか三人の中堅、新進の作家へ、本社編輯部の名をいつわり、とんでもない御手紙さしあげて居ることが最近、判明いたしました》

 高橋からは、間をおかずまた手紙が届く。

《春田は、どんな言葉でおわびをしたのか、わかりませぬけれど、貴方に書き直しさせたと言って、この二、三日大自慢で、それだけ、私は、小さくなっていなければならず、まことに味気ないことになりました。(中略)作家を困らせるのを、雑誌記者の天職と心得て居るのだから、始末がわるい》

 しばらくして高橋から、また一通きて、大阪サロンシリーズは終わりになるのだが、手紙の末尾には、こうある。

《春田はクビになりました。私が、その様に取りはからいました》

 どっちの言い分が正しいのか、よくわからない。ふつうに考えれば、すべて高橋の妄想ではないかと思えるのだけど、気をつけて読むと、春田からの手紙は先に引用した一通こっきりで、あとは何の音沙汰もない。高橋の言うとおりクビになったのだとすれば、たしかに、そっちの方は筋が通る。虚構と現実の境目をあいまいにするという作品のコンセプトは、こんなディテールにまで及んでいるのだ。

 この作品を読んでいると、いまでいうなら他人のケータイをこっそり覗き見るような、下世話な感興を催してくる。けれども受信ボックスに、持ち主がこっそり創作したメールが混ざっていたら、いったいどういうことになるだろうか。ちょっとそんな想像をしてみたくなる。

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