家守 おや、きょうの会所の当番はあなた一人なのかい。すまないが、茶を飲ませてくれないかな。
四郎兵衛 旦那、ひどく落ち込んでいなさるみたいでやすが、どうかなさいましたか。
家守 初美から、つまり、時々、ここに来る姉さんなんだが、メールをもらってね、ただ一言、「ばか」とだけ送ってきて、昔の作家のエピソードみたいに、はがきに書いた「?」の一文字の質問と、編集者からの「!」の返事みたいに解釈しろというのかい。まいっちゃうよ。
四郎兵衛 そんなことがあったんですかい。ただ、姉さんの気持ちは何となくわかりやす。お気に触ったら申しわけないんですが、もう少し考えてやれよという意味ではないんですか。
家守 うう。まあ、ある程度、察してはしていて、前回のはちょっとまずかったかなと思っているんだ。もう少しちゃんと考えてやるか……お湯が沸いているかい。じゃあ、ちょいと会所に邪魔させてもらうよ。



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 神の田艸2 御國年御局そつと貸


 ということで、「誹風神の田艸昌湯樽初編」四会目の続き、前回はあまりにも少なかったので、その反省から今回もその破礼句70句の中から幾つかを首題句として取り上げ、必要に応じて同様に関連句を紹介していくことにしよう。

   御國年御局そつと貸   小山丁 牛内   神田艸初12   お国年お局そっと貸し申し

 江戸時代、大名は1年置き(関八州は半年置き、北海道の松前藩は3年置き)に、参勤交代で江戸と国元を行き来していた。その国元に帰っているときがお国年。大名の正室はいわば人質として常時、江戸にいなければならなかった。

   鞘は江戸殿は抜身で御出立 一三八43

 この「鞘は江戸」の句が踏まえている「もとの鞘(さや)へ収まる」という慣用句は、一度は別れた男女がよりを戻すという意味であることは言うまでもないが、刀は手づくりなので長さや反りも一様ではないことから、その刀を収める鞘もぴったり合うものを手づくりしなければならなかった。だから、性格だとか相性だとか、もちろん、へのこの相性もだが、女にぴたっと合う男は一人だけというのであろう。

 一方、抜き身は鞘から抜いた刀のことであるが、また、ふんどしを締めずにぶらぶらさせたままのへのこともいう。つまり、 「鞘は江戸」の句は女を、つまり、正室の鞘を江戸に残し、殿様は抜き身で国元に帰るという意味である。

 だが、殿様や正室の身の回りの世話をする奥女中はというと、年齢は10代後半から20代前半、はたまた、30歳以上の場合もあり、大名家のことは寡聞にして知らないが、江戸城では将軍が女を連れて閨に入ったとき、お側女中が二人、ふすまの外で内部の一部始終を聞いていたという。大奥に男は入れないし、女が将軍の命を狙うかもしれないので、このような習慣があったようなのだが、閨の内事を直に聞かされたほうはたまったものでないであろう。

 そこで、奥女中は一人慰めをする。指でするマスターベーションであったり、ときには器具を使ったりもするが、その器具が張形である。張形というのは男性器の形をしたつくりもので、現代ではバイブとか、ディルドーと呼ばれている。当時は木製のものもあったほか、鼈甲や牛の角、クジラの歯というのもある。

   牛の角男めかけにさまをかへ    末三20
   長つほね男のきれつはしをもち   末二31
   長局はらにたまらぬ物ですミ    末三17
   牛若と名づけて局秘蔵する     二八21
   くのぬけた枕御局箱へ入れ    筥二8

 1句目は牛の角が細工され、張形に様子を変えたということ、2句目は男の切れ端、玉のない棒だけを所有しているということ、3句目は腹にたまらない、つまり、妊娠しないもので済ませているということ、5句目は「まくら」から「く」の字を抜いたものという意味である。

 首題句は、殿様が国許へ戻ってしまい、さぞ一人身の閨は寂しかろうと、側女中が愛用の張形を奥様にお貸ししたというのである。

 このほかにも長局と張形の句はおびただしくあり、どれも似たり寄ったり感がなくもないが、中にはこんな句もある。

   はりかたが出て母おやを又なかせ 末初11
     前句「いとしかりけり/\」
   はり形を隱して母ハ棺へ入れ    最破礼18(雑体)

 武家屋敷に奥女中奉公していた娘が何かの原因で死んでしまった。当時、娘は労咳(結核)で命を落とす者も多かったが、1句めは娘の死後、親元に遺品が届けられ、それを整理していたら遺品の中に張形が入っていて、男も知らずにこんな張形で慰めていたとはと母親が涙にくれている、また、次の句は張形は一種の夫婦みたいなものだからと、涙にむせびながら、そっと娘の棺おけに入れたという句である。1句めの末摘花初編11丁の句は、明和4年(1767)の万句合勝刷に掲載されているし、最破礼11丁の句は安永元年(1772)の作であることが知られている。このころの句は、破礼でも後年のような露骨さはなく、叙情を含んでいるものがあると思う(もっとも破礼句それ自体に品がないといえばないのだが)。

   佐殿はあたま道鏡へのこ也   スルカタイ 喜明   神田艸初12

 例えば『平家物語』や『源平盛衰記』に、「伊豆国の流人、前兵衛佐殿」という記述があり、前兵衛佐(さきのひょうえのすけ)とは源頼朝のことである。頼朝は平治元年(1159)、従五位下右兵衛佐に任ぜられたが、同年暮れに勃発した平治の乱で自身が初陣したが、敗戦、その後、官位を剥奪され、伊豆へ流罪となった。だから、平家物語などでも頼朝は自分のことを前兵衛佐と名乗っているし、鎌倉でその身柄をあずかった北条氏も頼朝のことを佐殿(すけどの)と呼んでいたらしい。

 一方、今日、頼朝のおもかげを伝える第一はかの肖像画であるが、近年、この肖像画は別人ではないかともいわれいる。というのは、巷説では頼朝は頭周り、つまり、鉢が大きかったと伝えられていて、うりざね顔の肖像画より鉢のでかい木造のほうが本人像に近いと思われることから、近年、日本史の教科書等では、木造のほうを本人像として紹介することも多くなっている。

   おつむりと下は違ふと政子言ひ 八二31

 この句は、「鼻の大きい人はあそこも大きいって、巷間ではまことしやかに言われているじゃない。だから、頭が大きいからもしかしてと期待したのに案に違い何ともこつぶ」と、頼朝の妻、北条政子はがっかりしたであろうというのである。

   弓削形も頼朝がたも値が高し 九九112

 弓削は以前にも触れたことがあるが、河内国若江郡弓削村(現大阪府八尾市)に生まれた道鏡のことであり、弓削形とは巨根の張形のこと、また、へのこの頭部分のかりが特に大きい頼朝形のような張形も値が高いという句である。ただ、実際にいくらだったのかはよくわからない。

   伊勢じまの夜具へ娘がぬけ參   スルカタイ 侭成   神田艸初13

 伊勢縞とは伊勢地方、ことに現在の三重県松坂地方で生産されていた木綿の織物で、当時、江戸では商家の丁稚が着用していたことから、伊勢縞といえば商家の丁稚や小僧の称にも使われていた。夜具は寝具。娘はこの商家の主人の娘であり、抜け参りとは店に断りもせず、丁稚などがふらっと出かけてしまう伊勢参りのことである。すなわち、商家の主人の父親に断りなく、その娘がそっと丁稚の布団の中にもぐりこんでいくという句である。

 ところで、この句に先立つこと約10年前に刊行された「古今前句集」(改題再版後の「誹風柳多留拾遺」)には、「いせしまも娘の方へぬけまいり(拾二10)」という句があり、また、「神田の艸」初編刊行3年前の文化2(1805)年刊の柳多留第三二編にも、「いせじまへ有夜おそめハぬけ参り 鼠走(三二42)」ともあるので、神の田艸のこの句の作者、侭成はお染久松のエピソードを念頭に置いていたのかもしれない。

 お染久松のエピソードとは、大坂東堀瓦屋橋通の油屋太郎兵衛の娘であるお染と丁稚の久松が密通したという宝永5(1708)年に実際に起きた事件である。ただ、封建時代の当時は、使用人が主人の女房や娘などと密通するのは不義であり、許されるはずもなく二人は心中した。このことは、浄瑠璃、歌舞伎など多くの芝居がつくられたので、江戸でもよく知られた話であった。

   させる用あり芳町へ後家急   白山下 芋洗   神田艸初13

  嘉永6(1853)年ごろに完成した『守貞漫稿』は、文化11(1814)年に成立した『塵塚談』を引用し、「男色楼芳町を第一として木挽町、湯島天神、糀町天神、塗師町代地、芝明神前、此七ヶ所、二、三十年以前迄楼ありけり、近年は四ヶ所絶て芳町、湯島明神前のみ残る、三、四十年以前は芳町に百余人もありける由」とある。ここに出てくる近年とは文化11年ごろのことであり、男色楼の第一は芳町だとしている。また、『守貞漫稿』はその引用に続けて、江戸では男色のことを蔭間(かげま=陰間)といい、客は主に僧侶だが、町人の男やまれに後家、孀女(女やもめのこと)、武家媵女(ようじょ。奥女中)も客になっていたようだと述べている。

 陰間のことは、『塵塚談』でほぼ言い尽くされていると思われるが、湯島明神北側に不忍池、そのさらに北には上野寛永寺があり、芝明神の近くには芝の増上寺がある。また、糀町天神は当時の麹町三丁目の東、平川丁の平川天神のこと、塗師町代地は東京駅八重洲口前の道路を南下した日本橋三丁目12番のあたり、そして陰間屋(陰間茶屋)の第一とされた芳町は俗称で正しくは堀江六軒町といい、現在の日本橋人形町一丁目の西端、首都高江戸橋インターチェンジのあるあたり。当時、近くに歌舞伎の芝居小屋があり、子役が陰間として見世に揚がっていたという。

   ばかな事かけまやけさを持てかけ 二二28   ばかなこと陰間屋袈裟を持って駈け

 本懐を遂げて安堵してしまったのか、うっかり袈裟を陰間屋に置き忘れてくるとは、何ともばかなことだと、この句は陰間を買った客の僧に対するあざけりを含んでいるようだ。

   高まんな後家地男はきらいなり 二一18

 地男は地女に対する語で、地女は素人女、つまり、素人女の逆の玄人女は、吉原の女郎のような性を商売にしている女のことだから、玄人男といえば陰間以外にないだろう。

 だが、陰間も10代前半のうちは筋肉もやわらかいが、10代後半になると硬くなってきて女のようなやわらかさがなくなってくるので、そのような陰間は今度は女の相手もするようになる。

   よし町でとしまの分は貮役し   二26       芳町で年増の分は二役し
   大あぢになると陰間を後家が喰 五〇20
   大釜は後ろの家へよく売れる  (出典未考)   後ろの家:後家

 これらの句がそうで、現代でも男色のことを釜というのは江戸時代からあった。
 
 首題句は性交したく、でも、体位では受動的にならざるを得ない後家がすぐにしたいために陰間茶屋を目指し、駕籠を飛ばして芳町へ駆けつけたという句である。「させる」は男にしてもらうという意味であるのは言うまでもないだろう

   の井が近くて水を遣ひ過   スシカイ 散売   神田艸初13

 門の井とは、組み合わせると開。開は「かい」とも「ぼぼ」とも読み、女性器のこと、一方、水については、「姑めの大腹立は水がへり 末三23」の句があるように腎水、精液のことである。つまり、近くにいつも女がいるので、四六時中、性行為をやりまくって腎水を減らしているという図の句である。

   門の井でふるまひ水を下女ハ出 九九88

 この句はあまり説明を要しないと思うが、振舞い水とは暑い日に軒先などに水を入れた桶やたらい、椀やひしゃくを置いておき、通行人に自由に飲んでくれと振る舞う水のことだが、この句の下女が振る舞う水とはバルトリン腺液、俗にいう愛液のことであろう。相手はもちろん男である。

 一方、門の句はというと、例えばこんなものがある。

   門口へ来てじくねてる隱居の子 一一〇27
   門口でおじぎ男の大歳間     一一九15

 門口とは、さきの門の井とも同じく陰門のことであり、じくねるはすねる。いずれの句も事に臨んで役に立たない老人のへのこを指している。

   門口で反吐をはいたる残念さ 八五38
   門口でお礼申は若い同士   一一九14

 一方、こちらの1句めは興奮のあまり、挿入前にへどをはく、つまり、射精してしまった。だから、残念無念。そして2句め、お礼を申すはうなだれているのである。

   門口に医者と親子が待てゐる 甲子夜話巻59(11)

 この句は出典不明ながら、『甲子夜話』に載っていることで知られており、この句の紹介に続いて著者の松浦静山が解説を加えている。それによると、医者は薬指、親子は親指と小指で陰門の外にいて、人差し指と中指が女性器をくじいているという前戯の図である。

   一黒の味はしらぬと常盤言       里遊   神田艸初13

 常盤は平安末期、平治の乱(1159)で源氏と平氏が直接合戦したときの源氏の総大将、源義朝の妾で、1000人の中から選ばれた美女との説がある。その戦いで源氏が負け、常盤は7歳の今若(全成)、5歳の乙若(義円)、3歳(当歳説あり)の牛若(義経)の3兄弟を抱えて逃げたが、逃げおおせられないと知って平氏方に出頭、3人の子どもたちはそれぞれ別の寺に預けらた。その後、常盤本人は平清盛の妾となり、女児、後の廓の方を産んでいる。

 源平合戦の平治の乱のとき、源氏は白旗、平氏は赤旗を立てて合戦に臨んでいる。一方、へのこのよしあしは一黒二雁三反などという。つまり、常盤は源氏の白へのこも平氏の赤へのこも知っているが、一等の黒へのこは味わったことはないという句である。ちなみに、常盤は清盛没落後、藤原(一条)長成に嫁ぎ、後に三位となる能成を産んだとされている。

   白まらと赤まら常盤喰くらへ    葉末2
   貞女両夫にまみへたで平家落   葉末2
   貞女両夫にまみへたで源氏の代  一二三61

 このようなことだから、「じやうかいはときわの方へ付たい名(九16)」という句もある。清盛は出家して浄海を名乗ったが、常盤のほうこそ上開と呼ぶにふさわしいというのである。

 ただ、「貞女両夫にまみえず」という語があるのに、なぜ、常盤は貞女なのか、その解になるかどうか、こんな句がある。

   貞女は子孝女は親を助け船 一二三57

 常盤は清盛の妾になって3人の子の命を助けた。だから、貞女。また、孝女は全く別のことを踏まえているのかもしれないのだが、女郎に身売りして親を助けた娘のこととも思われる。


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