初美 しばらく音信不通になっちゃったから、どうしてるかなと気になって、この長屋にやってきたんだけど、ええっと、家守くんの住まいは通りをずっと入った最奥左側、その後ろに総後架がある棟続きの長屋の手前だったよね。ここか。
 おーい、家守くん、いるの、私よ……返事がない。
 戸を……おっと、あいちゃった。家守は、ねえ、家守くん、いるのっと呼んでも返事がないのはさっきも言ったけど、もぬけの殻。総後架も扉が開いていたから、そこにも誰もないし、それと以前にきたときには万年床が敷いてあったはずなのに、すっかりきれいに片づいている。もしかして外出しているのかしら。
四郎兵衛 あの、もしや、ねえさんは初美さんとおっしゃるんじゃありませんか。
初美 はい……ああ、あなたはきょうの四郎兵衛会所の当番の方、入ってくるときにいらした。そうです、私が初美。
四郎兵衛 こちらの旦那から、小またの切れ上がった、ちょいと小粋なねえさんが尋ねてくるはずだからと言われていたもんですから、さっきお見かけしたときにもしやと思いましたが、やはり、そうでしたか。その方が尋ねてきたらと頼まれていることづけがあるんでさあ。
初美 小またが切れ上がっただなんて、古めかしい言い方が気になるけど、小粋なねえさん、家守くんが私のことを……うふふ……あ、それで家守くんからは何を。
四郎兵衛 これを渡してくれと手紙を預かっていますんで。
初美 というと、家守くんはやっぱりどこかへ出かけちゃったのね。
四郎兵衛 へい、きのうの朝なんですがね、居合わせた者の話では大山へ行くからしばらく戻れないと、こういうことらしいんで。
初美 大山って現神奈川県伊勢原市の大山のことよね。江戸時代にはとかく職人に信仰のあった山だったらしいけど、あの人は職人でもないんだから、そんなところに行く必要なんてないでしょう。
四郎兵衛 それはあっしも知りやせんが、とにかく、手紙を渡しときまさ。
初美 はい、これね。それで何かほかに言っていたこととかはないのかしら。
四郎兵衛 えっと……そういえば、何でもあとは頼むと伝えてくれとか、こういうことらしいです。
初美 あとは頼むと言われても、手紙に書いてあることは……封を破ってと、何々、「だから、あとは頼んだ」。何よ、同じじゃない。これでどうしろというの。ねえ、四郎兵衛さん、家守くんはほかに何か言っていなかったのかしら。
四郎兵衛 へい、伝え聞いているのはそれだけです。
初美 でも、大山だったら日帰りもできるところだし、遅くても、二、三日中には戻ってくるわよね。
四郎兵衛 そうですかねえ。寄り道をすれば横浜や川崎だってありますから。
初美 大山詣での途中だと高尾山の薬王院や高幡不動、川崎大師もあるけれど、かなり遠回りになるな。でも、横浜は何なのかしら。
四郎兵衛 いや、そんなこともあるかもしれやせんが、ええっと何というか、泡も……。
初美 泡って……ああ、泡ね……厄じゃなくて、そっち落としか。
四郎兵衛 でも、あねさんは最近、こちらにもよくいらしているようで旦那とは何か。
初美 いいえ、何にもありません。赤の他人じゃないけれど、水に近い、ぐっと薄いだいだい色ぐらいの関係です。
四郎兵衛 そうですか。変な勘繰りをしたようですみません。では、確かにお伝えしましたので、あっしはこれで。
初美 はい。当番も大変ですね、お疲れさま。ことづけをありがとうございました。
 とはいっても、あとは頼むということは続きを私一人でやれということよね。しかし、家守くんも私がいないとね、やっぱりというか、
でも、小またの切れ上がっただなんて、私が、まあ、誰だってそう思うでしょうね。うふ、うふふ、あ、よだれが……。

四郎兵衛 適当におだてておけば木にだって登るんだけど、怒らせると手に負えないとか、旦那は言っていたそうだけど、どうにかうまくおだてることができたみたいだったなあ。ひとまず、安心。さわらぬ神に祟りなしだし、くわばら、くわばら。

初美 さて、これからどうしようかしら。家守くんの家を家捜ししても次のテーマに何を考えていたのか、こんなにすっぱりときれいに片づいていたんじゃ、多分、そんなメモもないだろうし、とりあえず私の手持ちネタを整理して改めて出直すのがよさそうね。


08 入り婿  もみちからむすこと聟の中は絶


 家守くんがどこぞの参詣ついでのばかもの落としに出かけてから、かなりの日数が経っちゃているんだけれど、さっき、会所の当番の人に聞いたら相変わらず戻っていないらしい。泡家のはしごでもしているのかしら。まあ、私にとってはどうでもいいことなんだけどね。
 さて、私が何をテーマにしようかと思ったら、「誹風末摘花」の句を直接に扱うのはかなり抵抗があるので、そこで考えたのが入り婿さん。婿さんの句は、かつて「腎虚」や「芋田楽」の項でも出てきたことがあるので、こちらではそれ以外、つまり、マスオさんみたいな家つき娘に婿入りした人の句を扱っていこうと思っている。このほうが下ネタに直接的には関係のない句が多いようだから。では、最初の句。

   入むこは是でおわかれ申ます 一〇20

 「是」は「ここ」とも「これ」とも読めるんだけど、そう大きな違いはないでしょう。
 では、次から、この句のここというのがどこなのか、また、どうして帰るのか、例になるような句があるので、それをしばらく見ていくことにしましょう。

   入聟はお慈悲/\と正燈寺    傍三36
   しやうとうじ三の足まで聟ハふみ 一二2

 正燈寺は現台東区竜泉二丁目にある禅寺。吉原の裏手に位置し、当時、周辺一帯は田畑だったから、このお寺を一歩出ればすぐ近くの吉原の塀がよく見えたのでしょう。ここは品川・鮫洲の海晏寺とともに紅葉が有名で、紅葉狩りにかこつけて吉原や品川の遊女屋に繰り込む輩も多かったらしく、1句めは紅葉見の帰り、「吉原に行こう」と仲間に誘われて、「お慈悲だからそれは堪忍」と婿さんが弁解しているところ。2句めは二の足ならぬ三の足まで踏んで、本当は吉原に行きたいんだけど、家には鬼がいるからなあと行ったり来たりして思案している。
 そういえば、こんな句があったわね。

   紅葉見の鬼にならねはかへられす 初6
   聟用をもみぢの下でかそへたて   一四23

 1句めは婿ではないんだけど、鬼にならなくても素直に奥さんのところに帰ればいいのよ。そうすれば夫婦円満でしょう。違うのかしら。2句めは帰るために、どうでもいいような理由をあれこれと並べ立てているところね。

   入むこのへのこ紅葉で帰へるなり 末三22オ

 というわけで、婿さんは帰っちゃった。でも、当然でしょう。行くなんてだめよ……うん? 通じていない人がいるのかな。 

   聟土手で三の足迄ふんで見る    四二17

 こちらは紅葉と同じように土手で悩んでいる婿さんの句。土手というのはいわゆる土手八丁と呼ばれた吉原へ行く日本堤のこと。吉原近辺は寺が多くて、弔い帰りに大勢で吉原くんだりなんていう句も多いんだけど、この婿さんもまあ、そんなところでしょう。吉原へ誘われて二の足ならぬ三の足まで、行こうか、帰るまいかと地団太を踏んでいる。

   むこ土手でそうやうさまへいとま乞 拾七27   婿土手で総容様へいとまごい 総容様:いろんな皆様
   聟土手で是迄なりやさらバとて   末四23
   聟土手で後めたくも引返し      四三29
   三の足踏て土手から聟歸      六二4    三の足踏んで土手から婿帰り

 でも、結局、お婿さんは帰っちゃう。

   聟のおがむのがおもしろさにさそひ 籠三23

 帰ることがわかっているから、お婿さんに「頼むから帰らしてくれ」と言わせたいがために、あえて無理やり、誘うこともあったんでしょう。からかっているのはおわかりのとおり。

   入むこのつらさ花ならはなつ切 一三20
   入むこは花の外には内ばかり  一九9

 お婿さんは秋の紅葉狩りなら紅葉っきり、春の花見なら花見ばっかり、あとはすごすごというか、しっかりというか、家に帰るばかりという句ね。こういう人たちばかりだと家庭内もうまくおさまえるんだけど、現代ではそうもいっていないようなところもあるようなことを聞いたことがある。どっちかが我慢すればいいんだけど、どっちも我慢できないから面倒なことになっちゃうのね。

   女でこそあれと聟はつつこまれ  一〇20
   入聟の無念せい人よばりされ   一一13
   聟の足斗りハ内の方へ向き    一三三33   婿の足ばかりはうちのほうへ向き

 聖人が生まれるとき、上の空で鳳凰が舞うとかいうことを聞いたことがあるけど、聖人呼ばわりされるのだったら、いっそ、四書の論語でも大学でも丸暗記したら……そのほうがもっと無念か。

   もみちからむすこと聟の中は絶 二七25   紅葉から息子と婿の仲は絶え

 そりゃそうでしょう。息子はやりたい盛りだから吉原に行きたいんだし……うっ、しまった。こんなことを言うはずじゃなかったのに。

   藏へても入られてはと聟歸り 一五15
   聟斗両国橋へ出て帰り     筥初38

 気をとりなおして、こちらは婿さん一人ばかりが家へ帰っていくところ。蔵へ入れられてもだなんて駄々っ児のお仕置きじゃないんだから。

   聟の表徳を帰柳と付けるなり 傍初36

 「表徳」は以前にも説明したかもしれないけれど、俳句などの作者の雅号や吉原などの客のニックネーム、「柳」は日本堤をおりて吉原へ通ずる五十間道の脇に植えてある、いわゆる見返り柳のことでしょう。吉原帰りの客がここで振り返るというところからつけられた俗称、以前、日本堤通りの街路樹はたしかポプラだったはずだけど、現在はどうなっているのかしら、でも、吉原大門交差点のここの一角だけには、いまでも柳の木が植えられているのよね。
 
   女房だと思ふがむこのふかく也  一四23   女房だと思うが婿の不覚なり
   聟への意見女房だと思やるな   玉12

 入り婿さんはお嫁さんを女房、妻だと思うなというのはあんまりだと思うんだけど、そう思うのも無理からないのは、お婿さんの立場ってつらいものみたいなのよね。それは次の句に代表されていると思う。

   入聟ハ居候ほどあつかわれ  四七31
   入聟ハ居候にもことならず   五一27
   外聞の能奉公と聟思ひ   一〇17   外聞のいい奉公と婿思い
   
 入り婿さんは、居候や奉公人、つまり、下男とほぼ一緒、だから、ぞんざいな扱い方をされてしまう。
 でも、本当のところはどうなのかしら。川柳は、一旦、こうと決まった性格づけ、つまり、入り婿というのはこういうものだろうjという性格づけは、結構、そのままに川柳の場合は踏襲していくから、入り婿さんはこういうキャラクターだと決めつけられていっちゃうのよね。つまり、お嫁さんには顔が上がらない、文句をつけられない、だから、言いなりのまま。

   瀬戸もの屋聟か割たて笑ひ出し 最破礼18(雑体)   瀬戸物屋聟が割ったで笑い出し

 奉公人同然の婿さんが慣れない家事をすれば、皿や茶碗とかを割っちゃっうのは当然ある。従業員用はともかく、お客さん用の器は、5枚とか10枚とか、数がそろっているのが基本だから半端な数はだめ。そういうような瀬戸物を婿さんが割っちゃったのでしょう。それで、すぐさま瀬戸物屋へ買いにきた下男あたりが、実は家事に不慣れな今度来た婿さんが割ってしまってと店で話すと、瀬戸物屋が、あの婿さんが割ったのか、どことも同じようにこき使われているんだなと笑う。この句はそういう場面のことでしょう。
 でも、これは「最破礼」にある句なので、一応、破礼という裏の意味を考えてみたんだけど、瀬戸物→かわらけなどと考えてみても、瀬戸物屋が笑う理由までうまく説明を展開できないのよね。だから、多分、この句に破礼の要素はないんだと思う。

 こんなだから、入り婿さんというのは、

   聟曰泣く子と地頭はた女房 一三六2

 「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざを踏まえて、婿さんは泣く子と地蔵、さらには奥さんにも道理を踏まえても勝てない。そんなだから、結局、婿さんは次の句のようなことになる。

   入聟の相談からす猫が聞   二七8
   入聟ハ一かわ内で腹をたち  四七31
   小言居丈低にてそつと言   一〇一22
   入聟ハ小糠交りの愚痴をいゝ 一四五15
   入聟の小言ぬか釘ほどハきゝ 四八3

 1句め、「からす猫」は真っ黒いカラスのような猫のこと。婿さんのぼやきは、犬でも猫でも鼠でも人間以外なら聞くのは何でもいいというわけ。王様の耳はロバの耳なんていう話があったけど、家つきの奥さんは強くて頑として聞き入れない。それで次の句。
 
   自然聟入にこぬか雨 四五28

 婿入りすると下男・下女同然の扱いになってしまうんだから、その婚礼の日は小ぬか雨が降っているのがふさわしいと、こういういうことなのでしょう。
 
 今回はこんなところでいいかしら。あとは家守くんが戻ってきてからやってくれるでしょう。
 

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