07 下女へ這う  そちハ二世あれは三月四日迄


初美 表題の下女へ這うって具体的にはどういうことなの。
家守 夜這い。つまり、強姦。少し調べたんだけど、もともと中世まで「よばい」は呼ぼう、つまり、男から女への求婚、平安時代の通い婚が終わった次の段階、嫁とり婚の意味だったようなんだよ。それが江戸時代中期ごろから、特に農山漁村で和姦ではない夜這いが行われ始めたらしい。今回はこれに関する句がかなりあるので集めてみたよ。
初美 その関連句が多いということは、江戸でも実際によく行われていたのかしら。
家守 まさか。

   げびた戀寐所へそろり/\はい  三〇35   げびた恋寝床へそろりそろり這い
   けちな戀路はくらやみを這て行  三七28   けちな恋路はくらやみを這っていき

 「げびた」とか「けちな」と形容されているように、これが夜這いに対する一般的な感覚だったと思う。下品でみみっちい、くだらないという。
初美 でも、句は多いんだ。
家守 だから、作者たちはこんなこともあるんじゃないかなと、おもしろがって想像してつくっているんだよ。

   又一度十七八ではいならい 末初5   また一度十七八で這いならい

初美 赤ん坊のときにはいはいして、次は夜這いではいはいか。一体、何を習っているんだか。別のことを習えと言いたいよね。
家守 まあ、川柳に出てくるぼんぼん息子は孔子とかが嫌いだから、男女七歳にして席を同じうせずなんてそっちのけ、10年して17歳になったら煩悩の犬となって同衾のほうが楽しくなるのさ。

   音のするたびに夜這はひやりする     二〇37
   場数の無夜ばひわなゝき/\      末四32   場数のない夜這いわななきわななき
   行つく迄はなへきつて居る夜這     末四18   行き着くまでは萎え切っている夜這い
   こんにやくの如く夜這の初會也      末四26   こんにゃくのごとく夜這いの初会なり
   かや一重でも夜ばいにはきついじやま 末初9    蚊帳一重でも夜這いにはきつい邪魔
   ゑいやつと夜ばいは足にたどりつき   末初16   えいやっと夜這いは足にたどり着き

 これらの説明は要らないよね。一方、場数を踏むと……。

   ゆうてうな夜這ひ枕を持て行        傍一15   悠長な夜這い枕を持っていき

 枕が変わるとよく眠れないとか。
初美 心臓に毛の生えたような輩がそんなに繊細なわけがない。
家守 でも、こんな句もあるよ。

   正直な夜這いゆすぶり起こすなり 藐22

初美 これから一義に及ぶゆえ、ごめんつかまつるって声をかけるの。それもいけずうずうしい。
家守 何で武士言葉になるかな。これらの這い手は町人。武士の相手は妾か、吉原の女郎というのが川柳での約束事だよ。そういえば、殿様の夜這いという句があったなあ。

   殿様の夜ばひハずつか/\行 末四31   殿様の夜這いはずっかずっかいき
   闇夜ともしび殿樣夜ばいなり   三五26   闇夜にともしび殿様夜這いなり

 町人だと暗い中を音を立てないようにそろりそろりと這っていくはずなのに、殿様は何の遠慮もなく明かりを照らしてどかどかと足音を立てていく。
初美 それを夜這いとは言わない。
家守 そういう突っ込みは作者も織り込み済みだよ。だから、あえて夜這いという言葉を使っている。

   ひる見れハ夜ばいりちぎな男なり 末二1    昼見れば夜這い律儀な男なり
   うつくしひてきハ夜うちと心かけ   拾二20   美しい敵は夜討ちと心がけ

初美 さきの句の「正直な夜這い」も律義者なのか、でも、裏返せば単なるむっつりすけべ。それと、次の「美しい敵は」はどういう意味なの。夜討ちや朝駆けは戦国時代の戦いの常套手段だとしても何が美しい敵なのか。
家守 例えばこんな句から推察できるかも。

   くどきようこそあろうのにぬきみなり 一一14   口説きようこそあろうのに抜き身なり

 抜き身というのは鞘から抜いたむき出しの刀のことなんだけど、男がふんどしを外した状態も抜き身という。刀が鞘に納まっていないのと一緒だね。つまり、口八丁手八丁の口説き方とその場の雰囲気次第で、女だってその気になることがあったりするじゃん、合コンのお持ち帰りみたいな。でも、声をかけることもなく夜這いして、いまや襲いかかろうとしているのがこの句の状況。
 「美しい敵は」の敵は女、それを相手に男は口下手なのか、美人だから引け目を感じるのか、言い寄ることもできなくて夜討ち、つまり、寝込みを襲うと、こういう意味だと思うよ。「昼見れば」の律儀な男も似たり寄ったりなんだろうね。
初美 なるほど。女の子のひとり暮らしはオートロックといえども、安心してはだめよね。私も……うん、ねえ、家守くん、あなた、今、嫌らしい目つきで私を見ていなかった。
家守 勘弁してくれ。自分勝手にうがって言うなよ。それにあなたとそういうことになったら、あなたは金輪際、ここには出られなくなるみたいだよ。
初美 そうなの。
家守 誰が決めたのか、よくわからないけど、そうなっているらしい。
初美 そんなルールがあったのか。知らなかった。末摘花に出たくない、出ないようにするにはこいつと××、それも嫌、どうしよう……。
家守 何をぶつぶつ言っているんだ。
初美 ああ、ごめんなさい。先を続けましょう。
家守 次はこの句かな。

   盗人ハ夜ばいにおぢてにけて行 末三25    盗人は夜這いに怖じて逃げていき

初美 泥棒だって覚悟を決めて盗みに入っているのに、夜這いは執念か、形相か、泥棒が盗みに家に忍び込んだら、廊下をすごい形相で這っている男がいて、そのあまりの恐ろしさに盗人がびびって逃げていったと。
家守 泥棒すら夜這いには尻尾を巻くか。
 でも、次の句はある意味、平穏だよ、鬼の形相と比べればという意味だけど。

   かみさまへそらつたばけてはつてみる 末二7   かみさまへそらったばけて這ってみる
   旅の留守ある夜内儀のいだけ高    三37    旅の留守ある夜内儀の威丈高
   はい込とどろぼうといふむこいやつ  一四3   這い込むと泥棒というむごいやつ

 1句めの「かみさま」はおかみさん、店の番頭か手代がそらっとぼけて、つまり、寝ぼけたふりをしておかみさんの寝室に入ってみるという句、2句めの「旅の留守」は、亭主が旅に出かけた留守の間に何者かが寝室に忍び入ったところ、おかみさんが威丈高に罵声を浴びせた。3句め、這い込むと泥棒と声を上げたのは多分、下女だよ。
初美 たしか、店の従業員が主人のおかみさんと変な関係になったら、大変なことになったはずじゃなかったかしら。
家守 男は市中引き回しの上、獄門、これ以上はないという極刑だし、女は打ち首。江戸時代は封建社会だから、幕府なら将軍、武士は殿様、店は主人を裏切る罪は重い。そうなったら世間へもすぐに知れ渡るし、店は閉めるしかないだろうね。
 1句めは多分、主人は他界しているかもしれない。それで、おかみさんに這って受け入れてくれたらめっけもの、主人の後釜になれるかもしれないし、怒られたら寝ぼけていたと言い訳すればいい。2句めの主人は存命中、それが未遂で終わった。3句めは下五「むごいやつ」から、這ってくることを下女は承知していたんじゃなかったのかというニュアンスもありそうだね。
初美 でも、おかみさんに這おうものなら一事が万事。男が使用人だったら後はない。
家守 問答無用でクビだね。だから、こんな句もあるよ。

   わい/\天王のやうにして夜ばい 一七42   わいわい天王のようにして夜這い

初美 わいわい天王って?
家守 猿田彦のお面をつけて、「わいわい天王、囃(はや)すがお好き」とかいう囃し声を上げながら家々を回った物乞いの一種。文政(1818〜1830)以前の江戸にあったもので、京・大坂にはないと『守貞漫稿』にある。この句のわいわい天王は、そもそも夜這いだから静かにいくわけで、だから、猿田彦のようなお面をつけて顔を隠してという意味だろうね。大一座ががやがやさせている状況は考えにくい。また、猿田彦は鼻が高くて天狗と同視されることもあるから、お面をつけてではなくて、へのこをおやしてということをあらわしているのかも。
初美 顔を見られてまずいのは、お互いに顔見知りだから隠さなければいけないのね。
家守 さて、不首尾に終わった夜這いはというと……。

   醉た時夜ばいハよせとこりたやつ     末二20        酔ったとき夜這いはよせとこりたやつ
   木の根岩角踏たてゝ夜這ひ迯       破礼24(雑体追加)  木の根岩角踏み立てて夜這い逃げ
   よつほどのきすを夜ばいハひしがくし   末二33        よっぽどの傷を夜這いはひし隠し
   むみやうゑんつける夜ばいハ不首尾也 末初7         無名円つける夜這いは不首尾なり

家守 無名円というのは、無名異という佐渡産の酸化鉄を酒で溶いたもので、当時の有名な血止めや打撲の薬だよ。
初美 これで前半は終わり? 少し休憩しようよ。


家守 前節までは夜這い一般についての句を主に扱ってきたんだけど、次からは店の主人が下女へ這うという表題関連の句に限っていこうと思う。
初美 でも、下女ってどうして、からかいとか、えっちの対象にされちゃうのかな。
家守 それが川柳のお約束事だから。

   泥棒を又ござつたと思ふ下女      七七38   泥棒をまたござったと思う下女
   手と足で來のを下女は待て居    末四5    手と足でくるのを下女は待っている

 これらの句は、いずれも男が這ってくるのを待っているんだけど、でも、実際のところ、この句のような下女はほんの一握りだったんじゃないかと思うんだよね。現代人だって似たり寄ったりでしょう。
 では、本題。まず、亭主が下女へ這う理由から。

   女房のあぢハ可もなくふかも無     末四24   女房の味は可もなく不可もなし
   あんばいハ下女のがよいてやかましい  末初18   塩梅は下女のがよいでやかましい

 1句めは新鮮味がなくなってきた。女房と畳は新しいほうがよいという言葉もあるし。
初美 でも、女房と味噌は古いほどよいとも言うよ。味噌は古いほど味がなじむように、一緒にいる期間が長いほど、お互いに阿吽の呼吸がわかるようになる。
家守 ツボがわかるということか。
初美 いま、そのツボって嫌らしいことを念頭に置いて使ったでしょう。子どもが読むようなことわざ辞典に出ている文句だよ。変に考えすぎないほうがいいんじゃないかしら。
家守 参考にします。

   女房を三聲おこして下女へはい 末三6   女房を三声起こして下女へ這い

 二声どころか、三声もかけて起きない女房は熟睡しているわけだから頃合いやよし、下女へ這うぞと。
 次はその道中。

   下女が部屋是より左夜這道   五六20   下女が部屋これより左夜這い道

 中七「是より左」は何かの文句取りだと思うんだけど。
初美 それを調べ始めたら切りがないと思うよ。それより簡単に、政治だと、右は保守、左は革新、舞台では、右が上座、左が下座。
家守 左に折れると下女の部屋、右だと厠(かわや)ということか。でも、左大臣と右大臣では左大臣のほうが上だよ。
初美 面倒なことは言わないで。
家守 はい。それで、相手の下女はというと。

   おや/\旦那さまがと下女小聲也 七九17    おやおや旦那さまがと下女小声なり
   おりんめにさとられるなと下女へ這 傍三29
   女房に帶を〆させ下女を〆      四五17   女房に帯を締めさせ下女を締め

 2句め上五の「おりん」は悋気の擬人化、今日では使う人もいないけど、当時は名前に敬称の「お」をつけて女の人を呼ぶことが一般的だったからね。例えば「はつ」が本当の名前だったら、呼ぶときはおはつというように。3句め下五「下女を〆」の締めるは、とっちめる、やっちゃう、えっちする。女房には帯を締めさせておきながら下女の帯は逆に解いちゃう。
初美 1句めは主人がくることもあるだろうと予感していたのね。
家守 でも、こんな句もある。

   二ツめの咳で女房にがんづかれ  一七18      二つめの咳で女房に眼づかれ

 「眼づかれ」は気づかれたということ。こちらは声をかけないで、女房が寝ているかどうか、亭主が咳をして確認しているんだけど、そうしたら女房が起きちゃった。
初美 咳だって本当にむせて出た咳か、それとは違うものかぐらいはわかるよ。げほっ、げほっと、こほん、こほんと。
家守 そして、これ。

   女房のねみゝへ下女のよがりごへ 末初23   女房の寝耳へ下女のよがり声
 
初美 いまの嬌声は何なのと起きると、隣に寝ているはずの旦那がいない。さてはさっきまで隣で寝ていたはずのあいつめが。
家守 でも、証拠がない。

   寐たふりで見りや這ふ形のばからしさ 傍一28        寝たふりで見りゃ這うなりのばからしさ
   すつはりとはわせておいて内義おき   末初14      すっぱりと這わせておいて内儀起き
   しに斗行と女房ハ思ふなり         末初18       しにばかりいくと女房は思うなり
   一生のかきん初手から目をさまし     破礼38(曲事)  一生のかきん女房目をさまし
     「初手から」は「女房」の写し間違い。

初美 1句め、2句めは、這っていく旦那の背中をそっと見ている奥さんのことね。どこへいくのかと、すっぱりと這わせておいて後をそっとつける。
家守 4句めの「一生のかきん」の「かきん」は瑕瑾の字を当てるんじゃないかな。玉にきずのきず。一生の不覚という意味。
 それで、おかみさんの詮索が始まる。これからは想像するだに怖い世界になりそう。
初美 私が代わろうか。句のメモはあるよね。順番だと次はこの句か。

   明がたにつめたい夜着へはい戻 末三22   明け方に冷たい夜着へ這い戻り

 奥さんが起きていたらきっとはらわたが煮えくり返っているんでしょうね。このばか亭主、いまごろ、のこのこと戻ってきて、一体、どこへいっていたのか。でも、詮議は夜が明けてから。いまはせいぜい、いい夢でも見ていなさいと。

   うさんといふにほひ女房かぎ出し   二二10   うさんというにおい女房嗅ぎ出し
   はつた事下女が寐ごとでばれる也  末三21   這ったこと下女が寝言でばれるなり
   どの羽おり着てござつたと下女に聞  二二29   どの羽織着てござったと下女に聞き
   おまへよく下女をと跡のむつかしさ  末初34   おまえよく下女をと後の難しさ
   下女へ種蒔て女房にほぢくられ     五二23   下女へ種まいて女房にほじくられ

家守 3句め「どの羽織」は、着ていた羽織で這ったのが亭主か、番頭かをおかみさんが調べている。
初美 次の句はかなりうわてのおかみさんだよ。

   下女が夜着かりてていしゆをあやまらせ 末初6   下女が夜着借りて亭主を謝らせ

 下女の夜着をかぶったおかみさんが下女の寝床に入って隠れている。そこへ何も知らない亭主が下女の夜着へすべり込んできた。
家守 「おはつ、もう寝たのかい」
初美 「おまえさん、下女のおはつに何か用かい」
家守 「へっ、もしやその声は古女房……」
初美 「古は余計。あんた、どうしておはつの部屋にいるのさ」
家守 「ひっ……それはその、あれだ、何で俺はここにいるんだ、それにおまえこそ何でここに。寝ぼけて部屋を間違えた、いや、おまえがいるんだから間違えていないか」
初美 「いま、おはつの名前を呼びながらいきなり私を触ったね。ここ何年も私に指一本、触れたことなんてないじゃないか。まだ、白を切るつもり。往生際が悪いよ、この安本丹」
家守 「それは何だ、いや、あれだ、その、どさくさまぎれの失態……じゃない、死んだふり、これもだめだ」
初美 「観念をおし。向こうでゆっくり話を聞こうじゃないか」
 かくして、亭主は首根っこをつかまれた猫よろしくしゅんとなり、おかみさんにずるずると引きずられて下女の部屋を後にする。
家守 現場を押さえられちゃ逃げようがないからなあ。
初美 でも、これまでの句はおかみさんに協力する下女だったけど、逆の句もある。

   平沢で下女ハ内儀にしめられる   破礼15(雑体)  平沢で下女は内儀に締められる
   女の世話に成てると卜者いゝ   傍初4       女の世話になってると卜者(ぼくしゃ)言い
   やく女房牛王をのめと下女をせめ 末初12       妬く女房牛王(ごおう)を飲めと下女を責め

 平沢は享保・元文(1716〜1741)のころ、江戸でよく当たると有名だった易者らしい。その占いで亭主と下女が関係していると出た、正直にいいなさいと下女がおかみさんに問い詰められている。でも、平沢という易者と柄井川柳とでは時代が少し違うかな。
家守 初代・柄井川柳が最初の川柳評万句合勝刷を出したのが宝暦7年(1757)だから、20年ほどの開きがある。この場合は市井の易者に占ってもらったぐらいの意味合いでいいんじゃないかな。つまり、平沢=市井の易者、その次の句の卜者ということで。
 でも、3句め牛王を飲めはきついよね。
初美 代表的なのは熊野神社の牛王宝印などと書かれた護符よね。表に八咫(やた)の烏が描かれている紙で裏に誓約文を書いて、最後に背かば私はいかなる神罰をもこうむりましょうといった文章で締めくくる。
家守 その紙を燃やし、その灰を飲んで誓いを立てるんだよ、書いた文面にいつわりはありませんと。
初美 亭主と何も変なことがないのだったら、牛王宝印の紙にそのことを書いて操を立ててみなさいよと、こっちも問い詰められている。にっちもさっちもいかないとなると確かにつらい。
家守 次の句は。

   おろす沙汰女房高見て見物し 末四29

初美 これか。普通は高見で見物なんてできない。これは男がつくっているからの表現ね。
家守 以前に、江戸近郊の名主のような家の文書を読んでいたら、実の娘を少し離れた親戚に預けたという、当主の日記だったか、備忘録だったかにそんな一文が載っていた。
初美 実の娘を親戚に預けるってどんな理由から。
家守 理由はなかった。書かないのは書くのをはばかることがあったんだろうね。
初美 実の子なのに実家に置けないのは、置いておけない理由があるから。ということは、奥さんの子じゃない、妾の子だからと?
家守 多分。そう考えればつじつまが合うでしょう。家に置けば家族のもめごとになるから親戚に預ける。
初美 それって、つまり、町人は妾を容認していなかったということかしら。
家守 容認する理由がどこにあるの、って何か立場が違うなあ。まあ、いいや。いまの例じゃないけど、必ず面倒なことになるから実際にはまず少なかったんじゃないかと思うよ。

   承知せぬ夜着を是よや/\と引    末初31      承知せぬ夜着をこれよやよやと引き
     「よや」は相手に強く呼びかけるときの語。おい、ちょっとの類い。「これ、ちょっと、ちょっとお」。
   もぎ放しあれおかミさんだなさんが    末三34      もぎ放しあれおかみさん旦那(だな)さんが
   大海を手てふさくとハかたい下女    破礼39(蒸婦)  大海を手でふさぐとは堅い下女
   わるがたい下女君命をはづかしめ   六18        悪堅い下女君命を辱め
   いやならはいゝがかゝあにそういふな 末二13       嫌ならばいいがかかあにそう言うな
   させぬ下女翌る日やたらしかられる  破礼40(蒸婦)   させぬ下女明くる日やたらしかられる

 4句め「悪堅い」の君命は殿様の命令、拒絶した奥女中を下女と表現するのが川柳的だよね。奥女中なら普通は待っていましたと思うところなのに。
初美 主人だからといって身勝手なのはだめだよ。だから、こんなことにもなっちゃう。

   宿が來てにちるを女房それ見たか 四24   宿がきてにぢるを女房それみたか

 宿というのは請宿(うけやど)、口入れ屋のことよね。
家守 うん、桂庵(けいあん)とも呼ばれた職業斡旋所。武家屋敷の中間とか、店の下男・下女を斡旋するところで、例えば下女が店から逃亡したら請宿は連帯して代金を支払うか、代わりの者を充てたり、また、下女が何らかの被害を受けたら本人に代わって店と交渉した。この句だと亭主が言い寄ってきたか、力づくでされそうになったか、あまりのしつこさに辟易した下女が請宿に相談、請宿が店に乗り込んで亭主をねちねちとなじっていて、それを見た女房が当然の報いだと吐き捨てている。
初美 この句も請宿絡みかしら。

   そちハ二世あれは三月四日迄 末四22   そちは二世あれは三月四日まで

 親子は一世、夫婦は二世、主従は三世の縁という言葉がある。これはその言葉を踏まえたものよね。あれというのは下女のことね。
家守 そち、つまり、亭主が女房におまえは二世の縁だが、下女のあれは3月4日までの縁だと亭主が弁明している句だね。3月5日を出替り日といって、この前日の4日で下女や下男の奉公は終わり、新しい奉公先へと移っていく。ただし、主人やおかみさんに気に入られて、次もいておくれと言われたら続けて奉公できる。これを重年(長年:ちょうねん)といって、例えば初年時の下女の給金は1両2分から2両2分ぐらい、1両1分だと聞いた記憶もあるんだけど、重年すると給金が1分増しになった。冬期にだけ出稼ぎにやってくる信濃者が3か月で1分だそうだから、下女の年1両1分もあり得た話だと思うんだけど、斡旋してくれた請宿へ払う手数料はたしか1分だった。
初美 1分は4分の1両だったよね。4年いれば1両増しか。でも、重年できるかどうかは主人の胸一つ。

   あやまつてやろうと亭主まだまけず 三四7   謝ってやろうと亭主まだ負けず
   女房にあきやるなよとたわけもの  三〇35

 これらの句は、前からの続きからいうと「そちは二世」と言い訳しながら、最初の句は自分に非があるのに認めない。次は懲りて、女房に飽きるなよと誰かに説教する亭主はたわけものということかしら。
家守 多分、そうだろうね。
初美 奥さんに飽きなくてもいいんじゃない。それがどうしてたわけなの。
家守 今回は紹介しないけど、嫁さんにこびりついていて胡散がられる旦那のことを詠んだ句もある。どっちもどっちなんだけど、四六時中、男がくっついていたら嫌になるんじゃないかな。
初美 それで、出替りになると次の新しい人たちがくる。この句か。

   かミさまへいつ付た下女重年し     破礼40(蒸婦)   かみさまへいっついた下女重年し
   かみさまのしまんの下女に手をくハれ 拾二12        かみさまの自慢の下女に手を食われ

 おかみさんシンパの下女は重年するということね。2句めの「手を食われる」は、「その手は食わない」というように否定形で使うのが一般的だから、その逆で、だまされる、あざむかれる。自慢だった下女におかみさんがあざむかれるというのは、下女が亭主とねんごろになっちゃったということね。
家守 こんな句もあるよ。

   論ンの元トござれ/\の下女を置キ 末三32   論のもとござれござれの下女を置き
   女房の目のいそがしい下女を置き  八37     女房の目の忙しい下女を置き

 1句め「論」は議論、言い合い、その火種の下女を置くということだし、2句め「目の忙しい」は女房が絶えず目を見張って監視していなければいけない下女を亭主が置いた。
初美 また、同じことのリフレインか。本当に男って懲りないよね。
家守 懲りたら川柳のネタがなくなっちゃう。
 では、今回はここまで。


家守 さて、少し余談でもしようか。何でも雨譚(うたん)という人が誹風末摘花の編者だという説があるらしいんだよね。
初美 雨譚?
家守 初期からの有力な川柳作者の一人。川柳評の万句合興行は8月から12月までの4か月間だけ行われて、1月から7月までは作者連中が集まって句会を催していたらしい。そういった句は下に作者名の表徳が入っていて、柳多留だと9編(安永3年=1774刊)から出ているでしょう。
初美 ああ、「此篇のはしめに當夏書肆星運堂のぬし心願に依て不忍奉納句合催し千貮百員の寄句の内四十吟の秀逸をあらハすなり」と9編の冒頭にあるこれね。
 それで雨譚はというと句会でも頻出するけど、同編16丁にある明和8年(1771)の万句合勝句刷からの抜き出しが初出みたいね。最後は文化2年(1805)暮れか、文化3年初頭に出た32編かしら。このときの掲載は4句。ちなみに寛政11年(1799)の28編には30を超える本人作の句が載っている。一等最初の川柳評万句合勝句刷が出たのは宝暦7年(1757)だったよね。
家守 ところで、雨譚の息子は李牛といって、こちらも川柳作者だったけど、天明3年(1783)7月に病没した。柳筥(やないばこ)初編に柄井川柳が追悼文を寄せているし、翌年刊の同二編巻末には「亡児李牛をいたミて」と添え書きした雨譚の句が載っている。
初美 ということは、李牛が没したのが20代前半だとして、これから雨譚の年齢を推しはかれば、天明3年のときは45歳前後、末摘花初編は安永5年刊、以後、同2編は天明3年刊、同3編寛政3年(1791)刊、同4編享和元年(1802)刊、安永5年は35歳前後、享和元年は65歳前後くらいかしら。
家守 プラス5歳くらいの幅はあるかもしれないけれど、おおむね、そんなところだと思う。
初美 末摘花の編者として時代的には合っているのか。ただ、版元の星運堂・花屋久次郎が編者だという説もなかったっけ。
家守 複数の人が編集に携わっている可能性はあるよね。ただ、いずれにせよ、今日となってはすべて闇の中。まあ、蛇足の余談だけどね。
初美 あれ、また、帳を落とし忘れているよ。
家守 また、やっちゃったのか。ということは、多分、次もあるのかな。
初美 二度あることは……か。


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